██家御息女 薫子嬢の遺言と共に
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石榴倶楽部 会報

██家御息女 薫子嬢の遺言と共に

2061


《御品書》


【食前酒】
梅酒

【前菜三種】
ザクロ最中 蓬豆腐 春野菜の浸し

【椀】
小枝酒蒸し潮仕立

【向付】
ザクロの飛鳥仕立 黒胡椒香

【強肴】
ザクロ御造

【御飯】
桜炊き込み御飯

【甘味】
抹茶氷菓子 春の果実盛




《食評》


食前酒の梅酒は、深い甘味と仄かな苦味が梅から桜へと変わる春の移ろいを感じさせ、その一雫が桜を愛でる饗宴の幕開けとなりました。
ザクロ最中は、桜の葉の塩漬けでさつぱりと味付けした肉団子を桜の花を象つた最中で挟み、目にも楽しく鮮やかな前菜に仕立てました。ザクロの芳醇さを引き立てる蓬豆腐と春野菜の浸しの軽やかさが、麗かな季節の訪れを感じさせます。
味付けは塩のみの汁物でありながら、小枝の酒蒸しはじつくりと滲んだ出汁により滋養に満ち、皆様もその奥行きある味はひにさぞ驚かれたことかと思はれます。
ザクロの飛鳥仕立は、牛乳を用いた珍味たるスープの中で丹念に煮込まれ、仄かで上品な黒胡椒の香り、ほろほろと解ける肉の旨味が春の宵にまさしく相応な一品でありました。
ザクロ御造は、後に書きます調理法が叶へた新鮮さ、我々の食の原点とも言へる無駄の削ぎ落とされた味はひに、皆様の賞賛の声が溢れたことも記憶に新しくございます。
その御造の後味を柔らかに包み込む桜炊き込み御飯の華やかな香りが豊かな食の喜びを高らかに表現し、また爽やかな氷菓子と果実盛の煌めきは会合の和やかな空気を象徴するかの如く、最後まで舌を楽しませました。

《御紹介》


今回倶楽部の饗宴を彩りましたザクロは、██家の御息女である薫子嬢でございます。
齢は十七歳と七ヶ月、血液型はA型、四肢内臓共に大きな病に冒されたこともなく、溌剌とした健康体の乙女でございました。
痩せすぎず肥へすぎずの理想的な体躯であり、食べるものにも充分気をつけていたと見へ、内臓の色の鮮やかさには目を見張るものがございました。脚がとても伸びやかであつたのも大きな特徴でせう。
また薫子嬢はピアノの大変な名手として学舎でも高い評価を受けておりました。彼女の軽やかかつ情感豊かに鍵盤の上を滑る指は、小枝の酒蒸しとして味はつていただいた際にも皆様の舌を楽しませたことかと思はれます。

《調理に際して》


今回薫子嬢の調理の際には、超常医術、また義躯手術に造詣の深い当倶楽部の早瀬様にご協力いただき、神経〆や頭部置換の技術を応用し、薫子嬢の脳髄を生かしたまま速やかに解体いたしました。
また華道の大家である当倶楽部の東条様の手により、薫子嬢の御首は花の如く、骨は枝振りの如く生けられ、古代の美姫の彫刻に勝るとも劣らぬ花の像となり、我々の饗宴に薫るもう一つの桜として咲き誇りました。青白く褪めた薫子嬢の頬にかかる黒髪を春の風が揺らす厳かな光景が、今でも目に浮かびます。
薫子嬢は一切の苦痛なき夢うつつの中、彼女の血肉に対する我々の惜しみなき賛辞を耳に受けながら、穏やかな微笑を浮かべ、安らかに眠りました。


《付記 饗宴によせて》


去る四月三日、京都は四条、私椎名主催にて桜を囲む晩餐会を執り行ひました。

霞のやうに靡く桜を眺めながら、ザクロを味はふ夜のなんと芳しく甘やかなものでありましたでしょうか。我々倶楽部の長く温かな親交が齎した、永遠とも思えるような一夜……
しかし、私があの夜に涙を溢してしまった理由は、我々を包む春の宵のあまりの壮麗さに心打たれただけではございません。

あの宵に皆様に味わっていただいたザクロ、██ 薫子嬢は、私の親しい友人でございました。

無論、我々は人を喰らふ禁忌を犯せども、最後の領地として、殺人の禁忌を犯すことは決してございません。ザクロは全て回収した遺体、または以前私がご紹介いたしました真智子嬢のやうに、自ら我々倶楽部に食されることを望んだ献体から成つております。
薫子嬢も、また献体志願の人でありました。
私が倶楽部の一員という秘密をどこから聞きつけたのか、薫子嬢本人の方から、貴女様にと打ち明け話をされたのでございます。彼女の遺言として、この会報に記させていただきます。

「私、夜毎に夢を見ていたの、とても悲しく辛ひ夢。目が覚めるたびに涙が出てしまふほどの。

夢の中で私は、ある立派なお殿様にお仕へしてゐるのです。この国が乱世にあつた頃、気の遠くなるほど昔の情景を見るの。私は本丸の御殿で働く側女なのよ。
ある日、京の都からお客人が来るの。そして夢の中の私は、お客人の中の一人にいつぺんで恋をしてしまふのよ。幾分かお年を召してゐるけれど、その眼は優しく凛として、目を見張るほどに瀟洒な方……嗚呼、笑わないでね、私だつて顔が熱くて恥ずかしくて……

貴女なら……私が次に何を言ふか、お分かりでせう。
そのお殿様はね。人喰ひだつたのよ。
正確には、人喰ひを教へられてしまつたの。
その美しいお客人に。世を統べる魔王になる、為に。

お殿様が初めて人を喰らふための饗宴が開かれたわ。敵の城から捕へた料理人に、人の肉で料理を作らせるの。酒を運ぶ側女の私は恐ろしくてたまらなかつた。
そして同時にね、羨ましくて堪らなかつたのよ。だつて饗宴には彼の方がいらつしやるの、肉になればその唇に触れられるのよ。まるでサロメが「貴方に口づけしたわ」と叫んだやうに……その事実がどんなに、夢の中の私の心臓を躍らせたことでせう……
でもお殿様はその人肉料理をお気に召さなかつた。こんなもの皆捨ててしまへ、料理人も殺してしまへ、そう仰る苛烈なお殿様に、料理人はもう一度だけやり直しの機会をくださひと言ふの。翌日本当に美味なるものを、と。

その時、夢の中の私は思ふの。
今死ねば、彼の方に食べてもらへる。

それからの行動は早ひわ、私は料理人に何度も手を合わせてお願ひしますと懇願して、その場で首に刃を当てたわ。料理人が恐ろしさうに私を見る中で、呆気なく死ぬのよ。これで新鮮な娘の肉が手に入つたと言ふわけ。死んだ私は、変な話だけど有頂天よ。嗚呼これで彼の方のお口にと。

でもね、そう上手くは動かぬものなのね。
お殿様は随分と鈍い舌で、それを料理人に見抜かれて、私の臓腑、私の骨肉、どんな御膳も味濃く作らせてしまつたものだから。
京の都からいらした彼の方の好みには、やはり合わなかつた。お殿様の手前召し上がりはなさるけれど……恋に狂つて死んだ夢の中の私は、何も報われなかつた。そして私は目を覚ますの。冷たく沈んだ寝床の上で。

でも、もう悲しくなどなくてよ。
私ね、貴女が紹介してくださつた浮田様と初めてお会ひしたとき、そんな、と声を上げてしまつたでせう。あの時は、隠してゐたけれど。
ええ、夢の中のお客人はね、浮田様に瓜二つでいらつしやるのよ。勿論御本人な訳はありませんわ、時代が離れすぎてゐるもの。でも、私は嬉しかつた。夜毎の夢に見た彼の方に、何の因果か巡り会へたのだと。胸の中に秘めていた心の、なんと熱かつたこと!

あらゆる手段を使つて、危険を冒して、貴女方の秘密を突き止めたのも。
全て、彼の方に食べてもらう、それだけの為よ。
貴女方が石榴喰いで、本当に、良かつた!

今しか、無いの。
蝶になつて、魚になつて、亀になつて、鳥になつて。
いずれの身で徳を積んだか、この大正150年に、やつとまた人間になれた。
今しか無いのよ。私が人間であれるのも、肉の柔らかな娘の身であれるのも。もうこの機を逃してしまつたら、今度はいつ人の身に生まれられるのかしら──?

ねエどうか私を、浮田様に会わせてくださひな。
たとへ私だと分かつていただけなくても、良ひの。
今度こそ彼の方に美味しく食べていただければ、それで良ひの。私は報われるの。

だから私の我儘を、どうか聞いて頂戴。美味しく、美味しく、食べていただきたひだけなのよ。こんな小娘でも、彼の方の顔が綻ぶのを見てみたかつただけ。
馬鹿な娘だと笑つて頂戴、恋といふのはこれだけ人を狂わすものなの、貴女もそれはご存知でせう──」

……なんと密やかな、そして血のたぎるやうな真つ直ぐな恋慕の炎でありませうか!
私と薫子嬢は手を握りあつて、必ずや、と約束をいたしました。何としてでも薫子嬢を我らが浮田翁にお届けしなければならぬと思ひました。故に早瀬様と東条様にご協力をお願ひし、このやうな形で皆様にご紹介することとなつたのでございます。
桜で飾られ、潮で煮込まれ、乳の海で踊るような一皿に、或いは肉のひとひらになり、我々の舌に至つた美しき薫子嬢。私の五感は、その想ひのお裾分けをいただける尊さに咽び泣いておりました。

そして、彼女の恋の真髄を味はふ浮田翁の瞳の、なんと優しく穏やかなものであつたこと!
浮田翁が賞賛の言葉を述べた瞬間、薫子嬢の御首、その双眸からはらはらと零れ落ちた歓喜の涙の、玻璃より清浄に透き通つていた、その輝きよ!

薫子嬢の魂は、今や極楽の蓮の上にありますでせう。時を超へた恋を叶へ、蕩けるやうな至福の紫雲の中にありますでせう。彼女の夢がたとへ幻の生み出した偽の記憶だとしましても、いずれ想い慕う相手に食される為に義躯化手術すら拒んできた薫子嬢が幸福であつたことに、何の間違ひがありませうか。

どうか、この秘密を会報を書く今になつて明かすことをお許しくださひまし。早瀬様と東条様には特に、理由を明かさなかつた私の提案を快く受け入れていただきましたこと、厚く御礼を申し上げます。
その場で申し上げてしまつたら、彼女はさぞかし照れてしまうと思ひましたが故に……

(記・椎名)



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