雨の日の彼ら
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 雨が降っている。空は一様に灰色に染まり、世界の色彩は平時より遥かにくすむ。人工的な光に照らされても、そもそもが暗ければ目に映る景色は澱むものだ。

「……」

 窓の外を眺める横顔は、いつもより重い。
 餅月は、私室の窓から外を眺める。鉄網の入ったガラスに流れる雫に、どうにも自分が閉じ込められているような気がして陰鬱だった。
 今日はすることもない。任務もない。珍しく、オフだ。そんな日に限ってこれだ。いつからか変化のない「これ」は、きっと晴れの日よりは沈んで見えるだろう。ため息をついて、曇ったガラスを手で拭う。拭ってから、少しだけ餅月は目を見開く。――そうだ。
 もう一度、ガラスに息を吹きかける。ゆっくりと、呼気を窓全体に染み渡らせるように。目を細めて、口をすぼめて、肺から空気を絞りだすように。
 何度も何度も繰り返して、外の景色が隠れるくらい、曇った白はたくさん広がった。

「っ、ふ」

 吐き切った息を満足気に整えて、のんびり過ぎていく晴天の雲のような白い綿曇りの数々を眺める。上々。そのキャンパスが消えてしまう前に、おもむろに細い指を伸ばす。曇天の空を吹き散らさんとでもしているかのように。

「……」

 きゅ、きゅ、きゅっ。外気との温度差で、窓に触れた指は冷たい。湿っていく人差し指に反して、ほんの少しだけ心が良い方へ傾いていくのを感じながら、くるり、するりと指を踊らせる。児戯のように。戯れるように。

「……うん」

 そこに輝く、棘々としたフォルム、太陽のような形、満開の花とさえ形容できてしまえそうな、そんなもの。

「ん」

 悪くない一日になりそうだ。

空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白

 雨が降っている。普段から日の下を歩くことは少ない。だからこそ、彼はこんな日が好きだった。ほとんどの人間が一様に好む、あの太陽が隠れた、そんな日が。

 リラクゼーションルームには彼、大和しか居ない。

 皆、自室に居るか、業務があるか、外に出ているか。まあ、外に出ているものは少ないだろう。こんな雨の日は、引きこもって、ミルクがたっぷり入ったバンホーテンのココアでも傾けるのが一番なのだ。それは多分、この大和以外でもそうだという者は多かろう。芯まで冷えきりそうな曇天に、気分まで害されてはたまらないのだから。
 傲岸に、不遜に。雨粒の滴る開放的な天窓を眺めながら、大和は鼻を鳴らす。貴様などにはへりくだらぬぞ、とばかりに雨雲を見上げて、もう一度ココアを嚥下した。甘い、甘い味。そんな過ごし方。悪くない時間だった。

 ふと、中庭を望む窓に人影があった気がして、大和はそちらへ視線をやった。

 あの、濡鼠のような者はなんだったか。傘も差さず白衣をびしょびしょに濡らしたまま、髪の長い誰かは、雨で濡れた毛長の犬めいた有り様なのに、陰鬱さを感じさせぬ足取りで歩を進めている。

「……水野、だったか」

 水野研究員。雨女。ミズ・ぐしょぬれ。そのような語句が大和の思考に過る。本当に、雨の日に出歩くのだな。窓辺に近付き、手を付いて彼女の様子を眺めた。

 何をしているのかまでは窺い知れない。だが、時折微笑を浮かべて、実に楽しそうに見える。どうにも妙な感じだ、そう大和が思った辺りで、水野が顔を上げて大和の方を見た。

 銃口でも向けられるか、と思えば、楽しそうに手を振っている。しばらく呆気にとられていたが、なんとなく、振り返してやらぬのも忍びないように思い、少しばかり振り返す。
 彼女はそれに応えるように控えめに飛び跳ね、たかと思えば足でも滑らせたか、盛大に転んだ。うわ、と思わず大和の口から声が漏れる。濡れるのはある程度構わないだろうが、流石に汚れてしまっては部屋に戻るのも大変だろう。

「……振り返さん方が良かったかな」

 とりあえず、タオルの一枚でも用意してやるか。ぼやきながら、大和はココアを飲み干してリラクゼーションルームを出て行く。

 たまの休日だ、誰かと話すのも悪くないさ。その結果、撃たれるとしても、だ。

空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白

 雨だ。淡々と降り続いている。今日の明け方から降り始めて、それからずっと。

 義肢が軋む。真鍮製のそれは、「そうならないように」作っているはずなのに、痛むことがある。もうありはしない生身のそれを惜しむことなどないし、治そうと思えば治せなくもないのに。疎ましさに眉根を潜め、しかし、その痛みに少しだけ、奇妙な快さを覚えたような気もした。

 三島の淹れてくれたコーヒーが室内にのんびりと湯気を立ち上らせている。それを眺めて、少しだけほっとする。不思議と、飲む気にはなれなかった。

 霧散していく蒸気は、夢追い縋るように遮二無二掴もうとした何かのよう。
 何度かその湯気に生身の方の指をくぐらせて、自嘲するように結城は笑みを浮かべた。

 雨は降り続く。その雲が流れて飛ばされ掻き消えても。雨は、降り続く。

空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白
空白

「……いたい」

 雨の中、愛車と共に飛び出したエージェント・速水は、スピードになる前に滑って転んで怪我をした。

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