おばあちゃんの思い出
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鳥丸 ████(写真円内/1996年夏、町内会報より)


[録音開始]

おばあちゃ……いや、失礼しました。祖母の思い出、覚えていること、ですか。うーん。すみませんね、何しろ僕が小学校の頃に亡くなったもので。もう20年にもなりますかね。自分の年を実感してしまいますよ、あはは。

思い出しながら順番に話すので、少し取り留めの無い話になるかも知れません。お時間は大丈夫ですかね? ……ああ、ありがとうございます。

一番古い記憶は、僕が、そうですねえ、6歳の時だと思います。小学校に上がると同時に、父方の実家に住むことになったんで。ええ、二世帯同居です。父はその時、訳あって転職をしまして。母は随分苦労したみたいですよ。僕は特に貧乏した覚えはありませんが。今考えれば、親の努力のお陰かも知れませんね。それなんで、僕は幼稚園時代を過ごした町を離れ、いきなり他の町の小学校に通う羽目になったんです。勿論、見知った友達なんか一人もいません。あまり表に出した記憶は無いですが、内心酷く寂しかったのを覚えています。そんなときに僕の面倒を見てくれたのが、祖母でした。

何しろ、祖母にとっては初孫で、幼稚園時代には何度も会ってる筈なんですが。同居していなかったこともありまして、流石にその頃のことは何も覚えていませんね。でも、生まれた当時から溺愛されていたのは確かなようです。調べたなら御存知だと思いますが、鳴り物入りで鳥丸家に嫁いだ人なんで、跡継ぎの男子が欲しかったんでしょうね。同居も、母が嫌がっていたのを、祖母が父を説得して、半ば強引に了承させたらしいですから。

ただ、祖母が僕にべったりだったのは、単に溺愛していた事が原因ではなくて。父が転職したばかりで家計が安定しなかったので、母がフルタイムで働きに出るようになったんですよ。弁当屋の調理係でして、激務の割に給料は安く、大変な仕事だったようです。そんなわけで、僕は友達もいない中、家に帰るといつも独りぼっちでした。祖母はそんな僕に、凄く優しくしてくれました。犬の躾方から畑の世話まで、何でも教えてくれましたね。

死んだ祖父の思い出を聞かせてくれたこともありましたよ。祖父は僕が生まれてすぐに死んでいて、記憶は無いんですが、若い頃はとんでもないヤンチャ坊主で、徴兵をイヤがって国から逃げ回っていたとか何とか。もし今も生きていれば、百歳くらいですかね。祖母にとっては、年上の素敵な男性だったようです。当時はそんなことまで考えませんでしたけど、祖母もきっと寂しかったんでしょうね。祖父が死んでから、実家を一人で守っていたわけですし。祖父が死ぬ頃には鳥丸家はすっかり没落していて、財産も殆ど残っていなかったようです。原因は……よくわかんないですね。兄弟間で争いがあったらしいですが、祖母も一切僕には語らなかったので。死んだ父は何か知っていたかも知れません。

話が逸れましたが、そんなわけで、僕は根っからのおばあちゃん子として育ちました。僕は小児喘息を患っていまして。家で発作が起きたときのために、祖母はいつも僕を見てくれていましたね。よく、夜に発作を起こしていたんですが、それはもう死ぬほどの苦しみで、祖母が側に居ないと心細くてたまらなかったんです。だから、寝るときも一緒です。授業参観や運動会にも祖母は来ましたが、別に恥ずかしいとは思わなかったですね。母親の代わりでしたから。むしろ僕は、行事に来ない、お弁当も作ってくれない、忙しいときには夜も帰ってこない母親を、次第に嫌うようになっていきました。今思えば、ありがちな反抗期というか、単なる寂しさの裏返しだと思います。自分のために母が苦労したとも知らずに、勝手な息子ですよね。

お弁当。そうだ、祖母の思い出と言えば、やっぱり料理ですね。鳥丸家の味付けはこうなのよ、って、祖母は色々な料理を教えてくれたんですよ。社会に出てからも、祖母譲りの料理のスキルはとても役に立ちました。

祖母が特に得意だったのは、茄子の酢漬けでした。何を隠そう、僕も得意料理です、ははは。漬物は全部美味しかったですね。子供でも食べやすい味付けというか。不思議な食感だったんですよ。僕は割と好き嫌いが多かったんですが、祖母のお陰で大分矯正されましたね。でも僕、果物のあのー、キウイだけはダメでして。アレルギーがあるんですよ。食べると、喘息が出てしまって。気管が荒れるせいらしいです。祖母は何とか僕に食べさせようと工夫してくれましたが、僕が嫌がったので、そのうち諦めて、お弁当にはキウイを入れなくなりました。

そんなわけで、僕は祖母に色々料理を教えて貰ったんですけど、何故か母がそれを嫌がっていたんですよ。原因は未だによくわかんないんですが。当初から、嫁と姑にありがちの、家庭内で考え方の対立があったみたいですね。母からすれば、僕が母そっちのけでおばあちゃん、おばあちゃんと言うから、やっかみもあったのかも知れません。僕も、察して母に優しくしてあげれば良かったんですが、当時は母のことが嫌いだったので、ワザと言うことを聞かなかったりとか。祖母の料理は残さず食べるのに、母の料理は残してしまうとか。

そんな感じで、僕が10歳くらいまでは平和に過ごしていたんですが、祖母が急に倒れてしまいまして。膵臓癌で、その時はもう余命幾ばくも無い状態だったようです。僕はもちろん、そんなの知る由もないですから、定期的にお見舞いに行ったりして。……ああ、すみません。祖母がその時、あまりに寂しそうな顔をしていたのを思い出しちゃって。離れた札幌の街中まで、電車に乗って出かけるのはちょっとした冒険でした。さっきの思い出話も、入院した頃に祖母から聞いたものが殆どです。死期を悟って、少しでも自分の思い出を残そうとしたのかも知れませんね。

ただ、やはりというか何というか、母は僕が祖母の見舞いに行くことを酷く嫌がっていて。行ってもいい、でも絶対一人で行くなとか、何やら訳の分からないことを言ってました。僕はいい加減、母の祖母嫌いにウンザリしていましたので、はいはいと空返事をして、友達と遊ぶふりをして出かけていましたよ。幸い、お小遣いはもらっていたので、電車賃には困りませんでしたからね。

2年後、僕が6年生になった時、唐突に祖母は我が家に戻ってきました。もう癌が全身に転移して、手の施しようがないので、家に戻ることにしたようです。終末期ケアというやつでしょうか。当時はそんなの知る由もなく、痩せこけて車椅子に座っていても、祖母が戻ってくれたことを僕はとても嬉しく思っていました。

しばらくは平和な毎日が続きました。頭は最後までハッキリしていたので、近所のご婦人と一緒に、ちょっとしたお茶会をしたこともありました。あの時の悟ったような祖母の顔は忘れられないですね……まだ69歳でしたから、せめてあと10年は長生きしたかったでしょうに。本当に気の毒です。

ああ、そうだ。忘れられない顔と言えば。

祖母が戻ってから、一月ほど後のことです。その頃の祖母は、友人に励まされたからなのか、大分生気を取り戻していて、車椅子ながら、自分の身の回りのことは一通り出来るようになっていました。
ある晩のことです。いつもの如く遅い帰りだった母に向かって、祖母は「私も料理を手伝う」と言ったんですよ。僕がお腹をすかせて待っていたから、孫の分だけでも私が作ると。でも、母は全く取り合わず固辞しました。まあ、祖母の体調とか、車椅子であることを考えると、台所に立たれるだけ邪魔だったのかも知れません。でも、その時の祖母は本当に、激しい怒りに歪んだ表情をして、言ったんです。

「私にはね、人に言えない苦しみがあるんだよ」と。

あんな剣幕で怒った祖母を見るのは初めてでした。僕は怖くなって、支度の手伝いをするのを辞め、子供部屋に戻りました。子供部屋では、祖母と母が口論する声がしばらく聞こえていましたが、やがて諦めたのか、祖母は自室に戻ったようです。その日は夕食に姿を現しませんでした。

その数日後、祖母は結局、元の病院に戻ることになりました。母との確執がよほど深かったのか、最後は医療を頼ることにしたのか。今となっては分かりません。でも、いつも僕には笑いかけてくれていた祖母が、その時ばかりは本当に悔しそうに涙を滲ませて、僕の方を見ていたのが、今でも忘れられません。

祖母は、約一ヶ月後に亡くなりました。当時は、母のせいで祖母が病院に戻る羽目になったんだと思って、随分母のことを憎みました。姑と夫の板挟みで色々大変だったんだろうな、と同情はしますが。

その後、僕は相変わらず忙しい両親のために、遺品の整理を手伝うことになりました。祖母が入院して以来、小児喘息はすっかり良くなり、スポーツクラブにも参加するようになっていました。体力が有り余っている子供にとっては、整頓や箱詰めなんて楽なもんでしたよ。

祖母の部屋はいつも綺麗に整頓されていて、思い出のある写真やメモはちゃんとまとめてファイルに綴じられていました。その中で、当時の祖母のレシピが綴じられたファイルを見つけました。僕は祖母の料理法を受け継ごうと思って、中身を読んでみたんです。そしたらですね、ビックリする事が書いてあったんですよ。


大根と茄子の甘酢漬け 2人前

  • 大根 300g
  • 茄子 1本
  • 酢 大さじ3
  • 砂糖 大さじ3
  • 塩 小さじ半分
  • 大葉 二枚
  • キウイ 4分の1

カボチャの煮物 2人前

  • カボチャ 4分の1
  • 水 100ml
  • 醤油 大さじ1
  • 酒 大さじ1
  • 砂糖 大さじ1
  • みりん 大さじ1
  • キウイ 2分の1

シーフードカレー 2人前

  • むきエビ 80g
  • ホタテ 80g
  • タマネギ 2分の1
  • マッシュルーム 3個
  • バター 20g
  • 水 300ml
  • 生姜 小さじ1
  • ニンニク 小さじ1
  • ソース 大さじ1
  • ケチャップ 大さじ1
  • カレールー 100g
  • キウイ ばれない程度




凄いでしょう? 祖母は僕のキウイ嫌いを何とかしようとして、料理にこっそりキウイを入れてくれていたんです。全然気付かなかったですよ、カボチャやカレーの味に隠れてましたからね。あの不思議な食感はそういうことだったんだと、後になって気付いたんです。そのファイルは、今でも僕の宝物です。

こんな感じですかね、僕が祖母について覚えていることは。それにしても、刑事さん。貴方たち、今更なんで祖母のことを聞きにいらっしゃったんですか?

え?

何ですか、貴方。それって僕がおかしいって意味ですか? いや、僕のおばあちゃんが? そんなわけないでしょう。他人の貴方に何が分かるって言うんですか。何度も説明したように、おばあちゃんは僕を愛情もって育ててくれました。さっきから少し変ですよ。貴方、本当に警察官ですか? 身分証明書を見せてください。おい、何が言いたいんだ、その顔は。

[録音終了]















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