花束なんて望まない
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 僕が所属している財団という組織には、神様がいない。神格存在やら霊的実体やら目の錯覚やら、科学に置換されてしまった。だから、宗教は死んだ。要素は実在と非実在に分別され、天国は思ったより抽象的ではないことが明らかになってきた。現象として数えたとき、普遍的に幸せとされるそれに達するのは本当に幸せなのか。財団は、暗に問い詰めてくる。僕らは、死んでも誰にも救われない。

 そのくせ、葬儀はある。


 腕に抱えた白百合の花束。へばりつくような甘い匂いに耐え、僕は“葬儀場”に足を踏み入れた。両開きのモダンな扉はいつも隙間なく閉ざされている。使われるときだけ、この扉は開放される。僕も何度か、扉が開いているところを通りがかったことがある。皆、僕と同じように花束を持っていた。

「戸神さん、お待ちしておりました」

 出迎えた女性の職員が僕に頭を下げた。黒く直線的なカーペットを挟み、いくつもベンチが並んだ部屋。カトリックの教会建築に似た内部構造の中で、いたのは彼女一人だった。空虚さが無機質な内装の配色と合わさって、肌寒さに変換される。僕以外に弔問客はいないらしい。

 よろしくお願いします。口先に緊張を覚えながら、僕は彼女に進行を促した。

 財団で催される葬儀───死亡済み扱い職員の清算には種類がある。外部で執り行われる葬儀と、内部で執り行われる葬儀。外部での葬儀は世間一般の形式に合わせ、儀礼的に行われる。財団で発生した死者を一般社会と結びつける意味合いを持つ。一方、内部での葬儀は、地方を統括する大型サイトの施設で粛々と実行される。実在する宗教からはかけ離れているが。

 カーペットの先を見据える。壁に取り付けられているのは、十字架でも菩薩の像でもない。

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 真っ黒な長方形が映った、大きなディスプレイ。ちょうど僕の目線と同じくらいの高さに設置された画面の下には、四角い扉が身構えていた。扉は小さく、人体は入りそうにない。なのに周囲に焦げが付着していて、箱の内部で何が起こるかは明白だった。離れた位置の壁面には操作盤があり、それが部屋の機械類を肯定していた。

 女性職員の足が止まる。修道女の着るスカプラリオに似たその衣服こそが、この部屋の機能への疑念を抑えてくれるのだろう。彼女が振り向くと、頭を包む布が舞い、同時に左目を隠す眼帯が視界に入った。過去を邪推した記憶が蘇る僕をよそに、彼女は口許を緩ませた。

「それにしても、戸神さんがここに来るとは思わなかったです。悪魔学の信奉者なんか、顔を合わせるのも嫌なんですから」
「ルコさん……僕だって、来たくて来たんじゃないですよ。命令があったから立ち寄ったに過ぎません。それに、サタニズムって悪魔を信仰してはいませんし」
「言い換えましょうか。神の役割に疑念を持つ人が苦手だと」
「敬うべき神様なんて、ここにはいないのに?」

 ルコさんは、またしてもにこりと笑った。右目が閉じて、丸みを帯びた線を作った。必死な反論がおかしくてたまらないのだろう。僕にしても、外界で育てられた感覚は捨てられないでいる。本当は、僕の知るものを悪魔や悪魔学なんて重々しく呼ぶ必要はない。異常存在と改変理論。それでいい。僕にとっての悪魔も、ルコさんにとっての神も、等しく意味がない。

 だったら、宗教性が死んだ葬儀なんてやる意味もない。僕は以前からそう思っているが、どうもその辺りの事情は込み入っているようだ。財団だって蓋を開けばただの組織だ。国家機関や企業のように、内部では集団が分けられている。すっからかんなこの葬儀にも、管轄している部署がある。

 数秒彼女を睨んでいたが笑みは崩れず、埒が明かないと悟る。僕は、自分の立ち位置の隣にある椅子に目を移した。大勢を座らせるベンチでは逆に進行に支障が出ると判断され、用意されたのだろう。腰かけると、画面と焦げのついた扉が真正面に来た。ルコさんが操作盤に向かって動いたのは、床と椅子の擦れる音を聞いてからだった。操作盤の前に立ち、彼女はルーティンのように迷いなく手を伸ばした。

 照明が弱まり、薄暗くなる。小さな扉の向こうでは、空気が吐き出される音が起こる。複数のつまみが回り、ボタンやスイッチが押され、ディスプレイに満ちていた色は黒から白に切り替わった。

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 カプセルと二人の人間を象ったロゴが、画面に浮かび上がる。僕をこの部屋に呼び出した部門───対話部門のロゴ。僕が“葬儀場”と呼んでいるこの施設を管理しているのも対話部門だし、一見すると本物のシスターのように見えるルコさんも今はそこの所属ということになる。

 少なからず、僕は不可解に思っている。対話部門の役割は、精神疾患を負った職員を治療し、その症状を回復させること。心理学者と臨床心理士の集団でしかない。他者の死を扱うのに適した人材とは、必ずしも言えない。

 どうして、財団内部での葬儀を主導しているのか。それも宗教のフォーマットを極端に排除した、異端な葬儀を。

「ルコさん」

 操作盤を弄っていた彼女がその手順を中断し、かけられた声に振り向いた。僕としても、黙々と待っているのはかなり厳しかったのだろう。声を発した瞬間、身体の力が抜けるのが分かった。電気椅子に固定された死刑囚はこの苦しみを死ぬ寸前まで味わうのかもしれない。下らない妄想をしながら、僕は尋ねた。

「確認したいんですが、ここで何をやるんですか?」
「決まってるじゃないですか。お葬式ですよ」

 言葉の端に見下している調子を含ませつつ、ルコさんは服のポケットからカードを取った。では私も確認していいですかと頭に置いて、四角い紙に目を通し、そして僕へと向き直る。葬儀は今も、終わりに向けて進んでいる。先ほどとは打って変わって、事務的な口調で彼女は質問を投げかけた。

「戸神 司さん。参列者として訪れる理由に、思い当たる出来事がありますよね」
「はい」

 自分たちで呼んでおいて、と喉を駆けてくる不満を抑える。ああ、そうだ。ここが財団でない場所だったとしても、僕は葬儀には出席していただろう。その葬儀でさえも、僕以外に出席する人間は少なかったかもしれない。聞いて回った限りじゃ、僕に執着しているとも、孤独を望んでいたとも揶揄されたそうだ。

「葬儀対象に向けた副葬品は持参してきましたか」
「はい」

 手に力が籠った。白百合を包んでいる紙が、雑音を発する。喧しいはずの音でさえも、静か過ぎるこの部屋では暖かく感じられた。白百合は、思い入れがあった花じゃない。僕にとっても。出勤前に花屋で調達してきた新鮮な白百合だ。思えば、僕は好きな花を知ることができなかった。

 それでは、最後の確認です。呟いて、ルコさんはボタンを押した。僕は画面に目を奪われた。

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 表示されたのは遺影だった。

「弔うのは、蒼井 啓介氏で間違いありませんね」

 ネームカードに使用されていた写真を流用したからだろうか。遺影の顔は、僕の知る顔とは微妙に違っていた。財団に雇用されたばかりの僕に指導を始める、その前の顔。普通なら別れ際に催される行事に、僕は蒼井先輩の新しい顔を知った。その表情が老い、動くことはもうない。少なくとも、僕が目の当たりにすることはできない。

「はい」

 声は微かに震えていた。少し、驚いた。今日ばかりは、淡泊でいようと決めていたのに。

 蒼井 啓介。僕の先輩にして、指導教官。僕なんかの何倍も秀でていて、周りからも好かれていて、他の後輩への面倒見も良くて、誠実で───最後には、死亡済み扱いになった。それも、自ら起こした意図的なインシデントによって。勇敢さと結びつくような行動ではないし、最後の最後であの人は幼稚だった。客観的に評価するなら、そうなってしまう。個を殺した、財団らしい評価をするなら。

 教会の形状を取るオブジェクトへと単身で突っ込み、自分から犠牲者になることを望んだらしい。過去に対する執着を晴らすために。それが理性的だったはずの蒼井先輩を突き動かしたのだと、身辺調査は示した。人間臭い人柄。それが、僕にできる精一杯のフォローだった。

 蒼井先輩の行動のおかげで、現状の僕は割を食わされている。財団は理屈で統率されている組織だから、それでも偏見の目は少ないだろう。だが、身勝手で利己的な動きをして死んだ人間の弟子というレッテルは、しばらく外れてくれそうにない。そのうえ、先輩は突入する以前の期間、僕以外との接触を断っていたらしい。何かを吹き込まれている。そう見られるのも無理はない。葬儀に客が一人しかいないのも、おそらくそのためだ。先輩の昔の知り合いで、彼の行動に憤慨している人物もいた。

 俺みたいになるなよ。所持していた通信機のバッテリーが切れる直前、蒼井先輩はそう言った。わざわざ、僕の名前を挙げて。思えば、僕が先輩の最後の言葉を聞けたのは、誰かが温情を働かせてくれたからかもしれない。

 なってたまるか。

 唇を噛んでいた。珍しいな、と思った。人に対して激しい憤りを覚えたのは久々だった。痛みが怒りを引かせ、客観視へと移行させる。ならないですよ、どうしてなると思ったんですか。一人しか参列しない、悲惨な葬儀なんて末路を迎えたくせに。一人残らず、理解ある人たちに悪感情を抱かせたくせに。一人で、身勝手な真似をしたくせに。

 どうして、あんなにも前向きな声を発せたんですか。聞かせてやりたい言葉は山ほどあるのに、その文句の山ももう無意味だ。僕が目を伏せると、硬い音が連続した。ルコさんはディスプレイの横に立ち、身体を傾けて僕の顔色を伺ってきた。問題なしと判断したのか、再び事務的な口調で話した。

「それでは、葬儀を進めます」

 彼女はディスプレイの下方にある、四角形の扉の取っ手を掴んだ。甲高い鳥の鳴き声に近い音を伴って、扉は開いた。瞬間、熱気を浴びた。


 開いた扉の奥には、小規模な闇が広がっていた。熱の放出は続いており、穴の周辺の空気を暖めている。目を凝らすと、底にはまた丸い穴が、ぽつぽつと等間隔で開いていた。

「戸神 司さん。持参した副葬品を、投入してください」
「入れて、どうするんですか」
「燃やします」

 分かっているでしょうに。それを、ルコさんは穏やかな顔のまま発声もなく伝えてきた。噂には聞いていたから、どうということはなかった。僕は、抱えている白百合を包み紙の上から撫でた。かさかさした紙の触感が手のひらを刺す。

 内部葬では、対象となる人物の肉体は必要とされない。死んだとしても肉体が残っているかは仕事上保証できない。また、外部の葬儀が優先されるため、こちらに回ってこないこともあるそうだ。だから、各自が持ち寄った副葬品を燃やして終わり。棺桶はいらない。とても合理的だ。合理的ではあるが。

 違和感に引っ張られながら、椅子から立ち上がった。鎖が絡みついたかというくらい、身体が重い。両手に抱えた白百合に寄りかかるみたいに、僕は四角い穴へと近寄った。先輩に関する物品は、身辺調査の名目で一時的に回収されている。持ってこられる品は、情愛もない花しかなかった。

 熱を吐き出す穴を見下ろす位置まで来た。視線を上にやれば、ディスプレイに映った蒼井先輩が部屋の入口を見て固まっている。僕を見ようとはしない。しばらく、僕はその姿を見つめていた。

「戸神さん。さあ、副葬品を」

 柔らかい声色で、ルコさんは僕を急かす。白百合の束を取ろうと、彼女は手を差し出した。手袋の嵌められた手を前にしても、僕は何の反応もしなかった。いや、できなかった。気怠さらしき感情が邪魔をしていた。ルコさん、と刻むように名前を呼んだ。

「燃やしたら、この花はどこに行くんですか?」
「行く、ですか。あなたの思うところに、行くと思いますよ」
「そうですよね」

 僕は笑いの混ざった息を吐いた。魔術や悪魔について学んでいると、対概念になる神やその説話も耳に飛び込んでくる。神様のことは嫌いじゃない。悪魔と同じ、実在しない世界の住人だから。ただ、鬱陶しかったり、胡散臭かったりする神もいる。所謂、自分を信じれば救われるという、誤った教えを説く宗派。そういう類いのものには、ときどき嘲笑を向けてしまう。

「なら、この花は蒼井先輩のところには届きませんよね」

 人はときに、神を偽造する。身を寄せればすべてから救ってくれるという存在に変える。

 僕が所属している財団という組織には、神様がいない。神格存在やら霊的実体やら目の錯覚やら、科学に置換されてしまった。これまで神とされてきた存在も、種類別に分類できることが明らかになってきた。彼らは単一の個体ではないし、彼ら全員が死者を救済する異能を獲得しているわけではない。

 焼却された有機物は、そのあとに燃え尽きた物質が残るだけだ。花は燃やしても天国に行かない。白百合を燃やす行為には意味がない。異常手段を用いずに、別の空間に物質を送信するのは不可能。“行く”という表現そのものが、宗教に寄りかかっている。ルコさんも、それは認識しているはずだ。なぜなら、認識した上で人を救うのが現代のシスターだから。

「手順に従ってください、戸神さ───」
「第一、おかしいですよ」

 ルコさんは言い淀みをしなかった。僕はそれを遮った。

「蒼井先輩はまだ死んでないじゃないですか」

 叫んでいた。彼女は口を閉ざし、下手な反論を加えなかった。報告書にも記された、覆しようのない事実だったからだ。

 人型実体の棲む、森の奥の礼拝堂。そのオブジェクトの内部では、罪を犯した者が永遠に断罪されるという。罪人は“償い”を受けるため、異空間へと幽閉され刑を浴び続ける。僕が聞いた通信では、金属と硬い木材が軋み、筋肉と骨が砕ける音が絶えなかった。罪人が“償い”を拒むまで拷問は継続され、生かされる。拒んだ瞬間に、罪人はようやく現実に戻ってくるそうだ。心臓の消失した死体となって。

 蒼井先輩の死体は、まだ回収されていない。行方不明になってから相当の月日が経ったのに。あの教会の中に、先輩の肉体は残っている。生きて、拷問にかけられている。状況から考えて、そう考えるのが最も自然だ。

「花が蒼井先輩のところに行くわけがない。先輩は死んだわけでも、救われたわけでもないんでしょう?」

 救われた。自分で自分を笑いたくなった。誰が救うんだ? 果てのない苦痛を味わい続けるあの人を。死んで天国にも行けないんじゃ、世間で都合よく登場する神様だって救けられやしないじゃないか。

 あの人が教会に突入した理由が過去への執着であることは間違いない。けれどその執着は、もし捨て去れば精神的な均衡が崩れてしまうような、大切なものだったはずだ。僕と出会う前に起きた出来事。蒼井先輩はある裏切り者を殺した。その裏切り者は先輩の相棒で、奇しくも先輩はその女性に恋をしていた。御伽噺みたいだけど、普遍的な悲痛があった。

 安らかに眠れ。追悼で引用される典型的な文章。それを先輩に向かって使うことはできないと思った。先輩は苦痛に耐えてきた。恋した人を殺したことを。そして今も耐えている。犯した罪を償うために。

 絡みついていた違和感の正体が分かった。僕には先輩の死を悼めない。死んだことにしてしまったら、今も先輩が耐えている永遠の苦しみから、意味が消え失せてしまう。僕は花束を抱えるのを止め、片手で粗雑に掴んだ。花弁が下へと向いた。


 ここには、死を悼まれるべき故人も死を悼む客もない。あるのは儀式を進行させるシスターと、祈ってくれとばかりに掲げられたディスプレイの遺影、口を開けて待っている焼却炉。やっぱり、空っぽだ。僕は押し黙っている彼女へ、ルコさん、とまた名前を呼んだ。

「この葬儀は、誰のための葬儀なんですか?」

 この葬儀には実行する意味がない。形だけだ。仰々しく儀式をこなしたところで先輩は救われたりしないし、救われるべきでもない。弔うはずの棺には何も詰まっていない。花を焼いて状況が変わるなら、それこそ異常事態だ。

 ルコさんは、しばらく沈黙していた。右目を瞑り、右頬を掻いた。何が最適解か、探しているようでもあった。彼女が悩んでいる間、稼働準備を済ませた焼却炉が相変わらず熱を吐く。やがて目を開くと彼女はまっすぐに僕を見据え、顔に添えていた手を下ろした。下ろした手はゆっくりと前へ伸び、親指が上になるように回った。


 右腕は、優しくこちらを示していた。

 一瞬の困惑を挟んで、理解する。

 僕か。


 腰より下で、がさりと雑音がした。包みの中の花が揺れていた。掴む力が弱くなっていたことには時間差で気付いた。

 無意味な葬儀。心療専門の対話部門。思い返せば、そりゃそうだ。ここまで空虚なのは、葬儀の主役が故人ではないからだ。死者を主軸にしないなら、宗教に従う必要も、遺体を調達する必要もない。そもそも心を救う対話部門では、死んだ人間は救えない。“葬儀場”は最初から先輩を見ていなかったんだ。

 弔問客。彼らが狙っていたのは、最初から僕だった。

「弔う対象が蒼井さんであることは変わりません。しかし誰のためかと聞かれたなら、あなたのためです。戸神 司さん」

 厭な硬さを纏わせ、ルコさんは距離を詰めた。眼帯のせいだろうか。華奢な身体つきなのに、異様な圧迫感に襲われた。記憶にはないのに、何か重い罪を背負ってしまったかのような感覚が全身を駆ける。刑を受ける前の罪人の感覚。それを振り払おうと口を開く。

「どうして、僕なんですか」
「あなたが生前の蒼井さんと親密な関係を構築していたからです」

 もっと端的に言います、と彼女は片目で僕の瞳を覗き込んだ。

「あなたは自分が思っているより、危険な状態にあります。このまま放ってはおけません」
「危険って……僕が危ないなら、僕を閉じ込めでもしたらいいでしょ? 何で蒼井先輩が関係して───」
「黙って聞いてください」

 ルコさんの視線は既に、すべてを赦す神職者のそれではない。声色こそ柔らかかったが、貫くような迫力があった。

「彼が死んでいないのは事実ですが、帰還する可能性が絶望的であるのも事実です。実質的な死亡状態にあり、故に死亡済み扱いが割り当てられています。それは無意識に、認識しているはずです。しかし、あなたはその事実を飲むのを拒んでいます。現に、今も」

 あなたにとって、彼の存在はあまりに大きすぎました。ルコさんの放った一言が、僕の中で反響する。聞かせてやりたかった、無意味に蓄積した文句の山。その隙間を通り抜けていく。憧れか、承認欲求か、何が根源となっているかは私の知るところではありませんが、と彼女は言葉を継いだ。

「蒼井さんを失った今、あなたの心は不安定になっています。近しい人の死が現実だとしても、その人の存在は簡単には離れない。死んだ程度で人は心から離れない。厳密には死んでいないことを知っているなら尚更。そこでズレが起こる」
「ズレって、何がズレなんですか。蒼井先輩はあくまで死亡済み扱いなんでしょう」
「あなたはこれから、彼のいない世界を生きなければいけない。死亡も死亡済み扱いも、そこは変わりません。適応しなければならないのにあなたの心には蒼井さんが残ったまま。それがズレです」

 説明は続く。その修正方法はいくらか厄介らしい。理論的な説得では納得してくれない。記憶処理で人物を消すと、積み重ねてきた有益な経験にも影響が出る。回りくどいことは承知の上で、対話部門は儀式の通過によってそのズレを解消させようとした。

 外部で葬儀が執り行われない職員のため。もしくは、その外部の葬儀に参列できない職員のため。内部で行われる葬儀には表向きの事情が設けられている。本心の一部ではある、と彼女は語った。

「お葬式はお別れの機会ですから。故人にとっても、遺される人にとっても」

 葬儀を経て、離別する。そこに死者の肉体や宗教への帰属はいらない。偽装を理由にできない以上、財団は無宗教でなくてはいけない。対話部門は限界まで、理念に沿っていて実行可能な葬儀の形を構築した。完成した“葬儀場”には、取り除く人物を客に再認識させるディスプレイと、物品を燃やして縁を絶つ焼却炉が設置された。

 本人も認識しないうちに、もう終わってしまったのだと感じさせる。火炎によって心から消し去る。心療の対象に追い打ちをかけず、自身の感情で乗り越えさせる補助をする。そうすれば、目的以上の効果を果たせる。皮肉にも、死は人を強くする。

「この葬儀の目的は、蒼井さんを完全に殺すことでした。戸神さんの心に残った彼の像は、除かなくてはなりません。そうしないと、引き込まれてしまいます」

 何に───いや、誰に。疑問が頭を突いた。疑問のままで留めておきたいと思った。尋ねるほど間抜けな僕ではない。きっと本当は、分かっている。答えは導き出せている。エージェントとしての実務経験から、それらと何度も対面してきた。

 帰らぬ人を騙って名を呼ぶ捕食者を。

 帰らぬ人の姿を取って誘い込もうとする道を。

 帰らぬ人そのものを奪おうとする、向こう側の景色を。

 あるいは、思考回路を歪ませるほどに心を破壊する、帰らぬ人への悔恨を。ディスプレイに映る蒼井先輩は、それが原因でオブジェクトに引き込まれた。

 戻らない過去に執着し続けることが、こちらではどれだけ危険か。これが普通の世界なら、個人の我がままだと許されただろう。しかし、弱みを見せれば喰われるこの世界で通用はしない。僕の心に置いておくことすら、的を掲げるようなものだ。

 心の奥底では、ずっと昔に理解を終えていた。


 ルコさんは芯の通った、それでいて責め立てない口調で僕に促す。

「戸神 司さん。副葬品を焼却炉へ投入してください。あなたの手で、過去を断ち切ってください」

 おそらく彼女は───善意に満ちている。僕を嫌悪していたようなあの会話から一転して、真摯に僕へと向かってきている。対話部門にしたって、こんな薬を処方するのは僕に治ってほしいからなんだろう。彼らは僕を救おうとしている。地獄往きの道から僕を拾い上げようとしている。

 僕はふらふらと動き、焼却炉の正面に立った。焼却炉は呑気にも大口を開けて、灰の材料が入るのを待っている。変わらず熱気を吹いていた。ここに花を投げ込み、花の一切が消えてしまえば、僕の中の蒼井先輩は死ぬ。僕に殺される。僕があの人を抱えて生きていく必要もなくなる。ディスプレイを見上げた。先輩の若い顔が、僕を無視して遠くを見つめていた。

 鼻で呼吸をして、僕は白百合を放り投げた。花の落下が終わったとき、ルコさんがぽつりと、困ったような声を発した。

 白百合が落ちた先は、床。待ち構えている焼却炉の手前に落ちた。

 僕は花束を踏み潰した。何度も足首を回し、靴の踵で重点的に潰す。足裏に伝わるのは花の柔らかさと紙の硬さ。紙が幾重にも折れ曲がる音が、静かな“葬儀場”を穢していく。

 こんなのは弔いじゃない。弔いだったとしても、僕は弔わない。なら、葬儀ごと壊してしまえ。いつもなら弱腰になってできないだろう行動。まるで悪魔が味方したみたいだった。おそらく僕は地獄往きだ。


 花束を踏んでいる足に重心を置き、顔を上げた。ルコさんは操作盤の近くにある壁にもたれかかり、あからさまに呆れたような顔をしている。声は冷めた調子に戻っていた。

「あなた、自分が何をしたか分かってます?」
「はい。これで僕は救われません」
「苦しいですよ、その道は」

 特段、僕の行為を叱責する気配はない。ただ単に、馬鹿を見る目でこちらを見ている。馬鹿には違いない。けど、全部承知の上だ。彼女の呟きに、首肯を返した。

「僕が蒼井先輩の部下だった事実は、記憶を弄ったところで変わりません。引き込まれてしまうなら、引き込まれないよう気を引き締めればいい。僕は、断ち切らない。全部引き摺って進んでいきます」

 僕は、蒼井先輩を抱えて生きていくしかない。聞かせてやりたい文句の山は、質問できなかった問いの山でもある。回答を示す教官はもういない。僕はまだ答えを探さくてはいけない。もし蒼井先輩を断ち切ったら、消化不良のまま回収できなかった謎ばかりが残るだろう。どうして、あんなにまで強くなれたのか。感情に振り回されることを選んだのは何故か。好きな花は何か。

 どうして、最後の言葉をあんなにも前向きな声で発せたのか。

「先輩が僕に与えてくれたことの意味を、もう少し考えていたいんです」

 危険な目には遭うだろう。あの人から認められることもないのに、謎を解き続ける羽目になるだろう。相手が沈黙しているのに、対話を続けなければならない。延々と拷問にかけられ続けるくらい、長い間、あるいは一生、僕は不幸だ。でも、僕の不幸は僕だけのものだ。他の誰にも奪わせはしない。

 僕の宣言を聞いたルコさんは、分かりました、とだけ言った。壁に背を預けるのを止めると、間髪入れずに操作盤に触れた。熱を保っていた焼却炉は静かになり、照明が明るい光を取り戻す。

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 蒼井先輩を映していたディスプレイが白に染まった。標準設定されているのがこの画面なのだろう。一瞬だけ、影法師みたく先輩の像が視界に残り、消える。見つめていると、ルコさんが声をかけてきた。冷やかしの客を追い払おうとする店員のように、微笑に隠した不機嫌が滲み出ていた。

「戸神さん、今日はもう帰ってもいいですよ」
「え。いいんですか、逆に」
「自分で葬儀ごと壊しておいて何を言ってるんですか?」

 すみません、と謝りそうになった。彼女はため息を吐いて、言葉を続ける。

「対話部門の目的は病める患者を救い、元の状態に戻すことです。あなたが決意を新たに進んでいくというのなら、我々に制止する筋合いはありません。目的は達成されたようなものです」
「本当ですか」
「非常に不本意ではありますが」

 最後まで譲らないつもりのようだ。これ以上不機嫌を募らせてもいいことはない。僕は踵を返し、黒いカーペットを進む。

「今から言うのは、独り言です」

 振り返らなかった。気を付けてくださいね、とルコさんは切り出した。

「あなたの他にも、この葬儀を拒絶した人がいます。その人は、あなたの先輩でした」

 蒼井先輩が恋人を殺めた頃の話。僕と同じように、先輩も対話部門からの内部葬を受けた。担当も変わらずルコさんだった。そして僕と同じように、蒼井先輩は葬儀を台無しにした。敵に花など供えられない。それを理由に中断させたようだが、あの人も心にいる住人を殺したくなかったのだろう。ルコさんはそう推測した。

 結局、蒼井先輩は向き合い切れず、感情を底に沈めて誤魔化した。そこを怪物に刈り取られた。向き合おうとすれば苦しい。逃げれば弱みになる。人はあまりにも弱くて、変化しやすい。

「戸神さんもそうならないといいですね。私には祈ることしかできませんので」
「大丈夫じゃないですか、たぶん」

 確かな根拠はない。しかし、捨てなかったことで拾えたものがあった。

「僕は、先輩みたいにはなりませんから」

 今後も、僕はこの命令に縋っていくんだろう。僕が先輩を心に置いておく限り、言葉は持続する。断ち切らないために得られるのは苦しみだけじゃない。叩き込まれた精神性は未だに、鼓動を打っている。


 立派ですね。分かりやすいルコさんの皮肉を聞き流して、僕は“葬儀場”から出ようとした。ちょうど廊下に足を出したとき、頭をぽんと柔らかく叩かれた。

「これ、燃やさないなら持ち帰ってください」

 背後に立っていたのはルコさんだ。片手には踏み潰された白百合の花束。それを持ち、腕を突き出した。半ば押しつけられるような形で渡されると、ルコさんは部屋の扉を閉め始める。これから片付けをしますから。反撃の猶予もなく、僕は“葬儀場”から締め出された。

 参った。普段通りの弱さを晒してしまったようで、恥ずかしく思えてくる。締まらないのがいつもの自分だと納得させながら、僕は自分で踏み潰した花束の状態を確認した。包みの丸みは失せ、緑色の汁が内側で飛散している始末。

 一方で、花の部分はあまり傷ついていないようだった。ある程度茎を切れば、花瓶に生けても綺麗かもしれない。花瓶に生けて、どこに飾るか。それはこれから考えることにしよう。今、愛着がなかったとしても、次第に何かを感じて手放せなくなることだってある。僕は前へと歩き始めた。


 財団には神様がいない。花を燃やしても天国には届かない。ありもしない救いを願って救われるのは、いつだって遺された人間だ。そのくせ、葬儀のときに心の中で生きている死人を殺す。花束は凶器になる。もし僕に大切な人がまたできて、また別れを経験したとしても───。

 僕は、花束なんて望まない。神様じゃなく、僕と僕が関わってきた人たちを信じていたい。

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