私はとあるオブジェクトの収容を任されている。
この誇れる仕事が最後の仕事とは思ってもみなかった。
記憶は既に薄れかけている、だが、今この時だけで十分だ。
冷たい床の感触が私の皮に、肉に、骨に伝わっていく。私は横たわっている。訪れた安寧が私を満たしている。
ああ、幸せだ。まるで泥濘のようなずぶずぶと沈んでいくような感覚。覚醒しつつも感じるどこか眠たげな幸福。
収容の一環とはいえ、凍り付いた私の心臓にその安寧は唯優しかった。
私の周囲には同じように横たわる仲間たちがいた。だがもはや奴らはあのオブジェクトに囚われている。
いや、違う。奴らは皆狂っている。私が正気を保った最後の一人だ。他の奴らは皆生ける屍だ。
もう夢も幻も分からず、ただひたすらにその先にある悪夢に取りすがっている。
もはや始まりも終わりもない夢の中に、奴らは微睡む。
私だけが、この墓穴で一人寂しく棺桶の蓋を掻き毟る白髪鬼の真似事をしているのだ。
空白
だがそれで構わない。たとえ世界の最後の一人だとしても、私はこの暗闇に火を灯そう。
いずれ吹き消される、いずれ燃え尽きる終わりを灯そう。
空白
ここには喜びも怒りも悲しみも楽しみもない、それでも薄衣のような多幸感が動かなくなった私の臓腑を包んでいた。
静寂がある、平穏がある、ただそれだけで十分だ。
ああ、この眠りの中で、温かな母の胎内を思わせるこの中で、私は永劫を望まない。
凍り付いた心臓が、固まり切った四肢が、黄色く濁った眼球が、まだ世界を見ている。
あの倒れたオブジェクトを見ている。
アレの先を見つめてはいけない、アレの先に辿り着いてはいけない、アレを繋げてはいけない。
終わりがあるからこそ今は美しいのだ、最後があるからこそ炎は輝くのだ。
いずれ暗闇が訪れようと、私は火の灯し手でいよう。いずれ消えると分かっている火を、愛おしく思おう。
空白
ノックの音が聞こえた。何かが扉を叩く音が聞こえた。コンコンと、何かが訪れた音がした。
私の安寧を、平穏をその音は狂おしいほどにかき乱す。
あれは葬送曲でも泣き女の声でもない、不協和音に満ちた悦びの歌だ。
アレが立ち上がっている。忌々しく、嫌悪感を催すアレが。
気が付くと我先にと仲間たちが扉に縋りついていた、貪りついていた。
ああ、浅ましい。私はそれだけを思った。何故、何故、何故。
空白
空白
生きようと、いつまでも生きようとするのだろうか。
空白
空白
死があるからこそ人は生きるのだ、死ぬからこそ人は輝くのだ。
私は生きた屍などではない、ただの屍に過ぎない。そうでなくてはならない。
私は立ち上がる。最後の一人となった私は立ち上がる。
腐りかけた手足を、鼓動の止まった心臓を、凝固した血液を動かして。
此岸と彼岸を繋げてはならない、あの扉を開いてはならない。
私は駆ける、いずれ訪れる安寧へ向かい、終わりある炎の灯し手として。誰に気づかれなくとも、自己満足であろうとも。
私は死を思おう、私は死を肯定しよう、いずれ訪れる終わりを、諸手を挙げて歓迎しよう。
Memento mori
誰が、あけさせてやるものか。