贋作虎徹かく語りき
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「おお、応神の、あー…一番上のだなァ?」

すんすんと鼻を鳴らしながら朽ちつつある床板の上に胡坐をかいた老人が唄うような妙な口調で問う。

「ええ、久しぶりです、先生。二口ばかり研ぎを願いたく存じます。」

盲の老人に頭を下げつつ言う。盲だが、彼には視えている。礼を失してはならない。
尤も、可視不可視問わず頭は下げるべき時に下げるべきなのだ――位が上がれば上がるほどに。

「先生は止しておくれよ、せがれさん。センセイと今後呼ばれるべきはあんたの方なんだからね、三十一代目。」

歯が浮くようなおべっかと共に、かかか、と笑いながら研師は唄う。

「願います。刀は、ここに。」

風呂敷から打刀を二口取り出し、床に置く。
吽、と呻きとも嘆息ともつかぬ声を上げつつ、研師は手探りで傍らの布切れをひ掴み口に咥えて、打ち粉らしき粉を左手に荒々しくぶちまけ、音もなく鯉口を切った。
首の座らぬ赤子のように首を小さく振りながら、打ち粉まみれの左手で刃を撫ぜる。
刀身を露出している最中、観測者は沈黙せねばならないという原則を守るため咥えた布切れの狭間から阿、阿、吽、と呻きが漏れる。
こちらも当然、口を横一文字に閉ざす。
研師に剣を見てもらうのは武人にとって果し合いに近い心地の物である。
幾多の客人と切り結び、首を絶ち、綿を割いてきた刀身を彼ら研師が一瞥し、ひと撫ですれば、こちらの太刀筋など丸裸なのだから。

「もののけよりも、人を多く斬ったな、国光よぉ。」

気がつけばいつの間にか二刀ともに鞘に収まっており、研師の声で我に返った。

「要すれば何者でも斬ります。それをしないための口八丁と愛想を鍛え始めてはいるのですが、これが生中にはいかないものでして。」

誰に対する言い訳なのか。国光はまくし立てるように口にしたことを後悔し、これまでの殺傷の悔恨と共に飲み下した。

「こいつらは相手が妖であれ人であれ、斬るために造られたもんだ。少なくともコイツは鈍ってない。そりゃ担い手が良いからだ。……それを是とするか否かは、手前次第だがね。」

沈黙を以て礼とする。

「十日もあれば研ぎ上がる。今くらいの時間なら起きてるし、酔っても居ないだろうよ。……お前さん、その間の刀はあるのかい。」

「……いえ。」

蒐集院から財団へ日の本の異常性確保の権限を移す闘争と交渉の最中、思えば多くの同胞と斬るべきではない人々を斬った。
思えば今回の砥ぎの依頼も、兄弟たちにすら決して口にできぬ汚れ仕事に濡れた自身の得物たる二振りの禊のつもりだったかもしれない。
その心労と多忙さ故に、いつも研師に刀を預ける際持参していた予備の刀を忘れてしまっていることに、ここにきて国光は思い至ったのだった。

「我を亡くすと書いて忙しい、ってな。気にすんな、坊主。十全なもんを貸してやる。」

こちらの思いを読んだようにふらりと立ち上がり、奥のがらくたの山へ向かっていった研師は、一振りの刀を持って戻ってきた。

「天下のコテツ様だ。検めてみろ。」

袖の下から手拭いを引っ張り出して口に咥え、鯉口を切る。
反りは茎の側が強く、切っ先はやや弱いが全体としては強めであった。
鎬高く、穏やかな輪郭の刃紋はおおむね規則的ながら、恐らくは意図的に乱した波を打っており、肉厚な刀身と地金に地沸が微塵に厚く付いている様は確かに後期虎徹の作のようであった。
チ、とわずかな音を立てコテツが鞘に収まる。

「本物ですか。」

「贋作だよ。『虎徹を見たら偽物と思え』ってな。なんなら茎を見してやっても良い。作風は後期虎徹に寄せてあるのに銘は前期を模倣してるし、鑢の入れ方も虎徹とは異なってる。良くできた偽もんだが、まあ十全だろうよ。」

「贋作とは言え中々の業物に見えます。お借りしてよろしいのですか。」

「研いでくれ、と預けられて二十年ほど経っている。研ぎを任された刀は持ち主が一年取りに来なけりゃ埋めちまうことにしてるんだが、そいつは何だか捨てる気が起きなくってね、つい肥やしにしちまってたんだ。もってけ。」

持って行けと断じた裏に何か語るべき、問うべき何かがあるようだったが、覗き屋になるつもりもなかった。

「有難くお借りいたします。では十日後の、今くらいの時間に。」

「ああ、お前の刀なら五年くらいは埋めないで待っててやるよ。」

研師は早くも、備水砥の砥石を濡らし始めていた。

研師の住まう廃墟と見まごうばかりの山小屋を出て、竹林を歩く。
日没までには猶予をもって里に至れそうだが、如何せん日が遮られ、黄昏時のような暗さであった。
まじないを付加していない贋作虎徹では山の妖に出会ったら為す術も少ししかないが、二十世紀の山中で山の神に遭うことも無いように思われた。
だから、そう、今ここで出会うとしたら其れは自らが切り伏せた嘗ての同胞の亡霊であり、

「応神、国光、だな」

眼前に立つ灰色の着物を纏い竹笠を深く被った亡者がそう口にしたのを、国光はさして驚くことも無く聞き入れることが出来た。

「如何にも応神の国光です。初めまして、ではないのでしょうが、名乗るべきを名乗り、目的も教授頂けると幸いです。」

最低限の礼と自然と顔に張り付いてしまう愛想笑いに我ながら怖気つつ、国光は問う。

「我ら、蒐集院。我らこそが蒐集院なり。
忌まわしき財団に身売りした蒙昧なる嘗ての同胞とは異なる者である。」

蒐集院の残党――否、むしろ全体の半分かそれ以上の蒐集院の人員は財団に吸収されることなく地下に潜るか、あるいは国光ら「財団への同化」を選んだ者たちに牙を剝いた。そして後者は、皆、国光が斬った。

「貴様は院を売った。最早一刻たりとも生かしておくに能わぬ。何か言うことはあるか。」

いつの間にか灰色は二人、三人と増え、四人目がそう問うてくる。

「饒舌だな、蒐集院。言の葉まで蒐集し出したか。辞書でも編纂するが良い。」

愛想笑いが何時の間にか顔からはがれていたことに国光は安堵しつつ、苛烈な、破滅の言葉を口にした。

「逝ね、賊め。」

殺気に満ちた台詞が聞こえ、背後からの攻撃を察知する。
横一文字の斬撃と予感する。自分ならそうするからだ。

【抜刀】【前方への運足:左足一歩】【斬撃:振り返りつつ縦一文字】

一動作であった。

蒐集院 名臥流1 表之太刀2 其漆 「颪風」3

灰色の刺客は横薙ぎの斬撃の動作を完遂しても国光が健在だったことに驚愕し、それは既に自らの刀が両断されている故であった事に気付く。それが彼の最後の思考であった。国光は振り下ろした自称虎徹を右肩に担ぎ、切っ先を対象に向ける。霞の構え。

【運足:左足半歩】【斬撃:上段逆横一文字】【残心】

蒐集院 名臥流 裏之太刀4 其参 「宵待」5

刀を振った動作のまま首を落とされ、立ったまま灰色の死神が絶命するのを見やりつつ、周囲を確認する。残り三人。

「この期に及んで名臥流を使うか、裏切り者。」

長であろう灰色が怨嗟の疑問を口にする。

「生憎此方は一刀だ。鞘を使って二神流6を見せてやってもいいが、貴様らの最後には人斬りの為のこの技が似合いだろう? 貴様ら自身の技で死ぬが良い。」

「ぬかせ――!」

年長者と思しき亡者が殺気とは相容れぬ穏やかな歩法で接近してくる。構えは無型。ぶらりと両の手を下げ、およそ斬り合いに臨む型ではない。

外法。

彼奴の手の内はいつの間にか逆刃になっていた。

名臥流 九行之太刀7 其弐 「血河」8

逆一文字の不意打ちを後退して避ける。自信が絶命する景色が視えた。全く根拠のない直観に基づいた、なりふり構わぬ後転が国光の命を救ったことを、さっきまで立っていた地点へ第二の刺客が放った斬撃の煌めきが通ったのを見て確信した。

当然だが一対一を順繰りにやらせる気などないらしい。一人と対峙している最中、背中を、横腹を第二、第三の刺客に斬られるだろう。

申の方角が開いている事を戦闘により乱れた気の最中でも感じた。背を向けて走り出す。

戦闘から追跡へと刺客の意識が変化したことを感じ取る。戦闘と追跡、あるいは逃走という三つの選択は、本来境界線の無い、ある種同一の物であり、切り替えるものであってはならない。そんな基本すら抑えていないから、こういうことになる。

【振り返りつつ第一の相手に袖の下の棒手裏剣を投擲】【第二の相手に刺突】

名臥流 手裏剣術 及び 表之太刀 其肆 「打水」9

【第一の相手へ斬撃:袈裟斬り】

表之太刀 其壱 「鳴無」10

先頭を切って追跡していた二名が斃れる。
一対一と、相成った。

「帰りたいかね、三人目」

無言が帰ってくる。そういえばこいつだけは邂逅から一言も発していない。

「結構。では、参る。」

上段に構える。
名臥流において熟達の者でなければ取るべきではない構え。
構わぬ。

蒐集院研技官として仮に身を置いていた名臥流だが、皆伝まで収めた。
深奥を、見せてやるまでの事。

対して第三の男は霞の構え……その崩し。
左手は前方に柔らに突き出し、刀を片手で担っている。

さて、中段構え――正眼こそが最強にして完璧な構えであるという理論は、日の本で剣戟が繰り広げられ始めた頃から現代の競技剣道まで連綿と続くセオリーだ。青銅剣で闘っていた時代からそうだったと言って良いだろう。得物の切っ先を相手の胸部ないし首に向ける。これだけで一対一の最中、「とりあえず死ぬことが無い」からだ。その最強にして最も日和見な構えを打破するために上段構えが、下段構えが、八相が、霞が、その他全てが存在する。

転じて現在、此方は最上段にて相手を縦一文字にしようとしており、相手は霞の崩しにて、暗殺術たる名臥流お得意の首落としを狙っている。お互いに釣り糸を垂らしている状況はいびつな膠着状態をもたらしていた。

互いの距離は五間。歩法を用いても一足飛びで先の機を取るのは苦しく思える。

長い時間が過ぎた。

誰そ彼時の一歩手前。何時の間にやら互いの距離は四間まで縮まっている。烏羽二神流の地脈を用いた歩法の応用と、名臥流の足指を用いた移動術が、歩行なき接近を可能にしていた。

先に地を蹴ったのは此方。
縦一文字に切り伏せるのみ。

表之太刀 其弐 「吹雪」11

正眼崩しの構えとして、次善の策として最も即応性ある上段からの斬撃に、器用貧乏になりがちな霞の構え、それも奇形の崩しを伴っているともなれば、灰色の刺客は国光の斬撃におよそ耐えられないはずであった。

灰色の男は、宙に浮いた左手で事も無げに国光の縦一文字を横に逸らした。
蚊でも払うような動作で、鎬をぱん、とはたいて見せ、斬撃の軌道を変更せしめた。

【驚愕】【取り消し】【取り消し】【この体勢からの最適な行動を検索】

相手の脅威度を見誤った悔恨や焦燥をすべて却下し思考の火薬に火を着ける。

【運足:左足一歩後退】【斬撃:逆一文字】

苦し紛れの横薙ぎの斬撃を放ち、国光は鈍い金属音と共に時が止まったのを感じた。
虎徹の贋作に刺客の刃が深々と食い込んでいる。鍔迫り合いと呼ぶことすらできない劣勢。

「国光殿。お久しぶりです。」

灰色が吐く自身の名の音声の体温を感じるほどの距離。

「伊藤……衛士か……。」

かつて蒐集院にいた頃の直属衛士、伊藤一二三であった。

「出来れば二刀のあなたとやりたかった……、否、二刀のあなたを獲りたかったです、国光殿。」

灰色の刺客、伊藤衛士の刃は既にこちらの贋作虎徹の心鉄まで喰いつきつつあった。

「勝ったつもりかね、伊藤の。私はまだ健在だが。」

「この代用刀は……村正、否、虎徹の模造品でしょうか。貴方の今所属する組織と同じ、紛い物です。」

情けなく武具としての機能を手放しつつある此方の獲物を見下げつつ、伊藤衛士は言う。

「阿々、財団は、紛い物だ。武人の心得とは程遠い、女を斬り赤子を喰らう、血に飢えた悪鬼羅刹の集まりだ。このコテツと同じようにな。」

吽、と声を発しつつ両の手で押さえていた峰を押しやりつつ前方に撥ね退ける。
結果的に伊藤の刀の刃が走り、先ほどまで食い込んでいた切り口からすぱりと贋作虎徹は両断されていた。

後先考えぬ後退に伴い膝をつきつつ、伊東が構えているのを感じる。見るまでもない。自分ならそうするからだ。
十分に話した――話し過ぎた。彼奴なら二の句を継がせず切り伏せるだろう。……他でもない国光自身がそう育てたのだから。

闘志あふれ溌溂とした衛士たる伊藤一二三は自信の勝利を確信していた。
嘗ての主の刃は折れ、体勢を崩し片膝をついている。後は裏切り者となったかつての忠臣に介錯をするのみだ。

『どのように組織が変質しても、或いは自身の属す組織を変えたとしても、自身の技だけは変質しない。それだけは真実だ。誇らずとも良い。所詮武術なんぞ殺人技術だ。誇るやつがいるか。』

伊東は在りし日の国光の言葉を思い出していた。

『しかし結果的に、その技術が齎す結果はとても大きい。上手くやった方が生き永らえ、仕損じた方が終わる。つまらないよな。それを解っていても我々の体は自律して闘うんだが。そういう風にできているんだ、我々は。』

蒐集院解体、その前年に、道場の片隅で禅を組みつつ、国光の口にした言葉であった。

伊藤一二三は斬撃の最中に、国光が左手に持つ折れた日本刀の切っ先が音もなく手の内で翻るのを見た。
遅かった。体幹は既に角運動を始め、両の手に携えられた刀を振るためのモーメントを獲得してしまっていた。
変更は不可能。
国光が左手を振り上げ、投擲された折れた刀の先端一尺分が飛翔し一二三の左目を穿ち、眼窩底骨を貫き脳を侵した。

国光はするりと一二三の後ろに回り込み、膝の裏を蹴り正座の体勢を取らす。

「御免。」

残った二尺五寸の刃を一閃し、一二三衛士の僅かな残りの意識は頸と共に失われた。

竹林は既に誰そ彼時を過ぎ、最早帰り道は判らなかった。夜の山を歩くのは危険だ。今夜はここで夜を明かそう。幸い風もなく、曇天ではあるが雨も降りそうになかった。
傍らの断頭され坐臥する骸を見やる。
灰色の空の山中、膝の上に落とされた彼の首が誰であるか、国光にはもう判らなかった。
   
  
                            了
 
 

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