巳蒐
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「あっ、待って待って真里ちゃん。ちょっとだけ待ってて」


「新しい服を選んで欲しい」。そう誘われて駅ビルのリサイクルショップに向かった帰り道のことだった。普段からリサイクルショップを利用していることをあまり他の友達には言い出せないらしく、「やっぱり真里ちゃんは私の大親友だよ」と喜んでくれる理恵を見て私も嬉しい気分に浸っていた、その道中。理恵が私を呼び止めて、今しがた自転車で通り過ぎたデパート前の道へと引き返す。何かを拾うと、自転車を押しながら戻ってきた。


「どうしたの、理恵。何か落とした?」


「ううん、すごいの見つけたんだ。ほら」


そう言って理恵は、右手に摘んだものを「じゃーん」と得意げに見せびらかす。

持っていたのは細長い、よれよれとした半透明のチューブのような物体だった。私たちみたいな自転車や幾多の人に踏みつけられていたのだろう、全体的に黄色く薄汚れていてあんまり素手で触りたいとは思わない。


「なにそれ」


「わからない?蛇の抜け殻だよ。もしかしてと思ってよく見てみたらやっぱりそうだったの。ほらここ、目の穴がついてる」


言われてみれば確かに網目のような模様は鱗に見えるし、垂れ下がった先端にはぷつぷつと2つの穴が空いている。私は辺りを見回した。大型スーパーや飲食店が目立つ大通り。こんな所で蛇が脱皮するんだろうか?いやそれ以前に、こんな場所に蛇がいるなんて有り得るんだろうか?


「……へえ、すごいね。でもほら、なんか気味悪いし、捨てた方がいいと思うよ」


「何言ってるの、大切にとっとかなきゃじゃない。蛇の抜け殻には金運上昇のご利益があるんだから」


そう言い鞄から取り出した財布に、彼女は蛇の抜け殻を3つに折り畳んで大切そうにしまった。私は内心うげえ、と渋面を作る。

理恵に昔から少し迷信に過敏な部分があることは、小学生の頃から何度かお泊まり会をしていた時によく知っていた。お風呂上がりに爪を切らないこととか、イオンで買った靴を絶対に箱から出さなかったこととか、テレビに合わせて口笛を吹こうとするととても不機嫌になることとか。その時は幼心の純粋さも手伝って「まあそんなおまじないもあるのかな」と納得出来ていたけれど、流石にこれは……。

道に落ちていた生き物の皮を持ち帰ろうと気分良く自転車に跨る友達の後ろ姿を、私は一歩引いた所で見つめていた。





「当たったよ真里ちゃん!」


大学で会うなり、駆け寄って来た理恵は開口一番声を弾ませた。


「え……当たったって何が?」


「宝くじだよ、スクラッチのやつ。絶対今なら良いことあるって思って、駅前で1枚買ったら大当たり」


取り敢えず私は興奮している理恵を、慌てて他の学生のいない廊下まで引っ張っていく。


「いくら当たったの?」


「3等。10万円だよ」


10万円。国公立大学に通うのに奨学金を借りている苦学生の彼女にとっては間違いなく破格の大金だろう。確かにとても喜ばしいことなのかもしれないけれど。


「ね、やっぱりこの蛇の抜け殻のおかげなんだよ。まさかこんなに早くご利益をくれるなんて思わなかったぁ」


うきうきとした口調で、件の抜け殻が入っているのであろう財布を取り出す。この前見た時より、心無しか膨らんで丸みを帯びている気がする。ジッパーを開けて、中身を私に向かって見せて来た。


「あ、うん。いいよ見せなくて……」


言いかけて、私は「ん?」と首を捻った。

財布の中で紙幣やカード類に覆い被さるようにして、黄ばんだ抜け殻が詰め込まれている。

その量が、明らかに多い。


「え、なんか……増えてない?」


「ああ、うん。拾ったの」


あっけらかんと口にした理恵に、私は思わずぽかんとした。


「拾ったって……あの後また見つけたの?蛇の抜け殻を?」


「うん、もう2枚。1枚は宝くじ買った駅の構内で、もう1枚は今朝ここのトイレ入った時に洗面所に落ちてた。ラッキーだよねぇ。幸運のお守りが幸運のお守りを引き寄せてくれるなんて」


全身が総毛立つのが分かった。蛇の抜け殻に対しても、目の前の理恵に対しても。

この短期間で、普段東京だと絶対に目にすることのない筈のものを3つも拾った?それも駅のコンコースや、大学のトイレで?


「ねえ、理恵」


私は、にこにこしている理恵になるだけ低い声で告げる。


「良くないんじゃない、それ。……もちろん昔から理恵がおまじない好きだってことは知ってるよ?知ってるし、理恵の好きにしたらいいと思うけど……もし自然の抜け殻だったとしたら、駅や大学の中に蛇がいるってことでしょう?ちゃんと生き物に詳しい人に、相談した方がいいよ」


「あはは、真里ちゃん心配性なんだ。大丈夫、財布に入れてるだけなんだから。良くないことなんて、何も起こってないし。トイレで抜け殻を見つけた時は確かにおかしいなって思ったけれど、蛇そのものを見かけたなんて噂は聞かないし、多分他の誰かが捨てて行ったんじゃないかしら。そうよ、きっとそうに違いないわ。幸運のお守りを捨てちゃうなんて罰当たりな人もいたものね。私がその人の分まで、幸せになってあげなくちゃ」


おまじないが絡んだ時の理恵は、無理に否定すると手がつけられなくなってしまうことを知っていた。言い返せないでいる私を見て会話が終わったと思ったのか、財布を大事そうにしまいこんだ理恵は教室から出て行ってしまう。

理恵のことを本当に大切な友達だと思っていたんなら、この時もっと強く忠告しておくべきだったんだ。後に私は後悔する。




「理恵の買った馬は勝つんだよ」


最初に流れ出したのは、たしかこんな噂だったと思う。

蛇の抜け殻を拾った日から2ヶ月半。彼女の周りで段々と「理恵の賭け事に乗っかると絶対に儲かる」といった話が熱を帯びて出回るようになった。

彼女がギャンブルについて殆ど興味を持っていなかったことを知っていた私は、最初根も葉もない噂話だと反発していた。学部の中でもあまり柄の良くない女生徒が彼女を近所のパチンコ屋へと引っ張っていく様子を見かけてからは、もう何も言えなくなってしまったけれど。

やがて理恵の周りには、物珍しさやお金をせしめようと考えてるのが露骨な人達が常に多く集まるようになったが、次第に彼らも彼女のことを気味悪がって近付かなくなっていった。

学内で悲鳴が上がると、大抵の場合そこには蛇の抜け殻を握った理恵がいる。彼女はあの後も、定期的に抜け殻を見つけては財布に仕舞い込んでいるらしい。

教室、フードコート、図書館、更衣室のロッカー、エレベーター……私が人づてに聞いただけでも、これだけ。


「理恵は生き物の皮を拾い集める変な趣味がある」


お金儲けについての彼女の噂は、いつしかこうした噂で上塗りされていた。

そして今、理恵は教室の隅でぽつんと座り、握り締めた財布を俯いてじっと見つめている。元々友達は少なくなかった筈の彼女は、学部の中で完全に孤立してしまっていた。

同時に、変わらず理恵と一緒にいることが多かった私もまた、彼女以外の友達と話す機会が少なくなっているのを自覚していた。

ひとりぼっちで過ごしている理恵に、私はなるべく話しかけるようにした。彼女がなにか金銭のことで女友達と言い争いになっていた時も、仲裁に入った。奇妙な趣味に良くない賭け事。それらにのめり込んでいても、私と話している時の嬉しそうな理恵は、私の大好きな幼馴染のままだったから。


「真里ちゃん、お誕生日おめでとう」


0時になった途端かかってきた電話からの声を聞いて、その思いは間違ってなかったんだと改めて感じた。


「……ありがと、理恵」


「ううん、こちらこそ。それでね真里ちゃん。明日は大学全休でしょ?私もなの。だから」


少し間を置いて、決心したように理恵は続ける。


「私の家来て。直接渡したいから、誕生日プレゼント」


その言葉がなんだかとても勇気を振り絞った一言のように聞こえて、聞いてる私も少し照れ臭くなる。


「ん、分かった。理恵の家行くの、8年ぶりくらいじゃない?」


「ふふ、そうだね。楽しみに待ってるよ。それじゃあまた明日ね、真里ちゃん」


とても嬉しそうな声とともに、理恵からの電話は切れた。




「美味しい?真里ちゃん。私の奢りだから、たくさん食べてね」


「うん、ありがとう。とっても美味しいよ」


「そっかあ、ふふっ。ここは全部私が出すからね、安心してね」


待ち合わせてすぐに家に行くのかと思っていたが、理恵はその前にお昼を食べようと提案してきた。連れてきてくれたのは彼女の家から2駅離れた、数日前から予約をしないと入れないとっても敷居の高いレストラン。

理恵は頻りに「私の奢りね」と口にしながら、私が料理を口に運ぶのをにこにこと見つめている。気持ちはとっても嬉しいけど、なんだか少し居心地悪い気もする。


「ご馳走様でした。とっても美味しかったよ、ありがとう」


「えへへ、そう言ってもらえて良かったー。私お金払うから、先に出て待ってて」


彼女にそう促され、私は先に店を出た。ちらりと目にした伝票の桁数を思い返して、息を吐く。

きっと、今の彼女なりの誠意なのだろう。変な友達と付き合ううちに、金銭感覚や人に対する接し方が少し狂ってしまったんだ。それは決して理恵のせいじゃない。ありがた迷惑とか礼も過ぎればとか、そんな野暮なことを言っちゃダメだ。

何より私と食事をしている間の、心底幸せそうなあの表情。見ているだけで、私にとって最高の贈り物になった。やっぱり理恵は、大好きな私の親友だ。


「お待たせー。じゃあ行こっか」


「あ、うん」


会計を済ませて出てきた理恵に言われて、私は元々の目的を思い出す。そうだ、理恵の家に行くんだ。一体どんなプレゼントを用意してくれたんだろう。

電車に乗ってものの数分で、理恵の家にたどり着いた。小学生の頃よく遊びに行ってた時から変わっていない、2階建ての小ぢんまりとした洋風一軒家。理恵がポストと壁の隙間から鍵を取り出して、慣れた手つきでドアを開ける。


「ささ、入って入って。今日はママとパパは夜まで帰ってこないから」


「そうなんだ。お邪魔しまーす」


8年前と比べると少し物が増えた気がする玄関は、それでも昔見たまんまで懐かしさを覚える。


「私の部屋、覚えてる?」


「2階上がって、リビングを抜けたとこにある左手のドア」


「せいかーい!」


手で示されて、靴を脱いで先に上がらせてもらう。


見慣れた階段。見慣れたリビング。


「入っていい?」


「うん、どうぞー!」


見慣れたドアを、理恵が勢いよく開ける。



ひゅっ、と。掠れた音が喉を通り抜けた。



広がっていたのは、全く見慣れていない光景。

床という床を、黄ばんだ皮が埋め尽くしている。ドアを開けて入って来た風で、足元の数十枚がかさかさっ、と乾いた音を鳴らした。

勉強机、ベッド、クローゼット、遮光式のロールカーテン。

ありとあらゆる場所に皮が所狭しと並べられていて、足の、いや指の踏み場も見当たらない。

そして天井と壁には、何百枚という皮が釘やセロハンテープで括り付けられ、吊り下げられている。大量に挟んだピンチハンガーを無理矢理天井に埋め込んだものも見えた。



全部、蛇の抜け殻だ。



部屋中からは、咽せ返るような生臭い臭いと、お札を束ねたような臭いが漂っていた。


「……大丈夫、真里ちゃん?」


声も出せずに思わずへたり込んでしまった私を、理恵は心配そうに見下ろす。

震えた声を何とか絞り出して、問いかけた。


「え。なに、これ」


「……私の神さまだよ」


口角を上げて、彼女は答える。立ち上がれない私を超えて、抜け殻と抜け殻の間を慎重に踏みながら、そろそろと部屋に入っていった。


「素敵でしょう?あれからね、色んなところで拾ったの。1枚拾ったらまた1枚が、『ここにいるよー』って、教えてくれるんだ。見つける度にね、どんどんお金が増えていくの。欲しい、って思った分だけ、空からお金が降ってくるんだよ。神さまなんだよ、この子たちみんな。この子たちなしじゃあ、もう私生きていけないもの」


理恵はうっとりとした、さっきレストランで見たのとよく似た笑顔を部屋中の皮に向けている。これは、夢?いや、彼女が狂ってる?どちらにせよ、今のこれは、絶対まともじゃない。


「今日はね、プレゼントもそうだけど、真里ちゃんに見て欲しかったの、私の神さまを。素敵だねって、理恵はとっても幸せな子だねって褒めて欲しいの。ね、真里ちゃんはきっとそう言ってくれるよね。真里ちゃんはあの人たちとは違うもん。友達だもん、ね?」


笑顔で、だが鬼気迫るような必死さのある表情で、縋るように私に問い掛けてきた理恵に、私は即座に首を振った。顔が千切れてどこかに飛んで行ってしまうのではないかと思うほど激しく、懸命に。

「……え」

理恵の顔から、表情が消えたような気がした。よろめきながら後退り、抜け殻だらけの床から一つの箱を掴み出す。丁寧にラッピングされ、「真里ちゃんへ」と彼女の丸い筆跡で書かれたシールの貼られた、横長の直方体。

私もそこまで鈍くない。祈るように理恵が差し出したそれを、「やめて!」と右手で思いっきり払いのけた。

床に叩きつけられた「プレゼント」は包装紙が破れ、その間からは思った通り、ぱんぱんに詰め込まれていたのだろう黄ばんだ抜け殻の一片がはみ出していた。


「あ」


理恵の顔から、さっと血の気が引く。


「……真里ちゃんも、なの?」


ふらふらと、「プレゼント」の方へ歩み寄る。まるで割れ物を扱うみたいに慎重に、手に取った箱を撫でた。


「そんな、そんな筈はないって。誰に何されても、真里ちゃんだけは違うって、思ってた、のに」


「り、え……?」


座り込んだ理恵は、周りの抜け殻を両手で掻き集める。両腕いっぱいの皮をそっと彼女は抱き締めた。


「おばあちゃんが言ってたから、蛇の抜け殻は幸せなんだよって。だから大切にして、本当に幸せになって。ああ、これでママとパパにも楽させてあげられるって、とっても嬉しかったのに。周りのみんなは、そうじゃなくって」


ぎゅう、と抜け殻ごと膝を抱え込む。外の世界から閉じ籠るように。


「ママとパパは私に近付かなくなって。お金は受け取ってくれないで、2人でお出かけばっかりするようになって。友達はみんな話しかけてくれなくなったし、新しく出来た友達も、気色悪いって足蹴にしたり、眠くなるお酒ばっかり勧めてきたり、知らないおじさんに、身体だって触られて。わかるよ、私だって。私がおかしいんだなってことぐらい。でも。でも」


理恵が首を、私の方に回した。


「真里ちゃんは。真里ちゃんだけは、ずっと私の友達でいてくれたから。言うこと聞かなかった、私が悪いのに、ずっと仲良くしてくれていたから。私は、私のままでいいんだって。私が好きなものを隠さず好きでいていいんだって、そう思えたから。もう嫌だったけど、頑張って大学にも通って。いっぱいお話をして」


私を見据える理恵の目は、潤んでいる。彼女は最初から笑ってなんかいない。私から拒絶されないか不安でいるのを隠して、無理矢理気丈に振舞っていたのだと、たった今気付いた。


「ずっとずっと、本当に感謝してたから。せめて真里ちゃんの誕生日の時には、ちゃんとお返しをしなきゃと思って。でも、何をあげればいいのか、全然分からなくって。今の私には、お金とこの子たち以外、何もないから。だけど、お金だけはダメだって。真里ちゃんにありがとう、って伝えるのにお金を渡すのは、それだけは、絶対に何か違う気がして。だから、だから」


テープで破れた箇所を貼り付けた「プレゼント」を、再び私に向かっておずおずと差し出す。



「真里ちゃん、お願い。受け取って。私の幸せ、否定しないよ、って言って」



泣きべそをかく理恵の顔は、小学生の時のままだ。



「真里ちゃんだけは、ずっと私の友達でいてくれるでしょ?」



私の、大切な友達の、りえちゃん。



「ね、真里ちゃん?」



わた、しは        










振り返って、一目散に玄関の方へと走り出していた。






その晩、私はあのまま部屋に取り残された理恵のことを考えると罪悪感に耐え切れなくなって、よせばいいのに一晩中理恵の携帯電話と家に電話をかけ続けた。

いつも3コールもかからず出てくれる理恵は、その日は一度も電話に出なかった。





理恵の家に銀行の現金輸送車が衝突したことを知ったのは、翌朝のことだった。

乗り込んでいた運転手と警備員、それから玄関で車体に押し潰されていた理恵は即死で、無事だった彼女の家族も近隣の人達も、事故が起こった瞬間を目撃していなかった。

だからどうして輸送車が理恵の家に突っ込むことになったのか。そしてどうして、輸送車が本来予定されていたルートから数十キロ離れた理恵の家の近辺を走っていたのかは誰にも分からない。

理恵の家は破損状況から見てももう住むことは出来ないとされ、家族は支払われた家財保険と諸々の賠償金によって少し離れたアパートへ引っ越しをした。放棄された家は近々解体が予定されているが、理恵の部屋は未だ手付かずのまま保存されているそうだ。

あの蛇の抜け殻たちはまだ部屋に残されているのか、誰かに確認する勇気は私にはない。



もうすぐ、理恵の葬式が開かれる。私も母と一緒に、香典を持って参列する予定だ。

出席者の中に、多分理恵の友達は誰もいない。

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