
[撮影] ’21/ 7/16 大井戸
メモ:こんなに はっきりした お顔だったかな
今思えば神様だったのだと思う。そんな話。
大学進学を機に都会へ引っ越してそのまま就職。馬の合わない上司がついて心を削られ、もともと希望の部署でなかったこともあって、ニ年を待たずに退職した。そこから地元に帰って、しばらく父の紹介で小さな学習塾の非常勤講師をすることになった。
就活の時はわかりやすく学歴コンプレックスを抱えていた私だったけど、田舎では大卒というだけで資格は十分みたいだった。担当は小学校高学年で、生徒からの評判は上々。スポーツとか音楽とかの習い事は続かなかったけど、硬筆はちゃんと続けててよかったなと思った。
何人か個別に受け持つ子がいた中で、高浜さんは成績のいい子だった。それでいて社交的で、なんというかこうバランスが取れている。地域のバスケットボールクラブに所属していて、経験者の私とはよく話が合った。私がバスケやってたのは、中学の時だけだったけど。
「石が置いてあったんです」
ある日、高浜さんが言った。訊くと、登校中に大きな石が置かれているのを見たという。場所を尋ねると、山へ登っていく橋のところだと。高浜さんの家は町の境、遠見山という山のふもとにある。彼女の家には一度、夜が遅くなった時に送っていったことがあった。石があったという場所は「どうげんさん」と地元の人が呼ぶ神社へと続く山道の入口だ。通学路沿いを小川が流れていて、山側へ渡る石橋が架かる。
ある朝、ふと道の脇に目をやると石が置いてあったのだという。石など田舎道にはありふれているものだが、それは路傍の石というには不自然な様相だったらしい。大きな石が二つ積まれていて、高浜さんの言葉を借りるなら「お地蔵さま」に見えたんだそうだ。
「そのことをね、クラスの子にも言ったんです。そしたらみんなも見たって。いろんなとこにあったみたいなの」
みんなというのは四、五人のクラスメイトのことを指すらしい。一人は高浜さんと同じ通学路を通る男子で、あとはバラバラの地区の子。どうも石は複数個あるようだ。そういえば、と彼女が言う。
「西の地区の子が見た石には、なにか文字が書いてあったって言ってました」
「文字?」
「はい。でも難しい字で、しかも土で汚れていたから読むことはできなかったらしいですけど」
ふうんと頷いて、なんだか少しその石に興味が出ていた私は、高浜さんにまた何か進展があれば教えてくれるよう伝えた。彼女は、気味が悪いから何もない方がいいですと子どもらしく怯えて見せた。私はその通りだと笑って、その日は帰路に着いた。
部屋で一人で考える。石にはなんて書いてあったんだろう。石碑か何かが、誰かのイタズラで道にうち捨てられていたのだろうか。そんなイタズラがあるとは到底思えないが。
文字が書かれた石、大人の私が見たら読めるだろうか。漢字はあんまり得意じゃない。結局、私は夜遅くまでぼうっと石のことを考えていた。生活のなかで一番身近な、文字が書かれた石は、きっと「墓石」だ。そんなことを思いながらその日は眠りについた。
起きて、朝から脳みそを使わずにずっとネットを見ていた。塾のバイトは夕方からで、まだ少し時間がある。そうだ。私は急に思い立って、高浜さんが石を見たという橋へ自転車で行ってみることにした。
たしかこの辺り。神社へ向かう山道の入り口だったはず。着いて、辺りを見渡すとそれはそこにあった。
ただ、崩されている。
お地蔵さまに見えたというその石は、何者かに崩されていた。いや、石なんて不安定なもの、勝手に崩れたのかもしれない。でもなぜかその時は、これが誰かに崩されてしまったのだとしか思えなかった。私はなんとなく、石を元あったであろう姿に積み上げた。どっちが上でどっちが下だったのか。二つあった石はほとんど同じ大きさだったが、これもなんとなく少し小さい方を上にすることにした。
夕方になって、学習塾で雑務をしていると高浜さんが来た。先生、と声をかけられる。
「昨日の話なんですけど」
高浜さんは言葉が出るままに石のことを話し始めた。彼女はおおよそ次のようなことを言った。
今朝学校に行くと、クラスが石の話題で持ちきりだったという。東の地区の子は隣町へ向かう石橋の前、バス停の脇。南に住んでいる子は山道の入り口。大井戸、たしか北の地名だったか、の子は町の外れの農道。それぞれ別々のところで石が積まれているのを見たという。いずれも町の境の何もないところだ。
「今朝は私、怖くて別の道を通ったから石は見てないんです。でもあんまりみんなが盛り上がってるから、昨日私も見たって。そんな話をしてたら、南のほうに住んでる子が石は積まれてなかったって言うんです」
「崩されていた」
「え?」
高浜さんは不思議そうな顔をする。
「いや、なんでもない。続けて」
「うん。その子、りかちゃんて言うんですけど、石はただ置いてあったんだそうです」
少し沈黙。
「それで男子の一人が、誰かが壊したんだって言い始めて。私、お地蔵さまがかわいそうだって言っちゃったんです。そしたら結局、石が積まれずに置いてあったら、見つけた人が積んであげることに」
私はつい一、二時間前の自分の行動を思い出していた。特に信仰に厚いわけでもない私ですらそうしたんだ。お地蔵さまが倒れていたらもとに戻すっていうのは、自然な思考なのかもしれない。あれをお地蔵さまと呼んでいいかは、私には分からない。
「あ、そういえば男子が、石の文字を見たって言ってました」
「文字、ああ。難しい字で読めないって言ってたやつね」
「はい。寒いって字が書いてあったそうです」
「寒い?」
「意味が分からなくて余計に不気味だって話で盛り上がってました。何か特別な意味があるんですか?」
わからないやと答えて、適当にお茶を濁す。結局、私は自分が戻した石のことを、高浜さんには話さなかった。
夜になった。家でぼうっと今日のことを考えていると、大学時代の友人である香菜から着信があった。たわいもない話を三十分、思い出話を三十分、相手の職場の愚痴がもう四十分。そこから私の仕事の話になった。いきおい話題は、石の話になる。
「石が積んであったんよ」
「石?」
「それもなんかいっぱいあるらしい」
「なんそれ」
香菜は笑いながら。このよくわからない話のあらましを聞いてくれた。
「ふーん。橋の石なあ。よおわからんけど昔、川遊びしとるときに石積んで遊んでて親に怒られたことあったな」
「なんで石で遊んで怒られるの?」
「なんや、ローカルルールなんかな」
「へえー。私は聞いたことない」
「縁起悪いからやめろ、ってお母さんが。あんな怖い顔見たことなかったからびっくりしたの覚えてるわ」
そこから何か見えてきそうな気がしたが、話題は香菜のお母さんの話に移っていった。電話を切る頃には夜中の二時を回っていた。私は想像する。
子どもがひとり、河原で石を積み上げている。崩れては積み、崩れてはまた積む。なんで石なんか積み上げるんだろう。
翌朝の目覚めはあまり良くなかった。夢に子どもが出てきて、石を積んでいた。私はなんとなくそれを蹴って崩す。そしてたぶん、香菜のお母さんがそうしたように、その子を強く叱りつけたんだ。
毎朝十時くらいには目が覚める。起きて、リビングへ行くと、母がいた。今日はパートが休みらしい。テレビが点いている。
「九州で大雨やて。怖いなあ」
間の抜けた声で私に話しかける母。テレビ画面には氾濫した河川。
「子どもはなんで川で石を積んじゃいけないの?」
唐突に訊く。たぶん、明確な答えを期待したわけじゃない。
「子どもはな、親より早く死んだらいけんのよ。親不孝もんになったらあかん」
母の言葉はよく分からなかった。母は続ける。
「賽の河原言うてな」
「さいのかわら?」
「そう。死んだ子どもは三途の川に行く。でも先立った親不孝に川は渡れん。子どもらは罪をすすぐために河原でずっと石を積まされる。石を積んだら鬼が来て、それを壊す。その繰り返し。だから」
子どもは親より早うに死んだらいけん、と母は結んだ。私は、へえとだけ返して、会話はそこで途切れた。蛇口を捻ったとき水が流れていく音が不快で、吸い込まれるような音が不快で、私はいつもより早く洗顔を済ませた。
部屋に戻って一人考える。子供たちが道端で崩れた「お地蔵さま」をもとに戻す。崩された石を積み直す。それは、疑似的な賽の河原なんじゃないか。そんな妄想が遊ぶ。
「先生」
夕方になって、高浜さんが言う。
「今日もクラスの子達とお地蔵さまの話をしたんです。山手の子が今朝も崩れたお地蔵さまを積み直したって」
「高浜さん」
私はなにか怖くなって、普段より饒舌に彼女に話した。それは当然、賽の河原なんて小難しい話ではなくて、もっと簡単な嘘だった。その石には怖いおばけが憑いているから触ってはいけない。学校のみんなにもそう伝えて。そんな話をした。高浜さんは少し怯えたようなそぶりを見せて、分かりましたと言った。
翌日も、その翌日も崩れた石を町で見かけた。見かけたというのは正確でなくて、私は人より余りある昼間の時間を石探しに没頭していたのだ。神社へと続く山道、石橋の脇、隣町に繋がるトンネル。高浜さんの話を聞く限り、きっともっとたくさんあるのだろうけど、私には多くは見つけられない。子どもって大人よりずっといろんな世界が見えているんだろうなと、そんなことを思った。私は何か使命感のようなものを胸にお地蔵さまを探し回る。意味なんてたぶんなくて、今思えばそれは退屈な私の暇つぶしだったんだと思う。苔のついた汚い石像が今日もちゃんと崩されているかを見て回るのだ。その程度の奇行。誰も気には留めないだろう。たまに積まれている石を見つけては、崩した。そして「頭」をどこか見つからない場所へ隠す。私はもう子どもじゃないから、小学生が積んでしまうよりずっといいだろう。私は石探しに奇妙なやりがいさえ感じていた。
そしてついに私は、文字が書かれている石に行きあたった。雨風にさらされて、かなり劣化して潰れてはいるが、そこには確かに「賽」の文字が刻まれているように見える。賽の河原。やはりこれは積んではいけないものだ。その直感に理由などなくて、私はなぜか満たされていた。何かを成し遂げた感覚があった。その日は塾のバイトがなかったので、缶チューハイをあけて一人、縁側で涼みながら、夕日が沈むのを眺めたんだ。
しばらくして子どもが死に始めた。ひと月で六人死んだ。原因はまちまちで、病気だったり事故だったりしたが、とにかく町中まちじゅうで人が死に始めた。子どもだけじゃなかった。大人も死んだ。ふた月で十人死んだ。年寄りも死んだし、若者も死んだ。あまり関わりのなかった従兄弟のおじさんが死んだとき、母は泣いたが私は泣かなかった。高浜さんが死んだとき、私は息ができなくなって、吐いた。
「塞さいの神」という神様がいるそうだ。そのことを知ったのはそれからずっと後になってからのことだった。その身に「塞」の文字を刻み、邪悪なものが入らないよう塞ぐ石の道祖神。町の境に立って、外から来る悪霊を祓う境界神の石像。
「入ってきたんだ。私のせいで」