勿死於影─走影之章─


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 橫濱、山手、中華街。開国の折から外国人を押し込めていたその場所は、いまやすべてを呑み込む龍のごとく膨れ上がっていた。無理な増改築が繰り返され、中華街の天辺は橫濱貫天閣ランドマークタワーを超えてしまった。
 単一の建物というわけではない。複数の鉄筋コンクリートの小部屋が、アモルファスめいたケオスの構造を作っているのだ。無垢なる魂が一度ここに迷い込んでしまえば最後、中華街はその魂を捉えて離さない。
 大通りこそは観光客と、観光客向けの飲食店で賑わっている。しかし、ひとたび小道に入ってしまえば大帝都の光も届かない。薄ら寒い路地をぽつぽつと提灯が照らしているだけだ。中華街の中から空は見えない。見上げれば、そこにはただ混凝土の天井があるだけだ。
 大通りに面したファン一七三地区。四川料理の有名店、迅華樓ジンカロウの三階から、一人の少女が大通りを見下ろしていた。

 今日も見えない空。上を見ればなぜか立ち込める雲。それが何でできているかを考えないように、瀬戸セト凪沙ナギサはため息をついた。あまりに蒸し暑い夜だ。彼女は開け放たれた窓に寄りかかって、自分の部屋をぼんやりと眺めた。代わり映えのしない混凝土と瓦斯燈よりも、自室の家具をどうするかと考えたほうが面白いからだ。壁掛けの時計が午前一時の鐘を鳴らす。その音色に、凪沙はどうしようもないずれを感じる。音が狂っているわけではないけれど、自分はここにいるべきでないかのような、ずれ。
 あまりにも蒸し暑いものだから、凪沙は膝丈袴の帯をほどいた。うら若き乙女の脚を守るには心もとない布切れが、重力に従ってしゅるりと床に落ちる。ボウタイを解いて、狙いをつけて投げれば、壁に備え付けた鈎にジャスト・ミート。シャツのボタンを上から三つまで開けて、裾を掴んで脱ぎ去る。
 凪沙の脚にある継ぎ目は、下肢の筋肉を人工のそれに付け替えた証だ。なめらかな腹、しなやかな背中、そして小ぶりの胸、凛とした表情の顔。身の丈は五尺二寸158cm。彼女の瞳は夜空に金色の星を散らしたような、独特の色であった。
 陶器人形にも勝るとも劣らぬ彼女の肢体の中で、異彩を放つのが左腕である。漆黒の擬骨に、前世代の導線駆動式の義手だ。尺骨があるべき場所には、鉤縄が巻かれている。元々は身の丈に合わぬ大きさであったが、相棒にちょうどよい程度まで調整してもらった。彼女の左腕は、生まれたときより欠けていた。何者かが彼女を、この義手とともに孤児院に置いていったらしい。
 脱いだシャツを洗濯籠に投げ入れようと左腕を駆動させようとするが、ふと思いとどまる。シャツの内ポケットをまさぐり、小さなブリキ缶を取り出す。表面には富士山の墨絵と、「曙の雪あかり」の文字。両切りの紙巻き煙草であった。凪沙は一本取り出し、左手にとんとんとタバコの端を軽く叩きつけて葉をまとめてから、端を噛み潰して口に咥える。薄紅色の唇が、歪む。
 左義手の人差し指第一関節を逆に開くと、小さな火が灯る。煙草に火をつけて、息を深く吸い込む。甘くて苦い煙が肺を満たす。煙草の香りは好きだ。でも、喉の奥が腫れて、まずい唾液を飲み込まなくちゃいけないのは嫌い。凪沙は薄暗い部屋をもう一度眺める。
 合成樹脂の冷たい床には収納から溢れた鞄や部屋着が散らかっている。定期的に自動人形が掃除してくれるおかげで、埃は舞っていない。洋箪笥の中身もそれなりに整理されているようだが、あまり開けていないので、実態はよくわからない。天然木の勉強机はそれなりに整っている。瀬戸凪沙は曲がりなりにも学生で、学生の本分は勉強だからだ。机の横には銃棚がある。東弊一三五式自動小銃や、七星四五自動拳銃、艶消し黒拵えの打刀などが堅実に並べられている。彼女は独立牢人でもあった。
 白い合板の扉には、薄い桃色の板の上に「なぎさのへや」と萌葱色で書いてあるプレートがある。孤児院時代のものらしいが、凪沙はよく覚えていない。ガタン、と扉に何かがぶつかる音がした。凪沙は反射的にベッドの影に隠れる。「ゲーーーッ!!」と扉を開けて飛び込んだのは、アホウドリを模した機械人形。それはベッドの影にいる凪沙に一直線に突っ込み、煙草を奪い去る。その代わりに凪沙はアホウドリを鷲掴みにすることが出来た。ボタンを押して電源を落とす。
 凪沙の中に緊張が走る。もしや、バレてしまったのか。車椅子に乗って、「目標」が凪沙の部屋に入る。「目標」はそのまま車椅子を押して部屋を調べる。「目標」は煙草の匂いを感じ取ったのか、凪沙の名前を呼ぶ。「目標」がそっぽを向いた隙に、凪沙はベッドの上を転がって反対側まで行く。服を着ていないので、衣擦れの音もない。
 「目標」は洋箪笥を開ける。凪沙がいないことを確かめると、車椅子を動かして部屋の真ん中まで進む。先程まで凪沙が隠れていた場所が「目標」によって調べられる。布団も開けられるが、凪沙はそこにはいない。「目標」が後ろを向いた瞬間、凪沙はその背中に飛びかかる  

 「目標」  儚い少女の体を傷つけないように、自分が下になって地面にもつれ込む。「やられたー」「これで私の勝ち越し」凪沙が言った。
 佐酉タエ。迅華樓の店主にして、腕の立つ操機術師ドローン・リガー。瀬戸凪沙の相棒だ。無造作に腰まで伸ばした髪、瓶底眼鏡、不如帰と書道された、明らかに大きい半袖シャツ。彼女が身にまとっている布は、それだけのように見えた。
 佐酉が凪沙に跨るような形で、二人は視線を交差させる。凪沙は体を起こして、佐酉と額を合わせた。冷たい。その辺に置かれているシャツのポケットから強壮剤の注射器を取り出して、凪沙はそれを佐酉の首筋に刺した。少し暖かくなる。凪沙は佐酉のことを抱きしめた。

「……出しなさい」
「……何を?」
「煙草」

 有無を言わさず、佐酉が凪沙に告げる。凪沙は渋々アホウドリと煙草の缶を彼女に渡した。

「いいじゃない。独立牢人って自由だし」
「そんなんだからいつまでも番付の外にいるんだよ。それに、血に悪いよ。ただでさえ凪沙はよく走るんだから」
「私の血はもう全部人工よ。仕事に役立つからって、そう勧めたのは貴女じゃない」

 独立牢人とは、自由な者たちの名だ。何者にもとらわれず、誰からの依頼も受ける。そうやって彼らは銭を稼ぐ。二人組の独立牢人も、珍しくない。
 口をとがらせて、凪沙机の引き出しから人工血液包を取り出す。佐酉は頬を膨らませている。左腕を取り外して、人工血液回収容器に青く変色してしまった血を流しつつ、鮮紅の新鮮な血を体にめぐらせる。血と、下肢と左腕以外は生身のままだ。人間から離れすぎると、なんとなく良くない気がする。

「……一応、大通りに面してるってことは言っとく。誰が見てるかもわからないよ」
「良いよ別に。減るもんじゃあるまいし」

 佐酉は「私が気にするの」と言って手を少し振る。窓と培養竹の障子が閉まる。白い蛍光灯が点いて、冷房が鳴動する。あっという間に少し肌寒くなってしまうが、新鮮な血液が供給されたおかげで、凪沙の体は少し赤らんでいた。

「服を着なさいよ。服を」
「はいはい」

 バレヱダンサーめいた防刃防弾レオタードとタイツの上に、立て襟の半袖シャツと裁付袴を着て、裾に脚絆を巻く。凪沙はよく走るので、足の保護は必須なのだ。打刀  銘を風切丸という  を左腰に差し、一三五式自動小銃を脇差しめいてその横に、右の太ももに拳銃を装備する。瀬戸凪沙は女学生から、独立牢人となった。いつの間に佐酉が座り込んでいた車椅子を押して、凪沙は部屋の外に出た。

 エレベーターで二階まで降りると、そこには大量の鳥型機械が充電されていた。もはやどこの線がどこに繋がっているのかもわからないような個人用電脳の脇には、透明な寒天めいた物質で満たされている風呂桶があった。その中には複数の電信線。部屋の奥には「タエの部屋。進入禁止」と看板がぶら下がっている扉があった。

「確かあの看板、去年くらいからついたけど、何? 如何わしいものでも隠してんの?」
「んふふ、私の夢よ。あの中にあるのは」

 あはは、と凪沙は作り笑いを浮かべた。佐酉も年頃だ。見られたくないものもあるだろう。凪沙は佐酉を姫抱きにして、凪沙は彼女を風呂桶の中に寝かせた。唯一着ていた半袖を脱がせると、骨と皮ばかりの体があらわになる。まいどのことではあるが、少し心配になってしまう。

「やっぱりさ、もっと食べたほうが良いんじゃない? 足りてるの? 内臓とかちゃんと揃ってる?」
「……凪沙は私よりちっちゃいくせに」

 それは紛うことなき事実であった。佐酉タエは五尺五寸165cm。瀬戸凪沙よりも三寸ばかり背が高い。事実であったが、認め難いものでもある。凪沙はいつもより少し乱暴に、タエのうなじに端子を突っ込んだ。彼女の体はすぐさま弛緩する。凪沙は鼻と口を覆う酸素供給装置を佐酉につけて、彼女の体を寒天の中に沈めた。余人に相棒の素肌を見られぬように、凪沙は帳をかけた。
 ホー、と佐酉の車椅子に止まっていた梟の機械人形が鳴く。それはばさりと羽を広げて、目を何回か光らせた。機械だというが、それが嘘かのように生き物の動きをしていた。「基幹系統メインシステム、走査状態起動」の機械音声がする。

「もう、がっつくとモテないわよ」

 。梟から佐酉の声がする。同時に電脳が起動する。操機術師ドローン・リガーの真骨頂とは、機械に意識を投影することだ。佐酉は齢一七にして、その奥義に達している。四川料理店・迅華樓それ自体が佐酉タエであると言っても過言ではない。

「別にモテなくてもいいもん。私かわいいし」
「はいはい。拗ねないの。凪沙、依頼よ」

 ガコン、とエレベーターが駆動する。大量の四川料理が出てくる。牛骨麺、白身魚の花山椒煮、鶏肉の辛味唐揚げ、極めつけの麻婆豆腐刀削麺。佐酉が設計した料理用自動人形によって作られた、珠玉のフルコースだ。

「出前の依頼ね。依頼主は……」

 牛骨麺をすする。地獄めいた辛さの中に、骨髄の溶け出した牛骨だしの旨味を感じる。麺は少し太めのもちもちで、よく噛めば甘い。他の料理が冷めない内に食べなければならない。人工筋肉は大食らいなのだ。辛味は体温を上げてくれるから、栄養をよく体に巡らせてくれる。佐酉=梟は少し目を細める。

「相変わらずのいい食いっぷりね。依頼主は『渾老花ホンロウファ』……またヤクザ案件じゃないの」
「仕方ないでしょ。私らが育った孤児院も、この中華街も渾老花のモンなんだから。で、何の出前? 料理? それとも『金物』?」

 次の皿に手をつける。白身魚を気も狂わんばかりの花山椒で煮込んだその一皿。箸を真珠の如きその身に潜らせれば、抵抗もなくスッと切れる。花山椒ごと口に放り込めば、爆発的な痺れとともに、魚の得も言われぬ旨味が舌の上で暴れる。冷たい水でそれらを流し込む。春風のようなマー味が喉を通り抜ける。

「どっちかって言うと、金物ね。ちょっとした甘味を持って行ってもいいかも」
「ふうん。借金の取り立てかなんか?」

 鶏肉の辛味唐揚げは、一口大より少し小さめに切った鶏肉に衣をつけて、唐辛子や玉ねぎなどの香味野菜の旨味をたっぷり吸った油で揚げた料理である。しかし、瀬戸凪沙は赤子の拳ほどある大きさの唐揚げを頬張るのが何よりも好きだった。低温の油でじっくり揚げた巨大なからあげには、芯まで香ばしい。そして辛い。全身から汗が吹き出る。服を脱ぎたい衝動に駆られるが、再び着るのが面倒になるので、我慢。

「そう。場所は中華街外縁。山下公園のほうね。コウという男が渾老花から金を借りてから、音沙汰がなくなったらしいわ」
「ゲエッ、緩衝地帯じゃないの。めんどくさい」

 麻婆豆腐刀削麺は、迅華樓の名物である。辛くて、痺れて、うまい。唐辛子と花山椒の猛威の奥に、豆腐の優しい甘味が確かに存在している。基本の出汁に椎茸と昆布  もちろん、天然の  を使っていて、辛さの割には優しい印象がある。刀削麺と麻婆豆腐がよく調和している。

「めんどくさくても、仕事は仕事なの。あと、代紋を付けて行けって司令がある。あと聞いて驚いてほしいんだけど、半額前払いよ」
「うわ~」

 うめき声をあげながらも、凪沙は皿を手早く重ねて、エレベーターに戻す。ごちそうさま、と手を合わせて、梟の自動人形を左腕に乗せる。右腕に代紋を巻き付けるのも忘れない。二階からリフトに乗って、六階まで上がる。吹きさらしの殺風景な部屋からは、大通りが一望できた。
 蒸し暑い夏の夜。辛味が臓腑から全身をじんわりと温める。凪沙の体からは湯気が立っている。見上げれば、雲。下を見れば、人。瓦斯灯とネオンライトが照らす中華街には、確かな秩序があった。
 梟の頭を軽く撫でて、首元に顔を埋める。確かに機械の人形であろうが、それは少し暖かくて、羽もふわふわだ。焼き立ての月餅のような香りすらしてくる。

「くすぐったいよ、凪沙」
「だって、いい香りがするんだもの」
「んふふ、ホンモノの香りを調べて、昨日追加したんだ」

 凪沙は建物のエッヂに立つ。一歩踏み出せばそこは虚空。梟=佐酉の顎を少し掻いて、凪沙は梟を半ば投げるようにして空に放つ。その背中が闇に溶けるその瞬間、凪沙は身を投げる。「……重力め」凪沙はひとりごちた。地面に激突する前に、凪沙は鉤縄を向かいの建物にひっかけた。
 相棒と違って、凪沙は空を飛べない。しかし、跳んで追いかけることはできる。彼女の背中にあったはずの翼は、未だ開かない。


 中華街外縁、海を望むアパルトメント。懸垂下降で目標の部屋の窓まで降りる。海を見ると、高級客船が停泊している。誰も凪沙のことを気に留めない。凪沙はこの孤独感が好きだった。風が凪沙を海に導く。中華街の蒸し暑さが嘘のように、爽やかだ。

「結構いいところ住んでるじゃない。多重債務者とは思えないね」
「……ホー」

 適当な返事をする梟=佐酉に半ば呆れつつも、凪沙は窓から部屋を覗き込む。明るい外界に比べて、室内には一欠片の明りもない。顔を近づけても、中はよく見えない。佐酉に助けを求めても、彼女は梟の頭を横に半回転させるだけだ。正直、少し面白い。
 部屋の中で刀を振るうのは得策ではない。凪沙は自動拳銃を抜いて、窓枠に力を込める。軋む音を立てて、窓が開く。湿気った空気がぬるりと凪沙の頬を撫でた。部屋の中に感じる雰囲気は一つだけ。債務者のものだろうか。いや、それにしては少し小さい。

「タエ、外を警戒していて」
「わかったよ。……これから通信は封鎖ね。緊急事態になったらまた開けるわ」

 凪沙は部屋に滑り込む。拳銃に備え付けた電灯で部屋を照らす。服が散乱し、ゴミもあまり捨てられていない。居間には誰もいない。あとは寝室だ。浴室が無人であることを軽く確かめてから、寝室の扉を蹴り破る。
 暗闇を白い明かりが切り裂く。ベッドの上にはなにもない。毛布が少し丸まっているだけだ。部屋の隅を照らすと、小さな影が一つ。どうやら子どものようだ。

「お前が『巧』か」
「ちっ……違う!」

 強い光を浴びせかけてしまったので、怯えられている。その子どもの感情を汲み取った凪沙は、拳銃をホルスターにしまって、部屋の電気をつける。おかっぱ頭の子どもだ。かなり良い仕立てのシャツと短パンを着ていて、債務者にはとても見えない。
 凪沙はその子どもに歩み寄り、屈んで視線を合わせる。幼気なその顔には、安堵の表情が浮かんでいた。武器と無骨な義手を見せないようにしながら、凪沙はその子どもに微笑みかける。凪沙の知らぬ子であった。

「ええと、お名前は?」
「……フミ、と言います」

 フミは表情を曇らせた。ちり、と心の奥底が痛くなる。フミは自身の胴に腕を回して、地面にへたり込む。安心したのであろうか。フミはそのまま震えだした。額に右手を当ててみると、少し冷たい。汗も出ている。何日かの間、何も食べていないのであろうか。凪沙は武装を解除して、地面に座った。
 吸い寄せられるようにして、凪沙はフミの頭を軽く撫でる。フミは目を細めて、心地よさげに頭を凪沙の手に預けた。

「そっちの手で、同じようにしてくださらぬか」
「……痛いよ?」
「良いのです」

 躊躇いながらも、左の義手でフミの頬に触れる。柔らかい弾力が義手を押し返す。髪の毛が絡まないように、慎重に頭を触る。安心して、少しは体温も上がってきたのであろうか。フミはうつらうつらと船を漕ぎ始めた。再武装した凪沙はフミを担ぎ、玄関から外に出ようとする。その、矢先。義手が短く振動する。鐘をデタラメに打つように。

「緊急! 急速接近、数は一! 直ちに戦闘用意!」

 佐酉が言い終わるやいなや、窓ガラスを割って黒い影が部屋の中に侵入する。それは上等な背広を着ていて、腰には鞭と鞘入りの鉈を装備している。フミが目を醒まし、そして再び震え始める。裁付袴の尻のあたりに余っている布を、掴まれる感覚がする。

「その子ども、お渡し願おう」
「なにゆえ」

 男の声であった。いくら目を凝らしても、所属を示す代紋は見当たらない。その男の目もカメラめいて電子化されており、表情もよくわからない。「私を、お守りください」フミが言う。「下がっていて」凪沙が告げると、フミは浴室に逃げ込む。子どもの願いを聞けぬのであれば、独立牢人の名折れ。その身にやつした仁義が腐って落ちる。

「……大義の、為」
「そんなもの、クソ喰らえでしてよ。仁義に基づき、あの子は渡せません」

 男は腰の鉈に手をかける。凪沙は風切丸の鞘を掴んで、抜きやすい位置まで動かし、鯉口を切って鞘に右手を添える。独立牢人同士の諍いにおいては、先に刀身を見せるか、あるいは銃口を向けたほうが咎められる。相手を殺せばその限りではないが、何れにせよ鯉口を切るだけならば、問題はない。
 草木も眠る丑三つ時。豪華客船を望む十畳ばかりの小部屋で、誰にも顧みられぬ戦が始まろうとしていた。空気は張り詰めている。少しでも動いたら部屋が爆散する気さえしてくる。

「タエ、撮影はお願い。あと玄関は封鎖して」
「はいよー」

 小声で佐酉に伝えると、小型の文鳥めいた機械人形が窓の隙間から入ってくる。部屋の端に陣取ったそれは、カメラの起動音を鳴らす。それを合図に、男は鉈を抜いた。一拍遅れて、凪沙が抜刀。刀を半ば投げるように抜けば、速い。
 男は凪沙より背丈が高い。凪沙の得物は男のそれより長い。両者の狙いはともに手。指を落とせば、無益な殺生はせずに済む。刃が噛み合って、弾かれる。その勢いを使って、凪沙は上段ながらも切先を相手に向けた、霞の構えを取る。
 文鳥の機械人形が飛び去る。どちらが先に抜いたかを記録すれば、それで良いのだ。男は身じろぎをする。男には後がない。ここで凪沙を殺してフミを手に入れなければ、お咎めが待っている。

「妙な動きをすれば斬る」
「その戦い方、その義手。どこで手に入れた」
「知らないわ。生まれたときより共にあったもの」

 そう。生まれたときから。凪沙の体には、戦い方が染み付いていたのである。剣術のみならず槍術や棒術、無手の技も知っていた。義手の重みに適応する術も。気にならなかった訳ではない。しかし、そういうものだと受け入れていた。純粋な人殺しの技であるが、凪沙は努めて人を殺さないようにしていた。もっとも、一人も殺さなかった訳ではないが。
 男は左手に鞭を取った。それは赤熱し、床にある服を焦がす。ボウ、と橙の光が暗い部屋を照らす。まともに喰らえば四肢くらい、簡単に落ちるだろう。
 凪沙が先に動く。袈裟に斬りかかれば、男の鞭が凪沙に襲いかかる。姿勢を低くして回避。そのまま地を這うように男の脚に斬りかかる。男は飛び上がり、凪沙を踏みつけた。たまらず凪沙は後ろに転がる。完全に体幹を崩されてしまう。

「ぐっ……」
「若き芽は、摘み取らねば」

 二人は二畳開けてにらみ合った。男の腕が一閃。蛇めいた鞭が凪沙の首元に襲いかかる。凪沙は一呼吸する。彼女は意を決して鞭の先端を掴む。左の義手で。赤熱するものの、この義手は熱に強い。直ちに排熱される。

「捕まえた……ッ!」

 男は驚愕の表情を浮かべて鞭から手を離そうとする。しかし、一瞬あれば十分だ。凪沙は鉤縄で飛び回ることには慣れている。鞭を思い切り引いて彼女は低く飛び、空中で刀を大上段に構える。地に足を着けぬ戦い方も、知っている。彼女の姿は、荒々しく飛びかかる鷹のようだった。
 刀を振り下ろす。初撃は鉈で弾かれる。地に足を着ける。踏み込みはすでに終わっている。弾かれた勢いのまま振り上げ、もう一度振り下ろす。綺麗に正面から二度斬る。そうすると、崩れた体幹も整う。今度は男の体幹が崩れた。体のバネを活かして、切っ先を男の首に振り上げる。
 刃先三寸、頸動脈が切れれば人は死ぬ。男の体が完全にくずおれるまで、凪沙は残心を決めた。

 男の持っていた鉈で、男の首を切り落とす。死んだ脳から情報を取る技術は、すでに完成しているのだ。その辺にあった服で首を包んで、腰にぶら下げる。刀についた血と脂を拭い、凪沙は納刀した。左腕に仕込んだ時計をによると、現在時刻は午前三時。海の向こうが白み始めている。

「フミ、もういいよ」

 バタン、と浴室の扉が開いて、フミが廊下に倒れる。安心したのか、緊張の糸が切れてしまったようだ。起こさぬように、凪沙は幼い体をやさしく担ぐ。この家の主には迷惑をかけてしまった。鞭のせいで部屋は荒れてしまったし、死体も一つできた。凪沙は男の死体から鞭と鉈を回収する。
 割れた窓から、凪沙は飛び出す。幼い子どもの体をいたわるように、普段の倍は気を遣って鉤縄を飛ばす。白み始めた空に、一つの影が溶け去った。


 細い角材を幾何学的に組み合わせた、モダンでサイバーな食事処にて、四人がけの机を一人の男が占拠していた。刀を二本、壁に立てかけ、短機関銃を二丁、それに肩付の八連誘導弾倉を二つ荷物籠に突っ込んで、彼はふてぶてしく座っている。
 男は独立牢人である。彼は全身を大鎧めいた装甲で覆っており、顔も青い羽根をあしらった仮面で見えない。極めつけは人間離れした逆関節の脚部。彼は業界四〇年の古強者であった。

「あのぉ……ご注文は」
「……大連水餃子、一人前」

 男はしわがれた声で言った。彼は兜に両手をかける。排気音プシュウ機械音ガチャン。兜が外れる。老齢の男の顔が現れた。男が生まれながらに持っている部位は、顔面の皮膚のみである。それと、顔の形も変えていない。男を男たらしめる、唯一の記号であった。
 彼の名はカササギ。先代を殺して三〇年前にその名を継いだ。鵲は青羽の仮面を見る。先代も先々代を殺して、この仮面とともに名を受け継いだのであろう。

「……ええと、こちら水餃子でございます」
「うむ、ありがたい」

 僅かなお湯の中に、餃子が六つ。その上には青梗菜が乗っている。真珠のごとき輝きのそれを見れば、直ちに口内で風味が再現される。餃子を口に含む。それ自体からは味がしない。度重なる身体改造のせいで、食事も必要なくなった。必要なときに味を心中で想起して、口腔内で再現する。しかし、食感まではわからない。この店は彼のお気に入りであった。よく、先代に連れられて来た覚えがある。
 二つ目の餃子に手を付けようとした瞬間、視界に『信が着く』と表示。西洋由来の部品は、翻訳が少し怪しいのである。それは鵲がつけているような高級品でも変わらない。登録名は『クソ憲兵』。その名に少し辟易としながらも、鵲は端末を操作して画面を空中に投影した。彼以外には見えないものだ。音声も余人には聞こえぬし、鵲の言葉も思考入力される。

「要件は何だ、クソ憲兵。儂は食事中よ」
「何度言えばわかる。私は憲兵対特殊事物任務部中尉、三上良平だ。貴殿に緊急任務がある」

 鵲は二つ目の餃子を口に放り込んだ。グニグニと噛み砕き、嚥下する。つけていないはずの、黒酢の味がした。山西省の黒酢だ。画面の中の憲兵は顰め面を隠さない。鵲はこの男が嫌いであった。嘘をつくのは良い。部下を捨て駒にするのも良い。しかし、立場を振りかざして仁義のかけらも感じられないところがどうしようもなくクソに感じられるのだ。

「とっとと言え」
「私の隊のある兵士が回収任務中に殺された。下手人を探して始末し、対象物を回収してほしい」

 三つ目の餃子と青梗菜を口に放り込む。鵲は青梗菜の微妙な青臭さと苦味が嫌いであった。しかし、味を消してみれば意外と食感が楽しいことに気がつく。ふと思い立って、鵲は一枚の写真を宙に投影した。若い男が二人、この餃子屋で食事を楽しんでいる写真だ。撮影者は鵲。片方は左腕が義手で黒い背広を着た男で、顔は年の割に幼く見える。もう片方は相棒らしい。
 背広の男は隻鴉セキアといった。何度か手合わせしたことがあるが、ついぞ勝てることはないままに行方知れずとなってしまった。気になって番付を見てみると、その超常に彼の名前があったものだから、酷く驚いたことを覚えている。

「下手人の風体は」
「女だ。所在は不明……だが我々の頭に何が仕込まれているかは知っているだろう」
「情報漏洩対策の時限爆弾……狂ったことをするものよな」

 先程出した写真に、その女の画像が重なる。暗くてぼやけているが、どことなく見たことのあるような面をしていた。どうやらその女は、相当うまく隠れているようだ。死んだ脳からも情報を抜き出せる技術が実用化してから、すでに暫く経過している。鵲は五つ目の餃子を放り込んだ。机の対面に腰掛ける先代が見えた。
 すげ替えた電脳が見せた幻影か、それとも早すぎる走馬灯か。鵲は心中で振り返る。中東の砂塵の中、彼は先代に拾われた。「おまえに世界の変革を見せてやる」という言葉に導かれて鵲は立ち上がったが、結局行き着いたのは中華街の場末だ。

「それで、回収すべきものとは」
「人間だ。我々は楔と呼んでいる。すまないが、顔写真以上の情報は渡せない」

 鵲には翼があった。自由を目指して飛べるほど立派なものがあったのだ。しかし、それには埃が厚く積もってしまっている。冷たい鎧の中では、翼を広げることもできない。送られた顔写真を反芻して、覚える。鵲は六つ目の餃子を食べようとしたが、やめた。食べたところで、心臓の代わりに仕込んだプロメテウス七八式能源供給器の足しにもならないからだ。

「珍しいな。お前がその店の餃子を残すとは」
「おちおち食事も楽しんで居られんのでな。では、健闘を祈っとくれ」

 どうやら通信を通じて食事をしっかり見られていたらしい。顔をしかめた鵲は一方的に通信を切った。必要な情報は既に手に入れたからだ。あとはここで座って少し瞑想し、任務へと出かけるだけだ。彼は義父にも等しかった先代を斬った。互いに偽の任務を掴まされたからだ。それからというもの、鵲は名の代わりに翼を喪った。
 見上げても見上げても混凝土の空、身に積もる灰は永久の雪。鵲は心のなかで歌を詠んだ。自由を求めたはずの彼は、こんなところで地面に縛り付けられている。そこまで考えたところで、鵲の意識は現実に戻った。

 彼は日本生類研究所に連絡をした。そして、匿名掲示板「囀之木」の検索欄に「中華街 爆発」と入れる。願わくば、この停滞した世が開かれるところが見たかった。この老骨に無理ならば、名を託すべきか。

 見られぬように注意しながら、瀬戸凪沙は秘密の入り口より迅華樓に戻った。複雑怪奇な中華街の建物の隙間に巧妙に隠された入り口である。それは二階の佐酉タエの部屋に直通していた。
 相変わらずの電算室では、個人用電脳が元気に動いていた。鳥の機械人形も続々と帰還しており、止まり木めいた充電器に着陸する姿が見える。「基幹系統、休眠状態に移行」機械音声が告げた。
 佐酉タエが起き上がる。彼女のうなじに繋がっていた電信線が抜ける。佐酉はよろよろと風呂桶から立ち上がる。

「服を着て。ほら」

 刈ってきた首とフミを置いて、凪沙は佐酉のことを拭いた。「不如帰」のTシャツを彼女に被せて、電脳机の椅子に彼女を座らせる。どうも衰弱が激しいようだ。佐酉は元々、病弱であった。すこし動くだけでも息が上がるような虚弱体質なのだ。

「強壮剤もいい加減にしないと」
「だめ。それがないと、貴女と触れ合うことも出来ないじゃない」

 佐酉は凪沙の首元に手を回した。そして額と額を合わせる。あまりにも冷たい。凪沙は驚く。出発前に打ったはずの強壮剤がもう切れている。凪沙は息を呑んだ。引き出しから無針高圧注射器を取り出して、佐酉の首に打ち込む。佐酉はびくんと震えた。凪沙の首元に掛かる力が少し強くなる。

「少しは、ぬくいでしょ」
「……うん」

 凪沙は棚から首桶を探り出した。死んだ脳からも情報を抜き取ることができる、独立牢人の必需品である。二人が持っているものには蓋がついている。生きた人に被せることもできる高級品だ。凪沙は首をその中に入れ、端子を電脳に接続する。

「解析はやっておくよ。その子が誰かってのも調べとく。凪沙はその子を……あー、お粥を届けるから、寝かせといて」
「わかった」

 凪沙はフミを抱えて、自室に戻る。ベッドに寝かせて、布団も被せる。少し部屋も整理してみる。汚れた服は洗濯かごに入れる。鞄の類は適当に洋箪笥に放り込んでおく。少しはきれいになった。
 薄暗い部屋の中、静かに寝息を立てるフミを視界の端に捉えながら、凪沙は脚絆を外す。袴の帯も解く。立て襟のシャツも脱ぐ。防弾防刃レオタードの締め付けも煩わしい。凪沙はそれも脱いだ。
 開け放しの窓によりかかって、凪沙はシャツの内ポケットをまさぐった。「曙の雪あかり」を取り出して、義手に軽く叩きつける。端を噛み潰して、口に咥える。薄紅の唇が、歪む。義手の火を着けて、煙草の先端まで持ってきたところで、フミがベッドの中で身じろぎをした。凪沙は咥えていた煙草をゴミ箱に投げ入れる。ブリキ缶は机の引き出しに戻す。
 フミのいるところで煙草を吸ってはならない。それはさながら己に課した掟かのようだった。

 部屋の中でしばらくぼんやりしていると、フミが体を起こした。部屋は薄暗いままだけれど、顔色が少し良くなっていることがうかがえる。フミは寝ぼけた顔のまま部屋を見渡す。凪沙と目が合う。フミが赤面して顔をそらす。

「服をお召しになってください! それは貴女の悪い癖ですよ!」
「なあんだ。叫ぶ元気はあるんじゃない」

 凪沙は壁に埋め込まれた伝声管に「目覚めたよ。粥を」と吹き込む。すぐに扉が開き、鳥型の機械人形がお椀を机に置いていった。凪沙はベッドに歩み寄る。フミの頭を腿にのせて、視線を合わせる。にこりと微笑みかけると、そっぽを向かれてしまった。フミの頭は小刻みに震えているようだ。凪沙の側に視線を戻そうとしているところを必死に抑え込んでいるのかもしれない。

「きみは一体誰なんだい? お姉さんに教えてご覧」

 フミの頭の震えが止まる。今度は全身が震えだす。嗚咽のような声とともに、己の太ももに温い液体が滴る。泣いているのだろうか。右手でフミを撫でようとする。思い出して、そういえばと左手に変える。

「やはり、覚えてはおらぬのですね」

 震えた声でそう告げられれば、不安にもなる。瀬戸凪沙は一七歳の女学生で、孤児院で育って、三年前から独立牢人になった。そういえば、なぜこうなったのかがあやふやな気がする。佐酉タエとの出会いは覚えている。二年前のことだ。しかし、三年前がどうしても思い出せない。

「……ごめんなさい」

 フミをベッドに寝かせたあと、凪沙は立ち上がる。洋箪笥の中から適当な半襦袢を取り出して、凪沙はそれを体に巻き付けた。フミの方に向き直る。赤らめたかおはそのままだが、目元が濡れていた。口はへの字になっていて、すこし不格好なようにも見えた。

「……やってほしいことが、あります」

 フミは恐る恐るといった様子で、凪沙に言った。「どうしたの?」と聞くと、恥ずかしそうに「ままごとの、類です」と答える。フミはベッドから降りて、凪沙の刀を掴んだ。重そうにそれを持ち上げると、抜いて刀身を出す。

「貴女は三年前、私を色々なところに連れ出してくださいました。帝都大劇場で観た一幕が、どうしても忘れられぬのです」
「……それは」

 引き寄せられるようにして、凪沙はフミの眼前に跪いて頭を垂れる。そうすることが自然であるかのようであった。帝劇で度々公演される、西洋の騎士道物語。あれは確か玉座の前であったが、いまは薄暗い部屋の中。

「今から言うことは、契りでもなんでもありませぬ。ただのままごとです。……瀬戸凪沙よ。これより我が侍となって、私とともに生きてくださりますか」
「……御心の、ままに  

 口をついて出た言葉は、予想だにしないものであった。しかし、妙にしっくり来る。今まで感じていたずれが急に収まったような、奇妙な感覚であった。あれは確か、王子と騎士。若宮と侍でも、大して変わらぬ。
 フミの言葉には仁義が満ちていた。本当にそうであっても良いな。凪沙は心の中でひとりごちた。肩に金属の冷たさを感じる。フミが刀を凪沙の両肩に当てた。左肩が、カチリと鳴る。

「面をお上げください」

 顔を上げれば、鞘に入った風切丸が目に入る。それをフミから拝領する。体によく馴染んだ動きであった。フミと目が合う。二人で少しおかしくなって、笑みがこぼれた。

「そろそろ解析終わるわよ。降りてきて」

 佐酉の声が伝声管から響く。机の上に置いてあるお粥は、食べ頃の温度だ。

 昇降機で二階に降りる。凪沙は手ぶらだが、フミは食べ頃のお粥のどんぶりを抱えていた。顔ほどの大きさのどんぶりを抱えるその姿は、少し滑稽であった。降りた先にはちゃぶ台が用意されている。フミはその横の座布団に正座をした。「いただきます」そう言って、お粥を食べ始める。

「色々わかったわよ……その男の頭はもう桶から出してもらっていいわ。あとで供養もお願い」

 凪沙は首桶から男の首を取り出した。血が完全に抜けてしまっており、青白い。不気味だが、見慣れていないものでもない。それをフミから見えない位置に置いて、凪沙は電脳机の引き出しから布とエタノールを取り出す。布にたっぷりとエタノールを染み込ませれば、酒の香りが部屋に充満する。桶の中を丹念に拭く。

「その男、記憶は殆ど消されていたわ。その子を回収する命令と、貴女への憎しみを植え付けられたみたいね」
「憎しみ? なんで?」
「……私たちが邪魔になったのかも」

 疑問に首を傾げながらも、凪沙は考える。迅華樓は人気店だ。旅行者にとっても、中華街の暗闇に住む者にとっても。別け隔てなく上質な料理を提供するということは、方々に敵を作りかねないということである。
 凪沙は拭き終わった首桶を元の位置に戻した。内も外も磨きあげたそれは、もはや家具の域にまで達している。凪沙は、義手を体から外した。戦いの最中に、少し無理をさせてしまったからだ。

「でも、全部消されてたわけじゃない。でしょ?」
「そう。この男は対特憲兵。蒐集総院の子飼い。でもそれ以上はわからなかった」

 床に座り込み、義手を左脛と右足で挟み込んで固定する。右手に分解用の道具を携えて、義手のネジを回す。導線を外して、偽骨の接続も解く。拡大用の眼鏡をつけて、骨の一つ一つを精査する。赤熱した鞭を掴んだ手の部分の損傷が激しい。しかし、致命的なものではない。導線式の義手は、人工筋肉式に比べて修理が大変だ。その分、拡張性がより高い。

「対特憲兵がなぜあんなところに……。あの子との関係が?」
「そう、そういうことなの。あの子の本名は文彦。生駒家の養子」
「うそ、総理大臣の息子じゃない」

 佐酉は凪沙にニュースの画面を見せる。そこには「生駒家嫡子、失踪せり」の文字があった。どうやら養子ということは一般に明かされていないらしい。そのページには、たしかにフミの写真が乗っていた。広く捜索を呼びかける文面と、両親からの取材が記載されている。
 凪沙は棚から替えの偽骨を取り出す。痛んだものを新品に取り替えて、保護布を巻く。肩にはめ込んですこし動かす。軋むところに油を差せば完璧だ。
 フミ  文彦の方を見れば、彼はどんぶりのお粥を半分ほど食べていた。匙をもって、丼とにらめっこをしている。そのしかめっ面は、満腹を告げるサインだろうか。

「ええと、文彦って呼んだほうがいい?」
「いえ、フミでお願いします」

 匙を持ったまま、フミは凪沙の方を向いた。彼は真剣な表情を浮かべている。覚悟が決まったとでも言うべきだろうか。

「……フミ。どうして家から出たの?」
「ええと、外を見たくて。あと、凪沙さんに会いたかったからです」
「……私?」

 佐酉の方を向くと、彼女は首を横に振っていた。何も知らないようだ。

「そうです。貴女が橫濱中華街にいるって教えてもらって、それで歩いてここへ」
「……八里か。すごいね、フミは」

 生駒家の屋敷がある千代田からここまで歩くとなると、普通の大人でさえ八時間はかかる。失踪のニュースが出たのは今朝であった。そこから休みなしに歩いていたのであろう。

「こっちおいで。ちょっと脚揉んであげる」

 フミがトテトテと凪沙の横まで歩いてきて、地面に座る。凪沙は彼の脚を先程まで義手を挟んでいた位置に置いた。左の義手で彼の足裏を揉む。少年にしても柔らかい足だ。この足で八里も歩いたなど、俄には信じがたい。決して痛くならないくらいの、気持ちいいくらいの力加減で押してやる。

「フミ、どうして憲兵から追われてるの?」
「ええと……すみません」

 彼は一瞬だけ佐酉のことを見た。彼女は首を振る。もしかすると、二人ともわからないのかもしれない。
 凪沙はフミの脚の筋肉を己の足で揉む。大きい筋肉は、手より大きい足で揉んだほうがよい。本当は柔らかい筈の筋肉であろう。しかし、無理な長距離の歩行のせいですっかりこわばってしまった。入念に、ほぐす。
 フミの方をチラリと見れば、彼は気持ちよさそうに深く呼吸をしていた。ほんの少しの平穏である。

「じゃあさ、こっちは絶対知ってると思うけど、誰に教えられたの? 私がここにいるって」
「……名前までは覚えておりませぬが、渾老花の、ナントカという  

 筋肉を揉んでいた凪沙の足の動きがピタリと止まる。緊張が走る。

「渾老花? それじゃ  

 部屋がにわかに騒がしくなる。止まり木めいた充電器で休んでいた筈の鳥たちが一斉に鳴き声をあげる。タエは電脳の画面を見た。そこには「高能源エネルギー反応あり」の文字。

「凪沙! 原因を!」
「言われなくても!」

 凪沙は跳ね起き、考える。この部屋に高能源反応など出たことはない。しかし、出ている。ならば普通じゃないものがこの部屋にあるということだ。すなわち、生駒文彦か例の首。この中で爆発させても損がないものは  凪沙はそこまで考えて、男の首に覆いかぶさる。
 熱、衝撃、爆音。爆轟の波は凪沙の皮膚こそ傷つけなかったものの、内臓を的確に破壊する。血と吐瀉物の混じった液体を吐き出す。痛い、苦しい、気持ち悪い。息ができない。視界がどんどん暗くなる。



轟々と火が燃える音。体の上には瓦礫がのしかかっている。胸の真ん中が痛い。
ふと、手を誰かに握られる。温かい。少しだけ安心できる。これなら、死も怖くない。

「私を楔として、この世に留まってくだされ」

懐かしい声が聞こえる。これは、いつの記憶だろう。
ぱりん、と玻璃の弾ける音がした。


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 帝都郊外の孤児院を出て、佐酉タエは高田町の帝都学習舎に進学した。決して簡単な試験ではなかったが、タエは元々機械に明るく、知識も豊富であった。推薦入学であれば大学までの進学が確定する帝都学習舎は、孤児院生まれの根無し草に大輪の花を咲かせるための一発逆転となり得るのである。

 学習舎高等科、一年。厳冬を乗り越えた桜は波濤のごとく咲き、風の流れに従って宙をひらひらと舞う。入学式に参加したタエは、孤児院の養母がいないことに気がついた。来ると約束したのに、妙な話である。

「わが校には三つの教育方針がございます。ひとつ、広い視野。ふたつ、逞しい創造力。みっつ、豊かな感受性。これらは……」

 舎長の退屈な話を聞きながら、タエは幼馴染のことを思い出した。その名は瀬戸凪沙。病弱な自分をいつも助けてくれた、頼りになる少女だ。衰弱は日に日に激しくなっている。申請すれば、介護者として学習舎に来られると伝えた。実際に申請もした。しかし、来ない。これも、妙な話である。連絡もぱったりと止んでしまった。
 自活が出来ないわけではない。必要な機材は自分で作れる。動力付きの車椅子、思考記述式の筆記帳、発作が起きたときの記録用の機械人形。機械のともがらならばいくらでも作れる。しかし、己の半身とも言える幼馴染が居らぬ。これは少し寂しい。
 入学式が終わり、各々が寮に戻る。タエは車椅子の駆動機を動かした。甲高い電子音がわずかに鳴り、車椅子は滑るように動き出す。磁気式の撥条が衝撃を吸収して、乗り心地はかなりなめらかだ。冷ややかな視線を投げかけられていることに、彼女はついぞ気づくことはなかった。

 夏。茹だるような暑さの中で、少年少女たちが軍事教練をしている。人工芝の運動場で、東平一二〇式自動小銃を模した模型を抱えて、男子と女子に分かれてひたすらに走っているのだ。運動場の端で、佐酉タエはその様子を見学していた。この暑さで走れば、虚弱なタエは死んでしまう。
 もうすぐ人形の自動人形の開発が終わる。そうなれば、それに自分の意識を投影して、みんなと一緒に走ることができる。クラスメイトから少し避けられていることには気がついていた。だから形だけでもと思ったのである。

「せんせー! あたしがこの子の面倒見ますんで、今日は大丈夫っすよ!」
「宜しい」

 華族の女生徒が、明るい声で体育教師に語りかけた。体育教師の承認のもと、彼女はタエの車椅子を押す。これは今までにないことであった。彼女の車椅子は生徒の一団から外れ、薄暗い建物の裏に入る。いつの間にかにぞろぞろと何人かの生徒が彼女の車椅子を取り囲むように現れた。
 どうすることも出来ない。タエは恐怖に唇を噛んだ。校舎を離れ、高田の杜へと入っていく。ちょっとした丘を超えた先には、巨木があった。樹洞の中には何者かが仏像がごとく座禅している。その木の前には鳥居めいた木が二本立っていて、間には注連縄が通っている。
 巨木の麓の池  名を血洗之池という  の直ぐ側で、タエは衝撃を感じた。車椅子が蹴り飛ばされたのである。地面に這いつくばると、例の華族の女生徒が彼女の頭のそばでしゃがみこんだ。

「あんたさ、ナメてんの? あたしらが必死こいて走ってる間、お高くとまって」
「……許可は、頂いております。それゆえ  

 襟元を掴まれる。そして立たされる。タエの木の枝のような足では、その場にとどまるだけで限界が来る。眼前の女生徒の顔は怒りに歪んでいた。元は美しかったろうに、残念だ。タエはのんきなことを考えていた。

「ムカつくんだよ……お前のそのナメた面が」

 女生徒は襟を持ったままタエを血洗之池の縁まで押した。このまま押されたら溺れてしまう。そうなれば、生きては帰れない。怖気が体を支配する。呼吸が激しくなる。足掻けば足掻くほど、池が近づく。

「やめて……ください……! 助けて……!」
「そんなこと言わないでよ。あたしがあんたを鍛えるんだから」

 論理はない。この歳頃の人間は、そうなのであるということをタエは忘れていた。最も身近だった幼馴染が、あまりにも堂々と未来を向いていたからだ。

「助けて……なぎっ、さ……!」

 来るはずのない人の名前を呼ぶ。瞬間、色付きの風が吹いた。夏の暑さの中でも、それは懐かしい暖かさに満ちている。首にかかっている力がぬけて、タエは座り込んでしまった。

「久しぶり、タエ。酷いことされてんね」

 瀬戸凪沙は笑った。彼女の左肩からは大きな義手が生えている。右腕よりも明らかに大きく、歪に見えた。彼女は女学生の顎を揺らす一撃で昏倒させ、男子生徒の腕を掴んでひねり上げたかと思えば、そのまま彼を旗めいて振り回した。ゴキリ、と骨が外れて折れる音がして、立っている者は彼女だけとなった。夏の木漏れ日に照らされる彼女は、あいも変わらず。まるで、鍛え上げた刀が如く輝いていた。
 ああ、この人の隣に立ちたい。溢れ出るその願いを、止めることはできなかった。凪沙の横で、同じ空を飛びたい。佐酉タエの、夢だ。

 思い出から現実に引き戻される。鮮烈な再開の記憶は、思い出した端から色褪せていく。電算室の機械や生駒文彦、それにタエに傷ひとつないのは、凪沙が身を挺して守ってくれたからだ。その凪沙の体もいまやぼやけ、玻璃の塊のようになって、そして砕けて空に消えた。

「なぎさ……どこ……?」

 あたりを見回してもいない。呆然とした様子の文彦がいるだけだ。止まり木の機械たちが騒がしくなる。外を巡回している鳥たちから映像が送られる。いつもは誰ひとりいない早朝の大通りには、およそ三〇人の影があった。その殆どは日本生類研究所の培傭侍バイヨウサムライであったが、一人だけ異彩を放っている者がいる。その男の脚は鳥めいた逆関節で、顔は青い羽を装飾にした面に隠れて見えない。

「わが名は鵲! 楔を貰い受けに参った!」

 老いた男の声がタエに届く。スピーカーのみならず、直接聞こえてしまっている。爆発の音がして、建物が揺れる。タエは怖気てしまった。頭を抱えて、体を丸く  小さい手が、タエの両頬に当てられる。そして、ぐいと向きを変えられた。
 必死の形相を浮かべた生駒文彦が、そこにはいた。彼の荒い息を鼻先で感じる。

「しっかりしてください! へこたれないでください!」
「でも……」
「でもじゃありません!」

 彼の言葉には、仁義が満ちていた。確かな仁義を感じて、タエは少し安心する。

「フミくん、だって凪沙が」
「あの方は……我が侍は戻って参ります! ……前にも、同じようなことがありましたゆえ」

 ふと、気がつく。あのとき、木の洞に正座していたのは瀬戸凪沙ではなかったか。幼馴染のタエが気づかぬほどに気配は希薄であったが。

「あのとき、三年前。あの方は私を助けて……そして一度死にました。今は我が身を楔としてこの世に留まっております。だから絶対に戻ってくるのです!」

 ならば、私がここを守らなければならない。立ち上がろうとして、その力もないことに気がつく。衰弱が激しい。もしかすると、この体はもう限界かもしれない。タエは凪沙に秘密にしている、開かずの間を見た。
 文彦に手伝ってもらい、なんとかして椅子に座る。そして端子をうなじに挿しこんだ。今からやるのは意識を体に保ったまま機械人形たちを操作するという高等技術である。
 二度、救ってもらった。ならば、今度は私の番だ。タエは己に言い聞かせる。目を閉じて、開ける。怖気は消え去っていないが、希望の光明がそこにはあった。

「タエさん、それで良いのですか」
「ええ……だって、お帰りを言わなきゃ」

 タエは信じなければならない。生駒文彦を。瀬戸凪沙を。そして何よりも、佐酉タエ自身を。タエは迅華樓の支配者となった。「基幹系統、戦闘状態起動」自動音声を合図にして、鳥たちが外に殺到する。

「君が血の、我が翼為す……いつしかも。共にあらむと、血を交はさむや  
 
 タエは歌を詠んだ。願わくば貴女の隣で戦いたかった。私の翼は貴女の血でできているから、私の血も貴女に捧げたかった。これから私は死ぬだろうけれど、悲しまないでほしい。きっと、また会えるから。

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 ジジ……と機械の音が聞こえる。何やら生暖かい液体の中に浮かんでいるようだ。目は見えない。分厚いビニールにでも包まれたかのように、身体の感覚が曖昧だ。もぞもぞと動かしてみると、すぐに壁に当たる。妙な弾力のある壁だった。自分は誰で、先程まで何をしていたのか。何も、思い出せない。
 しかし、奇妙な感覚はあった。本当は二つあったはずのつながりが、一つ切れている。それでも、ここは暗くて安心できる暖かさのある場所だ。目を閉じる。

 その液体の中を引っ張られるようにして、瀬戸凪沙は目を醒ました。知らない天井だ。薄暗く、あたりを見回せば、ガラクタがうず高く積まれていることがわかる。己の体を見てみれば、傷ひとつない。息も普通にできるし、むしろ少し元気なくらいだ。どうやらいまは全裸らしい。体の表面に、黄色く濁った液体が垂れていた。それは夢幻ゆめまぼろしかのように霧散する。
 凪沙は体を起こす。暗い影の中、男が一人。丸い背を凪沙に向けて、何かをいじっていた。男の左腕は欠けている。彼はなにかの作業をしていた。その男に、どうしようもない懐かしさを感じる。むしろ、他人の気がしない。

「と  
「醒めたか……おまえさんの服はそこに畳んである。とっとと着ろ」

 凪沙を遮ったぶっきらぼうなその声は、穴の底から囁いているかのように細く、低い。はて、自分は何を言おうとしていたのだろうか。思い出せない。まるで、夢からうつつへと引き戻されたみたいだった。記憶の欠片が、掴む暇もなく、片端から霧散していく。夢が、散る。
 ふと、男の左腕がないことに気がつく。片腕でも服は着られるが、義手を付けてからのほうが簡単だ。凪沙は一瞬だけ躊躇った。それに気がついたのか、男は動いた。彼はひょいとおもちゃでも投げるかのように義手を投げて寄越す。凪沙は義手が少し軽くなっていることに気がつく。なにやら偽骨の一部が金色になっているようだ。
 凪沙は戦闘服を着た。重心の変化に戸惑いながらも、彼女は記憶を思い出す。たしか私はタエとフミと話していて、それから  爆死した。それで、今ここにいる。早く行かなきゃ、と出口を探す。

「まあ、待て。まだ作業は終わっとらん」
「でも  
「焦るな」

 男の有無を言わさぬ態度に、凪沙は口を閉ざすしかなかった。彼は近くのボタンを押して、座っている部分の床を回転させる。少しやせていて、煤けたシャツと黒いズボンを着ている。シャツの左袖は結ばれているようだ。彼の髪は床につかない程度に切りそろえられている。何よりも凪沙の目を惹いたのは、彼の目元に巻き付かれている布であった。
 凪沙は地面に膝を突き、義手を男に見せる。彼はガラクタの中から黒色の羽根扇を取り出して、鉤縄の根元に接続した。少し手を動かしてみると、重心が元通りになっていることがわかる。

「それは『鴉羽扇』。軽い銃撃程度なら、広げて防げる」
「……ありがとうございます。貴方は」
「絡繰技師とでも呼べ」

 絡繰技師は凪沙の義手をポンと叩いた。彼は再び操作盤を使って回転し、後ろを向く。無愛想な男だが、他人のようには思えない。彼は出口を指さした。一枚板の扉に、小さい磨りガラスの窓が嵌っている。向こうからは、柔らかい橙の光が漏れていた。

「助けにいくのであろう」
「はい。行きます。大切な人を……二人」
「ああ。茨の道でも、三人なら歩けるだろう」

 腹の底から声が出た。凪沙は彼に礼をする。置いてあった刀と銃も腰に差す。いつもの自動小銃が一回り大きくなって、一五〇連発の弾倉が備え付けられていた。扉に手をかけたところで、後ろから声がかけられる。

「惑い、即ち敗なり……忘れるなよ」

 彼の声を背中に受けて、凪沙は光の中に飛び込んでいった。

 文鳥の機械人形に導かれて、秘密の入り口から迅華樓の中に滑り込む。いつもより騒がしい電算室の中で、佐酉タエは頭に刃を当てていた。髪を剃っているのだ。はらり、と黒い束が落ちる。

「……何、してるの?」
  おかえり、凪沙」

 タエはいつになく力強い調子で言った。凪沙はよろよろと彼女に近寄る。力なく、椅子に座る彼女の脚にもたれこむ。冷たい。しかし、凪沙の体温でじんわりと温かくなっていく。

「貴女の髪ね、私は好きだよ。どうして、そんなこと」
「このままじゃ駄目なの。凪沙」

 彼女はまっすぐ画面を見据えて言った。独立牢人・鵲と数十人の培庸侍が暴れ回っている。あたりに段々と瓦礫が積もる。何かが飛んできて、画面が暗くなった。タエは自室を見た。彼女の他に、誰も立ち入れぬ自室を。

「私は、この体を脱ぎ捨てる必要がある」
「……そんな」

 凪沙はタエの顔を見た。髪はほとんど落ちてしまっている。彼女の削げた頬があまりにも痛々しい。もう、彼女は駄目かも知れない。凪沙は思った。意識を落とさないで機械たちを操縦する負担は激しい。終わった後、今のタエが生きているかもわからない。
 タエは剃刀を凪沙に渡した。彼女の枝のような手は、震えている。

「最後は貴女にお願いしたいわ。首桶が私の脳を焼いても心臓は動き続けるようになってるから、それもお願い。私は誰のものにもなりたくないの」

 惑い、すなわち敗なり。凪沙は絡繰技師の言葉を思い返す。凪沙は大きく息を吸って、吐く。惑いに生まれた隙に、悪魔は潜むのだ。
 剃刀をタエの頭に当てる。長い髪がはらはらと地面に積もる。それは彼女の生きた証で、彼女の歴史そのものであった。凪沙はタエの頭に首桶を被せた。最後に見た彼女の顔には、やさしい微笑みが浮かんでいた。

「えっと、じゃあ最後に一言。私の……私のすべてを、貴女に捧げます」

 凪沙はタエの手を握る。首桶の電源を入れて、レバーを最大まで上げる。電脳に接続されていることを確かめたあと、凪沙は「実行」の釦を押した。ジュッ、と肉が焼けるような音、タエの体が椅子から跳ね上がって、地面に倒れる。
 確かにまだ心臓は動いている。タエの体も渡したくはない。できれば、自分の手で埋葬してやりたい。凪沙は刀を抜いて、肋骨の隙間から心臓を狙って一突きした。綺麗なままでいてほしかったから、刀は捻じらずにそのまま抜く。清潔な布で血を拭って、その布に口づけをしたあと、懐にしまう。どうやら首桶の筒部分は画面に改造されてあるようだ。そこに「再见」の文字が浮かんだ。電脳の方には「死ぬめるを惜しみ給ふな身亡けれど雷縁しにまたも相見えむシヌメルヲヲシミタマフナミナケレドイカヅチヨシニマタモアイミエム」の歌が縦書きで表示されていた。それは何かの進行度も表しているようで、一番下から藍色がゆっくりとせり上がってきている。すこしだけ、タエの息遣いを感じた気がした。

 凪沙は立ち上がる。フミと目を合わせる。自分の胸に手を当てる。二人は同時に頷く。彼女は三階まで上がった。自室の窓から空中に躍り出て、空中で自動小銃を構えて弾丸を乱射する。何人かの培庸侍が倒れた。しかし、鵲の大鎧は貫けない。
 受け身を取って、地面に降りる。鵲は肩から誘導弾を凪沙と迅華樓に向かって発射した。速い誘導弾ではない。凪沙は雷光の反射で照準を合わせて、自分に向いた分はすべて落とす。それ以外は鳥の機械人形がきらきら光る羽根を撒いて、あらぬところに誘導し、爆破させる。

「若き雛が舞い降りたか。呵呵! 随分と懐かしい戦い方をする。その義手、その鴉羽扇、その刀」
「私は私だ! 誰かの影じゃない!」

 売り言葉に買い言葉。凪沙は銃を鵲に向けながら吐き捨てる。培庸侍はタエの鳥たちが対応してくれる。彼女の息遣いを鳥たちの間に感じた。凪沙は迷わず銃を撃つ。鵲は逆関節の脚で細かに動き、大鎧で弾を受ける。彼は両腰にぶら下げている短機関銃を凪沙に向けてばらまいた。凪沙は鴉羽扇を広げて弾丸を防ぐ。
 機動力は互角。火力は鵲が上。だが両者の弾は共に決め手にならない。凪沙は後ろに跳ぶ。空中で錐揉みめいて回転しながら、培庸侍に照準を合わせて撃つ。撃つ。そして撃つ。培庸侍は緑色の血煙を撒き散らして倒れる。鵲は凪沙に集中して八本の誘導弾を放った。鳥たちの群れに飛び込むようにすれば、輝く羽根で狙いを逸してくれる。いつになく息はピッタリ合っていた。

「身軽なものよな! 女子というものは!」
「手前の腰を労ってあげたらどうかしら!?」

 煽りには煽りを返す。その間も広げた鴉羽扇の隙間から銃を放つ。鳥の群れから飛び出して培庸侍を斬る。それを何度も繰り返す。
 最後の培庸侍が倒れる。迅華樓も穴だらけになってしまった。三階の自室が見えるくらいだ。そこに、小さな影が一つ。生駒文彦である。彼は息を一杯に吸い込んだ。凪沙は鵲の方に走り出す  

「楔はここに居るぞ! 私を手に入れたくば、我が侍を斃すがよい!」

 鵲は反射的にフミの方を見た。そして視線を凪沙に移す。彼は惑った。どちらを優先するべきか、一瞬だけ。その一瞬こそが、凪沙の欲していたものであった。
 鉤縄を鵲に向かって投げる。彼は反射的に空中に飛ぶが、それは知ってのことだ。鉤縄が両者を結ぶ。それを力いっぱい引いた。
 凪沙は空に飛び、鵲は地面に落ちる。両者が交差するその瞬間、凪沙は銃を捨てて居合を放つ。刃先三寸、首元に入れば人は死ぬ。鵲は首を抑えながら地面に墜落する  

 耳元でゴウゴウと風の音が鳴る。重力に引かれて、落ちている。鵲の視界を「急所切断」「首が危険」「すぐ死ぬ可能性」の文字が埋め尽くす。久方ぶりの感覚だ。柄にもなく高揚している。鵲は空中で一回転し、地面に着地する。その衝撃に少しよろけてしまう。鎧が重い。こんなものは捨て去って、自由に空を飛び回りたい。
 崩れた姿勢をもとに戻すために、彼は不動明王めいた構えを取った。

「噴ッッッ!!!!」

 鵲の首元からの血が止まる。彼は短機関銃を捨て、肩の誘導弾倉を地面に落とした。鎧から蒸気が漏れる。彼は兜を脱いで捨てた。青い羽の仮面が開く。齢六〇ほどの、老人の顔だ。眉間には皺が深く刻まれている。大鎧がガシャンゴトンと地面に落ちる。現れたのは、空気力学的に完成された異形の胴体。

「儂は憧れたのだ……どうしようもなく  あの空に」

 鵲は腰の刀を掴む。それぞれの手に一本ずつ。彼は姿勢を低くした。その背中からは、熱い空気が噴出していることがわかる。それはやがて橙の炎となり、翼めいた青色の噴気となる。熱い。どうしようもなく熱いのだ。きっとそれは、噴気のせいだ。

「お前もそうか? 勝手ながら、確かめさせてもらう」

 なるほど、首を切っても死なぬわけだ。凪沙は納得した。

「鵲の名ァ……奪い取ッて見せよ!」

 踏み込み、噴気、神速の居合。凪沙の目にもほとんど色付きの風にしか見えなかった。居合がちょうど重なる瞬間にそれを弾けば、即座に鵲は姿勢を変えて蹴りを浴びせかける。あまりにも疾い。重い。凪沙は大きく後退させられるも、刀を地面に突き立てて減速をかける。
 鵲は凪沙に向かって飛び込み、二連撃。右、左。凪沙はなんとかそれを弾く。さらに二連撃。上、下。半ば勘で弾く。鎧を捨てた鵲はかなり軽い。今の凪沙よりも。体勢を少し崩すことに成功するも、心臓に刃を突き立てる前に噴気で立て直される。鵲は後ろに飛んで棒手裏剣を投げた。凪沙は前に飛び込んで回避。
 目で追うのがやっとだ。手も痺れてしまっている。そもそもの出力が違う。三十年積み重ねた身体改造は、凪沙のそれとは比にならない。脚は最新の人工筋肉だが、義手は旧式のうえ、それ以外は生身だ。太刀打ちできない。しかし、諦めてはいけない。ここで死ねば戻るのに時間がかかる。その隙にフミを奪われておしまいだ。

 再び神速の居合。凪沙はそれを弾く。しかし体が限界だ。蹴りを防いだ瞬間、刀が手から抜けてしまう。たまらず地面に膝をつく。背中を踏みにじられる。刀はすぐそこにできた地面の割れ目に刺さっている。あと僅かが届かない。フミの悲鳴が聞こえた気がした。
 バタ、バタ、と何かが地面に落ちる音がする。鳥たちが急停止したのである。

「……落ちたか」

 頭上から鵲の声がする。もはやこれまでか。凪沙は目を閉じた。


「基幹系統、戦闘状態再起動」

 タエの声だった。次の瞬間、何かが弾け飛ぶ音がする。ゴウゴウと響く噴気の音も。背中の圧力が抜けた。立ち上がれば、そこには美しい機械人形があった。流線型の形をしているそれは、凪沙より頭半分だけ大きい。ところどころに人工筋肉の流れが見える。どこまでも飛んでいけそうだ、と凪沙は無邪気な感想を抱いた。左手には凪沙の風切丸が握られている。プシュウ、と排気音がして自動人形の背中が開く。

「ようやく、私は願いを叶えられる……貴女と並んで  貴女と共に」

 その機械人形からタエの声がする。あの秘密の部屋の中には、これがあったのだと得心した。凪沙は左腕を外して、その機械人形に乗り込む。一瞬の暗闇のあと、視界が晴れる。見やすい程度の明るさに補正され、色や形がくっきりとわかる。極めつけは、全周を観ることができるという点だ。背中が少し開いて噴気孔を形成する。視界の端に『二〇』と数字が表示される。一秒経つと、『一九』。

「……未だ、堕ちぬか」

 鵲は居合の構えを取った。「来るよ!」「おうよ!」ずん、と鈍化した時間の中、凪沙は風切丸で居合を弾く。蹴りも弾く。先程よりも軽い。先程よりも動きが見える。勘で弾かないで済む。凪沙は弾いた勢いのまま鵲に斬りかかる。斬る刀は降りる鷹、弾く刀は登る鷹。手応えは軽いが、ないわけではない。それがなんとも嬉しかった。
 たまらず鵲は飛び退いて棒手裏剣を投げる。それを追って凪沙が宙に向かって刀を突き出せば、タエが背中から噴気を放出して体を押し上げる。軽く突き刺さったところを引き寄せ、踏みつける。空中で上段に構えて、振り下ろす。弾かれる。その勢いを逆手に取って振り下ろす。弾かれる。しかし、正しく上段を放てば体は整う。

「良き技。良き相棒。変革をもたらすのはそなたか」
「そんなもの望まない!」/「私たちは二人なの。間違えないで」

 凪沙とタエの声が重なる。両者は噴気を使って踏み込む。凪沙の袈裟斬りの起こりに合わせて鵲は突きを放った。体を回しても寸でのところで避けきれない。機械人形の腹が少し裂ける。端の数字が一気に減って、『八』『七』。「ごめん、あまり受けられない!」「こっちこそ、次は避ける!」須臾の間の会話。
 鵲は怒涛の連撃を放つ。上、下、右、左。そのことごとくを弾いて切り返す。こんどは少し深く入った。勢いを殺さずに袈裟、首に向かって一文字、胸に向けての突き。最後の突きだけ弾かれて、それ以外は良い手応えを感じる。
 凪沙は後ろに飛び退いた。二人は見合う。凪沙は一瞬だけ前に踏み込む。タエは一瞬だけ噴気を放つ。鵲は三度神速の居合を放った。『よし来たァッ!!』二人の声が心のなかで重なる。初撃の居合に向かうようにして噴気で前進して拍をずらす。すでに踏み込みは為された。蹴りを迎え撃つように、上段。鵲は地面に叩き落される。空中で一度を突き刺すと、鵲はたまらず地面に墜落し、膝をついた。それを踏みつけ、崩して、裏に廻る。残りの時間は、二秒。背中から刃を突き立てた。

「見事…………なり  
『鵲の名、頂戴致す』

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 鵲の体が地面に倒れる。「……高能源反応!」凪沙は飛び退いた。視界が白く染まる。鵲を動かしていたジェネレーターが爆発したのだ。凪沙の意識は、そこで途切れた。

 ふに、と頬が何か柔らかくて温かいものに触れる。目を開けると、そこには細い腿があった。上を見てみれば、フミの顔。彼は顔に笑みを浮かべた。二階の電算室に簡単に作られたベッドに彼女は横たわっていた。

「あ、お目覚めですね!」

 凪沙ははにかんだ。例の侍のくだりが、今になって気恥ずかしくなってしまっていた。コツ、コツと足音が響く。その方を見れば、美しい女性がいた。
 髪の毛は腰ほどの長さで、肌は玉のごとき白さ。肉付きは非常に良い。その顔はすこしふっくらしているものの、佐酉タエのものに違いなかった。彼女が普通に成長したら、このような感じだろう。凪沙は体を動かそうとするも、異様な空腹と筋肉痛でピクリとも動けない。

「アレがちゃんと動いてくれてよかった。電脳の中では一度しかうまく行かなかったから」
「……大博打じゃないの。大事なときに」

 タエは煤けた青い羽根の仮面を取り出した。戦場からひっそりと回収したのだろう。彼女はそれを電脳につなぐ。画面に『鳥栖』の文字が映る。「ようこそ、鵲。あなたの帰還を歓迎します」機械の声が言った。画面が動き、『独立牢人概要』の項目に移る。

「アレの稼働時間はどうにかならないの?」
「……まあ、まだ開発の途中だからね。ゆくゆくは伸びると思うけど、凪沙の体が耐えられないよ」

 当然のように、二人の顔写真があった。性別、年齢、身体改造の有無など、事細かに情報が記載されている。番付はどうやら八八位らしい。番付の一番上には『隻鴉』の文字がある。備考欄を見れば、行方知れずとあった。
 独立牢人とは、自由な者たちの名だ。何者にもとらわれず、誰からの依頼も受ける。そうやって彼らは銭を稼ぐ。その数千人の頂点を占めるのが、彼ら鳥の名を持つ者たちであった。

「私たちは二人よ。二人で一つの名前なら、重さを分け合えるでしょ?」
「それもそうだね」

 凪沙は地面に横たわっている「佐酉タエ」の亡骸を見た。彼女の魂はすでにそこにいない。電子の海を漂って、たまに機械の人形に入ってこの世に顕現する。
 亡骸を焼いてしまったり、埋めてしまうのは偲びない。凪沙は少し考える。

「……貴女の体は、金剛石にしたいな。私はそれを首に提げて、貴女と一緒に戦うの。だって、さっきのアレはおいそれと使えるものじゃないでしょ?」
「……そうだね」
「私は負けない。私も、貴女も誰のものにならない」

 凪沙の決断的な声を受けて、タエは力強く頷いた。朝日が登る。今日は月曜日だ。帝都学習舎に行かねばならない。橫濱から高田は、かなり遠い。凪沙は動かぬ体に鞭打って、フミの残した粥をすすった。その背中を支えるように、佐酉タエが手を添えた。

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