今日もまたクッキング・コンバーターに放り込まれた残飯は、彼一人の為だけの料理を作り上げた。
色鮮やかなサラダに魚のフライ、肉団子、クリームパスタ。
これで構わないのだと頭の中で言い聞かせながら、マスク越しに食事を取り込んでいく。
味の余韻に浸る間すらない機械的に放り込んで、咀嚼して、飲み込んで終わり。
その気分が晴れる事は無い。
プラスチック製のフォークでつついた肉団子の中から熱々のスープが溢れても、
サラダを噛み締める度にしゃきしゃきと軽快な歯応えが鳴り響いても、
当然、まとめて突き刺したペンネにどれだけ濃厚なクリームソースが絡んでいたとしてもである。
「……はぁ」
今更食事と待遇に関してどうこう言う気は無い。何を隠そう己がそうしているのだから。
嘗てヒーローと呼ばれた存在。悪に立ち向かうのではなく、この世から空腹と飢餓を齎す為のヒーロー。
しかし、超常的な力があったとしても限界はあった。
残飯から料理を作り出す事は出来ても、石をパンに換える事も、汚水をワインに変える様な奇跡は何も出来なかった。
暖かな食事を食べている最中にも、もう少しだけ早く気付けていたならば。
そんな後悔の念に駆られる事は毎日の様にある。しかし自分は危険過ぎた。気付いた時には、全てが遅過ぎた程に。
それでも彼は生きている。生きているし生かされている。
此処は安全で、誰も傷付ける必要が無い。どんな気分かも関係無く、出られない今のみが最も安全だから。
当然空腹になるからこうして食事も提供されている。文句も何も言えない。
時に襲う葛藤に蒸し返される過去の悲劇。振り払う様に、残っていた魚のフライに手を付ける。
「……?」
さっくりとした衣の歯ざわりにまだ熱を帯びた感触。
食感からするに白身魚、しかし普段無感動で食べていたものとは根本的に異なる。
何処かで醸された塩気が噛めば噛むほど溢れてくる。
「美味い……」
自分の為、他人の為にクッキング・コンバーターを使ったのは数え切れない程であったが、ここまでの料理が出来上がるというのは初めての事だった。
舌に残る味に思わず言葉を漏らす。もう一口食べて、やはり同じく美味がある。
作業めいて一口で半分以上胃の中に収めてしまったのを後悔した。ちびちびと食べても塩気はどうにも癖になった。
止まらなかった、フォークの先端に残る粕までしゃぶる様に味わい尽くし、
次の瞬間、クッキング・コンバーターから発せられた光に、ヒーローであった男は包み込まれていた。
「超援調理師ミーレイド・カーキよ」
澄まし汁の海。踊るワカメと戯れる様に豆腐と米粒がうねり泳いでいる中で、尾頭付きの巨大な鯛が背鰭と鰓を蠢かせながら話し掛けて来たではないか。
過去に使っていた名前で呼ばれただけでも、ヒーローだった男は気分が沈むのが分かる、
胸の中でどうしようも無い感情が湧き立って、気が付けばまた止まらなくなるのだろう。
「やめてくれ、その名前は…俺は、もう沢山なんだ」
だし巻き玉子群がほうれん草のおひたしを追い回す様子を背景に、鯛に対して悲痛な口調で言葉を返す。
鯛はぱくぱくと口の開閉を繰り返している。
「俺は自分の事を分かっているんだ、分かってしまったんだ、食えないものが料理になる訳が無いと、もう少し早く分かっていれば」
ヒーローを目指した男は、悲劇を思い返しながらの言葉を返した。
「だからこそ、私は選んだのです。ヒーローとしてまだ枯れていない貴方であるからこそ」
鯛から放たれる透き通った女性の声色は、まるで装甲の内側まで見透かしているかの様。
分厚い装甲と隔壁で囲まれた物理的、そして精神的な檻から、彼を自由へと解放する為の声。
「嘗て間違えた様に、この日本で人が餓死する様な事はほぼ起きないでしょう…しかし、その一方で飽食の時代と呼ばれる悲劇は尚も続いているのです」
「あぁ…これはっ……?」
茶褐色の液体に満たされた風景の中に、何百本もの包装された恵方巻きが落ちていく。
パック刺身のツマ、半額シールを貼られども売れなかった惣菜類、結婚式の食事で出された廃棄品。
ありえない光景であるとは到底思えなかった。嘗て間違いを犯したあの国、あの地帯を見ていた彼に怒りがふつふつと湧き上がっている。
せめて、この料理の少しだけでもあの場にあったならば。
「今の貴方には分かるでしょう。私達が抱いている哀しみが、そして怒りが」
同様に湧き上がっていく活力が、鯛が掲げている思いが、今までの間押し殺していた正義感が急激に高まり、沸き上がる。
自分にはまだ、救えるものがある。
クッキング・コンバーターが内蔵された右掌がいつの間にか燃える様に熱い。嘗ての失敗を焼き尽くすかの如く。新たなヒーローの産声にも似る熱。
『悪を懲らすだけが正義じゃない!チカラでは救えない命がいる!』
「貴方は嘗て命を救おうとして失敗した。しかし…食の為に失われたばかりか、役割を全う出来なかった命が無数に存在している」
『お腹を満たした人がいるけれど!食われなかった今日のメシがあるならば!』
「食べられない物を食べられる様には出来なかった…逆を返せば、食べられる物は、また食べられる料理に貴方は造り替えられる」
『腹を満たすのが俺の使命!そして俺の正義だ!!』
「……そして、この世界から『勿体無い食品』を消してくれる存在であると、私は信じていますから――」
『出動!! 超援調理師ミーレイド・カーキ!!』
高らかに鳴り響いた電子音声と同調するまま、ヒーローは立ち上がる。
あまり踏み込みたくはなく、この辺りの管轄の気苦労も伺えるものだ。有機廃棄物が集まるエリア内。
端的に言えば食堂で職員達が食事から作り上げた残り物から、駄目になっていた食材一式が一緒くたになって集められる。
財団の制御下にある農場の有機肥料用に、残飯の提供が必要なオブジェクトの為に、または誰かのイタズラ用に。
「うげえ」
扉を開いただけでもマスク越しに饐えた臭いに、素直な声を感想として漏らす。生ゴミの山の上に脱走した人型オブジェクトが何かやっているのも、また同様の「うげえ」が漏れた。
「あー…こちら目標を発見した、現在は生ゴミの山を漁っているんだよな…おい、聞こえるか?」
仮面の裏側で顔を一層不細工にしながらも、意思疎通が可能な、中の人も居るオブジェクトに対してそっと問い掛けてみる。
かのヒーローになろうとした、なれなかった彼は不意に声を掛けた全身漆黒に包み込んだ相手を振り向き、装甲服に包まれた無機質な顔を向け、
「今からアンタを再収容す」
言っている間に大股で近寄って来たかのヒーローを目指していた存在は、おもむろに差し出されていた腕を手に取った。へし折った。
何分そのエージェントの四肢は人造品であった為に幾らかの対応が遅れた上、仮面を嵌めていた表情の裏は咄嗟の出来事にも判別し難いものだったのである。
普段とは違ってその右掌には、魚、鯛の頭が生やされている風に見えたぐらいか。
「クッキング・コンバータイ!!」
言葉を放とうとしたよりも先に繰り出された拳か手か、それともやっぱり鯛の頭。鯛の口が大きく開かれて、仮面ごとエージェントに噛み付く。
鼻と口を完全に塞ぐ様に歯が食い込んだ。当然、その手――鯛の頭は、廃棄物から生成されたと思われる料理を咥えていた。
衝撃よりも鮮烈な痛みとびりり、と裂ける感触。唇から肉が裂けた、今まで以上に裂けてしまった。やっと異常に暴れようとするも、声も出ない、息も出来ない。
「この世からモッタイナイが無くなるまで!俺は!メシを!作り続けよう!」
電子音声かオブジェクト本体が発した声かは今となってはどうでも良い事。強引に詰め込まれた料理は鯛の腹の中、それとも右手の装置の中に詰まっていたのか――
多過ぎる。そして早過ぎる。暴れようとしてもう一方の義手も押さえ付けられてへし折られた。火花を飛ばしながら生ゴミの中に微動を続ける義手が埋まる。
コンプレッサーの様な音が何故かこうも響いているだなんて、勢いと量に歯も纏めて砕かれているのだろう。インプラントも。
「さあ、食え!」
食事とは言えない。何時になったら追加の部隊が来るのかな、と思うよりもエージェントは呼吸がしたい。裂けた口からより多くの料理が溢れだして欲しかった、のに。
食道から器官に入り込んだのか噎せそうになって忙しなく揺れる身体を尚も強く抑え付ける。料理の濁流は止まらない。鯛の癖に、吐き戻しを与える親鳥の様に。
僅かに溢れ出そうにしていた呼吸が結局何かも分からない雑音のみを撒き散らす様になって、徐々にその下腹が膨らんで来る。
細かに痙攣しながら僅かな端から涎と食材の混ざり合った泡が吹き出す。仮面の中では目の焦点すら定まらない。
「食べるんだ!!」
同じ言葉をいつ聞いたんだったかと、僅かに過去の、今となっては愉快な記憶を思い出す。
何が注がれているか、それとも何が溢れ出しているかも分からない。
鮮烈な痛みとまた裂けた感覚に、身体の中で胃袋か何かが破裂したのだと視界まで白く薄れ、
鯛は間近で死んだ目を浮かべていた。
……SCP-509-JPは脱走後有機廃棄物処理エリアへと飛び込み、自身の異常性によって料理を生成後