「此度はよくぞ法師陰陽師の率いる鬼の群れを退いてくれた。流石は天下の安倍晴明だ。お主がいなければ都は大事になっていたであろう」
果たしてこの都に守る価値はあったのだろうか。老人は目の前の貴人の言葉を聞き流しながら友の顔を思い浮かべていた。
「さて、晴明。すまんが儂はこれから蒐集寮に向かわねばならんのだ。お主のおかげで大事にはならなかったとはいえあそこには帝から預かった貴重な品々があるからの。ではな」
物思いにふけっている間にかなり長いことこの貴人は話していたらしい。
貴人が部屋を出て行くまで老人は静かに頭を垂れていた。
「道満、儂は今更お主が正しいように思えてきたぞ……」
その声は誰にも聞かれることはなく響いた。
「よいのか?また嫌味を言われるぞ?法師陰陽師と共にいたと」道満は手に持った猪口に酒を酌む晴明に言った。法師陰陽師──官職ではない民間の陰陽師──が都に急襲を仕掛ける数日前の事である。
「よいのだ」晴明は続ける。
「鬼も見えん殿上人には世の真実が見えていないのだ、儂らの友情もな」道満はそれを聞いて照れくさそうに猪口を口に運んだ。
しばらくして道満は口を開いた。
「晴明殿、この都は悪疫だ」
「なんだいきなりどうしたのだ?」
「蒐集寮の事を知っているだろう?かつては村々に出る悪鬼を払って回っていたというのに近頃はどうだ?殿上人たちのご機嫌取りのために異能の品を蒐集しているだけだ。陰陽寮は都の祓いで手いっぱいだし、儂ら法師陰陽師で手分けをしてもどうしても質で劣る。民が苦しむばかりだ」
「そうだな、儂も思うところが無いわけではない。しかし道満、お主はなにが言いたいのだ?話が見えないぞ」
道満は猪口に残った酒を一気に流し込んで一息つくといった。
「あれは人を惑わす品々だ。だから儂は……儂らは破壊しようと思うのだ。異形や異能、魑魅魍魎のすべてを」
「なに?」晴明は物騒な響きに怪訝な表情をした。
「真面目なお前の事だついてきて欲しいといっても断るだろう、だからせめて邪魔をしないでくれ。お前を倒すのは骨が折れるだろうし、何より友に"式"を向けたくないのだ」
「だめだ、道満やめろ。都には衛兵も大勢いる。一人ではどうにもならんぞ」
「一人ではない」
「なに」
「法師陰陽師の仲間が集結しているのだ。数日中に事を起こすつもりだ」
「道満やめろ!!儂らは都を守るために動かねばならなくなる!儂はお前に"式"を向けなければならなくなる!」
「わかっている。しかし、儂らの決意は固い。儂一人が情に流されるわけにはいかんのだ……すまぬ」道満はボソボソと何かを唱え、悲しげな表情だけを残し、晴明が呼び止める間もなく姿を消していた。
貴人の邸宅から帰路に就いた晴明は思い返していた。
あの日、道満の率いる法師陰陽師と術を交えたあの時。彼らの瞳には大義を信じる高潔な炎があった。先の殿上人の瞳は欲に溺れた浅ましい色が宿っていた。
晴明も、共に戦っていた陰陽寮の若い陰陽師たちも、結局義憤に燃える法師陰陽師達に止めを刺せず、彼らは傷を互いに庇い合いながらどこかへと姿を消していった。そのことについて「手心を加えたのか?」と追及されると思っていたが、あの貴人にそんなことに興味はなく美酒の湧く徳利とこの世ならざる音を奏でる琵琶の方がよっぽど大事なようだった。
晴明の心はもう決まっていた。
「息子たちに迷惑はかけられんな」
晴明の葬式が行われている頃、道満は便りを聞きつけ都が一望できる丘に来ていた。
丘の頂上には枯れ木に腰掛ける見慣れた姿の先客がそこにはいた。
「おや、晴明。死んだと聞いてやってきたら早速化けて出たのか?」おかしそうに道満が言うと先客はゆっくりと答えた。
「あれは儂の"式"だ。」葬式の列を眺めながら晴明は答えた。
その時草陰から数人の男が出てきた。追われの身の道満は身構えるがそれを晴明が手で制す。
「安心しろ。儂と一緒に都を出てきた……いわば同志だ。儂やお主と同じで今の蒐集寮、そして都の在り方に疑問を持っている者たちだ」
その多くはあの事件の日晴明とともに都を守っていた者達だった。道満は晴明の言葉に安心すると晴明に聞いた。
「儂らとともに来てくれるのか?」
「遅くなったがな。これで儂の子や陰陽寮に迷惑は掛からんだろう」葬儀の列を指しながら言った。
そうか、と道満はいった。
「大所帯になってきたしそろそろ名を決めようではないか、なぁ晴明」
「む、まだ名が決まっていないのか……そうだな」
その時夕暮れの空に一際強く輝く5つの星を見つけた晴明はこういった。
「"五行結社"ではどうかな?」