
今時、インターネットに書き込むのが初めてという世間知らずです。どうぞお手柔らかにお願いします。最近の若い人はそれこそ挨拶のように「死ね」と返信するそうですが、私はそんな事を言われたら、本当に死ななくてはいけないような気になってしまいます。私なんて、わざわざあなたが手を汚してまで殺す価値もありませんからね。
もう20年近く前のことになります。私が小学校の教師になって、数年ぐらいの時だったでしょうか。一向に仕事に慣れることはありませんでした。生徒たちという壊れやすいモンスター(しかも背後には親モンスターまで控えています)に振り回され、一日をどうにかこうにか乗り切って、帰宅したら明日もこんな一日が待っているという現実に嘔吐おうとしてしまう そんな毎日でした。まあ、社会人なんてそんなものでしょうね。
その日、私は図工の授業の一環で、近場の公園で写生会を行っていました。ただでさえ危なっかしい生徒たちが、道路に飛び出したらどうするのだと、私は気が気ではありませんでした。たとえ生徒が自殺目的でそうしたとしても、私の責任になってしまうのですから。写生会を発明した奴なんて、死ねばいいのに。
私の気も知らず、生徒たちは楽しそうに画帳にクレヨンを走らせていました。テーマだの構図だの、ましてやコンクールへの入賞などといった、小賢しいことは彼らの頭にはないのでしょう。羨ましかった。私は二度と彼らのようには描けません。私が画家の道を諦めたのは、教師である両親に「教師にならなければ勘当だ」と脅されたからではありません。私自身が、筆一本で食べていける程の才能はないと自覚したからです。
その男子生徒 仮にA君としておきますが、彼も幼い頃の私のように、一心不乱に描いていました。どうにか木と池を描いていると分かる程度の画力でしたが、A君にとっては出来栄えすらどうでもいいのでしょう。なにせ、子供は無敵のモンスターですからね。私は興味を持っている振りをして、彼の絵をしばらく眺めていました。そして、気付きました。
A君は下手なりに手抜きはしない質たちらしく、絵は隅から隅まできっちりと色が塗られていました。それにも関わらず、絵の中央、池が描かれている部分に、ぽっかりと塗り残しがあったのです。そこだけ後回しにしているのかと思いましたが、別に描きにくい部分でもありません。池の他の部分と同様、水色で塗り潰すだけで済みそうに見えます。しかし、A君は決してそうせず、木の葉の緑を塗ることに専念しています。
よく見ると、塗り残し部分は大まかにではありますが、人の形をしていました。ぴんと腕を伸ばして、どこかを指差すようなポーズをしています。なぜでしょう、見なかったことにしたかったのに、気が付くと私は「これは何?」とA君に尋ねていました。彼はくるっと振り返り、屈託のない笑顔で答えました。
「 に決まってるじゃあああん」
すいません、文字にすると、このような表現になってしまいます。A君の声はちゃんと耳に届いているのに、肝心の部分が脳内で言葉に変換できないのです。20年経った今でも。恐る恐る訊き返した私に、A君は繰り返しました。
「だから、 だってばああああ」
それ以上は訊き返せませんでした。そんなことをしたら、A君は同じ笑顔のまま無邪気に言ったでしょう。
そんなことも分からないの?
仮にも教師なのに?
あ、だから教師にしかなれなかったのか、げらげらげら!
私は「ふうん、そうなんだ」と理解わかっている振りをして、その場を離れました。A君を殴り倒して、絵ごと池に沈めたい衝動を堪こらえながら。ええ、そんなことはしませんでしたよ。私は教師ですからね。
それで終わっていれば、そのまま忘れてしまえたかもしれません。しかし、写生会の翌日、教室の壁に生徒たちの絵を貼り出していた私は、またしても気付いてしまいました。何枚かの絵に、あの人型の空白が描かれている いえ、塗り残されていると言うべきでしょうか。
花壇を描いた絵、遊歩道を描いた絵、噴水を描いた絵、それらの中央に堂々と立ち、どこかを指差しています。ひょっとしたら、A君もこの絵の作者たちも、風景よりこの人型の空白をこそ描きたかったのかもしれません。
児童画らしく遠近感のない、しかし色鮮やかな絵の中で、皮肉にも人型の空白たちは圧倒的な存在感を放っていました。あたかも、無数の星々が煌きらめく宇宙空間で、暗黒のブラックホールが不気味な魅力を放つように。
まずい、まずいぞ。一気に嫌な汗が噴き出ました。この絵について生徒たちに訊かれたら、どう答える? A君一人に訊かれるだけなら、理解っている振りで誤魔化せるかもしれない。だが、生徒全員に一斉に訊かれたら?
先生、誰の が一番上手かな?
私の だよね、先生!
何とか言え、この画家崩れの教師もどきが。
どうしよう、どうしよう、嫌な汗が止まりませんでした。生徒の質問に答えられないなんて、教師失格だ。画家になれなかった私が、教師という肩書きまで失ってしまったら。それこそ、知人が一人もいない世界の果てで、浮浪者の振りでもして生きるしかなくなります。
こんな絵など剥はがしてしまいたかった。ビリビリに破いてしまいたかった。でも、そうはいきませんでした。数日後に授業参観を控えており、保護者の皆さんに見て頂くために張り出していたのですから。 授 業 参 観 こうかいしょけい、何とおぞましい響きでしょう。見ているだけで吐き気がします。発明した奴は死ね。
結局、私はどうにか理解するしかないと結論しました。生徒たちが と呼ぶ、この人型の空白が何なのか。
その週の日曜日、私は再びあの公園に向かいました。生徒と鉢合わせした場合に備えて、帽子とマスクとサングラスで変装した上で。まるで不審者ですが、止むを得ません。まずは、A君が描いていた池に行ってみました。その畔ほとりに彼は、あの人型の空白を配置したのです。まるで木や標識のごとく、ごく当たり前の風景の一部として。
しかし、いくら目を凝らしても、私には何も見えません。這はい蹲つくばるようにして地面も調べましたが、足跡などの痕跡も見つかりませんでした。私は泣きたくなりました。どうしろと言うのでしょう。まるで、何も書かれていない紙を渡されて、「ここに書かれた問題を解け。ほら、見えるだろう?」と脅されているような気分です。それでも、やるしかありません。私は脳内会議を始めました。相談相手はいつだって自分だけです。
あの人型の空白が幽霊のような存在だったとして、知性はあるのか? その可能性は高そうです。何かを指差すという行為は、即ちコミュニケーションの一環です。その相手は絵の作者、それとも鑑賞者でしょうか。彼 と呼べるのかは定かではありませんが は何を伝えようとしていたのでしょうか。何を指差していたのでしょうか。
そこまで考えたところで、私は閃きました。人型の空白が描かれていた場所に立ち、同じポーズを取ってみました。たちまち私の脳裏に、一つの構図が浮かびました。公園の各所を描いた絵、そこに立つ人型の空白たち。彼らの指差す先が、遠くで一点に交わる様が。
そう、人型の空白たちは、どれも同じ場所を指差していたのではないか。おそらくは、公園内のどこかを。私は慌てて絵に描かれていた場所を巡り、そこで人型の空白と同じポーズを取ってみました。よく覚えているなって? 自慢ではありませんが、私は絵に関しては良く記憶できるのです。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』での十二使徒の並び順だって、いつでも思い出せます。本当に何の自慢にもなりませんね。
思った通りでした。公園は小高い丘の麓ふもとに広がっているのですが、絵の中の空白の人影たちは、どれも丘の頂上付近を指差していたのです。その辺りは木々が生い茂っており、人が入り込まないように柵で隔てられています。とは言え、乗り越えようと思えば、簡単に乗り越えられる程度の高さです。私は誰も見ていないのを何度も確認してから、柵の向こう側に侵入しました。
その瞬間、猛烈な違和感を覚えました。なぜだったのか、当時は上手く言葉に出来ませんでした。今でも自信はありませんが、あえて表現するなら"急に世界が絵のように見え始めた"でしょうか。人間の目に映る光景は、本来は二次元の平面です。右目と左目の見え方の差(視差)を測定し、三次元の立体に合成する 私たちの脳は、そうやって世界を見ているのです。
その事実に今更ながら気付いてしまった、そんな感覚でした。立ち並ぶ木々も、振り返れば見える公園も、ちゃんと立体には見えている。けれど、その見え方に現実味がないのです。手を突き出せば、書き割りのようにあっさり破けて、舞台裏が見えてしまいそうでした。
しかし、繰り返しますが、当時ははっきり自覚出来た訳ではありません。何かおかしいと思いつつ、私は結局そのまま進みました。何せ、背後から生徒たちの幻影に囃はやしし立てられていましたので。この奥にどんなモンスターが待ち受けているとしても、生徒たちよりはマシです もっとも、当時を思い出すと、背後に立っていたのは空白の人影たちになってしまうのですが。存在しない腕を伸ばして、木々の奥を指差しています。進め、進め、と。
どれぐらい歩いた頃だったでしょうか。木々の合間に平屋建ての家が見えてきました。壁はツタで覆われ、半ば木々に埋もれているような有様でしたが、それでも公園の資材置き場や管理事務所などではなく、人が居住するためのものだと分かりました。しかし、周囲の地面は絡み合う木の根に覆われており、道はおろかその痕跡さえ見当たりません。人が住んでいた頃の姿を全く想像できない、あたかも最初から廃墟だったかのような佇たたずまいでした。
空白の人影たちは、ここを指差していたのだ。私はそう確信しました。
錆さびたドアノブを回すと、最初は少しガタつきましたが、ある一点を越えると急に開いてしまいました。まごついている私を見て、家が開けてくれた。そんな錯覚に陥りました。家の内部は真っ暗でした。窓もツタに覆われているので、外光がほとんど入っていないのです。それでもしばらく待つと、目が慣れてきました。
予想通り、内部は家具も敷物もなく、廃墟であることは明らかでした。それにも関わらず、なぜか"がらんとしている"という印象はありませんでした。この家の内部には、何かがみっちりと充満している、そんな気がしました。今なら分かります。ねっとりとした、それでいて生気は微塵も感じられないあの空気は、非常に濃厚な"無"の気配でした。
無の拒絶、それこそが文化の目的です。人はあらゆるものに意味を付け、人生には価値があるのだと思い込む。挙句の果てには、死後の世界まで捏造ねつぞうして、無を覆い隠そうとする。芸術だってそのための道具です。しかし、いくら人に拒絶されようとも、薄皮一枚剥むけば、たちまち無は顔を出すのです。
あの家の内部は、まさに無の吹き溜まりでした。柵を乗り越えた瞬間から覚えていた違和感は、この家から漏れ出していた無の所為せいだったのかもしれません。世界という薄っぺらな絵を透かして、その下の無が見えていたのでしょう。
家の内部に踏み込む時も、不法侵入という後ろめたさは然程さほどありませんでした。こんな無に価値を見出す者などいない、荒らしたところで誰も怒りはしない、無意識にそんな風に思っていたのでしょうか。ドアを一つ一つ開けて部屋を改めましたが、開ける前から中には何もないと分かっていました。実際、どの部屋も無が充満しているばかりで、床には厚く埃ほこりが積もっていました。家具など生活の痕跡は全くありません。この家は最初から人のためではなく、無を住まわせるために建てられた、そんな気さえしていました。なので、その部屋を見た時は本当に驚きました。
おそらく、一番奥の部屋でした。どうせ、この部屋にも何もない。そう決めつけてドアを開けた私は、予想だにしない光景に立ち竦すくみました。その部屋にはイーゼルが立ち並び、戸棚には画材が満載されていました。ツタで覆われていましたが、天井には採光窓も設けられていました。つまり、アトリエだったのです。
いえ、本当にアトリエだったのでしょうか。セザンヌの画集に載っていたアトリエの写真を思い出します。そこは今でも絵筆を振るう巨匠の姿を思い描けるぐらい、昔日せきじつの面影を残していました。しかし、このアトリエからは主の芸術性がまるで読めません。とにかく、個性がないのです。ただ、万人が漠然とイメージするアトリエを、形だけ真似た"アトリエもどき"とでも言いましょうか。
それでも、あのアトリエの唯一の個性を挙げるとすれば、あの絵でしょうか。
墓標のように立ち並ぶイーゼルの内、一台にだけカンバスが設置されていました。その表面は真っ白で、一見何も描かれていないようでした。しかし、よく見ると、右隅にサインらしきものがありました。かすれていて読めませんでしたが、あるいは と書かれていたのでしょうか。
ともあれ、あの絵はあの状態で完成していたのです。いやはや、世の中には署名しただけの便器を芸術作品と称する人もいるそうですが、あの絵もそれに劣らぬアヴァンギャルドさです。あの無のアトリエには相応ふさわしい作品でした。あの空白の人影はこの絵から出てきたのだ、私は確信しました。
私はしばらく、呆然とその絵を見つめていました。そうして、徐々に己の感情を自覚しました。打ちのめされていたのです。今まで自分が描いてきたどの絵よりも、完成されていると。そう、世界の本質は無。ならば、何も描いていないこの絵こそが、もっとも世界をよく表しているのではないか。
ひひっ、気が付くと、引きつった笑いを漏らしていました。ひひひっ、何だったのだろう、私の人生は。カンバスに絵の具を塗りたくることなど、何の意味もなかった。少なくとも、自分にとっては。ひひっ、ひひひっ、そんな無意味な画業にすら、私は挫折した。まさに無意味の二乗の無意味人間、それが私。ひひひひひひっ。
死にたい、心底そう思った時でした。
ぎいいとドアが開く音がしました。おそらくは玄関の。ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、足音が近付いてきました。まずい、誰か来た。そう焦りながら、私はすでにどこかで悟っていました。こんな家を人間が訪れるはずがないと。私は慌てて、戸棚下部の観音開き部分に隠れました。
足音がアトリエに近付くに従って、別の音も聞こえてきました。ひゅううという、風が哭ないているような音です。しかし、窓の外では、風は吹いていなかったように思います。それに、その音は足音と共に、アトリエに近付いてきます。玄関から吹き込んでいる風の音ではありません。私は扉をほんの少しだけ開けて、外の様子を伺うかがいました。
足音はすでに、目の前から聞こえていました。少なくとも、足音の主は室内に居たはずです。それにも関わらず、その姿は見えませんでした。ですが、別の変化は私の目にも見えました。アトリエの内部に風が吹き始めていたのです。床に落ちていた鉛筆がコロコロと転がって ふわりと浮き上がり、宙に吸い込まれるように消えました。丁度、足音がしている辺りで。あの空白の人影に違いありません。風は人影に空気が流れ込むことで起きていたのでしょう。
ここに至る経緯を思い出してみました。人影はおそらく、私をここに誘き出したかったのでしょう。でも、何のために? 恐ろしい想像に、私の体はガタガタとみっともないぐらい震えだしました。例えば そう、捕食目的だったら?
あの鉛筆のように、人影に吸い込まれる私。あの絵のような真っ白な空間を、延々と落ち続ける私。助けてと叫んでも、誰も答えない。おーいと呼びかけても、山彦すら返らない。私は泣き喚きながら、真っ白な空間を落ちて、落ちて、落ち続けて、遂には発狂して、ははははははははと笑いながら落ち続ける。いつしか、私の体も意識も空間に溶け、笑い声だけが残響し続ける、永遠に。
ガタガタガタ、私は必死で歯の振動を堪えました。さっきまで死にたいと思っていた癖に、と思われますか。無意味人間に一貫性なんて求めても、それこそ無意味ですよ。強いてこじつけるなら、人としての私は死を望んでいても、獣としての私は違った。そんなところですかね。
どれぐらい経った頃だったでしょうか。気が付けば、アトリエに静寂が戻っていました。恐る恐る外に出た私は、真っ先にあの絵を確認しました。一見、何も変化はありませんでした。しかし、空白の人影はおそらく、この絵に戻って行ったのでしょう。そう思うと、絵が眠っている猛獣のように見えました。私が僅かでも物音を立てた瞬間、たちまち覚醒して襲いかかってくるに違いない。私は足音を忍ばせ、アトリエを出ようとしました。
ええ、私にそんな器用な真似が出来る訳ありません。案の定、途中でぎしりと床を軋きしませてしまいました。その瞬間、ごうっと凄まじい風が顔面に叩きつけられ、ぐんっと衣服が後ろに引っ張られました。空白の人影、否、その本体であるあの絵が、私を引きずり込もうとしている、そう思いました。
紙くずが宙を舞い、イーゼルが床を滑っていくのを目撃しても、私は振り返りませんでした。そんなことをしたら、自分のちっぽけな脳では、到底理解できない光景を目撃してしまう。そして、即座に発狂するという確信がありました。私は犬のように四つん這いになりながら、何とかアトリエの出口まで辿り着きました。
その瞬間、何者かに足首を掴まれました。暖かくも冷たくもない、ザラザラでもブヨブヨでもない、強いて言うなら無の感触でした。
それでいて、形は人の手と同じだと、はっきり分かりました。
ひゃあああ、いや、びょおおお? それとも、ぽぉおおおだったでしょうか。ともかく、どんなに優しい人でも、聞いた途端に助ける気が失せるような悲鳴を上げながら、私は足をばたつかせました。そのあまりの醜態に辟易へきえきしたのか、足首を掴む感触が離れました。私は玄関に突進し、転がるようにあの家から逃げ出しました。
それ以来、二度とあの家には行きませんでした。結局何も分からなかった訳ですが、幸いにも生徒たちにあの空白の人影について訊かれることはありませんでした。彼らにとっては背景の一部、わざわざ話題にするまでもないのでしょう。あはははと無邪気に笑う彼らの口からは、いつも無が顔を覗かせているのですから。
たまに気晴らしに(あるいは未練がましく)描いていた絵も、あれ以来全く描けなくなりました。気が付いたら、無意識の内に空白の人影を描いていそうで。皮肉にも、あの出来事のおかげで、私は完璧に筆を折ることができたのでした。めでたしめでたし。
私の話は以上です。
オチ? そんなものはありませんよ。私は小説家ではありませんし、これは現実ですからね。私の人生も、いっそオチが付いてばっさり終わってくれたらいいんですけどねえ。生憎、今もダラダラと続いています。意味なんてないのに。妻が「あなたは人の心がない」と言って逃げた後も、一向に終わってくれません。まあ、あいつがそう言うのも、無理はありません。何せ、息子が死んだ時も、私は泣けなかったのですから。でも、仕方ないと思いませんか? 私は無なんです。教師という皮を被って、人の振りをしているに過ぎないんです。ええ、人の心なんてある訳ありません。騙されるお前が悪い。無だ。「それでもお前は教師だ」と励ましてくれた両親も、去年相次いで亡くなりました。何だあのハゲ親父、散々偉そうな講釈垂れておきながら、母さんが亡くなった途端にボケやがって。ああ、あいつも人の振りをした無だったのか。だから、その子供の私も無だ。ならば、あの時に無に還っても、同じことだった。そうしておけば、こんな惨めな思いはしなくて済んだのに。結婚なんかしないで済んだのに。息子だって生まれなくて済んだのに。クソみたいな人生、ゴミみたいな自分。無だ。出て行った癖に、妻が夜毎枕元に立つ。居ないはずなのに居る。子供を返せ、子供を返せと、私を責め立てる。うるさい、どうせお前も無なんだろう。無の癖に喋るな。無だ。大体、息子だって人間だったのかどうか、怪しいものだ。何せ、私の子供なのだ。無がぶよぶよの肉塊に包まって、ぺらぺらの薄皮に隠れて、人の振りをしていただけじゃないのか。無だ。そうだ、だから私が苦しむ必要などない。無を悼んでも無意味だ。無だ。無駄。いやだ。あの子は無なんかじゃない。あの子は希望だ。あの子は実存だ。あの子さえ無でなければ、自分が無でも構わない。だが、あの子は無になってしまった。居るはずなのに居ない。なのに、生徒たちは居る。まだ生きている。息子は死んでしまったのに。私に教師であることを強要する。うるさい、お前らなんか知るか。無の癖に喋るな。楽しそうに笑うな。人の振りをするな。ごめんなさい、私に教師の資格なんてないんだ。君たちに教えてやれることなんか、何もないんだ。私は無だ。教師の振りをしていてごめんなさい。人の振りをしていてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。無だ。もういやだ。限界だ。教師の皮は穴だらけ。隠しきれない。穴から無が覗いている。虫のようにニョロニョロと頭を出している。無だ。無だ。無だ。苦しい。虚しい。教師なんて辞めたい。人を辞めたい。無に還りたい。お願いします、今度は拒みません。逃げたりしません。だから、早く迎えに来t
*
「 何だ、こいつは」
「例の行方不明教師のPCに保存されていた文章です。多分、5ちゃんねるか何かに投稿するための、下書きじゃないかと」
「(がりがりと頭髪を掻かきながら)ああもう、行方不明になるのは勝手だが、余計なモン残すなよ。捜査がややこしくなるだろうが」
「せ、先輩、警部に聞こえますよ」
「で、お前はこいつをどう思う?」
「え、そうですねぇ。やっぱり、教師なんて人間のする仕事じゃないなぁと」
「馬鹿、こいつのキモイ自分語りはどうでもいいんだよ。俺が言ってるのは、ここだここ」
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「何なんだ、この不自然な 空白は」
「演出、ですかね?」
「(ため息)オカルト好きの特事課が食いつきそうだなぁ。ああ、面倒くせぇ」