僕が保育園にいた頃、ですのでもう20年以上も昔の話です。
僕の通った園は、統廃合で消えた古い小学校校舎の2,3階を封鎖し、1階のみを改装し保育園として流用するという、ほんの少しだけ変わった形で運営されている場所でした。ですので、遊びまわる子供たちの若々しい活気に対し、それを包む古ぼけた園舎は真夏の昼間であろうといつもどこか薄暗く、明度も彩度も低い空間であった事を覚えています。ただ不思議とその環境が当時の僕に不穏を感じさせる様な事は無く、概ね清々しい印象を受けていました。
園舎の中、横一文字に突き抜けた長い板張りの廊下の奥に、木目と漆喰の空間内では非常に目立つ、明らかに後付けされた銀色のアルミサッシの引き戸がありました。いつでも施錠されていて、園児の小さな身長で中を覗くには、何度もぴょんぴょん跳ねるか、ガラス部の淵の出っ張りに指を掛けてぐいっと身体を持ち上げるしかありません。そうしてやっとのことで見えるのは、机に椅子に大量のダンボールに、季節の飾りに玩具類に……という雑多な物品が所狭しと積み上げられた光景です。そこは倉庫だったわけですね。その倉庫の左奥には、どっしりとした黒い木製の階段が延びていて、元々この場所は上階へと上る為の階段スペースであった事が窺えました。
当然保母さん(この頃はまだそう呼んでいました)からはこの引き戸に近付く事すら危ないと禁じられていましたし、覗き込む所なんて見られたらみっちり叱られたものです。それでも幼い子供にとっては、ああいった雑多なものは雑多であるというだけで非常にミステリアスで冒険心をくすぐられる存在に思えましたし、何よりその階段の先にある、見た事のない上階に誰もが憧れをもっていました。そこはまだ昔小学校だった頃のままの状態なんだ……なんて話を聞いてはその光景を空想し、みんなで代わる代わる倉庫の中を覗いては、宝箱に触れる様な興奮に浸っていたのです。
さて、この倉庫を園児たちが意識する理由がもう一つ。倉庫右手前に積み上げられた古い木の長机、その脚と脚の間に小さく綺麗に切り取った様な四角い空間が通っていて、丁度それを額縁とした中央奥の方に、一体の獅子舞人形が置かれていました。大きさは精々30cm程度でしょうか。今になって思えば、多分仕舞い込んだまま放置された正月飾りか何かだったのだと思います。どういう訳か、園児たちはこの獅子舞人形を「ねずみばあさん」と呼んで妙に怖がっていたのです。
同じ様なボサボサの髪こそあれど、正直なところ僕には何故、この人形が絵本のあの魔女の様な見た目をしたねずみばあさんと重ねられているのか、いまいち腑に落ちずにいました。若干ひねくれた子供でしたので、幼心に「読み聞かせがみんな怖くて、ヒステリー(当然この語句は当時知りません)になっているんじゃないか」みたいな事を密かに考えていたことを覚えています。
何故こんな人形をみんな怖がるのだろう。他の園児に聞いてみると、理由の一つとしてはどうやら「ねずみばあさんは勝手に動く」らしいのです。いつも施錠され、(少なくとも園児目線では)保母さんたちが入るところも見た事がない。そのうえ高くバリケードの様に積まれた備品群の奥に置かれているというのに、その人形は毎日向きや体勢を変えるのだとか。いつも夕方頃になると度胸試しに人形の様子を見に行く集団がありましたので、しばらく僕も同行しました。すると、確かにある日は左向き、ある日は前屈みに丸まり、またある日は右方向に俯いて……と、毎日覗き込む度に人形はその体勢を変えているのです。これは不思議だ と好奇心も出てきて、その後は僕も毎日夕方になると人形観察の一行に加わるようになりました。やれ今日は背中しか見えないぞ だとか、やれ今日は折れ曲がった変な体勢をしているぞ だとか。若干不気味でありながら、一つの日課的な楽しみとして、そんな事を何日も続けていました。一つ奇妙だったのは、あれだけ日々様々なポージングをみせてくれる人形が、こちらを向く事は一度も無かった事です。ずっと後ろ姿か、横顔しか誰も見た事がないと言うのでした。
そんな事を続けていたある日のお昼頃に、ふと僕はその日の人形の姿勢が気になって、倉庫の方へと向かいました。ほんの思いつきによる行動だったと思います。普段他の怖いもの見たさな園児たちは夕方に人形観察へと集まっていたので、この時間帯だと倉庫辺りにはまだ誰も来ていません。みんなより一足先に人形の変化を知れれば、部屋でちょっとした話題の中心になれる、なんて魂胆があったかもしれません。それでいつもの様に窓枠の出っ張りに手をかけ、ぐいっと身体を持ち上げ倉庫の中を覗きました。
積まれた長机の隙間、いつもなら人形が置かれているはずのその四角い空間に、こちらに向けて魚の様に大きく口を開けた鼠色の女の顔がありました。
ほんの2,3秒でしょうか。それが何であるか認識するまでの一瞬、僕の身体はそれを見つめたまま固まっていました。長机の奥に真っ直ぐ突き出した、微動だにしない首。生気の無い乾いた皮。光沢の無い髪。その黒ずんだ色合いの中で、瞳孔の有無すら明確でない両眼の白が妙にちらちらと浮いています。はっきりと、目が合っていました。
まるで引き戸から跳ね飛ばされたように床へ降り、そのまま硬直した手足を無理矢理ブンブンと振るって、ほとんど走りに近い早足で保育室へ飛び込みました。のんきに遊ぶクラスメイトたちの中を突き抜け、玩具の散らばる畳張りの小さな座敷スペースに崩れ落ちると、そのまま誰とも喋らず、ひたすらに丸くなって座っていました。声を出す事も出来ませんでした。ただ思考が真っ白で、痛い程の動悸を抱えながら、何が起きたのか把握すらできない頭で、何一つ変わった事のない平穏な部屋の中の風景を、大きく開いた目で呆然と見つめていました。
この出来事を誰かに話したかというと、当時の僕の習性を考えれば恐らくは何人かに話したのだろうと思います。しかし、それで何か目立った事が起きた様な記憶は残っていません。となると、またいつもの様に誰からも話半分で流されるか、改めて倉庫内を確認した上で嘘つき呼ばわりされるか。その辺りの自分にとって不本意で、代わり映えの無い結果に終わってしまったのであろう事が予想できます。
今となっては、そんな幼少期の小ブームについて当時の同級生に聞いてみたって、覚えている人なんてまず居ないでしょう。(聞こうにもそもそも縁が切れてしまいました)保育園自体もその後すぐ近くに新設の園舎が建ち、あの古ぼけた旧園舎はとうの昔に取り壊されています。遊戯室だけがそこに残されて、跡地は児童館へと変わってしまいました。
見間違い 勘違いと言えばそれで済むでしょうし、結局のところ恐らくはその辺りが真相なのでしょう。言ってしまえば我ながらこんな幼少時の記憶にどこまで信頼性があるか、分かったものではありません。けれども、少なくとも保育園で過ごした1年2年の間に「ねずみばあさん」という園児間で流行った噂話があったこと、その中心存在である倉庫の獅子舞人形を何度も見に通ったこと、それははっきりと事実であると認識しています。
この文章を書くにあたって一連の出来事を思い返していると、あの獅子舞人形の姿が脳裏に浮かびます。朱色の頭に金と黒の模様、白っぽい毛。風呂敷の様な胴体。まず一目で誰もが獅子舞の人形と認識するであろうそれを、あのときの園児たちは雑多に備品が並ぶ倉庫の中からわざわざ見出して、毎日話題に出すほどに注目していました。何一つ要素の一致しない「ねずみばあさん」なんて呼び名を付けて、奇妙なほどに恐れて。
「ねずみばあさん」って、何の事だったんでしょうね。

1999年、旧園舎