妖怪
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和風な造りの大きな屋敷、その門の前に少女が立っている。彼女のおかっぱのような髪型は、顔に残る幼さを一際引き立たせている。小洒落た洋服と過度に飾らない雰囲気は彼女の裕福さと育ちの良さを表しているようだ。

彼女がその場で待っていると、程なくして門が開いた。門の中から背広を着た男が顔を出す。

「お待ちしておりました、お嬢様。ご主人様がお待ちです」

そういうと彼は手で屋敷の中に入るように促した。少女は「はい」とだけ応えると、男に従って中へと入っていった。

男に連れられ、彼女は豪勢な造りの屋敷の中へと入った。

「最近はお変わりありませんか?」

男が少女の方を向きながら言う。

「はい。新しい母との生活にも慣れてきました」

彼女の声は明るかった。だが、声に反してその顔には寂しそうな表情が浮かんでいた。男は横目に彼女の表情を見ると「何よりです」と言って笑顔を浮かべた。それ以上、2人は何も言わなかった。

そのうちに2人はある一室の前で止まった。彼は襖を両手で丁寧に開けると、少女の方へと向き直った。

「お嬢様。こちらでお着替えください。お召し物は衣桁にございます」

少女は頷き部屋の中へと入った。部屋は小さな和室だ。ただ部屋の中央に着物が掛かった衣桁が置かれているだけで他の家具は何も無い。彼女は衣桁の前に立ち、おもむろに洋服を脱いだ。上着を脱ぎ、スカートを脱ぎ、下着を脱ぐ。彼女はそれらを綺麗に畳み、襦袢と着物を身につけた。彼女は慣れた手つきで着物を着ていく。

この屋敷の主はよく彼女に着物を着せたがった。彼女自身は主の単なる懐古趣味だと思っていたが、ある時屋敷に務める世話係が「ご主人様はお嬢様に妹様の姿を重ねておられるのだと思います。ご主人様の妹様は戦中の爆撃で亡くなっておられますので…」と言っていたのを聞いて以降、少女は着物を着ることへの抵抗が薄れていった。死者に自らを重ねられるのはなんだか腑に落ちないが、それ以上に彼への哀れみを感じたからだ。そういう経緯で彼女は、この屋敷を訪れる度に着物を着ていた。そのうちに彼女は着物を着ることに慣れたのだ。

彼女は帯を締め、部屋の襖を開けた。

「今日のお着物は新しいものなんですね。可愛くて素敵です」

彼女は着物の袖を触りながら男に言った。

「えぇ。ご主人様が御用意なされました。今日は特別な日だそうですので」

男は柔らかな笑顔で応える。少女は何故かその笑顔に違和感を感じた。まるで表面だけで笑っているような、顔の芯では別の表情を浮かべているような。彼女の心で言葉にできない不安感が湧き上がった。

「それではご主人様の所へとご案内致します」

そう言うと、彼は笑顔を貼り付けたまま歩き出した。少女は増大する不安感を飲み込み、彼の背中を追いかけた。廊下を渡り、階段を昇る。その間、彼女は窓の外や襖絵を眺めながらぼんやりとしていた。なるべく先程の不安感の原因を考えないようにするためだった。

男がドアの前で立ち止まる。

「ご主人様。お嬢様をお連れ致しました」

彼はドアを開け「お入りください」と言った。彼女は促されるがまま、部屋の中に入った。

広い部屋の中には何人もの背広を着た男たちと車椅子に乗った老人がいた。老人は威厳のある髭を湛えているが、その顔に精気は無い。老人の体に繋がっている管が着物の隙間から伸びている。それぞれの管は車椅子の背面に備え付けられた機械に繋がっていて、その機械からは老人の生命活動に合わせて微かな電子音がなっている。

少女の目には、老人が機械に生かされているように見えていた。

「…良く来てくれた。…近くに寄ってくれ」

老人は枯れ木のような手で手招きをする。少女はそれに応じ、老人に近づいて車椅子の前で正座をした。

「お爺様。ご無沙汰しております」

老人は口元の酸素マスクを外すと、手を伸ばして彼女の頭を撫でた。その手は震えていたが、紛れもない優しさに満ちていた。

「…元気にしていたか?…歳は…幾つになった?」

「13歳です。お爺様。元気に暮らしております」

老人は椅子により一層深く腰掛け「そうか」と頷いた。

「…母は…恋しく無いか?……母親が事故で死んで…辛いこともあっただろう」

少女の体が強ばった。彼女にとって、母親の話をされるのは苦痛だった。母親は2年前に事故で死んだ。詳しいことは教えられなかったが、とにかく事故で死んだのだ。彼女は母親の話をされる度に、脳裏に母親の青白い顔と司法解剖によって刻まれた身体中の縫合痕がチラつくのだ。

「…… 母がいなくなって悲しくはありますが、寂しくはありません。新しい母のおかげで楽しく生活しております」

少女は何とか感情を堪え、顔色を変えずに言った。

「…それは何よりだ」

老人はぼそりと呟くとマスクを付け直し、車椅子をゆっくりと窓の方へと向けた。彼は何も喋らず、ただ窓から差し込む光を見ている。

数分の沈黙の後、老人が口を開いた。

「…私はもうすぐ死ぬ」

「え?」

突然の言葉に、少女は思わず目を丸くした。

「……今なんと?」

「私はもう長くない。あと1年も生きられないだろう」

老人ははっきりと確かな口調で言った。

老人の死はつまり、少女の家族がまた1人消える事を意味している。その事を理解した瞬間、彼女の頭に母親の青白い顔が浮かんだ。死に満たされた顔が、肉体に刻まれた醜い解剖跡が、そそくさと再婚した父親の軽薄さが、よそよそしい新しい母親の態度が、消えることの無い絶対的な孤独が、瞬く間に瞼の裏を過った。

「そんな…嫌です…お爺様まで…私を…置いていくなんて…ひとりに…なるなんて…」

彼女の涙腺は熱を帯びていた。老人の死への悲しみのせいなのか、さらなる孤独への恐怖感のせいなのか、少女にその区別はつかなかった。

「…なぁに…人はいつか死ぬものだ」

「…それに、お前はひとりじゃない」

老人は再び少女の方に向き直った。

「……ほらこれを見てみなさい」

彼はそう言って着物の胸元を開けて見せた。肋骨の浮き出た胸に大きな手術痕が走っていた。老人はその痕をなぞりながら何故か懐かしそうな表情を浮かべていた。

「…私はこんなに手術を受けてまで生に執着してきたんだ…私にはやらなきゃいけないことがあるからね…死んでなどいられないのだよ」

「やらなきゃいけないこと?」

少女は涙を零しながら顔を上げた。老人の目は真っ直ぐと、彼女の両の眼を見ていた。

「…おまえにはずっと秘密にしていたが…私は財団の…日本支部の…幹部なんだ」

財団がどういった組織かは彼女もよく知っている。すべての国家の上に立ち、人類を統治する組織。官僚的で、支配的で、絶対的。それがSCP財団だ。…その財団の幹部が自身の祖父だというのだ。老人の予想外の告白に、彼女はただただ驚愕した。

「お前にそのことを隠していたのは、お前を守るためだ…お前が私の孫だと分かれば、きっと危険が及ぶ…この世の中には、崇高なる財団に仇をなす危険分子もいるのだからね」

彼女はこれまで老人がどのように財を成したのかを知らなかった。聞いてもはぐらかされたからだ。だが、彼が財団の幹部だというなら合点がいく。彼の豊かな生活は財団という巨大な組織によって約束されたものだったのだ。

「…財団の幹部達の間ではね、私はこう呼ばれているんだ…」

「"鵺"とね」

彼は酸素マスクをずらすと、車椅子を少女の元へと近づけた。

「…私は、もう120年近く生きてきたが、まだ死ぬわけにはいかないのだよ。死ぬには、まだ、やり残したことが多すぎる」

"鵺"は目の前で硬直する少女の手を握り、自身の胸の傷に当てた。彼女の手のひらに、弱々しい老人の心拍が伝わる。

「…鼓動を感じるかい?どうだい、生きているだろう?」

お母さんはここで今も生きているのだよ

老人の握る手の力が強くなっていく。

「お母さんは…いや、私の娘は、ここで私の一部として私を生かしている。私が死ぬのを防ぐために、私の代わりに生きているのだよ」

「娘はその役割を快く受け容れてくれたよ。表向きは事故として扱われたがね」

「お…お爺様…いくらお爺様でも…その冗談は…面白くない… 」

少女の中で危険信号が発せられる。先程までの弱々しい老人はもう居ない。目の前にいるのは自らの生の為に娘すら喰らう恐ろしい妖怪だ。

老人は彼女の手を離すと、着物の帯を解き腹を出した。腹にも胸と同じような手術痕がある。ただ、それよりもずっと古いもののように見えた。

「ここには私の妹がいる。私の肝臓として生きている。あとは…私の背骨と……肺は弟だな」

「みんな私と血の繋がりがあるから、私の体と拒絶反応を起こさなかった。……いや、拒絶反応を起こさないからみんなを使ったのだがね」

"鵺"はまるで家族に話しかけるような面持ちで傷に語りかけている。

「…だが、もう皆限界が来たらしい。私の他の臓器も、移植ではどうにもならない。どれだけ肉体を新しいものに変え続けても限界はある、ということらしい」

"鵺"は少女の方を向き、屈託のない笑顔を浮かべた。

「お前の身体が必要だ」

「お前も、私を生かしてくれるだろう?」

その瞬間、少女は首筋に鋭い痛みを感じた。見ると背広を着た男が注射器を突き立てていた。男の顔には、ピクリとも動かない柔らかな笑顔が張り付いている。暴れようとしたが、いつの間にか左右にいた男たちに身体を押さえ込まれていた。ゆっくりとピストンが押し込まれる。

「お嬢様。おやすみなさいませ」

注射針が抜かれる。咄嗟に首を押さえたが、薬剤を注入されてしまってはもうどうしようもなかった。身体の動きが鈍くなり、やがて前のめりに倒れた。舌が鉛のように重い。呂律が回らなくなり、だらしない声しか上げられない。恐怖と悲しみのせいで、まともに開けることすらままならない目から絶え間なく涙が溢れ出す。

肉体からあらゆる感覚が途切れていく。完全な暗黒に包まれた中、唯一残されていた聴覚が声を聞いた。

「ようこそ。我が躯体よ」

目の前にいるであろう年老いた妖怪の声を最後に、少女の意識は完全に途絶えた。
















数ヶ月後、SCP財団日本支部理事会は新年度最初の定例会議を開いた。議場は極めて秘匿性の高い「サイト-8100」。理事会の構成員が一同に会している。"獅子"・"升"・"千鳥"・"稲妻"・"鳳林"・"若山"。それぞれの理事が席に着き、会議の開始を待機していた。

「"鵺"はまだ来ないですね」

隣の空席を眺めながら"若山"が言う。

「恐らく肉体の問題でしょう。彼…いや、彼女と呼べばいいのかな。彼女は高度医療班でリハビリを終えたばかりのはずだ」

"稲妻"は会議資料に目を通しながら"若山"に応えた。

議場のドアが開く。そこには着物を着た少女が立っていた。彼女はおかっぱのような髪型で、その髪型が幼い顔立ちを一際引き立たせている。

「待たせてしまって済まない。些かこの躯体は難儀でな」

彼女は空席に着き、テーブルの上で指を組んだ。

「脳味噌以外を丸ごとすげ替えた感想は如何かね」

"獅子"がそう言うと、"鵺"は屈託のない笑顔を浮かべて言った。

「着物の着付けをしっかり教育しておいてよかったよ。脊椎反射で問題なく着れる」

「そして何よりー」

「よい心地だ。全く、生きるということは素晴らしい」

議場に妖怪たちの笑い声が響いた。

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