ある朝の地下鉄にて
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満員電車はいつになっても憂鬱だ。エリートも凡才も、皆ごった混ぜにされ詰め込まれるあの空間が本当に嫌いだ。せっかく血の滲むような努力で良い大学に合格し、4年間パンパンの電車で通学しながら死に物狂いで官僚になったというのに、これでは正直報われた気がしない。今や、毎日タクシーで通勤できるほど稼ぎたいというのが、この激務を続けるモチベーションの1つとなっている。

ところで、今日は電車が妙に空いている。いつもなら身動きが取れない程の混み具合なのだが、今日は席に若干の余裕がある。これをただの幸運と捉えればそれまでなのだろうが、私にはどうも嫌な予感がする。

ふと隣を見てみると、緑のローブを着た若い女性が俯いている。どうやら泣いているようだ。目からは涙がこぼれ、時折嗚咽が聞こえるので、非常に目立つ。あまり関わってはいけない気もしたが、多くの視線がこちらに向かっているので、ここで助けておかなければ私の方が冷たく見られるかもしれない。

「あの……どうかしましたか」

私はそっと話しかけた。女は何も返事をしない。

「もし悩んでいることがあるなら、私が相談相手になりますよ」

女はまだ何も返事をしない。

「あの……あまり泣いていると周りのお客さんの迷惑にもなりますし、一旦私に話してスッキリしませんか?私、できることなら何でも力になりますし」

「本当に……?」

ようやく女が顔を上げた。女の目は赤く腫れ上がっている。

「はい、本当です」

大見栄を切ってしまったとは思うが、言ってしまった以上何とかするしかない。

「あのね、もうすぐ、人がたくさん死んじゃうの」

「え?」

「もうすぐ、ここで」

「何を言ってるんですか?何であなたにそれがわかるんですか?」

「それは……」

女はまた俯き、さっきより大きな声で泣き始めてしまった。

どういうことだ?普通に考えれば、女の発言はただの妄言だろう。しかし、今日の電車の雰囲気は明らかにいつもと違う。もしかしたら、本当にここで大量殺人が起こるのでは?そう考えると、急に悪寒がしてきた。これ以上関わると危険だと思い、私は一旦女を無視することにした。


下車駅が近づいてきた。女の泣き声は留まるところを知らず、しかも次第に大きくなっている気がする。周りの視線もそれに従って強くなっていき、私の感情も女への警戒心から苛立ちへと変わっていった。降車まで無視しておこうと思っていたが、もう我慢の限界だ。

「いい加減にしてください!朝の通勤時間ですよ?あなたが悲しいのはわかりますけど、せめてもっと静かに泣いてくれます?はっきり言って迷惑なんですよ!」

そう怒鳴った瞬間、女は耳を裂くような大声で泣き叫び始めた。窓ガラスが震えている。私は必死に耳を塞いでやり過ごした。しかし、周りの人は一切反応していない様子だった。

泣き声が止んだ瞬間、私の目の前に座っていた男が突然倒れた。それだけではない。私と女を除いた乗客全員が次々に倒れ始めたのだ。全員顔が紫色になり、白目を剥いている。私はすくみ上がり、その場から動けなくなった。女の予言が当たったのか?ならば、なぜ私と女だけが生き残っている?その状況が、余計に恐怖を引き立たせる。

駅についてもドアが開かない。携帯も通じない。女は俯いて泣いたままだ。少し冷静になった私は、生存者を探すために電車の中を走り回った。しかし、私と女以外に生存者は見当たらない。

よく見ると、死体の口から何かがはみ出そうとしている。私は吐き気を抑えながら、そっと死体の口の中を覗いた。

鳥だ。鳥が口の中から飛び出そうとしている。これは……オウム?

次の瞬間、全ての死体の口から一斉にオウムが飛び立った。オウムは体液と思われる汚い汁にまみれている。あまりにも激しく飛び回るものだから、私の顔にも汚い汁が大量に飛び散ってくる。

こんなところにいつまでも居ては気が狂ってしまう。早く助けを呼びに行かなくては。必死にドアをこじ開けようとしたが、扉を掴んだ瞬間に腕の感覚がなくなり、それ以上力を入れることができない。窓ガラスを割ろうとしても同じように力が入らない。

待てよ、人が死んだ後も電車は正常に動いていたではないか。ということは、運転手はまだ生きているのでは?私は最後の希望にすがりつくように、死臭が漂う電車の中を駆け抜け、運転席に一直線に走っていった。

「運転手さん!運転手さん!生きてるんでしょう!?ここを開けてください!運転手さん!!」

喉が枯れそうなほどの声で叫び、指の骨が折れそうなほどの力でドアを叩き、ようやく運転手室のドアが開いた。その姿を見た瞬間、私は気を失ってしまった。

そこに立っていたのは、人間の顔をした牛だった。


ガラスが割れる大きな音とともに、私は目を覚ました。どうやら誰かがガラスを突き破ってやってきたらしい。

「ハロー!Laugh is Funのラフィ・マクラファーソンだ!」

アメリカのコメディドラマのような彼の声を聞いた時、私は瞬間的に全てを理解した。私はどうやら、この人にドッキリをかけられていたようだ。

良かった。私は心から安堵した。同時に、余りにもあっさりドッキリに引っかかった自分が恥ずかしくなった。死体からオウムが出てくるなんて、どう考えたって可笑しいではないか。何故私は馬鹿真面目に怖がっていたのだろう。

「どうだい、このドッキリは。笑ってくれたかい?」

「笑うわけないじゃないですか!本当に、本当に怖かったんですから!」

「そうかい?私には、今の君が怖がっているようには見えないよ」

さっきまで恐怖ですくんでいた私の顔は、いつのまにか笑顔に変わっていた。そうだ。全部笑えばいい。このおかしなドッキリに引っかかった自分も、周りの死体も、オウムも、運転手も、全部全部笑っていいんだ。どれだけ満員電車が、仕事が辛かろうと、笑えば何もかも楽しくなる。何だって笑ってやろう。それが、それだけが私のやるべきことなんだ。

「それじゃ!私、仕事があるんで!」

ずっと憂鬱だった仕事に、私は今までになく軽い足取りで向かっていく。外では、もうすぐ桜が咲こうとしていた。


「いやー、楽しかった。最初お話を聞いた時は本当にできるのかと思ってましたけど、すごいですねこの番組は」

僕たちの役割も果たすことができたんで、めっちゃ満足しましたわ。ま、僕だけずっと運転席に座ってたのだけは納得いきませんでしたが」

「こら!お世話になったのに何を言う!」

「ハハハッ、何にせよ、君たちが楽しんでくれたのなら良かったよ。それじゃあ、締めに入ろうか」

「どうだったかな?みんな。いつもは憂鬱な通勤時間も、こんなハプニングがあれば突然喜劇に早変わりだ。いつも使っている電車の中にちょっとした笑いを見つければ、それだけで人生はバラ色に変わる。僕らはそれを提供するためにここにいるんだ。次回も一緒に笑いにきておくれ!そして、忘れないでおくれ、笑いっていうのは楽しいもんだ! おやすみ! そして笑おう! 笑おう! ひたすら笑おう!」

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