真夜中に咲く偶像
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 皆がマスクを着ける世の中になって、内心、ちょっとだけホッとしてました。あたしがブスなのが少しは隠れるから。
 嫌な時代になったよね、高校入学したのにかわいそうって親が言うから、そうだねって何度も返したけれど。昔は良かったって言われるたびに、辛くて仕方がなかった。だからあたしは、この時代に救いを探すのに必死でした。不織布で、あたしの醜さを覆い隠したかったんです。

 あたしの名前、美与子っていうんです。はい。大嫌いでした、ずっと昔から。美しさを与えられた子なんて、こんな顔じゃ馬鹿みたいで。分かってるんです、あたしの親はあたしを追い詰めようとしてこんな名前つけたわけじゃなくて、ただ、あたしが生まれるその瞬間だけは、本気であたしの幸せを祈ってくれてたんだって。
 だからもっと嫌いになりました。だって今はちっとも愛されてないんです。父も、母も。あたしをお荷物みたいに扱うんです。あたしには何の取り柄もないから。暗くて、不安定で、扱いに困るかわいそうな子、だから。あたしをダシにして、喧嘩したりして。

 世の中が苦痛で、生きてることが憂鬱で。リスカとか、できたら良かったのかもしれないですけど。痛いのとか、血とか、踏み出す勇気すら出なかったんです、あたし。
 そんなだから、その日も眠剤飲んでも全然眠れなくて、親の寝た後、真っ暗なリビングでボーッとテレビだけつけて画面を見てました。お笑いと露悪趣味履き違えたみたいな、つまんない番組です。でも、光って揺れる色とか見てると、少しは気が紛れるような気がしたんです。
 で、そろそろ眠くなれたかなって時に、CMが流れてきました。眠れないのはいつものことだから夜中に流れるCMは大体わかってるはずなのに、初めて見る画面でした。なんか、最初は変に昔っぽい音楽だなって思いました。ニュートロ狙いかなと思ったんだけど、やけに音質も画質も悪いし。変だなぁって。でも次の瞬間、目が離せなくなったんです。

 天使だと、思いました。
 
 たった10数秒です。でも何より長い時間でした。
 白い家具の並んだ可愛いお部屋のセットを背景にして、知らない女の子が振り向いて、笑ってこちらを見て、無邪気にポーズを決めるんです。大きな瞳はキラキラしてて、巻いた髪がふわふわ揺れて、手首もとっても細くって。

「ミヨコ、16歳。ロマンスな春を夢見るお年頃」

 あ、この子もミヨコっていうんだ、って。
 たしかにピンク色の衣装のデザインとか、決めたポーズとか、作った声のセリフもいかにも昭和っぽくて、古臭いって言えばそれまでなんですけど。でもとても綺麗だったんです、眩しかったんです。あたしとは正反対の可愛いミヨコちゃんが、シミひとつ無いほっぺに、ちょんって指を当てて、とびっきりの笑顔であたしを見てたんです。

「彼もチュウしたくなる唇に。さくやリップ、新発売」

 つやつやした唇でキスの真似をしたミヨコちゃんが、手を振って。最後に「あなたの美しい毎日のために イワナガ美容組合」って、会社のロゴが映りました。それで、CMはおしまいでした。

 あたしはすぐにスマホを取り出して、イワナガ、たしかイワナガ美容組合だったはずだって、検索しました。でも1件もヒットしなくて。アイドル、ミヨコも検索しました。女優、ミヨコでも。フォローしてた美容アカとかも辿って探しました。絶対誰か見てる、誰か呟いてる、夜中だからって、あんな可愛い子見逃すはずがない。
 なのに、何も見つからない。
 眠剤のせいで幻覚でも見たのかなって、一瞬疑いました。でも、夢じゃないんだってあたしは確信してたんです。夢みたいな時間だったけど、現実だって。ミヨコちゃんは、いたんです。だって、ミヨコちゃんの一挙一動が、あたしの頭の中で何回もリピートされてたんだもの。幻覚ならこんなに眩しくない、確かじゃない、質量も無い。
 あれこそ美与子って名前に相応しい姿なんだって、心臓がそのまま死ぬんじゃないかってくらい苦しかった。

 どんなに高くても、マスクの下で見えなくても、あのリップを買おう。そう思いました。ミヨコちゃんの宣伝していたものを使えば少しは近づけるかもなんて、バカですよね。でも、あたしにはそれ以外思いつかなかった。
 あたしは毎日毎日、イワナガ美容組合、ミヨコ、さくやリップ、結果が出なくてもそのワードで検索し続けていました。変だ。CMを流せるくらいだから、それなりの規模の会社のはずなのに。どうして、どうしてってずっと考えてました。
 ミヨコちゃんのことばかり考えて、毎晩テレビを見つめるようになりました。あのCMをもう一度見たかったんです。不眠が続いて弱ってくあたしを見て、母は問い詰めてきましたし。テレビから引き離されもしましたし、父には殴られましたけど。こっそり続けていました。
 でも、CMは流れませんでしたし、どんなに化粧品コーナーを探しても、あのさくやリップと出会えることはありませんでした。

 あたしが次に考えたのは、とりあえず似た色のリップを探すことでした。代替品にしかならないけれど、それでも無いよりはマシだろうって。焼きついた記憶を頼りに百貨店の化粧品コーナーを回って、一番近い色のリップ、あたしのお財布からしたら少し厳しかったけど、それを買いました。

 でも、似合わないんです。
 可愛らしいピンクのリップ。あたしの厚ぼったくて色の悪い唇じゃ、どんなに丁寧に塗っても汚くて。肌の色も土気色にくすんで見えました。鏡を見て、ミヨコちゃんの真似をしてにっこり笑ってみても、なんだかちぐはぐで。鏡の中のあたしは、惨めで、卑屈で、わざとらしくて、ただただ気持ちの悪い顔をしていたんです。引き攣った、馬鹿にされる方の人間の、笑いです。手足がサッと冷たくなって、お腹の底から大きな塊がせり上がってきて、あたしは洗面台に吐き戻していました。足から力が抜けていって、リップは吐いたものでグチャグチャになりました。


 美しく生きたかった。
 美しく生まれられてさえいれば、何か変わったはずだと信じたかった。


  
 学校のあいつらみたいにはなりたくない。だってあいつらの心は醜い。可愛い自撮りがためらいなく撮れて、それをインスタとかTikTokに流して自慢できる、でもあいつらは皮を剥いだら汚いドロドロでいっぱいだ。目がそう言ってる。あんな下品な目、なりたくない、認めます、羨ましいんです、羨ましいけど、憧れはしないんです。
 あたしがなりたかったのは、ミヨコちゃんただ一人なんです。
 ミヨコちゃんはあいつらとは違う。瞳があんなに透き通ってたんだもの。デコレーションケーキみたいな、ガラス細工みたいな女の子。身も心も美しい、汚い部分なんて何にも無い、加工抜きでも可愛い理想の女の子。
 分かってました。メイクを真似ても、昭和レトロな古着を買い漁っても絶対、全身整形でもしない限り、いえ、たとえそうしたとしても、ミヨコちゃんみたいにはなれないって。あたしだってどうせ醜い心を持ってるから。でもなりたい。どうしてもなりたい、そうでなければ生きる意味なんてどこにも無い。でもなれない。それだけだった。

 あたしは真夜中のテレビを見つめていました。今夜CMが見られなかったら、このまま首を括ろう。そんな風に考えていました。テレビからはタレントの笑い声と、下品なじゃれあいがずっと聞こえてきて。霞んだ意識の中で、死のう、もう死のう、そう思っていた時、第一音であたしの体は飛び跳ねました。呼吸が荒くなって、背中の産毛が逆立って。音質が悪くて古臭い、でも優しくて懐かしいBGM。優雅な白い家具の並んだ、可愛い女の子のための部屋のセット。心臓の音がどんどん大きくなっていくのが分かりました。
 画面に映ったのは、紛れもなくミヨコちゃんでした。
 同じセリフ。同じポーズ。花びらのようにふわふわなドレス、綺麗に巻いたつややかな髪、白いタイツに華奢なハイヒール、大ぶりのイヤリング、上品なピンクのスカーフ。にっこり笑った唇は、桜色で。

「ミヨコ、16歳。ロマンスな春を夢見るお年頃」

 ああ、見られた、もう一度見られた、あたしの憧れ、あたしの全て。あたしが追い求めてきた、誰にも汚せないお花のような女の子。涙がボロボロ溢れて、涙って思ったより熱いんだなぁって考えてました。
 唇から、言葉が自然に漏れ出していたんです。

 あたし、ミヨコちゃんになりたい。

「……本当? 私に、なりたいのかしら」

 本当。本当に、本当。自分も、親も、学校も、社会も、全部大嫌い。こんなあたし消えてなくなりたい。全部全部捨てて、ミヨコちゃんになりたい。ミヨコちゃんみたいなリップも、あたしには似合わないの。悲しい。辛い。ミヨコちゃん。ミヨコちゃん。大好きです。愛しています。ミヨコちゃん。
 あなたが、あたしの神様です。
 あなたに、なりたい。

「そう。分かったわ。かわいそうなあなた。大丈夫よ。心配しないでね。あなたは私。あなたの中には、私がいるの。待っててね、今、迎えに行くわ」

 おかしい。
 あたし、テレビの中のミヨコちゃんと、喋っていた。
 待っててね、って。

 その瞬間、玄関のドアが開く音がしました。
 なんで、どうして。鍵、掛かってるのに。あたしの指先は震えていました。錆びついたみたいな首を動かして、廊下の先に視線を向けると、闇の中でも輝く、目も覚めるようなピンク色のスーツを着た、レトロなお化粧をした女の人が、完璧な姿勢で、玄関先に立っていました。つやつやした桜色の唇を、にっこり吊り上げて。マスクなんて、その人には要らなかったんです。
 理解しました。
 ああ、ミヨコちゃんだって。
 あたしを迎えに来てくれたんだって。
 もう、そうするしかないんだと分かっていました。暗い部屋の中、足が勝手に立って、フラフラ動き出していました。眩しい、眩しい、華やかな色の方へ。ミヨコちゃんの、いえ、大人ですから、ミヨコさんの目の前に立つと、彼女は優しく、女神さまみたいに笑って、すらっと伸びた指先に化粧筆を持って、夢にまで見たさくやリップを取って、あたしの唇をゆっくりと撫でました。
 彼女がポケットから手鏡を取り出すと、中に映るあたしの唇は染め上げたような満開の桜色で、とても、とても、美しくて、ああこれが、憧れ続けた顔だ、本当の色だ、あたしの本来の姿なんだって、ミヨコさんが、ミヨコちゃんが見せてくれた真実のあたしだ、あたしだって美しく変われるんだって。もっと先が見たい。あなたたちの見る世界が見たい。堂々と咲き誇るようにあなたたちが生きる時代へ行きたい、こんな時代を抜け出したい。
 だから、一歩を踏み出して、一緒に、一緒にって……
 


 それで今、ここにいるんです。

 長々と話し過ぎちゃいましたね。
 暗い過去話なんて、おしまいおしまい。
 大丈夫です。あたしは、もういません。
 いるのは、私です。
 収録の時間ですよ、行きましょう。

 私はミヨコ。
 イワナガ美容組合所属、16歳の、ミヨコ。
 与えられた者ではなく、今はもう、与える者。

 本番行きます。

 さん、にい、いち     

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