雑草
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雑草とは

1.いつの間にか人間の活動圏に根付き、人間と生活を共にする雑多な草花のこと。
2.生命力の強いことの例え。
3.名前のわからない、または知る価値も無いと判断した道端の草花のこと。

私の生まれた村では、私が子どもの頃から過疎化が進んでいました。
というよりそもそも初めから人口が少なくて、しかも高齢化の影響で、子どもを産める人が全然いなかったんですよね。
とはいえ、いつもたくさんの子どもの声が響き渡る、とても平和な村でした。
山間部にある、小さな集落のようなところです。

じゃあ、何故そんなに子どもの多い村なのかって?
いやいや、移住してきたとかそういうんじゃありませんよ。
みんなこの村で生まれた子たちです。


私が当時通っていた村の小中学校には、村全体の大人の数に対して、同じくらいの歳の子がたくさんいました。
教師が足りなくて、手の空いている大人が代わりを務めたこともありました。普段遊んでくれる隣の家のおじさんが真面目に教師をしているなんて、なんだか面白くて笑いが抑えられなくなって。
教壇に立って恥ずかしそうに微笑むあの表情が、今でも忘れられません。

クラスメイトとは、一緒に勉学に励んだり、先生が見ていない隙に変顔をして笑わせ合って、バレてみんなの前で怒られたり。休み時間には、決まって校庭に鬼ごっこをしに行きました。

小学校低学年までは親に送迎してもらっていましたが、小学校中学年になってからは友達と一緒に帰るようになりました。石蹴りとかランドセルじゃんけんとか、ただの通学路があんなに楽しいものになるとは思いもしませんでした。
出席番号の代わりに配られた、りんごだったり猫だったりの各々のマークを自慢し合うこともありました。幼稚園から中学校まで、そのマークで個人を識別する決まりになっていたんです。
喧嘩したことといえば、無闇に花を摘んでしまったり、野原を踏み荒らしたりしてしまったときくらいですね。あとは、ゲームのコントローラーの奪い合いだったりとか。
そういった子どもらしいことで一喜一憂していたあの頃がとても懐かしいです。

中学を卒業するまでは村の外に出てはいけない、という決まりごとさえありましたが、そんなもの、何も気にすることはありませんでした。
小規模ですが運動会や文化祭もあって、とにかくみんな仲が良かったです。
あの子たちがいてよかったと心からそう思いました。楽しい学校生活でした。

卒業 の日はとても悲しかったけれど、こんなに狭い村です。またすぐに会えると、最後は笑って別れました。
私は高校進学とともに村を出たのであの子たちとはあれ以来会えていませんが、まあ、きっとあの村のどこかで元気にやっているんじゃないですかね。

私には親と家、そして名前がきちんとありましたが、そうでない子たちは村全体で大事に大事に育てていました。
まだ生まれていない子たちには、「よく寝てよく育てよ」とか「そんな日陰で大丈夫なのか」とか、それはもうみんな可愛がっていましたね。

確か、それを初めてちゃんと見たのは、私が幼稚園の年長くらいの頃でした。
赤ちゃんなんて今まで見たことがなかったものですから。つやつやとしていて、柔らかくて、なんだか触れただけで壊れてしまいそうで。大人に連れられて初めて見に行ったときこそ驚きましたが、すぐに受け入れて、見に行きたいと親に毎日せがんだものです。


中学卒業の時期か、早い子だと小学五年生くらいですかね。

突然、ぱあんと弾けるんです。

黒いつぶつぶしたものと、意識が飛びそうなほどに強く甘い匂いを漂わせる、よくわからない半透明のどろどろとしたなにかを周囲にまき散らしながら、あの子たちは飛び散っていきました。
私たちはそれを卒業 と呼んでいました。
そこらじゅうに落ちた同級生だったものを拾い集めながら、
「一緒に遊んでくれてありがとう」
「また会えたら仲良くしてね」
そういったことを泣きながら囁いたものです。

今でもはっきりと覚えています。
ぐちゃぐちゃした液体と固体の中間のように崩れた友達を両手で掻き集めたとき、ああこの子はもういつものように笑いかけてはくれないんだなとか、あの愛おしい緑色の肌に触れることはできないんだなとか。
まだほんのりと残る生温かさを感じながら、少しの後悔と寂しさ、そして同時に喜ばしい感情が込み上げて来ました。
卒業 はとてもめでたいことだと、大人に連れられて見に行った、あのときに教わったので。
おめでとう、 卒業 おめでとうと、手のひらにへばりついた友達をぎゅっと握りしめて、新たな門出を祝福しました。

潰れてぐちゃっと鳴る音が、なんだか最後の返事に聞こえて。雑巾に引きずられて床に伸びていく友達を見て、私たちの心の中にも、この子との思い出が染み渡っていくような気がして。
一緒に過ごした思い出が、走馬灯のように駆け巡っていきました。
思えば、あれが私の初めて体験した、身近な人の死でした。服や顔、そして両手に友達をくっつけたまま、ひどく甘い香りに囲まれて、私は泣きながら笑いました。

そうして拾い集めたものは、全て大人に渡すように決められていました。
でも、あの年頃の子どもがそんな規則、守るわけがないですよね。


ほら見てください、これ。
私の友達だったものです。
何に見えます?

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そうですね、種です。

道路とか駐車場とか、ああいう、アスファルトの割れ目からいつの間にかにょろにょろ生えてる雑草ってあるじゃないですか。どこから来たのかもわからない、名前もわからない、変に逞しい、あれです。

あの子たちは、みんな雑草でした。

可愛らしいですよね。小さくて、力強いのに、儚くて。
いつの間にか、通学路にある田んぼの傍。学校前の電柱の下。校庭の隅。庭に生えていたこともありましたっけ。
とにかくあの子たちは、そういう子たちだったんです。
生まれは特別でも、私たちにとっては一緒に遊んだ友達で、可愛い可愛い子どもたちなんです。


恐らく、自然に生えてきたか、この種のようなものを大人たちが村中に蒔いていたのでしょう。
見たことがあるので知っていますが、あれには生育段階というものがあるんです。
村の土壌が生育に適していたんですかね。
いつの間にやらそこら辺に芽吹いた小さな茎と葉が、少し見ないうちににょきにょきと空に伸びて。
雑草って、やけに生命力が強いですよね。あれらも例外ではありませんでした。

一ヶ月後くらいに、なんと形容すればいいのかわかりませんが、淡い緑色をしたヒトのような形の実が生るんです。
茎の先端に薄い膜の張った実ができて、中身が透けて見えるのでわかりますが、たまに中で蠢くんです。胎動ってやつですかね。人の頭より、少し大きいくらいでしょうか。
膜が破れてぽとりと地面に落ちた途端に産声を上げるそれは、まるで本物の人間の赤ちゃんのようでした。

それが見知った顔のこともありました。
そういうとき私たちはより一層それが愛おしく思えて、みんなで囲んで優しく頬を撫でて、おかえり、なんて囁くんです。


そうして生まれ落ちた実を、村の偉い人が回収して、村全体で育てていました。
ただでさえ刺激の少ないところでしたから。大人たちにとって、きっとあれは変わり映えのしない日々の退屈を紛らわせる、一種の娯楽品だったんだと思います。

みなさんも、趣味で植物を育てることってあるでしょう?
それと同じことですよ。



名前? ありませんし、付けませんよ。
雑草に名前なんていらないでしょう。

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