「いかがでしょうか、うちの商品は」
「確かにコンパクトだし、性能も申し分ない。だがこんなにも高価じゃ話にならないよ」
内部機構を一体化してダウンサイジングを実現したはいいが、それで製造原価が倍近くになったのでは理想の小型化とは言えなかった。事業は失敗。破産は目の前。
できる限りの経費節減はした。社員の給料も減額した。しかし会社を立て直すにはまだ足りない。
残るは人件費の削減、リストラだけだが、そんなもの私の経営者としての誇りが許さない。
いっそのこと……
2002年。夏。
僕、エージェント・貝積は斥候班C(“無計画”)に所属するフィールド職員だ。
今はとある任務を遂行するため、大井町駅の1番線ホームに配置されている。
南、黒川、尾野村の3人もそれぞれプラットホーム内の指定された位置に着いているはずだ。

今回の僕たちの任務は「未収容の現実改変能力者の特定」だ。
時空間異常制御部門からの報告によれば、ここ最近、この駅で不自然なヒューム値の変動が頻繁に観測されており、現実改変をもたらす物体、もしくは人間の存在が確実視されているらしい。
ヒューム値の変動パターンは現実改変能力者が極度の緊張を催した際に発生させるものと一致しており、対象は後者と判断して間違いないとのことだった。
ヒュームの異常は見られるが、現実改変の痕跡は確認されなかったことから、対象は半覚醒状態である可能性が高く、保有する能力を自覚される前に回収するのが望ましいとされた。
さて、外見は一般人と変わらない現実改変能力者を僕たちはどうやって特定するのか。
答えは僕の手元にあるこの装置。これを使う。
一見すると何の変哲もないスーツケースに偽装されたこれの正体は、小型化されたスクラントン現実錨(SRA)を内蔵したカント計数機なるもの。簡単に言えば現実改変能力者を発見するための特殊アイテムであるが、これはまだ試作の段階で実験的な運用にしか裁可がおりていない代物だ。
携帯版で50kg超えの重量は、明らかに実用的ではないからだ。
工学技術事業部門長の話によれば一基製造するのに120万ドル以上かかっているらしい代物なので、扱いにはこの上なく慎重を心掛けなければならない。
一人一基、締めて480万ドルが任務遂行上の必要物資として僕たちに支給されたわけだ。いろんな意味で重すぎる。
SRAをこうして持ち運べるようになったのは一フィールド職員としては素直に喜ばしいことだが、解決すべき問題は多く、これを理想の小型化とは言い難い。
カント計数機が算出した周囲の相対的なヒューム値は数値化され、それらのデータは今僕が眺めているこの携帯電話(に偽装されたデバイス)の画面にリアルタイムで表示される。
周りからはスーツケースを携えたビジネスマンが、手持ち無沙汰に携帯を弄っているようにしか見えない。
偽装は完璧だ。
早速、カント計数機が異常の起点を捉えたようだ。
端末の画面に表示された情報の示す位置に視線を向ける……いた。
「こちら貝積。対象を発見。30代前半、スーツ姿の男だ。位置情報を送る」
手ぶらだったことに多少の違和感を抱いたが、その時は報告する程のことでもないと思った。
『こちら南。確認した』
位置の関係から対象を観測できているのは南と僕の二人だけのようだったが、後の作業は簡単なので問題はない。
端末で対象の写真を数枚撮り、顔認証システムで身元を割り出す。
照合データを回収班の元へと送信して、僕たちの「特定」の任務は完了だ。
後の「回収」「収容」はそれぞれのプロフェッショナル達が抜かりなく遂行してくれるだろう。
『間も無く一番線に電車が参ります。黄色い線の内側まで……』
僕らはここで撤退だ。思ったよりも事が楽に進んでよかった。
特定よりもこの岩のようなスーツケース持って移動するほうが大分大変なぐらいだ。
『間も無く一番線に電車が参ります。黄色い線の……』
『こちら南、対象が線路に立ち入った。貝積、見えるか』
南の通信に反応して、線路の方を振り向く。
その時には既に対象は線路の上に突っ立っており、そのまま動く様子がなかった。
「こちら貝積、確認した」
電車の来る方向を見据えるその目の中には深い失望の色が見え、ぐだりとした表情からは一切の生気が感じられない。
対象が何を望んでいるのかは一目瞭然だった。
当時はほとんどの駅に列車非常停止ボタンなど設置されておらず、プラットホーム床下の退避スペースなんてものも設けられていなかった。見ていた周囲の人々もざわめいているだけで、何かをしようとする人はいなかった。既に見えるところまで電車が迫っていたからだ。
おまけに彼は現実改変能力者、下手に手を出せば何をしでかすか分かったものではない。
とはいえ、多くの現実改変能力者の覚醒の時は「身の危険を知覚した瞬間」だ。このまま放置するのも危ない。
「南、どうする」
返答はなかった。なぜならその時、南は既に行動を起こしていたからだ。
南は線路上に飛び降りて、まっすぐ対象の元へと駆け寄り、半ば殴り倒す形で対象と一緒にその場に伏せたのだ。
「南!」
僕の声は折から走行してきた回送電車によって掻き消された。
次々と車両が通り過ぎていく、呆然とした人々は身じろぎもせず、視線を一箇所に集中させていた。
最後尾の車両が視界からフレームアウトした瞬間、僕の目にはレール上に対象を抑え込む南の姿が映った。
電車の真下のスペースは思ったよりも広かったらしい。2人とも無傷だった。
その後は特に問題もなく。
対象は救急隊員に化けた回収班によって護送された。
個人的な文句の付け所は、カント計数機を物品管制班の元へ引き渡すために、人一人分の重量を有するそれを持って長距離歩かされたことだ。基本的に勢力圏外からの支援が担当の僕には、他の3人のような逞しい筋力は身に付いていない。その翌日は筋肉痛で全身がきしんでいたのを覚えている。
仄聞したところ、対象の男は元々とある中小企業に社長として勤めていた人物らしい。
燃料処理装置の小型化・軽量化という事業に取り組んだが、それで生まれた商品は「従来のものよりサイズが一回り小さいだけの贅沢品」というあのカント計数機を思わせるような無用の長物で、セールスには大失敗。
事業融資の返済が大きな負担となって破産寸前にまで追い込まれたのだそうだ。
会社の倒産を回避するにはリストラぐらいしか方法がなかったのだが、彼は長く苦楽を共にしてきた仲間でもある社員をクビにすることが出来ず、"潔く"という思いで倒産に踏み切ってしまった。
倒産後、それに納得できなかった一部の元社員達に「お前のせいで職を失った」「責任をとれ」だの言われて、連日連夜ただでさえ少ない持ち金を巻き上げられていたのだそうだ。
金銭的にも精神的にも参ってしまった彼はついに自殺を決意した。
それでいざ地下鉄のホームまで足を運んでみると、死の恐怖に中々打ち勝つことができず、腰が引けて断念。
その翌日に再来するがまた腰が引けて断念……これの繰り返しを一ヶ月近く続けていたらしい。
その一ヶ月というのは、あの駅でヒューム値の活発な変動が観測された時期と一致する。
それと、これは後の調査で明らかになったことなのだが、例の電車とレールの間には、500mlペットボトルの背より少し低いぐらいの隙間しかなく、南や対象の体格では伏せて通り抜ける、なんてことはまず不可能だったのだ。
それなのになぜ対象と南は無事に生還することができたのか。
「迫り来る電車という驚異に反応して現実改変能力を覚醒させた対象が、“電車に轢かれて死ぬ”という本来の現実をなかったことにして、“電車の真下に伏せて生き延びた”という現実を無意識に再構築したのだろう」というのが研究員らの導き出した結論であった。
リストラできずに自殺まで追い込まれた彼は、死ぬ寸前に現実を再構築したおかげで命拾いしたというわけだ。
リストラとは英語のRestructuringの略語で、本来の意味は「再構築」だ。
これは誰が用意した彼への皮肉なのか。
対象は収容後のインタビューで「自殺を図った時、自分を助けようしてくれた人がいて、内心嬉しかった」と告白した。
もしかしたら南のあの行動がなければ、対象は死を望んだまま、現実改変を行わずに電車にはねられて死亡していたのかもしれない。
そういった事実も発覚して、南のあの行動には毀誉褒貶相半ばしたわけだが、結果的にはその胆力と行動力を称えられ、部隊側から勲章が贈られた。
「なぜ咄嗟に命がけの行動にでることができたのか」という後輩エージェントの問いに、南は「日頃からフィールド職員として当然の覚悟を備えているからだ」と格好よく答えたが、
これは嘘だ。彼はこういう”賭け”に出るのが好きなだけだ。
2006年。夏。
衣替えの季節ということで、今日は装備の新調が行われる。
そこで支給されたのは見たことのないペン型の何か。
「これは?」
「カント計数機です。この型になってやっと上級フィールドエージェントの標準装備に採用されたんですよ」
「随分小さくなったね、最初に見た時はスーツケース型だった」
「当時と比すれば、精度は格段にアップし、製造原価も革新的に削減されています。マニュアルはこちらです」
本当に小さい。しかも軽い。胸ポケットに楽々入る。
スーツケース型だった頃の忌々しさはどこにもない。
しかもアップグレードとコストダウンも兼ねている。これこそ理想の小型化じゃないか。
「これはいいね。コンパクトすぎて所持していることを忘れそうだよ」
「紛失した場合は重要機密の漏洩行為とみなし、Dクラスへの降格処分も検討されますので、ご注意ください」
「へえ」
やっぱり小型化も考え物だ。