夜に手向けの讃美歌を
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人を、殺したことはありますか?
いきなりなんだと思われるかもしれません。大丈夫ですよ、犯罪歴があってもなくても入会はできますから。面接の形式にしているのは、単に重荷に耐えられるかどうかの確認にすぎませんの。
自分だけが世界が終わりゆくことに気づいているなんて焦るでしょう?しかもそれを止めるには、特別な人の頭に弾丸を撃ち込まないといけないなんて。こんなの、誰にも言えはしないけれど一人で抱えるには大きすぎる。だから私たちは皆で立ち向かっていくんです。この団体も、そのために作られたものですからね。一人で抱え込まないで、皆で世界を作り替える方法を探していきましょう。
どうしましたか?あぁ、私はありますよ。この世の何よりも綺麗だった、0歳の娘を殺しました。
少し、話してもよろしいですか?きっと、このままだと面接が続けられなくなりますので。私が、耐えられないから。
……ありがとう。よろしければ、しばらく婆の昔話を聞いてやってくださいな。

あれはこんな雨の日の夜でした。記録的な豪雨が続いて、雲の緞帳のおかげで真昼でも薄暗くて寒くて。会合が終わったのは夜の七時頃だったと思いますが、それにしては深夜のように暗かった。凍りついた夜でした。曇った窓の内側に、結露ができるくらいでしたもの。
老体には雨の夜の寒さは堪えるものです。六月だというのに、その日は本当に寒かった。手を擦り合わせながら帰る途中の路地裏で、私は、天使を見たのです。
白いワンピースを靡かせて、くるくると踊る一人の少女。あれはきっと昔主人と見に行ったオフィーリアの踊りでした。あまりにも綺麗だから、ついにお迎えが来たのかと思ったくらい。雨が降り注いでいるというのに少女はポニーテールの髪に水滴ひとつすらつけず、ひたすらにその四肢を夜に晒していました。
「な……」
私は、少女の名前を呼びました。どうしてかしらね。早くに旅立ったあの子は、私の顔も名前も知らないはずなのに。私も、一目見るだけで分かってしまった。あの子が大人になることなんて、私の想像の中でしか、もはやこの世界ではありえないと思っていた。
それなのにあの子は振り向いたのです。振り向いて、困ったような笑顔でこう言いました。
「おかあさん」
なつき、と。呼んだはずの名前が転がって夜の物悲しい雨に濡れていました。
同時に、ごとりと。皺だらけの手に遥かに重い鉄の感触。傘を持っていなかった方の手に、一丁の拳銃が握られていました。
それを見た瞬間、本当に唐突に。天啓のように、私は全てを理解しました。
目の前で踊る娘はもはや娘ではなく。この銃を使って撃ちぬいてしまわなければ、この世界に夜明けは来ないのだと。
おかしいでしょう?でも、死んだはずの娘がすぐそこで踊り続けていることに比べればどうだっていいことです。
「なつきちゃん」
やっと会えた。私と彼女はこうして並ぶと親子というよりも祖母と孫娘のようだった。
「綺麗ね」
ええ、本当に綺麗だった。まるで神様の御使いのように、その舞踊には確かな聖性がありました。夜を朝に変える、落ちゆく弾丸の影をかき消すほどに照らす光がそこにあったの。だから、私は。
なんの躊躇いもなく、彼女の眉間に弾丸を打ち込んだのです。天使を銃弾で撃ちぬけば、新しい世界がやってくる。なつきも主人も私を置いていかない完全な世界。冷え切った鋼鉄の夜は一度だって私を温めてはくれなかった。私を癒してくれるのは、もはや新しい世界に満ちる光の他ないのです。
私の世界はなつきを失った時にとうに終わっていました。
あの子を失ってから抜けられなかった暗闇を終わらせて、完全な、新しい世界で五体満足に産まれてきたあの子と朝を迎える。清い御使いを貫く聖なる弾丸が、この世界に希望の光をもたらすのです。
いいえ、本当はこんなことあの時きっと思っていませんでした。見ていたかった。この世界ではもう二度と見られない彼女の舞を、美しいオフィーリアを、私の、私だけの最愛を。
私の娘に母としてもう一度会える世界があるのでしょう?そう思って、私は引鉄を引いたのです。母が娘を手にかけるのだから、我が子に二度と会えなくなるのだから、これくらいの奇跡を頂戴と。
逡巡だってしました。一晩が永遠に続くように思えた。いっそ本当に永遠に続いてくれればよかったのに。そうすれば、今でも私は雨に濡れたまま、あの子の魂の透明な光を、人生でいちばん美しいなつきを見ていられるから。
けれど、私はまた間違えたのです。
福音のような銃声が轟いて、それはまるで賛美歌のようで。私の鼓動も体も揺るがして進んでいく弾丸と共に新世界をひらく開闢のラッパの、この世で一等美しい音に聞こえたのに。
呆気ないほど早く、彼女は水たまりに変わってしまった。私は私の手で、もう一度彼女を殺しました。
水たまりの中にかつて彼女であったものが溶けて混ざっていくのを見ていられなくて、私は震えた手で傘を放り出してなつきだったものを掬いあげて。指の間から流れ落ちていくそれが雨と混ざらないように何度も何度も、一滴残らず掬いとろうとして。
私の股の間から流れ落ちていくなつきの塊を、揺らぐ水の中に見たような気がしました。
取り上げてやれなかった。産声すら聞けなかった。私のせいで彼女は溶けて流れて消えたの。二度も、娘を取り上げることが叶わなかった。頭に、たしかに弾丸を撃ち込んだのに!変わったことといえば、私の世界が夜に塗りつぶされたことだけで。
……きっと、彼女では駄目だったのです。私たち親子は、再演なんてできなかった。たった一発の弾丸による贖罪。あの日世界を生み出した創世の器に、二人とも足るものではなかった。ええ、分かっています。偉業が偉業である理由は、今の今まで誰も同じことができていないからですもの。
それでも。間違いなく彼女は私の聖リンカーンで、天使で、最愛の娘でした。
聖ウィルクスになれなかったその代償が、娘を殺して聖者の奇蹟を再現できるなどと思い上がった子殺しへの罰が。新しい世界の希望の朝を娘にもたらせなかったことへの償いが、永遠に続く夜なら安いものです。今でもあの子はきっとどこかで踊っているような気がして、不思議と心が落ち着きますから。
話が長くなってしまいましたね。付き合わせてごめんなさい。もう大丈夫。
改めて、「デリンジャーの娘たち」の面接を再開しますね。次は、教会の理念について……。

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