箱庭の皇帝
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余の辞書に不可能という文字はない


1821年5月5日 セントヘレナ島 ロングウッドハウス ナポレオン・ボナパルト かつてのフランス人民の皇帝

辞書に刻まれた不可能の文字を塗りつぶす。

強い日差しの差し込む居室で、私は死に至らないぎりぎりのヒ素を含んだ茶を摂取し、ブドウから作られたインクを使い丹念にページに書かれた文字を塗りつぶしていく。もはや自由になる事の方が少ないベッドの上でこれだけはと無理を言った結果がこれとは皮肉にもほどがあろう。だがサンジェルマンは箱庭が残した箱庭を開くには概念としての不可能を否定する必要があった。少なくとも死神の足音が目前に迫りつつ私にとって望む可能性はもはやそこにしかなかった。

ベルトランは密約の通り箱庭の門を隠しとおすことに成功していた。薪の購入代金にと送られてくる貴族からの寄贈品に紛れ込ませた仕掛け箱は今やロングウッドハウスの柱に埋め込まれ後は私が最後を迎えるその時を待つのみだ。

夏の日差しが強く照り付け、強い日差しと吹きさらしの平野に建てられた粗末なロングハウスで、最後の私の最後の革命が始まろうとしていた。


細い呼吸の最後の一秒が消えたその時、私はそこに希望と絶望を見た。
我らがフランスの巨大な太陽を沈め、月の光と共に君臨した大陸軍の皇帝、ナポレオン一世が息絶えた時。その生命は終わりと同時に永遠となったのだ。
私は永遠を永遠たらしめんとするために遺言を執行する事になった。
私は山師のようにふるまい、無礼な貴族として世界を騙し、少なくとも永遠が終わるその世界までの時間を稼いだ。それは永遠の先、星々の瞬きが途絶えた可能性の果てだろう。だが、果てはあるのだ。
嗚呼……聖杯よ、我らが皇帝にフランスの加護を与え給え。
シャルル=トリスタン・ド・モントロン 1853年8月20日


1796年5月5日  ナポレオン・ボナパルト やがてフランス人民の皇帝になるもの

次に目を覚ました時、私は砲兵士官となっていた。1785年の懐かしきパリの都でだ。私は私の知る限りの自由を謳歌した。コルシカでは両親の姿をして涙し、私は私の道を歩き続ける事を心に誓った。既定路線を進み、間違えることないよう慎重に皇帝までの道のりを辿った。私はこの時、この時代では世界の道筋を変えるべきではないと信じていたし、世界はかつてたどったのと同じように私を高みに引き上げた。

しかし、誤算があった。デジレ・クラリーとの婚約を反故にした時の事だ。あの男、あのサンジェルマンが私の前に現れたのだ。生前のこの時代で、奴はここには現れなかった筈だった。しかし、彼は私の前に現れていったのだ。

「お久しぶりです。”皇帝陛下”此度の旅はいかがお過ごしでしょうか?」

彼はローゼンクロイツの聖杯を応用したというこの箱庭について語った。自分が介入できるのは長い旅路の中で数えるほどだとも。この世界は永遠に回り続ける箱庭なのだそうだ。

世界を変え、永遠の中に永遠を作り出すま為に作られた聖杯を創るための箱庭。私が真に解放されるのは新たな聖杯がこの世界の中で作り出されたその時で、それまで私は入り口から終端までの決められた時の中を繰り返し続けると。この時、私は彼の言葉を信じてはいなかった。私はただ人生をやり直せたのだと、世界を巻き戻し真なる栄光を手に入れる為に神の恩寵を得たのだと信じ切っていたのだ。

そして、私はそれを、彼の手によって知ることになった。方法は分からない、彼は私を絞り、私を数秒で死に至らしめた。私が苦しみ、荒い息を吐き出しながらもがき苦しむとき、彼は私の持っていた鞄からたまたま持っていた辞書を取り出すと私の血で何かを塗りつぶし始めた……おそらくだが、あれは不可能の項目だった。


OSS/OWI聖杯回収記録

担当官: フィリップ・ウォーターズ OWI(戦争情報局)調整官/中尉

参加部隊: 101空挺師団、特別探索小隊『パルチヴァール』

作戦区域: イル=ド=フランス / パリ

日時: 1944年8月26日


1944年8月19日より行われていた戦闘の最中、『薔薇十字団』と第101空挺師団貴下の特別探索小隊『パルチヴァール』はオブスクラ軍団の移送部隊によって搬出が行われていたアーティファクトの回収に成功しました。これは何らかの演算を実行する計算機としての側面をもっており、アーネンエルベによる模造聖杯のベース技術の一つとなったサンプルと推測されます。しかし、付属資料によるとこの物体は1821年より稼働状態にあり干渉は困難と記載されています。

該当物品は英国オカルト局によってイギリス本国へと移送され、セントヘレナ島の研究機関にて解析が予定されています。

付記:該当物品は皇帝ナポレオン一世由来の銀器によって保護されており、該当人物との何らかの関連が疑われています。


1821年5月5日 セントヘレナ島 ロングウッドハウス ナポレオン・ボナパルト 真なる皇帝を目指す者

辞書に刻まれた不可能の文字を塗りつぶす。

私は何回、この島を訪れただろうか?何回、見送られたのだろうか?何人の人々を犠牲にしてきたのだろうか?

ある時はロシア遠征を取りやめ、イスタンブールを奪取を目指した。ある時はイギリスへと手を伸ばし、ある時は王政復古に立ち返ったこともあった。いずれも、最終的に結末は同じであった。各国はありとあらゆる穴を抜けて私をセントヘレナへと送り出した。

私は今なお、先に進むために人生を繰り返している。何十と繰り返す中で私はこの世界の成り立ちを理解しつつあった。恐らく、鍵は聖杯にあるのだろう。サンジェルマン曰く、この世界は聖杯を構築する中での隔離された検証環境なのだという。

彼はあれから三度、私の前に現れた。私に世界の成り立ちを解いて聖杯について促して、それきり消えてしまった。あの男はそのたびに私に言ったのだ……

『聖杯を創れ、それこそが未来への道だと』

私は、彼の言葉を信じてみる事にした。無限に続くセントヘレナの終わりを切り抜けるにはそれしかない……のだろう、私はあらゆる人物をかき集め、魔術を学び、技術を深め、その模造品を作らせ続けている。恐らく、今はまだ無理だろう、次も、その次も駄目だろう。

だが、いつか私はこの道が実を結び、次を生み出してくれると信じている。

我輩の辞書に不可能という文字はないのだ。


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