どこまでも黒い空を見上げる。そこには微塵も星は見えず、代わりに暗く落ち込んだ緑色の煙が広がっている。手に持った写真に目を移すと、

数多の星たちが、緑色の煙に覆われた恒星ソルに呼応するかのように美しく輝いている。この星たちは、遥か昔にソルから零れ落ちた欠片が発している光だという。調査員が幾らか派遣されているが、未だにそれを回収することはできていないらしい。それにしても、あの輝きは確かに目を奪われるものがある。彼らがソロイド──ソルの光の欠片からできた物品を集めるのも確かに分からないでもない。
だが、と私は地上に目をやる。そこは、どこもかしこも焼け野原だ。私が立っているこの3-Λ星さん=ラムダせいの核で燃える黒い炎のせいで、この星にある多くのものは燃えてしまっている。特に深刻なのは大半の住人たちだ。身も心も焼き尽くされ、ソロイドを保管する為ならば何でも、それこそ殺人すら躊躇なくするようになってしまった。あの炎もソロイドであり、そこから生まれたあの焼け焦げた人々もまたソロイドなのだ。故に、この星は彼らを職員として扱いながら、同時にソロイドとして保管している。
正直なところ、気味が悪いと思う。彼らが必要な犠牲だというのは上の奴らに何度も言われてきたことだが、心を焼かれた人々は最早3-Λ星人には見えず、さながら生ける屍か何かのようだ。もう数えきれないくらいの間彼らと共に仕事をしてきたものの、私はいよいよ彼らに耐えられなくなってきた。恐ろしくて堪らないからだ。
だが、彼らの存在はこの星にとって不可欠なものだ。3-Λ星の残虐な行いは全て、この心を焼かれた人々によって支えられている。だから、この星のどこに行ったところで、何れは彼らとまた衣食住を共にしなくてはいけない時が来てしまう。逃げ場は存在しない。この星に生きる限り、焼け焦げた者たちから逃れることはできないのだ。
それに、私には他にも我慢ならないことがある。この星の中には管が這っていて、そこから腫瘍のように付随して部屋が作られている。そこにソロイドが収められるのだが、私はそれが3-Λ星の傲慢であるように思えてならないのだ。他の星からソルの偉大な光を隠してまでソロイドを奪い、独占するのは、本当に正しいのだろうか?そのせいで、我々3-Λ星人にさえソルの光を目視することはかなわなくなってしまったというのに?私には、この星の正しさが信じられなくなってしまった。
故に、私はこの星を出るつもりでいる。だが、それにも問題は山積みだ。
まず、この星から吹き出ているウツボの煙がある。ちょうど、ソルや星空を覆ってその光が届かないようにしている緑色の煙のことだが、あれは人々に恒星のことを忘れさせる猛毒だ。この煙は、ソロイドを保管する内部構造、モノマニアの地表部分にある大きな部屋のソロイドから出ているものである。だから、この星を一般的な方法で去る時はどうやっても煙を吸い込まずにはいられないし、この星の連中はむしろ進んで吸い込ませようとしてくる。だから、私はどうにかしてウツボの煙のある圏域──モレイスフィアから素早く脱出しなければならない。
次に、3-Λ星の追跡だ。彼らはソロイドの迅速な回収の為に、追跡能力や調査能力に長けている。モレイスフィアから無事に逃げた時、彼らは何とかして私を拘束しに来るだろう。その上、3-Λ星の周りには形も大きさも様々な衛星が沢山回っており、これらの星々に見つかってしまうこともある。彼らの監視網は、この宇宙、ホロトゥーリオンの大半を占めているのだ。
だが、これらの問題をクリアする方法が1つだけある。それは、保管されているソロイドの船を使うことだ。幸い、私はモノマニアの1区画を担当している。少し手はかかるが、そこからソロイドを盗み出して逃げることは可能だろう。しかし、行動は迅速かつ静かでなければならない。それも、誰にも悟られないほど自然で。

モノマニアの管を進む。壁には鈍い青色の血管が這っており、時折脈動している。相変わらず、この星の中は醜い。だが、その中心部に行くことが必要ないだけマシだろう。そう思いながら、私は担当する区画へと進んでいく。もう大半の職員は眠ってしまったのか、管の中は静かだ。しかし、すぐにその静寂は破られる。
「Δデルタさん、お疲れ様です」
背後から、私の部下が話しかけてくる。彼もまた焼け焦げている。自らを火に投じながらも3-Λ星に奉仕する。私はああはなれないし、なるつもりもない。
「ああ。君もご苦労様。今日はもう遅いから、寝た方がいいんじゃないか?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、まだもう少し業務が残っていますから」
「そうか」
どうやら、今日も実行は無理そうだ。脱出に必要なソロイドの目星はついているし、それをどのように組み合わせればいいのかもおおよそわかっている。後はそのソロイドを盗み出せばいいのだが──残念ながら、さすがに中々隙は見つからない。巨大な星を相手にするのは、骨が折れるものだ。
管を進み、管が下に向かって折れるところも気にせずに歩く。この管の壁は、私たちを粘膜の粘着力で掴む。それを利用して、垂直な壁でも問題なく歩くことができる。……尤も、その感覚は気持ち悪いの一言に尽きるが。そうして、私は目的のソロイドの部屋に到着する。美しく光輝くソロイド。普段は封じ込めているだけのこれを、今度は私の脱出に用いる。正直成功するかはわからないが、やるしかない。そうして、2つのソロイドの部屋を巡り、位置を再確認する。計画実行の時に向けて、無意識にでも部屋を巡れるようにしておかなければならない。
その後、私は自分の部屋へと向かう。ここだけが、この星で唯一「少しだけ」安心できる場所だ。完全に、ではないが。そうして、私はベッドに横たわり、目を閉じる。また明日はやってくる。私は全ての明日を大切にしなければならない。次こそは成功させる。そう思いながら、ゆっくりと眠りの闇に落ちてゆく。
曇りなき星空が広がっている。緑の煙はただの1握りすらなく、見渡す限りの美しい星空。私はその中でふわふわと浮いていて、まるで水の中を漂っているかのよう。嗚呼という声が漏れる。なんと素晴らしいことか。これぞ、ソルとその子らが作る芸術。
暫く感嘆していると、背中に何か温度を感じる。首だけを後ろに向けてみると、そこには大きな、そしてあたたかなソルが浮かんでいる。私は慌ててそちらの方を向き直す。すると、口のない筈のソルが私に語りかけてくる。苦しい、助けてくれ、と。それは言葉ではなかった。しかし、その思いは、その苦しみは、確信的に私の心に伝わった。
「わかった。待っていてくれ。必ず、あなたを焼け焦げたちから救いだしてみせる。あなたの子ども、ソロイドたちもだ」
そう言うと、ソルの光がより一層あたたかくなる。しかし、直後ソルは私から急速に遠ざかっていく。待ってくれ、その光を届けてくれ、頼む。必死にソルに手を伸ばす。だが、ソルははるかに速いスピードで遠ざかっていく。やがて、ソルの周りに忌々しい緑色が充満していく。緑は私の視界を、星空を、余すことなく塗り潰していく。突然、私の足はぬたりとしたものにあたる。粘膜。3-Λの粘膜。私は叫び声を上げる。いつの間にか、私は地面に立っていた。気持ちが悪い。気持ちが悪い。そして、背後から鈍い光が差す。私は振り向く。

背後には、炎。巨大な炎。私を見下ろす。その冷たい眼で。そして、
「デルタ!」
「──あああ!」
叫びながら、私は飛び起きる。目の前には、寝る前と変わらない部屋が広がっている。
「で、デルタさん!大丈夫ですか?」
声のした方を向けば、そこには私の部下──昨日会ったやつとは違う、焼け焦げていない部下だ──が立っていた。
炎ではない。それを確認すると、少しずつ私の心は落ち着いてくる。背中は、嫌な汗でぐっしょりだ。
「……あ、ああ。すまない。悪夢を見ていたみたいだ」
「そうでしたか……。お疲れなんでしょうか、良ければ──」
「ああ、いや、大丈夫だ。私は大丈夫。心配しなくても平気さ」
そう言いながらも、呼吸はかなり荒い。部下の顔にも心配の色が変わらず見える。仕方ないので、深呼吸をしてみる。吸って、吐いて。吸って、吐いて。激しく拍打っていた心臓も、段々と落ち着いてきた。ふと時計を見ると、もう皆がとっくに起き出している時刻だった。
「本当に、無理なさらないでくださいね」
「わかったよ、すまないね。……それで、何の用かな」
「あ、ごめんなさい!今日は……」
部下の話を聞きながら、ゆっくりとベッドから立ち上がる。ソロイドの管理に関しての提案だった。寝起きで適当な返事をしてしまうのも何なので、取り敢えずは保留にしておく。そして、部下には一度部屋から出ていってもらい、朝支度を済ませる──朝といっても、ここはソルの光が届かないから、常に暗いのだが。
支度を終えてから、心を決める。今日の夜、実行しなければならない。これ以上この星にいては、心が壊れてしまう。船を作る準備も、練習も、済んでいる。後は、ただやるだけだ。
職員の大半が寝静まった夜、私は行動を開始した。
まず、粘膜に足を取られるためあまりスピードは出せないが、急いでモノマニアの中を走る。既に賄賂で買収済みの警備員たちの視線を尻目に、必要な2つのソロイドの部屋を回る。今は動かない船のソロイドと、無限のエネルギーを与えるソロイド。船のソロイドは動かすには重いが、仕方がない。船を引きずり、粘膜を傷つけながら進む。そして、もう1つのソロイドの部屋の前に立つ。
扉を開き、眼前に光輝く玉を見る。このソロイドは、正直不安定だ。触れたとき何が起こるかはわからないが、それでも賭けるしかない。私はソロイドに手を触れ、次の瞬間、力の奔流の中に溺れる。苦しい。熱い。全身に苦痛がほとばしる。だが、同時にみなぎるものを感じる。やがて苦痛は収まり、私はかつてとは異なる視界にあった。全てが暗く、沈んで見える。影響は思ったよりも少なかったのかもしれないと思いつつ、玉のソロイドを抱えながら船のソロイドに近づく。……しかし、すぐに次の問題がやってくる。
「う、うわっ!?」
足下に、生暖かいものが当たる。粘膜ではない。手だ。何本もの手が、私の足を掴んでいる。やがて、粘膜から上がってきたその手の持ち主たちが、私の前に姿を現す。亡者。焼け焦げた匂いと腐臭の混じった匂いが鼻をつく。そして、彼らは私の足を登ってくる。慌てて蹴り飛ばそうとするが、彼らは一度は私の足から離れるものの、すぐに別の者がよじ登ってくる。やがて、私の身体は粘膜に沈み始める。
これは何だ。ここにこんな奴らがいるだなんて知らなかった。しかし、その正体はその数瞬後に判明する。
──し、識別子──
首から、識別子をかけている奴らが何人か見られる。そのかけている識別子は、モノマニアで使われているそれと同じだ。これは、職員たちなのか……?この亡者たちは、ここで亡くなった、職員たちの亡霊……?そういう考えが頭をよぎっている間に、彼らは私の胸ぐらまで到達していた──否、私が胸まで粘膜に沈んでいた。その気持ち悪い感触に耐えきれず、思わず叫んだ。
「離れろ!」
瞬間、私の体が光を発した。直後、瞬く間に彼らは消滅していき、気がつけば私は粘膜に沈まずに立っていた。どうやら、私が受けた影響はポジティブなものだったようだ。しかし、こういった異変が起こってしまった以上──
「高次エネルギー検知!高次エネルギー検知!」
「どうした!何があったんだ!」
こういうことになる。私は、警報がけたたましく鳴る中で、船のソロイドに玉のソロイドを装着する作業を始めた。ばれてしまった以上、もう時間がない。急いで船に乗り込み、この星を離れる他ない。だが、
「いたぞ!あそこだ!」
あと1歩というところで見つかってしまう。仕方ないことだ、この船のソロイドは隠すには大きすぎる。だが、そんなことはお構い無しに、私は装着を完了する。職員たちが走ってくる。私は、船の扉を勢いよく開き、勢いよく閉めて、発艦のスイッチを押した。職員の何人かがしがみつくが、もう遅い。私は、この船は、無事に星の外に出た。
船のスクリーンに映る光景はあまり良くない。当然ながら、星から出ただけではモレイスフィアから逃れることはできない。まずは、この煙の領域を脱する必要がある。恐らく、間もなく追っ手がやってくるだろう。それでも、一先ずは、成功だ。私はホッと胸を撫で下ろす。そして、すぐさま次の目的地を探す。見ると、遠くに鈍く光る星々が見える。あれは……彗星群か?このあたりの彗星群といえば、1つしかない。あそこは、確か3-Λ星とは敵対関係にある。そうなれば、私は保護される可能性が高いだろう。無計画に出て来てしまったが、思わぬ幸運だ。
私は、船の目標を彗星に向ける。次なる目的地、アルフィーネ彗星に。