楽しくて仕方ないこと
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相談があるんだと、夜の公園に呼ばれた。

雅 敏まさとしは昔からよくわからない奴だった。家が近所で小学校の頃からよく遊んでいたが、部活も違えば好きなものも違う。

高校時代 仲間内でサイクリングが流行った時も、雅敏は運動は好きじゃないからと誘いを蹴った。

何かと周りに合わせるのに必死だった俺は雅敏を疎ましく思ったが、今思えばそういう姿勢に憧れていたのかもしれない。それでも頭のどこかで、こいつはいったい何が楽しくて生きているんだろうと、時々そんなことを思った。

進路を選ぶ時も雅敏はひとり理系に行って、今は看護師をしている。最後に会ったのはもう4年は前になるだろうか。

公園に着くと高校の頃と変わらないままの雅敏がいた。俺たちは自転車を脇に置いて、ベンチで話し始める。

結局趣味になったロードバイクと、ぼろぼろのママチャリが並ぶ。

雑な思い出話をたらたらとして、公園の前を不意に救急車が通り過ぎたところでようやく本題に入った。

「他の病院と違ってさ、うちは治すところじゃないから、せめて最期くらい穏やかに過ごしてもらいたいって、一応そんな思いで仕事をしてるんだ」

拙いけど、強い言葉だった。雅敏が勤める病院は、いわゆる終末期医療を行うところだという。患者は退院することなく、病院で最期を迎える。

「嫌なことがあるんだ。

うちの入院患者は後期高齢者がほとんどで、私立の病院だからけっこうお金持ちの人も多い。だからというわけじゃないんだけど」

そう前置きをして雅敏はだいたいこんなことを言った。

終末期医療の現場では、危篤に際して延命措置を希望するか確認書を書いてもらうらしい。胸部圧迫、要するに心臓マッサージを行うかどうかが、かなり大きな違いになるそうだ。

「中学のとき体育館でやらされたあれだよ。人工呼吸と合わせて、一番わかりやすい延命措置。言い方は悪いんだけど、生きてるだけでお金が入ってくる人ってのは一定数いて、失礼だけど俺にはやっぱりそういう事情がちらついてならない」

過剰な延命措置が患者にとって果たして幸福なのか、そういう話みたいだった。どうも雅敏の勤める病院ではそれを希望する家族が多いらしい。それが別に悪いことじゃないってことは、医療に詳しくない俺でもわかった。

あまりピンと来ていない俺の、溜息のような返事を気にせずに雅敏は言う。

「胸部圧迫は基本、アバラを折るつもりでやる。

残忍だって思われるかもしれない。でも命を呼び戻すってのはそれくらいたいへんなことなんだ。若い人だったらそれでもいいけど、年寄りは違う。

できるかぎりの延命措置をしても、元の生活に戻れる人はそんなに多くない。なんとか生き延びたとしても、アバラがぐちゃぐちゃになった痛みは消えないよ。折れた骨は付かないし、内出血で青黒く変色した肌も もう治らない。俺さ、命ってなんだろうって最近よく考えるんだ」

命は尊いと簡単に人は言うけど、医療の現場ではいろいろな葛藤があるんだなと、平凡に思う。でも俺はもしかすると、雅敏のこういうところが好きだったのかもしれない。

何かそれらしい言葉を返して暫く沈黙。

「笑うんだよ、みんな」

「え?」

「ごめん」

「は?こんな話聞いて笑うわけ」

「違う、ごめん、お前じゃない!今のは俺が悪かった」

そう言ってヒステリックに顔を引き攣らせる雅敏に、なんなんだよと俺が語気を荒らげて言ったのは、きっと焦りからくるものだった。

喉が渇く。

「ごめん。でもさ、ほんとにみんな笑うんだよ。

同期の山上も、加納も、2個上の先輩も、ちっちゃい子どもがいる師長さんも、みんなみんなそうなんだ。

みんな初めは嫌がってた筈なのに、最近はもうみんながそうで、もう心の底から、どうしようもなく楽しいってふうに笑ってる。始まりは今年の夏だったと思う。ちゃんとは思い出せないけど、きっかけはたぶん末期癌のあの人、あの人が危篤状態になった夜、みんな狂った。助けてくれ。深夜だった、そんなに人はいなかった。みんながいたわけじゃない、でも、その時から確かに全部狂った。夜中に患者さんの心臓が止まるたび、必死になって何度も胸に手を押し付けながらさ、みんな声が枯れるまで笑うんだ。俺、あんな声、聞いたことないよ」

薄ぼんやりとした気持ちで、ただ雅敏の話を聞く。遠くで響いていたサイレンの音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

「人を殺したいとかそういうんじゃなくて、傷つけてみたいとかそういうのじゃなくて、それは確かに助けたいって気持ちの延長で、みんな金井さんに助かってほしいと思ってて、でも、でもさ、今じゃみんな、誰に対してもそうで、ごめん、ごめんよ。こんなこと言いたかったんじゃないんだけどもう、あの人じゃなくても笑う。ああ、何が楽しいんだろうな。痛いのに、生きてても痛いだけなのに、いっそ楽にしてあげた方がって俺は、俺はなんだ、くそ、ごめん。最近は夜勤に入るたびにそればっかりでさ。あの人は死なないし、他の人も死ななくなっちゃって、患者さんみんな苦しんでるのに、なんで?どうしてだ?ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……。

あったかい氷を必死になってかき混ぜてるみたいな感覚が、今もずっと手に残ってる。

俺もいつかみんなみたいに、これが楽しくて仕方なくなるんじゃないかって、不安でしょうがない。

なあ、教えてくれ。これって俺が普通だよな?」

雅敏はそう言って、血走った目で俺を見た。

間を置いて、みんな疲れてるんじゃないかと、そんな言葉を返した。

そっと雅敏の肩を叩く。公園の前をまた救急車が通り過ぎた。

暫く気まずい時間が流れて、俺たちは意味もなく少し笑った。丁寧すぎるくらい改まった雅敏の謝罪の言葉をいなしながら、俺たちは公園を出る。

雅敏はなんだかすっきりとした顔で、機嫌よく最近ハマってるバンドの話なんかをしていた。

結局、俺には雅敏の話が何もわからなかった。わかりたくもなかったし、とにかく早く帰りたかった。

交差点でさよならを言って、それぞれの帰路に着く。暗くて危ないから 自転車は押して帰るらしい。

別れてすぐ何の気なしに振り返ってみる。


雅敏と目があった。


体は前を向いているのに、頭だけが不自然に180°こちらへ曲がっている。街灯に照らされたそれは、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。声は出さない。何も喋らない。

何か言わなくちゃ。そう思いながらしばらく呆けて、気まずくなって視線を逸らすと、ボロボロの自転車が目に入った。


「なあ」


言いかけて、言葉を飲みこむ。


「タイヤの空気、入れすぎてて危ないぞ」


その一言が言えなくて、どうしても俺には言えなくて、帰りは足が馬鹿になるまで力をこめて自転車を走らせた。

狂ったような、泣いてるような笑い声が、後ろからいつまでも聞こえていた。

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