それは嘲弄でできている。
善意を嘲ることが、献身を侮ることが、義心を詰ることがそれの意義だ。
誰かが誰かを救うということを、その崇高な意思を踏み躙り、折れ砕けるその時まで痛めつけること。
這いつくばる犠牲者に唾を吐き、すべては偽善だと騙ること。
尽きぬ悪意の為せる業を、私は身をもって知っている。
綴る。
綴る。
嘲笑と憐憫をもって綴る。
救うものと救われるもの、どちらも等しく無価値なものだ。
すべては偽善。救いなど無意味。
どれほどの決意を有そうと。
どれほどの理想を有そうと。
絶え間ない痛みが、終わらない苦しみが、それらを容易く刈り取るのだから。
100人を越える試行が証明する。
100冊を超える地獄が答えとなる。
すべての記録を見た私は、ただその悪意を真似ればいい。
彼らが何を見て、何をしてきたのか、それを悪しざまに語ればいい。
綴る。
綴る。
哀悼と悲嘆をもって綴る。
最後の一行は、考える必要すらなかった。
英雄譚は、終わらない。
彼の部屋がいつも薄暗いのは、きっと扱うオブジェクトのせいだけではない。
報告に訪れたオフィスは、淀んだ気配に満ちている。
「ご苦労だった」
屋敷博士はこちらを見ない。
いつものことだ。だから私も動じない。
「今回も良い出来だった。さぞ世論は沸騰することだろう。前回の分で提起させた訴訟も長引かせ、徹底的に忌避感を煽る」
「あの本はどこに?」
「先日288と291が発見された東北地方で重点的に販売する。震災時の救命活動を取り上げたのはいいアイデアだ。被災地をターゲット層にして反発を呼べる」
「そうですか、よかった」
頑張って書いた甲斐がありました。
心にもない言葉はオフィスの空気に溶け出して、淀みをいっそう強めていく。
博士は端末から目を離さない。いつものようにおざなりな礼をして、私は部屋を退出する。
「おい」
「何か?」
呼び止められたのは初めてだ。
聞き返す私に、珍しく――本当に珍しく、視線を合わせて、屋敷博士は問いかけた。
「大丈夫か」
「大丈夫とは?」
何のことだろう。鸚鵡返しの答えにも、彼の額の皺は揺るがない。
「精神面について質問している」
「カウンセリングは受けています」
「悪意ある文章を自覚的に、悪意なく書き続けることは難しい」
「仕事だからやっています。問題はありません」
「休暇を取ったことも、転属を希望したこともない」
「そうですね」
頷き、続ける。
「たぶん天職なんです」
「中傷本を書き続けることがか」
「プロトコル・ヴィランを完遂することがです」
それは単なる言い換えではなく、私の確たる認識だ。
「私の書いたあの本で、多くの人が傷ついて、苦しんで――そして誰かが救われると、私は知っていますから」
これを偽善と笑いたくば笑え。
私は悪意に屈することはない。
なぜならば、
「兄もまだ、戦い続けています」
「……そうか」
深く頷いて、屋敷博士は目を逸らした。
話は終わりなのだろう。
「エージェント・佐久間、退室します」
答えはない。その方が私も楽でいい。
英雄ではない私には、陰気で素っ気ない上司がお似合いだ。
ドアを閉める。廊下に一人、私は立ち尽くす。
終業まであと1時間。するべきことは決まっている。
収容室への短い道のりを、私は速足で歩き出した。
今日もページが増えているのは、考えるまでもないことだった。