鬼穴の奥より来たるもの
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 ――非常時を告げるサイレンの鳴り響くサイト内に、銃声が鳴り響いた。遅れて、くぐもった声が続く。

「――っ痛、っぐ……」

 ぱたぱたと赤い点がリノリウムの床に散り、硝煙の香りがつんと鼻を突く。エージェント・猫宮――幸子は、右腕に穿たれた銃創から溢れる血を左手で押さえながら、足元に散った自身の体液を睨む。こんなの、映画の中でしか見た事無かったな。下らない思いを脳裏に過らせながら、幸子はその男と対峙していた。

「……さし、まえさん。どうして、こんな」
「何でってそりゃ……お前に説明が要るのか?」

 へらへらと笑う差前に、幸子は唇を噛みながら訴える。

「わっ、私、私悪いことなんて何もしてないです! なのに、どうしてこんな、急に――」
「悪いこと? お前マジで言ってんの?」

 目を真ん丸に丸くして、それから彼は大笑いした。幸子はますます顔をしかめる。それは痛みからか、困惑からか。それとも。どうして、どうして彼は。

「少なくとも、何度死んでも黄泉帰るような奴が、全うな人間とは思えんな。はは」
「でもわだッ」

 言葉を遮って、断続的に射撃音が続いた。一発、二発。衝撃に揺らいだ幸子に、駄目押しの三発目。衝撃に負け、びしゃり、と重たい音を立てて幸子は転倒する。床へと強かに打ち付けられた頭部からは、血の花が咲いていた。

 転倒した幸子を差前は黙って眺めていたが、胸ポケットから取り出した煙草に火を点け、思い切り吸い込んで天を仰ぐ。

「面倒な仕事だよねえ、全く。お前もそう思わん?」

「……げ、ごぼっ、げぇ」

 大量の血を口から吐きながら、みっともなく手足をばたつかせながら、幸子は黄泉帰る。その体を再生させながら、銃創からは銃弾を吐き出しながら。
 そして、ゆっくりと立ち上がるなり――再度、差前の放った弾丸が幸子の眼窩を貫いた。

「がっ」

 幸子は短く嗚咽のような声を上げながら、壁へと追突して血の痕を残す。そして、再び動かなくなる。

「煙草くらいゆっくり吸わせて――」

「――――幸子おおぉぉぉおおぉぉおぉぉぉぉぉッ!!」

 痛烈な叫び。差前は背後から迫るその気配に煙混じりのため息を吐きながら、振り向きもせずにその襲撃者の突き出してきた拳を取り、だらしなく伸びたその袖を取って床へと強かに叩き付けた。

「ぎッ……!?」

「兄妹揃ってこれだもんなあ。俺やんなっちゃうよ。煙草吸わしてくんない?」

「ゆ……幸子を……よくも……」

「暴れんな! 通達聴いてねえのかテメェは。今もガンガン鳴ってんだろが」

 ばちん、と無機質に殴られ、うつ伏せに押し倒された猫宮研究員――寓司は伸び放題の髪を差前に掴まれ、ぐいとその顔を妹の死体――息を吹き返しつつある"それ"に向けさせられる。

「俺はコイツを何度殺したと思う」

「なっ、何を」

「11回だ。逃げられる前から数えて、11回。わかるか」

 話している最中にも、幸子は弱々しく起き上がり、寓司へとその手を伸ばしているように見え――

「これで12回」

 更に撃ち込まれた弾丸で、持ち上がっていた幸子の小さな手ごとその顔面は醜く抉られ、寓司の頬に飛沫が舞った。

「ゆぎ……ッ!!」

「聞けっつってんだろ。お前の妹がどういうもんだったかを俺は知ってる。"これ"に制限があることもだ」

「……っ、!」

「聴いてないのか、今何が起きてるかを」

「……ッ、ぎ……知って……ます……」

「じゃあわかるだろ。こいつは――俺達とは別の、"俺達"だ」

「っ、ぐ……」

 差前に引き起こされ、寓司は乱暴に立たされた。妹の前に、"妹の姿をした怪物"の前に。

「サイト内でこんなもんの使用許可が出るくらいには上も慌ててらっしゃるのだろうよ。そしてそういう時は、戦闘員、非戦闘員問わず、立ち塞がる問題に相対しなけりゃなんないわけだ」

 拳銃をくるくると弄びながら、差前は寓司の前で芝居めいて右へ左へ勿体ぶって歩いて見せる。視界には"妹"が入るように。

「わかるな?」
「……わかって、います」
「なら、これからお前がどうすべきかもよーく分かってんだろ。違うか?」
「………………はい」

 突き出されたそのグリップをどうすべきか。その答えを、彼は、寓司は――理解していなければいけない。

「子供じゃねぇとこ見せてくれよ。"ソレ"が動かんようになるまで」
「…………」

 差前は、半ば押し付けるようにそれを寓司に渡した。

 そのやり取りの間にも、幸子は起き上がろうと、まだ生きていたいと、懸命にもがいている。その手は空しか掴まず、苦しみの中に齎されるものが救いや温もりではなく、冷え切った弾丸だけだとしても。

 そして――最期の時に兄として渡せるものが、これしかなかったとしても。彼女は。

「赦して、くれ」

 "妹の形をした怪物"に、寓司はその銃口を向けた。


――SCP-001-JP-Aは人間に酷似した人型実体です。人語を解し、知性があることが確認されています。代謝は停止しており(中略)また神経系も活動を停止しており、SCP-001-JP-Aがどのようなメカニズムで思考し、活動しているのかも不明です。実験においては、腕の神経を物理的に切断しても指を動かすことは可能でありながら、腕の神経を切断したことを告知した時点で指が動かなくなりました。このことから、対象の自身に対する認識が、肉体を維持しているものと考えられています。――

SCP-001-JP Torayaの提言より。


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大好きだよ、お兄ちゃん。さようなら。
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「――すごいすごい! 本っ当に"映画"みたいでしたよ! もう……こう、ダーンって、バーンって!」

「あーはいはい。まだコトは済んでねぇんだから、慎重にな。アレみたいに上手く行く相手は少ねぇぞ」

「わかってますってばー!」

 快活に笑いながら、幸子は差前に応える。

「んでも差前さんったら遠慮しないんだから―。死ななくたって痛いんですよ。汚れるし。後半撃たれすぎて訳わかんなかったけど」

「悪い悪い。けどな、演出ってのは劇的じゃないと、騙される側も騙されんのだよ。わかるだろ?」

「なるほどー。でも……」

 背後に転がる"それ"をちらと覗き見ながら、幸子は、どうしてか恥ずかしがるように、小さく微笑んだ。

「ここまでしなくてもあの人は騙せたと思いますけどね」

「そうかもしれんけどな。ま、今更どうでもいいだろ。いいから行くぞ。まだ騙せる相手くらい残ってるかもしれんし」

「はーい」

 通路を照らし出す回転灯の赤い光に紛れるように、二つの影は闇へと溶け込んでいった。

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