無念の日
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2人の博士が食事を摂っていた。お昼時だというのに人は少なく、雰囲気は暗い。
「失敗だってな、アレ使った人工受精」
親子丼を口にしながら武内博士がぼそぼそと喋る。それに何か言いたげな目線を送りつつ、藤博士は一度食事の手を止める。
「……分かっていた事だ」
「まあな。それ、好きなのか?」
藤博士の目を気にする様子もなく、珍しそうに武内博士は藤博士のイクラ丼を顎で指した。イクラ丼、食堂のメニューにそんな物があっただろうか。特別に頼んだのか? そんな事を考える。
「今日はイクラの気分だったんでね」
「変わってるな」
財団の魑魅魍魎と比べれば大した事は無いかもしれないが。心の中で彼はそう付け加えて、親子丼を口へ運ぶ。

――2人は美味いとも不味いとも言わず、ただ丼の残りを減らしていく。
時々話し声があちらこちらから聞こえたが、その誰もが声を潜めて隠れるように話していた。
「……あれだけやって駄目なら諦めりゃいいのにな」
話の続き、とばかりに武内博士が話しだす。
「もうすっぱり諦めて、残りの人生……なあ藤。子供ってそんなに欲しいもんか?」
藤博士は手を止める。箸を置いて、武内博士の目を見る。無表情だったが、武内博士には彼の表情に差した影を読み取れた。
「子供は……子孫は必要だろう」
「……そうだけどさ……まあ、そうだよな」
無意味な問いだったな、とばかりに彼は肩をすくめた。
「武内はもう諦めたのか?」
「諦めかけてるよ、俺は」
彼は溜息をつく。連日の実験、得られない結果。そして……
「午前中エージェント潮騒の見舞いに行ったんだ」
エージェント・潮騒。その名前を聞いて、藤博士は背筋が寒くなった。
財団職員の中であの事件、事の発端に居合わせた唯一の男。残された不完全な録音記録が彼に何があったかをぼんやりと教えてくれる。
 

録音記録 - 潮騒

<録音開始>

[銃撃音]

エージェント・潮騒: [激しい咳]こちらエージェント潮騒……現在[編集済]の製鉄所だ。連中のおかげで外観はほぼ粗大ゴミだがSCPオブジェクトはまだ動作している。連中は完全な破壊のために高炉に投げ入れる気だろう。至急応援を……

不明-1: [指示と思しき判別不能な単語]

[銃撃音]

不明-2: [叫び声]

エージェント・潮騒: [舌打ち]こんな事ならもっと弾持ってくりゃ……

[銃撃音]

エージェント・潮騒: [激しい咳]

[銃撃音]

エージェント・潮騒: [罵倒]![罵倒]![罵倒]!ダメだ!間に合わ

[赤子の泣き声]

[巨大な音によるノイズが1時間続く]

<以降のデータは破損>

 
「潮騒の顔も身体も見付かった時のまま未だに硬直してるし、当然起きもしない……あんまり長くは持たないとよ」
「俺もこの前行ったが……気の毒だな」
「……藤、俺さ……あの顔、見覚えがあるんだ。潮騒の顔、というか同じ表情をした奴を見た事があるんだ」
藤博士も、何度か見た事があった。そして、1度は自分も同じ顔をしたのだろうと思っていた。
「SCPオブジェクトを回収する時にたまたま一般人が見ちゃったりする事ってあるだろ? そういう時……」
異様で、不可解で、不条理。そんな現象に初めて出会った時、多くの人は……
「潮騒と同じ顔をする、そうだろう武内」
「ああ。でも潮騒は……」
エージェント・潮騒は何年も財団で働いてきた。幾度も異常な事柄と関わってきたし、恐ろしい思いをした事も1度や2度では済まなかったはずだ。そんな彼が初めて出会うような何か……藤博士はその考えを否定したかった。あのSCPオブジェクトに人を恐怖させる効果があったのだと、そう信じたかった。

――顔の青い藤博士を心配して、武内博士が彼の顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か? ……もしかして、藤もあの録音聞いたのか」
「ああ……武内もか」
「すまない。てっきり聞いてないものだと……軽く愚痴でも聞いて貰えればと思ったんだが……本当にすまない」
「大丈夫だ、大丈夫……」
藤博士の手は震えている。……聞いてしまったのなら。武内博士は深刻な面持ちで、打ち明けるように口を開いた。
「なあ藤」
「……」
「……もう全部諦めて、2人で」
「武内、駄目だ」
彼は言葉を遮った。
「それを言ったら色々お終いだぞ」
「……」
武内博士が冗談を言っている様子はない。彼なりに真面目に考えて出した結論なのだろう。もう何をやっても無駄なのだと。足掻けば足掻くだけ苦しむのだと。きっと彼自身ももう限界が近いのだろう。
「それに、だ」
彼は藤博士の答えを待っている。だが彼に応える事はできない。何故なら。
「俺は諦めてはいないし、諦める気もない」
顔は青く、手は震えている。しかし十分な力強さで彼は言った。
「藤……」
「だから、武内。できればもう少し付き合ってくれないか。俺はまだ終わりじゃないと思っているんだ。まだ、先があるはずなんだ」
「……分かった。付き合おう、藤の頼みだしな」
「ありがとう。……でも、大丈夫か」
「大丈夫さ。お前ならよく知ってるだろ」
「そうだな……よろしく頼む」
 

事件152-JP-"Destroyed"
SCP-152-JPは破壊されその実体は失われた。
事件直後から人間の妊娠が確認できていない。この状況に対して子孫を産み出すための実験が行われているが、全て失敗に終わっている。
実験によって産まれた異常な生命体はSCP-152-JP-Aと分類され目下研究中である。
XK-クラスのシナリオは現在も進行中。

 
『収容違反発生、収容違反発生。SCP-152-JP-Aが収容を破り収容室付近を徘徊している。戦闘員はクラス3、タイプBの武装を用いて対処せよ。非戦闘員は区画152から退避するように。繰り返す……』
警告のブザーが鳴り響く。区画閉鎖のシャッター音が聞こえる。奇妙な鳴き声が、シャッターの奥から聞こえてくる。

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