―依談 劇場版― 「T THE THAUMIEL」
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19██/11/██ SCP-XXX-JPからSCP-XXX-JP-1に与えられていた固定電話に着信。収容作戦が実施。エージェント█、SCP-XXX-JPの確保に失敗。SCP-XXX-JPは破壊され、同年にSCP-XXX-JPのNeutralizedクラス指定が決定。

2003/07/██ 長野県███田園部にて、視覚的情報災害を主な異常性とするSCP-███-JPの確保作戦に参加。SCP-XXX-JPの確保に失敗。SCP-XXX-JP完全消滅。

2008/08/██ ████県███村において自己収容状態にあったSCP-XXX-JPが収容を突破。民間人がそのターゲットとなり、SCP-XXX-JP-1に指定。村内に配置されていたエージェント二名「翁」「ブッポウソウ」が初期収容に当たるも、SCP-XXX-JPと膠着状態に陥る。エージェント█が当日に到着。SCP-XXX-JPを撃退、再収容。その後不明なPOIにより収容が破られ、再び収容突破したSCP-XXX-JPをエージェント█が8時間の戦闘の後に終了。同年SCP-XXX-JPのNeutralizedクラス指定が決定。カバーストーリー「夏の思い出」の適用。

2010/07/██ ███県███市の旅館「██████」にて三名の民間人が、旅館経営者が行った儀式により生成されたSCP-XXX-JP実体と遭遇し、現地エージェントに一時保護される。同日にエージェント█が対応のため現地到着。秘儀部隊との共同作戦の結果、SCP-XXX-JP実体は終了。民間人三名は受けていた呪詛の影響から逃れる。旅館経営者は精神影響を受けたものの中等の症状に留まり、記憶処理の後開放。

20██/10/██ 鉄道駅の形をとる空間異常であるSCP-XXX-JPの内部探査に、エージェント█も参加。内部で確認された霊的存在と戦闘。探査にあたった機動部隊員に死傷者を出しつつ、空間異常の中心に到達。異常発生源をエージェント█および機動部隊隊長が破壊。発生源周辺にて発見された物証によるとGOI「如月工務店」がSCP-XXX-JPの起源と関連があると推定されている。すでにインターネット上に広がっていた目撃・遭遇談に対し、標準カバーストーリー「»1です。釣りでした」の適用。


   
  

   
   
ご報告ということで、ひとつ。

ドロリとした鉛色の空のもと、私たちは「現場」に到着しました。この財団に雇用されてからすぐに行われた、警察官への偽装訓練は体に染み付いていたようで、「おまわりさん」の制服は思いの外しっくりと馴染みました。先輩で大ベテランの……ここではAさんとしておきます。その彼が目的の民家に向かう車中で、やにわに口を開きました。

「穢れだ」

「ええ」

もうひとりの同僚、こちらは女でした。Bとします。彼女がAさんの一言に眉をひそめました。

「計器を出してあそこの、山の方に向けてみろ」

「はあ」

私もカーデック計数機を言われた方向に向けます。この計数機は霊的発光から霊体を検出するものなんですが、計器は一切反応しませんでした。いくらやってもです。そしていくら私が新米だからといって、こんな単純な機械の操作をしくじるわけもありません。

「変ですね」

私は計器の感度調整などのつまみを弄り回しましたが、一切観測結果に変動がありませんでした。かつて誰かが「もし幽霊がいるのなら、この世はいつしか幽霊で埋め尽くされてしまうだろう」と言ったそうですね?その通り。こうした昔から人間の居住実態がある地域において、カーデック計数機は本来は常にある程度の数値内で霊体数を表示し続けるのです。反応なし、など、ありえない。私は、液晶画面を長押しして設定画面を出し「負の数値」を表示するように設定しなおして再計測してみました。

「これは」

画面を二人に見せると、ただ重苦しい沈黙が車内に漂いました。我々人間の目にはそれを認識することは出来ないし、非常に抽象的なそれをイメージすることも困難が生じます。「幽霊の存在」ならイメージは容易ですが、「幽霊の否存在」というのはイメージがしがたいものですよね?でもとにかく、計器の数値は霊的発光のその逆、そこに霊的な闇が漂っていることを示していました。

「霊体を食ってる。あの場にいる何者か、あるいはあの場所そのものかが」

「そういう神格でしょうか?それとももっと概念的な、彼岸への穴のようなものでしょうか?以前の事例にもあった……」

Bが口の端を引きつらせながらつぶやいていました。

「とにかく生きた人間には無害か、直ちに影響はないと思う。あのビデオにあったような特別な存在以外はということだが」

SCP-511-JP。かなり前に通過した集落から遠く離れた山中に建っている民家で発見されたビデオテープ。仄めかされる「神」と、親子。我々は……財団は九州地方におけるアノマリーの態様にある種の偏りを見てとり、その傾向性を調査しました。そして、SCP-511-JPの発見された民家に原因があるのではないかという予測のもと、偵察と再調査のためにこの集落へとやってきたのです。

「これまでにこの地方で確認されたアノマリー群の一部に共通するのは穢れ、だ。濃厚な死穢が山全体にまとわりついてる。霊的実体を寄せ付けず、それでも入り込んだ霊的実体を何らかの方法で消滅させるレベルの何ものかがある。ブラックホールのような、底なしの穴のような」

「馬鹿げてる。こんなただの山の中で?」

「馬鹿げている。そうだな。こんな状態にも関わらず、周辺には目立った影響がない。表面的には平穏でさえある」

「害意がないのでしょうか」

「興味がない、ということかもしれない。いずれにせよやはり放置はできん」

Aさんはそう言うと、装備品から人数分の形代を取り出すとあらかじめ採っておいた私達の血を一滴ずつ落とします。霊的デコイ。何者かに追われることになっても多少はこれで足止めが出来なくもないというところでしょうか。

「行くぞ。あとはB、体調に変化があれば教えろ。あれは……血肉の穢れだ。女のお前には俺達と違う影響があるかもしれない」

「了解です。というか、今も少しクラクラしてるくらい。『汚物入れ』の匂いが薄く……」

ぎょっとしましたね。問題の民家が建っているという山林は、まだまだ相当な距離がありました。Bの探知能力は我ら秘儀部隊の中でも極めて高い。といえども、ここからそれを感じ取るなどありえないんです。Bの顔が次第に引きつっていくのがそれが嘘などではないということを私に突きつけてきました。そしてそろそろ到着するというところで、Bがこみ上げてきたものをグッと飲み込むと、絞り出すようにしてうめきました。

「きもち、わるいです。獣臭、精液、垢、血、脂、糞便。あとは腐った水の臭い。土地が腐れ落ちてる……強烈な悪意を感じます」

それだけ言うと、いったん口を切って、口の中に溜まっていただろう苦いつばを窓から吐き捨てました。

「悪意?」

「例えるなら、死体は時間が経てば白骨になって、崩れ去って、清められます。でもここは生きてる。生きてる土地に、絶え間なく穢れと汚物が注がれ続けてる感じです」

「一体誰が?」

私は彼女に思わず聞いてしまいました。

「御神体に百年ずっと獣の血とウンコを掛け続けて生み出した祟り神とか?」

彼女の顔は蒼白でしたが、ふんと鼻で笑って努めて気丈に振る舞っていました。そう言ってから目を閉じ、裂帛の気合を込めて自分に喝を入れていました。額には脂汗が浮いていましたが、顔色が徐々に戻っていくのが見て取れ、私はほんの少し安心しました。

「今、探知を切りました。これ以上あのままだと倒れそう」

「大丈夫か?」

「ええ……常人でもじっとりと嫌な気配を感じるでしょうね。簡易的な人払いになって、我々としては仕事が楽ですが」

Aさんが気遣わしげにBの顔を見つめていましたが、ややあって私達は「家」へと再び進み始めました。そして、問題の鳥居が見えたあたりで停車し、私達は三々五々車から降りていきました。なにか、ツンとする臭いを感じたような気がしましたが、それがなんの臭いかは一瞬のことだったのでなんとも言えません。ただ、なにか不吉な臭いだったことだけは覚えています。

鳥居と……ぐちゃぐちゃと折り重なった地蔵の山を横目に、私達は奥へと進みました。

そこが、今回の本隊とのランデブーポイントでした。その壁に生えた汚らしい苔と伸び切った葛に呑まれかけている家を見た印象は、なんというか「どろっ」とした感じというか、何かそこにあるべきものではないものが凝っている。そう強く感じました。ブリーフィングで見た写真では、ただの空き家のようにしか見えなかったのですが。

「それにしても、なんでこんなところをランデブーポイントに?ビデオの発見ポイントでしょう?」

「まあ、うん。なにか起きるでもないんだこれが。不思議だがね。屋根のあるしっかりした拠点となるとここだけなんだよ」

Aさんが軽くため息をつきながら、ポケットから鍵を取り出して玄関の扉を開けました。あっけなく開いた扉の奥は、まだ昼間だと言うのに、どよりと暗かったのが印象に残っています。のそのそと装備を抱えて玄関扉をくぐると、板張りの玄関にそれをドサドサと置いて、専用端末で本部へ報告を入れました。ここには通常の電波は届かず、山向うに設営されているHQとの直接通信です。

「散らかってますね」

Bが顔をしかめます。なんとも埃っぽく、私は屈んで裾についたホコリを払いました。顔を上げるとき、視界の端、廊下の奥に動くものがあった気がした私は、声を低くして二人に声をかけました。

「奥、廊下。何か見えました」

「……この奥は仏間だ」

「何が見えましたか。私は何も感じません」

Bがきっと廊下の奥をにらみました。探るように目をそこに走らせていましたが、やはり何も感じないのか。軽く首を振って私を見ます。

「警戒しろ、俺が先行する。カバーを」

ハンドサインを交わしながら、私達は奥にあるという仏間に向かいました。安普請なのか、薄張りの木の床が私達の体重に、ひいと悲鳴を上げるのが分かりましたが、当たり前ですけどそれどころではありませんでした。仏間に続くふすまを開けると腐りかけた畳がまず目に入り、壊れた雨戸越しに外の荒れた庭が見えました。

その雨戸から差し込む外からの光の中、ぼんやりとした人影が私達に背を向けて立っていました。Aさんが腰の拳銃にいつでも手を伸ばせるように、手を後ろで組むふりをしながらその人影に声をかけました。

「どうも土足ですみません!いやあ近隣の方からちょっと通報がありましてねぇ」

「こんにちわ~」

AさんとBがそうやっておまわりさんと婦警さんの演技を続けている中、私はその人影に目を凝らしていました。どうやら女であるようで、スカートのようなシルエットが薄闇の中でも見て取れました。でも、何かが奇妙だったとその時点でも分かりました。ですが、こういう場合に一気に敵対的な行動を取るとオブジェクトは予測不能な行動を取るものです。努めて、相手は普通の人間という体をとりながらジリジリと相手と距離を詰めます。

「……えー。ここは私有地でして、肝試しとかそういうのはいかんですなあ。すぐお帰りになってほしいんですがね」

「そうですよぉ、暗くなったら山道を降りるの大変でしょう?車のところまでお送りしますよ~どこに止めてるんです?」

Bがふわふわした感じの婦警さん風にそう言いながら、素早く印……キネトグリフを結び、霊的攻撃に備えます。

じり、ともう1段階近寄ったとき、ようやくその女の姿がはっきりと分かるようになりました。女は、私達の確かに背を向けていました。おかしなことに女の頭は雑に剃られており、後頭部とそこに浮かぶカミソリ負けが妙に痛々しく私の目に映りました。ですが、異常なのはそれだけではありませんでした。女は、私達に背中を向けていましたが、手だけはこちらに向けていました。

そうですね……体の柔らかい人がそれをアピールするときのようにして、背中側で手の甲と甲を合わせていました。でもそれというのは無理にやっているようではなくて、まるで肩の関節が逆についてるかのように楽で自然なふうに見えました。なぜそれまで気が付かなかったんでしょうね。あのビデオ映像に出てきた「逆拍手」のようだと思った瞬間に、女の手がゆっくりと離れていきます。まるで、柏手を……いえ、逆柏手を打とうとするように。

(まずい!)

そう声に出したつもりですが、ひゅーという空気の通る音が口から漏れるばかりでした。他の二人も、もうすでに声も出せず、引きつったような顔をしてその場で硬直していました。俗な言い方をすれば、金縛りというのでしょうか。作戦前に施しておいた耐霊防御のすべてを貫通して、いつの間にか私達は相手にとらわれていたのです。

私はしびれた手をなんとか動かし、ここに来る直前に作成したデコイに手を伸ばそうと必死にもがきました。ですが、女のゆっくりとした動きよりもなお遅くしか体が動きません。やられた、その時その場の全員がそう思っていたでしょう。女の手が、もう少しで逆拍手をしようかという、その時でした。

「はーいどうもこんにちはー」

何事もない日常の一コマのようにして、庭の方のサッシがカラカラと音を立てて開き、三十代後半くらいで、少々シワの寄ったスーツを着た男が仏間に入ってきました。ラーメン屋にでも入ってくるように何気なく。その時には女の手は、手が手に着く直前の状態でピタリと止まっていました。その上スーツの男は、おかしなことなんて何一つないと言わんばかりの様子で、女の前までつかつかと歩み寄っていったのです。

(な……)

巧妙な霊的防御をくぐり抜けて私達を呪縛した、強烈な力を持つだろう霊的存在に男は全く怯む様子がありません。それどころか、ちらっと私達を見たかと思えば思い切り女の顔を至近距離で覗き込んだのです。

「あー、奥さん顔色悪いよ!せっかく美人なのにもったいない」

スーツの男は無造作にポンと女の肩に手を置き、ふっと鋭く息を吐くと瞬間的に私達の体に自由が戻ってきました。それと同時、女がその場に崩れるようにして倒れ、スーツの男はそれをさり気なく抱きとめて畳の上に静かに寝かせました。

「くっ!?」

私はその場を飛び退いて男から距離をとりました。このときどういう存在かは分かりませんでしたが……明らかに異常でした。言うなれば、ライオンが迫ってきたという状況で、ティラノサウルスが飛び出してきてライオンを食べちゃったというのがこの時であったからです。

「……エージェントT。無事の到着だな。助かったよ」

「Aさんどうも、お疲れさまです。Bさん、Cさんですね」

「エージェントT?」

私は訝しげな様子を隠す気もなく、スーツの男をしげしげと見つめました。見ればみるほど普通の男です。ただ、この神々から見捨てられたような土地の気味の悪い文化住宅のどん詰まりにあって、柔らかい笑みが顔に浮かんでいました。その様子を見ていると、不思議なことに私もだんだんと落ち着いてきました。

「エージェントT……聞いたことがあります『T THE THAUMIEL』……現代最高の霊能力者の一人」

「いやあ、Tは田中とか田所とかのTなんだけど。だれがそんなの言い出したんだろうね」

「は?」

私は思わずBに顔を向けてどういうことなのか説明させようとしたのですが、Bは特に何を言うでもなくアメリカンな肩すくめを私にして見せるだけでした。

「まず本隊との合流には成功したな、俺が本部に連絡を取る」

「ちょ、ちょっと本隊って誰もまだ来てないじゃないです……え?」

嫌な予感がしました。

「ああ、それなら安心してくれ。本隊とはちゃんと合流しているよ。俺さ!」

Tさんがグッと親指を立てて私の素っ頓狂な声に応じました。一人で隊を名乗るのはどうなのでしょうか?いまも財団の人事部門に問い合わせているのですが、未だに回答はありません。

「……了解しました」

私は、ここであえて重ねて質問することはしませんでした。問題は何一つ解決解決してはいないのです。無駄な質問に時間を費やしている暇はありませんでした。私が視線をそちらに向けると、Tさんも気がついたのか先程倒れた霊的実体……丸刈りの女を抱き起こしました。Tさんが額に手をかざすと、女は静かにまぶたを開きました。

正直な話、霊的実体に直接触れた上に謎の力で目を覚まさせるなんて意味が分かりませんが、私は無視しました。その様子を黙ってみていたのですが、女はよくよく見れば知った顔でした。幾分やつれた上にやや半透明でしたが、ブリーフィング資料にあった皮田シズに間違いなさそうです。

それに気がつくと同じくらいに、シズが口を開きました。

「私、は」

「目が覚めましたか、大丈夫ですよ。もう心配はいらない」

Tさんが囁くようにそう言うと、シズはしかし、慌てたように周囲を見渡しているようでした。

「ゆな……ゆな……」

「ゆなちゃんは、ボクたちこれからゆなちゃんのところに行くんです。助けに」

Tさんが「ゆなちゃん」と言うとシズの動揺はさらに強くなり、起き上がろうとしますがTさんに軽く頭を抑えられているだけで身じろぎもできない様子でした。というか、助けに行くという言葉を聞いた私もその場でまた硬直してしまいました。何を言ってるんだこの人は。

「ゆなが……行っちゃう……だれか、だれか……」

「あなたとアレのつながりは絶ちました。ボクが出来るのはこのくらいです。お話を……」

Tさんがシズの頭に当てていた手が奇妙に発光。私の脳裏には奇蹟論、現実改変、タイプブルーなどの単語が浮かんでは消えをしばらく繰り返していましたが、そこに当てはまるものが思い浮かびませんでした。そうしているうちに、Tさんが抱き起こしていたシズを再び畳に寝かせると、こちらに向き直ります。ずっと目を丸くしていた私にTさんが簡潔に言いました。

「交霊術の応用さ、会話より早い」

「それでなんと?」

BがおずおずとTさんに聞きました。さきほどからBがTさんを見る目がなにか違います。Bもレベル3霊的感応者ですが、その上を行くらしいTさんに羨望の眼差しを向けているようでした。

「死ぬ直前までの記憶読み取りと、今の意志をだいたい……背後からなにかに襲われたというのと、あとは娘の『ゆな』の心配ばかりだったよ」

「ビデオの一場面に一致する。やはり胸糞悪い……そして『ゆな』の行方は知らないようだな」

「ああ、そのあとは……アレのいわば仮足として使われていたようだね」

「仮足?」

「ああ……なんというかなあアメーバって霊の塊と似てるというか」

頭を掻きながら、Tさんが天井のあたりに目を走らせてから私達をぐるりと見回す。

「アメーバってさ、獲物をとらえるのにニューっと伸びるのよ。新しい足を生やすみたいに。こいつらもそう。獲物を捕らえるのに、こうして『足』を伸ばしてくる」

「なんというか、チョウチンアンコウの発光器官みたいに?」

「そうそう、発光器官と違うのは気を抜いたらそのものに喰われるというところだね」

「霊の塊ということは、アレもそういう存在なんでしょうか」

「いやあ、おばけ探知機も効かないし、でもたしかにそういうカタチはしているけどねえ」

私が口にした推測にTさんは頭を振ります。

「それにしても小道具が多すぎる。鳥居に穢れ切ったあの赤茶けた綱、ぐちゃぐちゃの地蔵」

「……ごたまぜもいいところだ」

「神道に仏教に民間信仰、だがまあ、おかげで寺の次男の俺が微力ながら役に立てるというわけさ。神さん単体は分が悪いけど、混ざりモンのまがい物ならどうにかなる」

「混ざりもの……」

「そうじゃないかと、俺は思ってる。タチが悪いよこれは本当に」

Tさんが胸ポケットからセブンスターを取り出すと、その場で吸い始めました。Aさんが眉を顰めるのを見て、Tさんが苦笑していました。

「携帯灰皿はちゃあんと持ってる。山火事はいけないからねえ」

「この山を焼き払えば幾分、この辺も平和になりそうだがね」

「まあまあ、そいつはあの音楽記号好きの壊し屋に任せましょうや」

「山か……この気色の悪い山、なんなんでしょうね」

Bが山、と聞いて自分を抱きしめるように腕を体に巻き付けていました。山、鳥居。何かが不自然なことに今更ながら気が付きました。

「あの鳥居、そこそこに立派ですよね?神社か何かがあるはず。社殿なんかはどこなんですかね」

「ああ、俺は花の窟とおんなじパターンだと推測してる。『山自体』が信仰の対象であり、同時にご神体なんじゃないかな」

「じゃあ、なんで……」

「こんなドブみたいな状況になっているのか」

Tさんが先回りして、その疑問に答えてくれました。

「2つ考えられる。神自身が人間たちのおぞましい所業を呪っているか、あるいは神の器ばかりが残っていて、そこに注がれたものが擬似的な神に凝っていて悪さをしているか」

そう言って遠い目をしたあと、Tさんは「現場で確認してみてわかったけどこいつは後者かもだねえ」と力なく笑いました。常に浮かんでいる余裕の笑みとは違う、どこか疲れたような感じでした。

「注がれたというのは?」

「もう見ただろう。生贄にあの稚拙な、しかし悪意の塊のような儀式。あるたけの呪いと穢れだ。血と呪いの塊が『神の形をした穴』に押し込まれて本当に『神』になった」

「そんなことが?」

「見てみないと断言はできない。だけど、もとより神様なんてそんなもんだよ」

Tさんは携帯灰皿にぎゅうとタバコを押し付けると、そのまま胸ポケットにしまいます。

「まあでもどうなんだろうねえ、いずれにしろやることはいっしょさ。元を叩く」

行きますか、と言って入ってきた窓から出ていくTさんを追うと、脱いだ革靴を律儀に履き直して山の方へとすでに歩き出そうとしていました。鳥居のところからまっすぐ正面。方向的に言えば、山頂の方に。Aさんが慌ててTさんの背中に声をかけます。

「Tさん、しかし山自体がご神体というのなら、どこへ行こうというんだ?」

「山というのはまあ、山というガワ、ウワモノも重要なんだけどね。人間は草木に覆われたその内側に空間を見る」

「空間ですか」

「そうさ、妖精郷、キフホイザーの山の地下。おむすびころりん……はちょいと違うがそこには至る道があり、それはたいてい地下、穴を通じて行くことができる」

「洞窟のような……?」

Bが不安げにつぶやくと、Tさんはふっとほほえみました。

「いいや、もっと観念的なものさ」

獣道のような山道が山の頂上に向かって伸びているのを睨んだTさんはそちらに向けて、手を広げてざっ、と空中に円を描きました。その瞬間、唐突に周辺に霧が立ち込めはじめました。霧はぼんやりと薄く発光しているように見え、そして私がはじめに感じたツンとする臭いがまたわずかに、しかし今度はずっとにおってきたのです。

「いま、内側への穴を開けた。ここから俺のそばから離れないでくれ。じゃないとすぐにとられるぞ」

「ああ」

とられる、という言葉を聞いたAさんの顔が引きつりますが、すぐにTさんの横に立って山道を登り始めます。わけがわからないながらも、私たちもその後に続きました。霧は私たちから完全に視界を奪い、まるで腐ったミルクのように濃くどろりと我々の全身を包み込んできますが、辛うじてTさんの周りだけはそれが和らいでいるようでした。

「一体どんなことをすれば、こんなに強度の高い結界を、しかも展開しながら移動できるのはなぜです?」

「ん?」

「この霧、本来なら包まれた瞬間に死んでいてもおかしくない霊的障壁の一部でしょう?それをどうやって」

BがTさんにそう聞く声音は、わずかに震えていました。尊敬を通り越して、その能力に対して恐れさえ抱いているようでした。

「そうだねえ『生きていればどこでも天国』っていうでしょう?」

「ああまあ、聞いたことありますけど」

「俺の場合は『生きてればどこでも極楽浄土』なのさ。浄土に悪霊は入れないでしょ?」

「本気ですか?」

「俺は至って真面目だよ」

Tさんは楽しげにそういうと、我々も辛うじて上下の区別がつくばかりの白い闇の中をずんずんと進んでいきました。でもこればかりは私にも分かっていました。奥へ奥へと進んでいるのです。

次第に、足元の感触が木の根と土から、硬い岩肌がちに変わっていくのが分かってきた頃には、いつのまにか我々はなにか洞窟じみた空間へと足を踏み入れていたことに気が付きました。しかし、どういうことかわかりませんが明かりを用意する必要はありませんでした。白い霧が、ここでも冷たい光を放っていたからです。

臭いは更にひどくなっていきました。猫のトイレって言えば分かるでしょうか、それに生臭さ、青臭さが加わった感じで、とにかく思い出したくもありません。

それからしばらくして、Bがうっと低いうめきを漏らしました。

「どうした」

「あれ、子供です」

そう言ったBの目線の先には、数人の子供が立っていました。小学生くらいで、男の子に女の子もいましたね。白い霧の中で、彼らの様子はあまりにも普通に見えました。ただ、何かが妙でした。ひどくなにかが歪んでいるような。

「あれは……」

「皮田親子の介添え……俺が行く」

Tさんが彼らのもとに歩いていくと、その目の前に手をかざしたかと思えば突然青白い閃光が走りました。すると、先程の子供たちの姿はもうどこにもありませんでした。僕は焦ってTさんに問いました。

「な、さっき皮田シズにやってた記憶の読み取りは?」

「いいんだ。あの子らはもう空っぽだった」

「空ってどういうことだ」

「完全に喰われていた」

それ以上は答えず、Tさんは再び歩を進めました。奥へと。それからしばらくは沈黙がその場を支配していました。沈黙、異常空間にはある程度の知識がありましたが、この空間には、ほぼ音がありませんでした。私たちの装備がカタカタなる音と、そして霧の向こうから聞こえてくるか細い何者かの声だけ。その声というのが、暗い色の液体になって背骨の付け根から染み入ってぞわぞわと鳥肌とともに這い登り、脳みそのところまでいって溜まっていく。そんなイメージがたぶん、その場にいた全員にあったと思います。

ふと、ぐじゅ、と湿った音が足を伝って感じられました。そのときにはすでにTさんは足を止めていました。

「ここだ」

「おい、エージェントT。これはなんだってんだ」

「ちょいときついが、堪えろよ」

Aが驚愕を隠せない様子で、Tさんの肩を掴んでいました。先ほど感じたくじくじとした不吉な感触は、腐れた畳でした。私たちはいつの間にか、全体が煤けたように黒く変色した日本家屋の中にいました。目の前にはカビまみれのふすまがあり、ピタリと閉じられています。そしていつの間にか霧は晴れており、しかし今度は例えようもない猛烈な悪臭がその場にいた我々を襲っていました。ただTさんだけがそれを意に介さず、ふすまに手をかけるとさっとそれを引き開けました。

そこにあったのは、十畳間とお葬式の時に使うような祭壇でした。しかし、やはりというか奇妙です。上方の遺影を掲げるはずの部分には、腐り果て黒く変色した玉串が置かれています。室内は全体的におぞましい量の黒カビに覆われていました。本来であればその臭いにむせ返っていたところでしょうが、その臭いはまったく感じることが出来ず、代わりにツンとするあの生臭い匂いがすべての感覚を圧していました。

「しっかり」

Tさんの手が触れるのを感じると、そこから温かい感触が広がってじわじわと体の感覚が戻ってきました。そして、顔から下がしとどに濡れているのが分かり、私は嘔吐しているのに気が付きました。見回すと、他の仲間も同じ様子でした。Tさんに触れられたからか、感じる臭気は弱まっているようでした。

「う、ぐ」

「おえっ……」

「へばっている場合じゃないぞ」

その場にいたTさん以外の全員が、口の中に残った酸いものを床に吐き出すのを見届けると、Tさんが祭壇の方へを向き直りました。私はぼこぼこと泡立つような音を耳にしました。そして祭壇の中段に無造作に置かれていた棺がぎいと音を立てて内側から開き、中から人影が立ち上がってきます。

「構えろ」

「あれはなんです!?」

「分からねえが、バケモンなのは確かだよ」

動揺するBを尻目に、Aさんが銃を抜きます。その先にいるのはランドセルを背負って立つ女の子、あのビデオに出てきた姿のままの皮田結名でした。何もそのようなものが見えないのにも関わらず、何かがしたたるぼたぼたという音がその姿の方から聞こえてきていました。

皮田結名は、にこにことその場に立っていました。

「お嬢さん、こんにちは」

Tさんが少女の方へ、シズのときにそうしたように、またも足早に歩み寄っていきました。彼が私たちから離れていくと、臭気がまた次第に強くなっていきました。慌てて彼の後を追いました。それに気を取られているうちに、Tさんが何かをスーツの内ポケットから取り出して、女の子に向かって素早く投擲します。僕たちが何かを言う暇もありませんでした。

「ああ、お嬢さんじゃないよね」

女の子の心臓があるはずの場所には、鈍く光る独鈷が深々と突き刺さっていました。しかし血が流れている様子はありません。女の子の方は顔から表情を消し、首をかしげてその場にいる者たちの顔をぐるりと見回しているだけでした。

「Tさ……」

私がそう彼に呼びかけようとすると、ハッと鋭く気合を込めてから複雑な印を結び、一瞬の閃光がその場に走りました。視界が戻ってくると、刺された独鈷が白熱しているかのように光り輝いていました。

「全員やつから離れろ」

「何?」

「爆発する」

「え!?」

「とにかく伏せろ!」

Aさんが立ちすくむ私の肩を引っ掴み、ぐんと床に引き倒すやいなやフラッシュバンが破裂したかのような爆音がその場に轟き、私が顔を上げたときには女の子の上半身は吹き飛び、ザクロのように引き裂かれていました。しかしその内部には血肉ではなく淀んだ色のヘドロのようなものが詰まっていたらしく、中身と思しき汚物が周囲に撒き散らされていました。

Tさんがすぐ側にいるというのに、強烈な腐臭がまた我々を襲いました。この臭いの根源は、これだ。私はその時点でそう確信していました。

「け、穢れ……!信じられない濃さの死穢……でも、これは、生きてる」

「ああ、そうだね。穢れているのかもしれない。だが、穢れていると思うから穢れるんだ」

BにTさんがぼそりとつぶやきました。

「それは……」

「んなことを言っている場合じゃないぞ、立て!」

「す、すみません」

Aさんが私に肩を貸して立て起こしてくれながら、再び銃口を女の子の残骸に向けます。女の子の足は、上半身がぐちゃぐちゃのまま、ヒクヒクと痙攣しながらその場に立っていました。いいえ、霊能者ではない私でもその時点で分かりました。女の子には、髪の毛が絡みついていたのです。

ただ絡みついているのではありません。糸が絡まった操り人形か何かのようにして、体中に赤茶けた髪の毛がまとわりつき、その髪の毛がなにかに引かれるたびに痙攣しているように動いていたのです。そこで、私は女の子が宙に浮いていたことに初めて気がつきました。

「さあ来るぞ……参ったな、君たち下がってたほうがいいかもしれない」

「なぜです?」

「俺が思ったよりヤバい」

それまで余裕があったTさんの声に少し震えが混じるのを聞いたとき、私の全身が総毛立ちました。女の子に絡んでいる髪の毛……思えば、髪の毛だったのでしょうか。それが生きているかのようにドクンと脈打つと、女の子の残骸がみるみるうちに膨張していきました。

それと同時、今までいた和室風の空間がぐにゃりと歪み、すぐそばにあった天井と壁がざあっと遠ざかっていきました。そして辺りは体育館のような大部屋に姿を変えて、気がついたときにはそのだだっ広い空間を圧迫するかのように、女の子だったものは馬鹿でかい人型の実体に変貌していました。その実体は取り出されたばかりの心臓のように大きく脈を打ちながら、硬直する私たちを無視して膨らみ続けます。

「う、うわあ!」

思わず情けない声が私の口から漏れ、AさんとBも目を剥いたまま絶句していました。

「撤退だ……お、応援を呼ぶ……」

「う、ああ、こいつ……なに……色がない……なにもない……」

「撤退は無理だよ、だが応援は必要だな」

「Tさん、ど、応援は、どうするんです!?」

「ああ……」

Tさんが古ぼけた二つ折りの携帯のボタンを押しました。多分通話ボタンだったと思います。

「今呼んだ」

「一体、どういうつもりだ!?」

Aさんが脂汗を額に浮かべながら、Tさんに掴みかかろうとすると先程のガラケーらしき古風な着信音が場違いに鳴り響きます。すぐさまその電話をTさんが取ると、私はじわりと嫌な空気が増すのを感じました。Tさんはそれを知ってか知らずか、電話先の相手に言われた何事かに応じているようでした。

「ああ、おう。もう、後ろにいるんだろ?頼むぜ……ああ、みんな呼んでくれ」

「なにを」

私が目をしばたたかせたその刹那に、Tさんの背後に誰かが立っています。それは大昔の着せかえ人形が着ているようなドレスを纏った、ちいさな人影でした。

「私、█████さん。あなたの後ろにいるの」

「知ってらあ、行くぞォ!」

その人影は片手にサビまみれの包丁を手にしていましたが、それに注目していた私は、その人影が淡い色の残像を残しながら超高速で巨大実体に突っ込んだことに少し遅れて気がつきました。

「フフ……フフフ……」

「うおおおおおぉぉお!!」

Tさんがもう遠慮も何もなく、手から既知の超常理論で分類不能な謎の光弾を放ちながら実体に突撃する中、小さな影が縦横無尽に大部屋の中を駆け巡りつつ実体を手にした包丁でめちゃめちゃに切り刻んでいます。もう訳がわかりません。小さな影は、めちゃめちゃにとは言いましたが、実体本体を切りつけて撹乱しながら、実体につながっている髪の毛を的確に切断しているようでした。

しばらくしてそこから供給されていた何かを絶たれた実体は、耳障りな叫び声を上げながらぼとりと室内に落下しました。それでも分かりました。ヤツはまだ笑っていました。

「ぎゃあ、ぎゃああ、あは、ぐやあああああああああ」

「しめた!来ぉい!」

Tさんが鞄からなにか小さなものを取り出すと、それを実体の方に構えます。それは、古ぼけた双眼鏡のようでした。その先に目を向けた私は、なにか白っぽいものがいるのを見つけました。そこは、実体の頭の上です。

「Tさん!あれは何なんです!?」

「わからない方がイイ」

そうTさんがつぶやくと同時、白っぽい実体が強烈に発光すると私の視界がぐにゃりと歪み、もう立っているのがやっとの状態になっていました。思えば、あれは何らかの情報災害系類似の効果を放っていたのでしょう。実体が落ちた地面の上でじたじたと暴れています。効いてるのか!?と私が驚愕して目をこすると、白っぽい何かはもう消えていました。

「畳み掛ける!斬り続けろ!」

小さな人影は、実体の急所を高速で引き裂き続けています。それを認めたTさんが、懐から丸めた布のようなものを取り出します。それは大きな帽子、レトロな感じのする婦人帽でした。それを宙に投げ上げるとそれはいくらも落ちないうちにパサリとなにかの上に落ちました。見上げると、そこには異様に上背のある女……2mはゆうに超えていたでしょうか。その人がいつの間にか立っていました。

その人はほほほ、というような不可思議な音を立てつつ、ゆらりと緩慢に動いたかと思えば、すでにして実体の目前にまで迫り、瞬きしている間にあの巨大な実体が殴り飛ばされて壁面に叩きつけられていました。でも実体が今度は無言のまま雑に女の方に右手を伸ばすと、女は簡単に捕まってしまいました。

「うわっ!?」

「むっ……」

Tさんがどこからともなく、また独鈷を取り出すと女を捕らえている右手に向かって投擲し、それは手首をざくりと引き裂きながら貫通し、大女は怯んだ実体の様子を見てなんとか拘束を抜け出しました。しかし、ドロドロと傷から臭いヘドロを垂れ流しながらも、実体は大女に再び手を伸ばします。ですがその場に澄んだ声が響き、誰もが一瞬その声に気を取られて思考が停止していました。

「ゆなちゃん」

その声は、先ほど廃屋で聞いた皮田シズのものによく似ています。実体の黄色く変色した視線がその声が発せられたところ、大女のほうに注がれ、その瞳は小刻みに震えているのが私には分かりました。

「悪いね」

Tさんが苦々しげにそう言いながら、スーツのポケットから汚れた小さな木箱を取り出します。それは見たことがある、あの生まれた赤ん坊のへその緒を収めるための桐箱でした。その中から、黒く変色した塊を取り出すと絶叫を上げながらTさんはそれを握りつぶしました。乾いているはずのそれは、ぐじゅりという生々しい音をさせ、ビタビタと青白い液体を床に滴らせます。

その、水たまりの中からぐにゅりとした手、また手。何本もの腕が突き出したかと思えば、液体の色と同じ青白く、醜く歪んだ人型の何者かが次々に湧き出してくるのです。その何者かの最初の一匹は、人の顔をしていながら「かぁ」と甲高く鳴き、固まっている巨大実体に全員で駆け寄っていくと、その腐った肉を爪で、歯で、引きちぎっては咀嚼していきます。腐臭が周囲にまた充満し、私は何も残っていない胃から、空えづきばかりを絞り出しました。

「……行くぜ!ここがお前さんの終着駅だ!!」

Tさんは、異形のものたちが大型実体を中心として所狭しと固まっている一角に、鞄の中から取り出していた大きめの金属板を円月輪かのようにぶうんと投げつけます。それは奇妙なことに駅名看板のようで、ひらがなではっきりと「きさらぎ」という文字が書かれているのを私は見ました。

唸りを上げて飛翔した駅名看板は深々と巨大実体に突き刺さると、またヘドロがドロドロと撒き散らされます。巨大実体は、今度は苦痛の叫びのようなものを上げながら体に取り付いている青白い人型実体を払いのけようと、ぐんにゃりとした足で立ち上がりかけ、ドサリと膝から崩れ落ちました。そのとき、その場にいた私達の耳にテン、となにか太鼓のような音が聞こえました。ですがそれから、場違いな音がその場を支配します。それは電車の警笛のような音でした。

「う、うわ!」

「っ!?」

あまりにも異常な事態に硬直していたAさんとBが何かに気がついたのか、その場から飛び退くのを見て、反射的に僕も体をそちらに倒しました。その次の瞬間、暴風が私の直ぐそばを掠めたかと思えば、どういうわけか、電車が巨大実体の下半身に激突してぐちゃぐちゃに押しつぶしていました。は?と私の口からとぼけたような声が漏れたのを、はっきりと今思い出しました。

その間、Tさんは複雑な印を目にも止まらないような勢いで長時間結び続けていました。その手には、さっきからアホみたいに撃ちまくっている謎光弾と同じ光が集まっていました。

「……恨みつらみ、お前に何があったか知らないが、もうここで終いにしよう。生きてる連中を、巻き込むんじゃねえ!」

Tさんの手に集まった光が大きく膨れ上がり、その明るさはもう真昼の太陽よりなお輝いていました。そして轟、という空気が激しく振動する音がしたかと思えば、Tさんが凄まじい気合とともに青白い光弾……いいえ、もはや極太の光線のような光を放ち、それが巨大実体に激突しました。視界が白く染まる中、Tさんの声ばかりが激しく耳朶を打ち叩きます。
 
 
 
「破ぁああああぁああーーーーー!!」
 
 
 
「!!!!」

白飛びしたように眩んでいた目が、平常に戻っていくにつれて周囲の様子がようやく見て取れるようになっていきます。そこはもう、広い空間ではなく私達が最初に入ってきたときと同様の、こじんまりとした汚い座敷でした。Tさんが呼んだあの謎の実体や電車も、一時の悪夢であったかのように消え去っていました。

「お、終わったのか?」

Aさんが恐る恐るそばに立っているTさんに声をかけました。

「ああ、終わったよ。これじゃあオブジェクトの再調査はもう、必要なさそうだな」

「き、肝が冷えた……一体何だったんだあれは!?」

「さあ、ただ分かるのは……あの女の子はこの世にはもういないってことだ」

Tさんは私達に寂しげな笑みを向けると、セブンスターのパックをまた胸ポケットから取り出そうとします。

「おっと……さっき切らしちまったか」

照れくさそうに頭を掻くTさんに、やや頬を赤らめたBがタバコのパックを一つ差し出しました。

「これ、よかったら……ピアニシモでもよければ」

「おお、悪いねえ。ピアニシモもタバコはタバコだよ。じゃあ……」

Bに向かって手を伸ばしたTさん、でも、その手はBに届きませんでした。

「!?」

「いやっ……!」

Tさんの手に、赤茶けた綱のようなものが巻き付いていました。それは、あの鳥居に巻き付いていたというあの髪の毛であり、先ほどまであの巨大実体につながっていたものでした。その髪の毛に引かれてTさんの体が宙を浮いたかと思えば、壁に、床に、叩きつけられはじめました。私達はとっさに武器を握り直すと、Aさんがナイフを抜いて激しく蠢く髪の毛に向かって一閃します。どたりとTさんが床に落ち、ごぼりと湿っぽい咳をしながら立ち上がりました。そんななかBが対霊攻撃を放つために装備をひっくり返しはじめました。ですが、事前に準備してきた清めの道具一式、その全てがグズグズに黒く腐敗したように崩れ去っていました。

「……アバラをやられた、みたいだね。こいつはひどい」

「Tさん!肩を貸します、急いで脱出……」

私が駆け寄ろうとすると、今度は四方八方から髪の毛が飛び出しそれを阻みます。そうしているうちにTさんはくぐもった呻きをこぼしながら、その場に座り込んでしまっていました。しかし、その状態であってもTさんが結んだ刀印を縦横に振るうと不可視の刃が汚れた髪の毛を千々に切り裂いていきます。そのままTさんを抱えあげようと私が近寄ろうとした時、Tさんは血を吐くようにして私に叫びました。

「くるな」

「しかし、Tさん!これは一体!?」

「俺としたことが見誤った……あれは、本体じゃない……山の胎に凝った呪詛、そのもんが意思を――」

そこまで言いかけたTさんの肩口に、ずぶりと太い髪の毛の綱が突き刺さり、Tさんが無言のまま瞠目しました。

「これは、まるで、かん、ひ――」

「ちぃっ!」

Aさんが拳銃を抜き、放たれた数発の弾丸が、床から伸びTさんに突き立った髪の毛を吹き飛ばします。ですが、Tさんはもう動くことが出来ないようでした。Tさんは肩口に残った髪に手をかざし、それは火がついたように煙を上げ崩れていきましたが、周囲は鎌首をもたげる蛇のように蠢く髪の毛がにじりより、先ほどよりその密度を増してきているのが私にも分かりました。

「逃げろ……あとは、おれがひきうける」

「マジ、かよ……クソ、クソっ!」

「T、さん?」

「行くぞ!もう時間がない!」

Aさんが固まっているBと私の肩を掴むと、入ってきた方向へ引きずっていきます。いえ、引きずっていってくれたのです。あるいは、あのまま巻き込まれていたかもしれなかったのですから。

それから、馬鹿になりかけている足をなんとか動かしてもと来た道を戻りました。山道のような茫洋とした印象を与えるあの空間の内部に漂っていた白い霧は消え失せており、代わりに真っ暗な闇が周囲に満ちていました。そんな中遠くに丸く、夕刻の薄暗がりがぽっかりと穴が空いたように見えているのが、入ってきたこの領域への門に違いありませんでした。

あの空間から出た瞬間、Tさんのあの青白い霊光が背後に見えた気がしましたが、振り返るとそこにはすでに何事もなかったかのような普通の山道があるばかりでした。あの門は、もうどこにも見当たりません。

ようやっと荒く息をつく私達でしたが、しばらく門があった方に呆然と目を向けていました。さっきまでのあの奇妙な出来事が、本当にあったことであったのか、さしもの私達でも信じられない心境でした。

「一体、なんだったんでしょう。あの、腐ったような穢れは……もう感じられませんが……」

Bが誰ともなしにそう言いましたが、私もAさんも返す言葉がありませんでした。誰ともなしに、私達はベースキャンプにするつもりだった廃屋に足を向けました。機材はあそこに置きっぱなしです。通信も、あそこで……本部に事の経緯を報告しなければなりませんでした。ですが、廃屋の方を見た私達はそこに止まった一台の軽トラックに目をとめました。

「おい」

「ええ、誰でしょう」

私はホルスターの留め具を外してから、廃屋の方に静かに歩みを進めました。Bがバックアップにつき、Aさんは少し離れた位置で身を潜めます。そうして戸口のそばに立った時、だあんという爆音が耳をつんざきました。今度はなにかおかしな現象などではなさそうでした。私の隣の壁面が、散弾のようなものでえぐられているのが一目で分かったからです。

「おい!お前さんらそこで何をしている!!」

「まさか……そこに入ったんか!!なんということを!!」

そこには、老人が散弾銃を持ったもうひとりの初老の男性を伴って立っていました。私はその二人の顔を知っていました。財団の研究者がここに来る際、案内役となった男達でした。

「あんたらこそなんてことをすんだ!暴行容疑で現行犯逮捕だよ」

「……韜晦ももうよいかね。ふふふ……お前さんら、えらいことをしてしもうたねえ」

老人が、びっくりしたような先ほどまでの表情をすっと消し、厭らしいニヤニヤとした表情を顔いっぱいに広げました。初老の銃持ちの方は、無表情にスッと銃口を私達に向けてきます。

「えらいことってなんでしょうか?まだ、大したことはしてないと思うんですがね」

「ええ私達、荷物をここに置いて山の中で行方不明者の捜査をしてたんですが」

「もう、とぼけなくていい。お前さんら、神さんのことを調べ回ってた連中の仲間だろう?」

「へえ」

私は彼らの挙動に注意を配りながら、じりと後ろに一歩引きました。

「神さんはなあ、おとなしいくしておいてもらわねばならん。山崩れに水涸れも、病気が流行っても困る」

「もう終わったことに首を突っ込まれちゃあ、困るんだよ。20年ちょっとおとなしくしてくれてるんだ。もういいじゃないか、ええ?」

「ああ、なんとなく分かってきたよ。あのクソみたいな儀式。あんたらの村が……」

「そうかもねえ、だけどまあ、あんたらは知らなくていい……きちんとしたお供えじゃあないが」

老人が翁面のような朗らかな笑みを、おもいきり歪ませたように相好を崩してみせます。

「あんたらを神さんのもとに送れば、もう少しおとなしくしてくれるかもしれんねえ」

かちり、と散弾銃の撃鉄が上がる音がしました。その様子が、スローモーションのようにゆっくりと目の前で展開していきます。私がさっとリボルバーを抜き撃つと、がきん、という音とともに銃を持った男が怯んだように散弾銃を取り落します。私は銃口を狙いました。水平二連式の古い銃でした。私が撃ち込んだ銃弾は、銃口から入ってシェルを貫き的確にハンマーを砕きました。散弾銃はもうご臨終です。

「え?」

初老の銃持ち、おそらく猟友会崩れだったのでしょう。彼は鳩が豆鉄砲を食らったように固まっていました。ええ、私はこの秘儀部隊に配属される前は銃器で化け物を撃つのを主な仕事にする部隊にいました。幽霊や呪いに関しては、そんなに詳しくもありませんが、生きている人間相手であれば特段なにということもありません。

「動くな」

背後から忍び寄っていたAさんが、男たちに銃を突きつけました。

「な、あんたら……あんたら一体何なんだ!?」

「お前たちが知る必要はない」

Aさんが二人の膝裏に順にケリを入れて跪かせると、数台の車のやってくる音が聞こえてきました。慌ててそちらを振り向くと、しかし私はほっと息をつきました。見慣れた真っ黒なバンが3台。ウチの車でした。私達が定時連絡を行わなかったため、やってきたバックアップ人員たちです。ああ情けないことですが、荷物が2つある状況でしたので、心底助かりました。

老人たちをさっくりと拘束すると、我々がいなければつんぼがみがやってくるぞとかなんとかと喚いていましたが、私達は心底疲れていたので無視しました。これでご報告は以上となりますが、最後に。

寺に生まれるというのは、ああもすごいものなのでしょうか?
 
 


 
 
俺は、目の前を照らすギラギラとした光で目を覚ました。ああこれが極楽の光なのかねと薄っすらと目を開けると、そこは山の上のようだった。そしてところどころ激痛が走る体を起こすと、目の前には異様なシルエットがこちらに背を向けて立っていた。

「お目覚めですか、エージェントT」

その人物は、俺に向かってそう言うとこちらに振り返った。おおむね二頭身から三頭身。プラシ天みたいなキグルミだ。背中には、尋常ならざる神気を放つ刀を背負い、そして白衣を纏っている。冗談みたいなナリじゃあないか。

「ああ、ああ……俺はどうも死んじまったらしい。おかしなもんが見える……」

「私は現実です。エージェントT。あのアノマリーからなんとか救い出せてよかった。怪我も……まあ重傷ですが死ぬほどじゃない」

「あ、あんたが?……それは!あんた危ない……」

「おっと」

背中に背負った刀の鍔にあの髪の毛が絡みついている!と、キグルミに声をかけたのだが、キグルミは少しばかり刀を抜くとそこから清冽な気を迸らせ、からみついている邪気を祓った。そんな事ができるやつは業界でもそういない。俺は思わず目を見張った。だが、この姿を見て思い出したことがある。ある財団サイトに、着ぐるみを着込んだ奇妙な研究者が在籍しているという、とんでもないヨタ話。

「すごい勢いであの髪の毛と言うかロープというかが飛んできてて、これを振り回したんですが、くっついていたようです」

「あんたが助けてくれたのか?一体どうやって」

「正直、迷惑してるんですが。サイトで報告書をまとめていたら人形型のアノマリーがやってきて、エージェントTを助けてと言われたかと思えば突然転移させられたのですから。またかと思いましたよ」

本当に迷惑そうに、目の前のキグルミは舌打ちする。しかし、次の瞬間にはふんと自嘲的な笑いを被り物の下でこぼした。

「でもこれの免許をとっておいて本当に良かったですよ。これがなきゃ、あなたも私もお陀仏です」

チャキ、とまた鯉口を切ったキグルミは、はあとため息をついてその場に座り込んだ。

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもありません。ここはどこで、どうやって帰ればいいのやら」

「あー」

俺は、専用端末を取り出して出発したサイトに連絡を取ろうとする。だが、ポケットに入れていたために端末は粉々に近い状態だった。

「とにかくここは九州です」

「なんで九州なんです?」

「俺に怒られても困りますよ、その……ああいや」

名前を尋ねようとしてやめる。この仕事は、そういうことをしちゃいけないんだった。ああ、十年ほど前にこの組織に拾われてからというもの、損なことばかりだ。

「はあ」

俺はもうロートルもいいところだ。ヒーローの真似事もそろそろきつくなってきた。化け物も亡霊もなんでも相手取ってきたが、SCPだかなんだかといろいろ出てきて流石になんともしがたいことも多くなってきていた。気合を込めて祓おうとしたら、タイプグリーン?だかなんだかという超能力者だったときは本当に死ぬか思った。

「遭難したときは、まずその場に留まっておくのが鉄則です。まあ、あなたの体力が戻るまで朝日でも眺めていましょう」

「ああ、そうですねえ……」

そう言われて目を閉じ、瞼の裏から陽光を感じているとだんだんと元気が出てくるような気がしてくる。しばらくそうしていたが、俺は沈黙に気詰まりして、なんとなしにキグルミに聞いてみた。

「なあ、あんたはケガレ観ってどう思う?」

「……藪から棒ですね。旧弊な価値観ですよ。毎日陰部に触り排泄をしている我々の手など、汚くてしょうがないということになる」

「ですよねえ。それで被差別部落ってのがあったでしょう?明治の四民平等で、何百年も差別されてきた彼らも平民ということになった。でもケガレは残るもんだと思われてた」

「ふうん」

「でもねえ、ある村じゃあ川に飛び込んで禊をして念仏すれば、みんなと同じ。ハイおしまいとやった。その程度のもんなんですよね結局」

「つまり?」

「汚いと思えば汚い。そして思い込めば、汚いは綺麗、綺麗は汚い。色即是空、空即是色とね」

「それがこの状況となんの関係が……?」

「まあそうですねえ、さっきのバケモンは、そうしたとこから生まれてきたんですよ。多分ね」

「はあ、迷惑な話ですね」

「ホントですよ……ああいてえ」

俺は、さきほどほんの少しの間思い浮かべていた親子の顔を頭の中からしばし追いやると、温かい陽の光に身を委ねた。世の中、忘れられたほうがいいこともある。かつて人が抱いた暗い情念も、生み出してしまった醜い過去も。俺は、しかし、彼女たちが今はここではないどこか、よりよい場所にいること。そればかりを願うしかなかった。
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
もうマジで死ね

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