ザカリー・グリフィス・フィッツジェラルドの死は、公式には他の826名と同様に扱われた。後に"ホーキンスヴィル大災害"と呼ばれるそれは、僅か十数年の内に合衆国東海岸や北極圏を始めとする幾つかの地域を除き、人類が居住可能な地球上の土地をシリコンと腫瘍で荒廃させた"後2000年のカタストロフ"の一つのイベントに過ぎず、しかしながらそれが合衆国内で発生した初の事例だった。
彼が5度目のイラク派兵の後、自分の故郷であるホーキンスヴィルに戻って20年が経つ。除隊後に彼は"Security Consulting Professionals"という何の面白みもない名の警備会社でインストラクターを務めて、社名に違わぬ退屈極まりない数年をすごした後に彼が選んだ道は、材木生産と僅かな農耕以外はこれといった産業が無い、良く言えば穏やかな、そして悪く言えば緩やかに衰退しつつあるこの町でハンターのガイドをする事だった。
この町の北に広がるウィンシップの森、そこは彼が父親からライフルの扱いと狩猟の教えを授かった場所であり、その経験は軍に志願した後も大いに役立った。そして彼は沿岸猟兵師団──連邦国防軍で唯一、両用戦を主任務とする部隊──の偵察狙撃手として軍歴の大半を過ごした。彼は父親と同じくらいに射撃を愛しており、今や孤独の身である自分は、それが培われたこの地で新しい人生を歩むのも悪くないと考えた。
尤も、町内のハイスクールを卒業した若者の多くは州を越えてボストンや、場合によってはもっと離れた大都市の大学に進学するか、就職先を探すのが殆どなのは彼が軍に志願した頃から変わりは無い。彼が故郷に帰還する数年ほど前、廃坑を含む一帯を"Soil Conservation Planning"という名の会社が郡政府の委託で廃坑が周辺の土地に与える影響を研究する目的で買い取ったが、地質学や土壌学、森林科学、或いは生態学の専門家でない限り就職は難しいだろう。結局、家業の無い家に生まれた者の大半はいつか街を出るしかない。ザックの娘と同じように。
彼女は数年前に死んだらしい。というのは、彼女が勤務していた会社から送られてきた書類でそれを知っただけだったからだ。彼はそれを見て初めて、自分の娘が結婚しており、息子──つまり自分にとっての孫──も居るという事実を知った。軍に入ってしばらくして彼は離婚し、親権が母親に渡ってからというもの、彼女との関わりを思い起こさせるものは何もない。故に、彼女の死亡通知を見ても"ああ、そうか"と思うだけだった。そして孫である、顔も見た事の無い少年については引き取るべきだろうかとも考えたが、彼自身がそれを望んでいないという理由で社からは情報提供を拒否され、ザック自身もそれに拘る事は無かった。
彼はこの町に来た時から保安官を務めているハリーの頼みもあって、ピース・オフィサーに任命された。それは正規の法執行官ではないが、拳銃の携帯と、それを自身の身を守る為だけではなく公共の安全の為に使用する正当性を保証するものだった。彼の輝かしい軍歴を見ればそれも妥当だった筈だが、静かに老いつつあるこの町ではその肩書が邪魔になる事もあった。より直接的に言えば、彼は住民たちからは決して歓迎されてはいなかった。
それは彼がこの町に来て間もない頃、訪れていた店で偶然出くわした強盗を何の躊躇いもなく射殺したからだろうか。この町の空気に慣れ親しんだ住民たちがそれを受け入れる事は難しかった。彼は自分に向けられた安物の9㎜カービンの銃口を払いのけ、それと同時に上着の下に隠していた45口径を胸に2発、頭部に1発。相手は流れ者の薬物中毒者で、彼の射撃が全く以て合法であり正当である事は誰しもが理解し、また公的にも証明されていた筈だったが、それでも住民たちが彼との関わりを避けようとするのにかかる時間はごく短かった。長年の住民なら兎も角、彼はその時点でまだ"余所者"だったからだ。
彼はハリーの助言を聞き入れて、街の北側に広がるウィンシップの森の中に住居を構える事にした。それ以降、彼は食料や日用品の貯蔵が減ってきた時にそれらを買うために町に降りる時以外、住民たちと積極的に関わろうとはしなかった。但し、何事にも例外はある。偶にウィスキーのボトルを持って彼の下を訪れるハリーと彼の助手である保安官補のニコラの様に。ハリーは彼なりのやり方で気遣っていたのか、それとも監視のつもりだったのか、それは今となっては分からない。しかし、ニコラは少なくとも前者だったに違いないと信じている。そしてニコラはまた、ザックと懇意にしている町の住人が何人かはいる事も知っていた。
ガンショップの店主、デュヴァルはベトナム帰還兵の海兵隊員で90歳近く、気難しく頑固だが射撃については彼と話が合うようで、ザックの事が話題に上がるたびに"オートライフルに限っては、俺があいつと同じくらいの時よりも上手く当てる。それ以外は俺の方がまだ上だ"と言うのだった。雑貨屋のクラマーは、ザックの悪評が街に広まる切欠になった事件の当事者だった。ダイナーでザックと顔を合わせた時、クラマーはまるで旧知の友人の様に彼に話しかけるのを彼女は見た事がある。ザックが立ち去った後、ニコラが彼にザックの事を聞いてみると、彼はこう言った。
"町のみんながどう思っていたとしても、私は彼に感謝している。それを最初に伝えた時、彼は少し驚いた様子で、「義務を果たしただけだ。あんたや他の従業員が傷つかなくて良かった」と返してきた。それを聞いた時から、私はこいつが悪い奴じゃないと心の底から信じているよ"と。
そのダイナーの従業員たちも彼に悪い印象を抱いている様子は無い。ウェイトレスのジェニファーに至っては"彼がもう20歳くらい若ければ誘っていた"とさえ。ハリーはこの町には相応しく──そして法執行官としては聊か不向きな──大らかな性格の持ち主だったが、少なくとも人を見る目は確かなのだろう。
ザックが最初の異変に気付いたのは3か月程前、ベンのカボチャ畑での事だった。作物は全て枯れ、蠅がそこら中を飛び回っていた。奇妙だったのは、潰れた実の断面は赤黒い灰のようなもので覆われ、種は煙草を浸した水を思わせるような吐き気を催す苦みに満ちていた事だ。通報を受けて派遣された合衆国魚類野生生物局FWSのエージェントはこんな現象は初めて見たと言い、サンプルを持ち帰ったが、ザックがその結果を聞くことは無かった。野原では、それまで毎週のように駆除の依頼があったコヨーテの姿を全く見かけなくなった。彼は毎日のように森に入ったが、オジロジカはおろか、一匹のリスや野鳥さえも見つける事が出来なかった。
森の中を妙な格好の集団が歩いていたとか、時折聞きなれない動物の鳴き声が聞こえるとか、そういうオカルト染みた話から、廃坑から流出した毒素が街と森の間を流れるメール川に流れ込み、それが農業用水を汚染したという根拠はないがより現実味のある話まで、様々な噂が飛び交うようになった。彼が時折食料品や他の日用品を買い出しに町に降りてくる時でさえ、立ち寄る方々でそのような話を見聞きした。
奇妙な、しかし確かな異変が町の周囲を覆いつつあるそんなある日、何人かの住人を伴ってザックの家を訪れたハリーは、町に住むある少年──名をジャック・レスリーといった──の捜索願が受理された事、そして捜索に加わるよう依頼してきた。街の人間の中で森に一番詳しいのは彼だとそう理解していたからだ。ザックは森の様子が変わりつつある事を思い、慎重に行動するべきだと告げたが、住人達は彼が誘拐犯だと疑う者もいたようだった。皮肉にもそれが好奇心から捜索に志願を希望する住民たちの背中を押した。結局、捜索の大勢の志願者が参加した捜索活動は一か月に及んだが、それは唐突に終わりを告げた。
少年はある日突然、自宅の寝室で見つかった。彼は泥と血に塗れた服と全身に真皮まで達する傷を負っていたが、自分が姿を消してから目覚めるまでの間の記憶を全て失っていた。
ザックはハリーから少年の傷跡の写真を見せられ、それをじっくりと眺めてから口を開いた。
「コヨーテでもアライグマでもなさそうだ。ナイフならもっと細くて深い。意識がある状態でやられたならさぞかし痛かっただろう。しかしそれ以上深くには至っていない。傷は全身に有ったんだろう?腹と腕は弾性が全く違う。犯人が野生動物であれ人間であれ、被害者が少しでも動いている状況、つまり動作を予測できない状態でつけられる類のものじゃないな。たとえヴェロキラプトルに襲われてもここまで綺麗にはいくまい。外科手術の類か、精密に計測した上でレーザーかフライス盤、或いは腐食性の薬品を注意深く使えば出来るかもしれない」
ハリーは彼の見解を聞いて顔を顰める。ザックのいう"施術"の光景を想像してしまったからだ。どこのイカれた変態がそんな真似をするというのだろう。いや、話には聞いたことがある。麻薬カルテルの連中は時として、ターゲットやその親族──往々にして子供を含む──、或いはその遺体の一部を意図的に損傷させて報復の意思を敵対する誰かに表明する事があるとは聞いたことがあった。だがそういうのはメキシコやコロンビアでの出来事であって、この町には相応しくない。そんな比喩表現を淡々と告げる彼は、一体どんな脳の構造をしているのだろうかと不安になる。
「じゃあ、彼は誰かに攫われて拷問を受けたとでもいうのか?その──身動き取れないよう拘束して、注意深く均等で均一な傷跡をつけるような?」
「少年少女の涙をマティーニに加えて飲むのが好みの奴も居ないわけじゃない。だが、それ自体が目的ならもっと効率良く苦痛を与え、悲鳴を上げさせる術を知っているだろう。彼が特定の遺伝子パターンを持つ人間だけを不妊にするウィルスを開発したり、911の真犯人を知ってたりするわけじゃないんだろう?そこまでやる奴──或いは奴ら、かもしれないが──が一か月間も彼の手がかりを一切残さず、しかも何の痕跡もなく彼を自宅の寝室まで送り届けたというのも妙な話じゃないか」
「現物を見るか?」
「両親や他の住民を不安がらせたくはない。悪目立ちする自覚くらいはあるさ。少年の服は押収しているか?」
「ああ」
「FBIに送って鑑定を依頼するべきだ。少なくとも見つかる直前まで彼がどういう場所に居たかは絞り込めるだろう」
その少年は目覚めて数週間の療養の後に以前の生活に復帰、学校にも再び通い始めたが、数週間後、授業中に突然何の前触れもなく発熱し、緊急入院したという話をハリーは不安げに伝えてきた。感染症なら医師に任せておけばいい、ザックは彼にそう伝えたが、同時に彼の態度から嫌な予兆を感じたのも事実だった。何せ銃で武装した強盗が射殺されただけで街中が動揺し、20年経った今でさえその事件は後を引いているような土地だ。何が住民の恐怖を煽り、彼らの思考や行動に影響を与えるかは予測できない。ザックは二人の帰り際に、こう告げた。
「街の巡回を強化したほうがいい。非番の時も銃を肌身離さず持ち歩け。但し病院には近づくな。何かあったと住民に悟られるのはまずい」
アンナは、ジャックがある日を境に変わった事に気づいていた。
あれだけ生意気で、事あるごとにどこから仕入れたのかも分からないような知識をひけらかし、さも馬鹿にしたように鼻を鳴らす弟はもういなくなってしまった。時折ふさぎ込むようになり、かと思えば何もない壁に向かって気味の悪い笑みを浮かべたりしていた。何があったのか聞くと獰猛な表情で怒りを露わにした。親しかった友人が家に訪ねてきても追い返すようになり、しまいには部屋から出なくなった。
彼に何があったのか。
弟の親友、その一人の兄であるウィルは彼女のクラスメイトだったが、彼の存在を今まで殆ど意識したことが無かった。典型的な"ナード"、そう揶揄われることも時折あったらしいと聞いている。友人らしい友人もおらず、授業が終わるといつもすぐに教室から出ていく。自分とは対照的で地味な存在。何もなければ卒業まで会話らしい会話をすることも無かっただろう。
しかし、彼女は弟の事を心から心配していた。──当然だ、家族なんだから。
そう思ってアンナはウィルの家を訪れた。しかし、話をしたいのは彼自身ではない。彼の弟だ。
「やあ、アンナ、久しぶり。どうしたの?兄貴に用事?生憎今は僕しか居なくて。その、ジャックは元気?」
「その事で来たの。あなたに聞きたい事が、ケイレブ。上がっても?」
「勿論」
生憎、ウィル自身は留守だった。いや、その方がむしろ都合が良かったかもしれない。幸い、彼の弟はアンナを一目見て彼女が親友の姉である事に気づいた。そういえば、何度かホームパーティに来ていた事があったような気がする。兄の方は居なかった筈だが。そして、彼は語り始めた。
小学校のころから続いていた、ロー・ティーンの男の子なら誰でも一度はハマる冒険遊びの話。例の噂を聞けば、この年頃の少年であれば必ず興味をそそられるだろう。ましてや退屈極まりないこの町に住む子供であれば猶のことだ。そういえば弟もよく服を泥だらけにして帰ってきては、母親に怒られていたっけ。
「つまり、"コード・ブラック"だったんだよ」
「何を言っているの?」
彼女の問いを聞いて、ケイレブは得意げな顔をして見せた。そう、まるでかつての弟と同じように。
「"緊急事態"ってことさ。川沿いに僕たちは歩いていたんだ。突然しんがりのジャックが川に落ちた。僕たちは驚いた。水面までは2m以上もあったからね。でも、ジャックは泳げる事を知ってたから、そこまで心配はしなかった。彼は一瞬沈んだように見えたけど、すぐに浮かんできたよ。ジャックは突然笑いだして、僕らも釣られて笑った。彼を川から引き揚げて暫くすると突然震え始めたんだ。びっくりしたのか、それとも水が冷たかったのかもしれない。震えはすぐに止まったけど、僕たちは濡れた服を乾かすために焚火を起こした。レヴィがマッチを持っていたからね。ああ、レヴィっていうのは僕たちのリーダーさ。自転車には乗れそうになかったから、レヴィが後ろに乗せて帰った。しばらく彼が学校に来なくなっても、きっと風邪を引いたんだろうと思ってた」
「それだけ?何か他に変わった様子は無かったの?」
アンナの真剣な表情は、ケイレブにも伝わったらしい。
「そういえば、時々僕の方を振り返って笑ってた。水に落ちた時と同じ顔に見えた」
アンナは、つい家を出る前にも見かけたジャックの様子を思い返して震えた。そのせいか、別の声で背後から呼び掛けられてつい叫んでしまった。
「アンナ?」
振り返ると、不思議そうな顔をした彼の兄が立っていた。
次に姿を消したのは少年の母親だった。保安官事務所に憔悴した様子の父親が訪れた時、ハリーは旧知の友でもある彼に、直ちに捜索活動を行う事、そして"きっと見つかる。だから思いつめるな。全て上手く行くさ"と告げた。
父親の後ろ姿を見送りつつ、ハリーは4人しか居ない部下に捜索の手配を命じ、次にザックに電話を掛ける。
「ハリーだ。二人目の行方不明者が出た。例の少年の母親だ」
たった数コールで彼が出た事に少し驚きながらもハリーは事実を伝える。彼は普段電話には出ず、折り返しを待つことが殆どだったからだ。
"了解した。また捜索隊を組織するのか?"
「そのつもりだ。何か問題でも?」
"この前の様に大人数で入るのはお勧めしない。FBIから何か情報は来ているか?"
「今の所は何も。だが、今度はFBIからも捜査官が来るらしい。あんたにはそっちの世話を任せるかもしれない。だから待機していてくれ」
"分かった。他の住人にも動揺が広がるだろう。噂でもいい、何か妙な兆候があったら教えてくれ。"
ザックは時折森で出くわすかもしれないアメリカクロクマに備えて、森に入る時は殆どの場合.45-70口径のライフルを携行していた。長い設計の歴史を持つマーリン社製のレバーアクションライフル、6連発。ウィンシップの森の一部は彼の私有地と重なっている。だから彼は森に入る時にどういう準備をするべきかを熟知していた。
だが、今日の彼は違う。森の様子は一変していた。あらゆる動物が姿を消し、静まり返っている。それは言い換えれば何が待ち受けているのか判らないという意味でもあった。そういう時であれば、自分が最も扱い慣れた武器を傍に置いておくのが最善だと彼は考えていた。
それはスプリングフィールドM1A、彼がこの街に着任してからずっと使い続けてきたライフルの成れの果てだった。彼はより新しい型の銃を手にする度に、つくづく自分はこのライフルに染まっているのだと実感せざるを得なかった。彼はもっと精度が良く、もっと軽くて扱いやすいライフルが存在する事を知っている。それでも、彼の20年に亘る軍歴とその後の射撃経験によって、この長い設計の歴史を持つ伝説的なライフルは彼の体の一部となっていた。M1Aは射撃と分解・整備に最も自信が持てる武器であり、故に今の状況にまこと相応しい選択だと思った。
銃身は高精度で肉厚の競技仕様に、銃身を覆う放熱板はナイツ・アーマメント社製のピカティニーレールに、銃床はFRP製に換装されている。そのセットアップは、かつて彼が現役の分隊狙撃手であった頃に使用していたM25狙撃銃の仕様と同じだった。一方、リューポルド社製10倍率ライフルスコープとその前面に取り付けられたEOシステム社製暗視装置、レーザー照準器と2種類の光源を持つフラッシュライトは彼が現役の時に使用していた光学照準器よりも新しい製品だった。彼は数年前にこの組み合わせが自分が現役で使っていたそれらよりも、今の自分の求める用途に適している事に気付いた。そして自分が扱う限り、このライフルの22インチ銃身から放たれる175grの308Win弾は、スコープ越しに500m先で立ち小便に勤しむ敵兵の緩み切った顔面を破裂させる事も、咄嗟の急射で20m先で今まさに襲撃に移ろうとしているアメリカクロクマの胸腔を深く抉る事も出来る事を理解している。
ザックはその日の朝、遠くに響くヘリコプターの音で次の異変の兆候を感じ取った。そして彼は"シャーリーン"と、普段から携行している9㎜の2011──これは数年前に1911から買い替えた──、そして、文字通り"最後の手段"であるS&Wの38口径リボルバーをチェックし、次に観測用望遠鏡で自分の土地をくまなく走査した。
そして彼は今、ライフルの照準器越しに森に現れた奇妙な集団を観察していた。
街に出かける時のような、或いは部屋着のようなラフな服装に見た事も無い型のベストを着て、様々な型の上着でそれを隠した12人が、同じく様々な型の銃器を携行している。一見すると統一感の無いように見えるそれらは、胴体の装備と同じく上着で隠せるよう配慮されているのか、小型のサブマシンガンかカービンらしき武器が殆どだった。金属や樹脂の部品はどれも傷つき、塗装が剥がれ落ちて地が剝き出しに、木製部品は色褪せているように見えた。
唯一彼ら全員が統一されているのは、見た事も無い形状のヘッドギア──それは一見してライダー用のフルフェイスマスクに似ていたが、よりコンパクトでバイザーが小さく、防護マスクらしき物が取り付けられていた。彼らが郡保安官事務所やFBIのSWATチームでも軍の部隊でもない事は明らかだった。普段着に不揃いな装備品は民兵を思わせたが、そういう連中であれば決まってお揃いのワッペンをこれ見よがしに着けているもので、それが見当たらないのは不自然だった。一番近い表現であれば、どこぞのギャング組織か奴らが雇ったゴロツキ、或いはかつて彼が現役の頃に相手をしていたテロリスト集団──尤もターバンは巻いていないが──といった所だろう。
彼らの目を引くため、ザックは自宅の部屋の照明を全て点灯していた。そして確かに彼らはそれに気を惹かれていた様だったが、目的地は別にあるようだった。彼らはこの森に用は無く、単に近道をしようとしただけなのかもしれない。15m間隔、一列縦隊、歩幅も速度もまばらだった。彼らの隊形や動きは、この土地に不慣れであろう事を差し引いても素人染みて見えた。ザックにとって彼らは"明白かつ現在の危険"ではないが、組織化された"脅威度不明者"アンノウンの集団であった。そして武装した彼らは自分の主権領域を侵犯しつつあり、実力を以て排除する権利を持つ。それでも彼らの意図が不明である以上、そして恐らくは自分と同じ連邦政府の職員ではないであろう以上、武装した1個分隊に立ち向かうつもりは無かった。かといって彼らの前に姿を晒し、銃を向けて"ここは私有地だ、さっさと出ていけ"と告げてやるつもりもなかった。奴らの装備と動きは、明らかに何かの目的に沿って入念に整えられたものであり、それが自分にはあずかり知らぬものである以上、奴らは立ち塞がる障害を排除する事に躊躇する事は無いだろう。
目的は不明でも、行き先を予想する事は出来る。ヘリのローター音は山麓の方に消えていった。そして森を抜けた先にはあるのは廃坑だ。
彼は照準器から目を離し、カメラで何枚か証拠を撮影する。奴らが何を企んでいるにしろ、その矛先が自分に向いたときにそれを台無しにしてやれる可能性があるからだ。何もなければそれでいい。
しかし、彼は"何もない"事はあり得ないだろうと直感していた。そして、それは事実だった。
「FBIのレイチェル・ロドリゲス捜査官です。よろしく」
ハリーはフォードのSUVから降りてきたその相手を見て僅かに面食らった。FBIのロゴの入ったウィンドブレイカーとキャップ、こちらに向けられたバッジとIDのホルダー、そして腰のホルスターに収められたシグ・ザウワー製拳銃。しかし彼にはボストンの大学に通っている自分の娘と同年代にしか見えなかった。
「あー、その、連絡は受けてます。捜査官。私は・・・・」
名乗ろうとした矢先に出鼻を挫かれる。
「ハリー・ウォレス保安官ですね。早速ですが鑑定の報告書を」
レイチェルは助手席からバインダーを取り出し、ハリーがそれを受け取る。立ち話は無用だろう。自分の娘と同じくらいの歳の少女を奇妙なほどに肌寒い風の中に立たせておくほど気が利かない男ではない。
ハリーはレイチェルを事務所に案内し、"コーヒーは?"と聞く。彼女は"ブラックで"と答える。
コーヒーを紙コップに注ぎ、彼女に手渡しつつ着席を促すと、彼は自分のデスクに座って早速バインダーの中身を確認した。FBI長官、クワンティコの法医学研究所所長と担当者のサインには見覚えがあったが、"極秘"を示す判が押されているのは初めて見た。専門的な事は何もわからない。よって彼は総論までを読み飛ばす事にした。
"Ⅰ: 遺留物に付着していた痕跡物は針葉樹と北部硬木の混在する土壌に於いて典型的な成分を含んでおり、これは証拠物品が州を越えて移動した可能性を強く否定するものである。
Ⅱ: 定性検査の基準値に於いてサンプルを希釈した希薄水溶液の水素イオン指数は5.6~5.3であり、アメリカ地質調査所USGSから提供されたサンプルとの比較に於いてメリマック・バレーの下流域周辺の森林地帯に於いて典型的な数値を大きく逸脱する事はなかった。
Ⅲ: 三酸化二ヒ素、硫酸鉄(II) 7水和物、硫酸鉄(III)アンモニウムを始めとする無機塩類とカルコサイト、ボーナイト及びパイライトを含む無機物の痕跡とその組成は、遺留物がメリマック・バレーの下流域より大きく移動した可能性を否定する。
Ⅳ: 痕跡物に含まれる有機化合物は血漿に相似であるが、カリウム及びナトリウムの比率が極めて低く、酸性鉱山排水AMDによって変質したケイ素重合体が含まれる。これは既知のあらゆる産業的に生産された輸血用血漿、及び有機生物のいずれにも由来しない事を示唆している。"
小難しく書いてはあるものの、要するに少年は行方不明になってから自宅で発見されるまで、少なくとも町のほど近くに居た可能性が高い、という結論だった。
「ロドリゲス捜査官、あなたはこれの内容を?」
「はい、確認しています。ですが、まずはレイリー夫人、例の少年の母親を捜索する方が先では?」
「行先は同じかもしれん」
携帯電話の呼び出し音。
「失礼。何だって?分かった。こっちはFBIの捜査官が到着した所だ。すぐにそちらに向わせて構わないか?俺は別ルートでそっちに向かう。何かあればすぐに連絡をくれ」
「何があったのですか?保安官」
「到着早々申し訳ない、すぐにこの場所に向ってくれ。誰よりもここの森に詳しい男が待っている」
ザックは山道を登ってくる車両にFBIのロゴが入っているのを見てライフルの銃口を下げた。だが、車両から降りて名乗った彼女を見て彼は落胆した。
「経験不足に見えますか?」
無礼にはならないように努めていたつもりだったが、どうやら失敗したようだ。
「いや、俺が懸念しているのはあんたの格好だ」
それは取り繕う為の言い訳ではなく、率直な感想だった。
そう告げると彼女は車内からトレッキング用の靴、フィールドジャケット、グローブを取り出し、"これで大丈夫かしら?"と真っすぐ彼の目を見ながら告げた。
ザックは降参だとでも言うように両手を上げると、返答の代わりに別の質問を投げかけた。
「もっと強力な武器があった方がいい」
「この森にはグリズリーでもいるのかしら」
ザックは踵を返し、彼女もそれに続く。
「今朝、武装した奴らが廃坑の方へ向かっていくのを見た。それとヘリも。ブラックホークやヒューイの音じゃなかった」
「ここの噂を聞きつけて近隣から見物に来た民兵かしら?」
「断言は出来ないが、多分違う。全員が防護マスクとヘルメットで頭部を覆っていたし、森に入るのに穴の開いたジーンズを履くのが拙いのは素人でもわかるだろう」
「つまり、NBC防護装備とちぐはぐな服装を身に着けた、所属不明の武装集団?」
ああ、少なくとも今のところは。
ザックはそう答えると、彼女に適当な武器を見繕う為に自宅に戻ろうとする。
「自分のライフルなら持ってきていますよ、グリフィスさん」
彼女がトランクからM4ライフルやギアが取り付けられたベルトを取り出し、ホルスターを付け替えながら、彼の背中に呼び掛けた。
振り返った彼の口から洩れた"準備がいいな"という呟きは彼女の耳には届かなかったようだ。
「これは一体なんだ?」
運転席のニコラは、ハリーの部下として数年を共に過ごす中で、そんな声を初めて聞いた。元よりこの平和で退屈な町で起きる事件などたかが知れているが、それでも保安官の仕事に危険がない訳ではない。自分の上司は法執行官として頼りがいがあるとは言えないが、この町の穏やかな空気に合った人好きのする人物である事も事実だった。そんな彼が本能的な恐怖を声に滲ませると、それを聞いたニコラ自身にもそれが感染するように感じた。
彼女はハリーの指示に従って車を停め、緊張した面持ちで彼がその感情を抱く切欠になったそれに恐る恐る近づいていくのを見ていた。
それは赤黒い塵のようなものに覆われた"何か"だった。
その一端に見覚えのある顔が沈んでいるのに気づき、ハリーはそれまで抱いていた"そうであってほしくない"という想いが唐突に消え去ったのを感じていた。
表皮の半分近くが剥がれ落ちていても、それが恨めしい表情のまま凍り付いたレイリー夫人である事は分かっていた。彼は恐怖、そして旧友である彼女の夫の悲しみへの同情が入り混じって声が震えそうになるのを堪えている様子で、ニコラに本部への連絡を指示した。そして深く息をつくと、せめて自分の務めを果たそうと遺体を検分し始めた。しかし死因が分からない以上、その遺体に手を触れる訳にはいかなかった。彼はスマートフォンで写真を撮り、何か遺品が無いか探し始めた。仰向けになった体に赤い雪が降り積もったように見える。当然ながらそんな遺体なんて聞いた事も無い。
ニコラは犠牲者との関係が無い分、彼よりもやや冷静であった。彼女は上司の指示に従って直ちに車載無線機の通話機を手にしたが、彼女が送信チャンネルをオンにする前に事務所から通信が入り、彼女は少し狼狽えた。
"ニコラ、ハリーは一緒か?"
「クリス?ええ、ハリーは一緒よ。こちらはレイリー夫人の遺体らしきものを発見、そっちは?」
"住民の志願者達の集団がこちらの制止に従わず森に入ったらしい。人数は不明だが少なくとも10名以上だ。病院からも緊急通報、病院に武装した誰かが押し入ったと。そっちにはサムが向かった。ハリーの指示を仰がないと"
「了解、すぐに伝える。そちらは待機して」
交信を終え、ハリーを呼ぼうとそちらに目を遣る。
最初に見た時と比べ、あの"血染めのシーツ"はあんなに広かっただろうか?
「霧が出てきたな。この時期には珍しくない。湿った木や岩肌は滑る。避けて通れよ」
ザックは彼女の"了解"を背に、例の集団に不意に遭遇したらどうするべきかを考えていた。地図上では既に彼の私有地を離れ、SCP社の所有地に入りつつある。加えてこの森の状況では地の利はこちらにある、とは言い難い。連邦捜査官とはいえレイチェルは野戦訓練は受けていないだろう。従って彼らに悟られぬよう目的地を目指す必要がある。
しかし、彼は歩みを進めるうちに妙な轍を見つけた。それは縁をスライム状の粘液で覆われた枯れ木の洞だった。レイチェルに周辺警戒を指示し、彼は手にしたシュアファイアで中を照らす。
強い腐臭と嗅いだ事の無い刺激臭を感じ、彼はハンカチで鼻と口を覆った。
白い光に浮かぶのは、まるで身体構造を内側から捲り上げられ、細く捩じられたような何かの動物の遺体だった。
その質量から考えればアメリカクロクマの子供か。いずれにしろ尋常な死に方ではない。彼はベルトに取り付けたメディキット内から毒吸引機を取り出し、それで手の届く範囲の粘液を採取した。
だが、この哀れな子熊が何に遭遇したかは別として、このような行為を平然とやってのける何かがこの森には居る、若しくは居たという事は事実だ。そういった点で、その何者かは先に見かけた謎の兵士たちよりも遥かに脅威である。以前にも森に何度も入ったが、その時はここまで廃鉱には近づかなかった。しかし、あの時に既にこのような事が起きていたのだとすれば、何かしらそれを示唆する動物の活動があってもおかしくない。それが観測されず、ある日不意に動物たちが丸ごと姿を消してしまったという事は、何らかの作為的な何かが働いているに違いなかった。
それが彼にとっての明確な脅威だった。
気が付くと霧はますます強くなり、レイチェルに5m以上離れないよう告げた。彼女は返事をせず、ただ霧で覆われた辺りを見回した。彼女ももう鉱山の入り口を見下ろせる崖まで数百mしかない事、行けるところまでは行くつもりだという彼の意見には同意していた。ザックはしかし、緊張した彼女の様子が気になり、ただ端的に"何がお前をそうさせている?"とだけ聞いた。彼女は"霧の中に何かが蠢いていて、そいつらはこっちを見ているような気がする"と告げた。単に嫌なものを見たせいでそういう下らない妄想に至ってしまっただけだとは分かっている、と付け加えたが、それでも彼女は依然として緊張のせいで余計な体力と精神の双方を消耗しているように思えた。
彼女はこんなにも短時間に"ファック"を口にしたのは初めてだった。何が起きたのか、彼女の目が正確にとらえたわけではない。
ハリーの悲鳴が聞こえた時、彼はちょうど車に戻ろうとするところだった。レスリー夫人の遺体を覆う何かから歪な腕が生え、ハリーの踝を掴んで引き摺り倒していた。ハンナはホルスターからブローニング・ハイパワーを抜き、レスリー夫人だった何かの頭部らしき箇所に向けて発砲、その腕は一瞬痙攣し、動かなくなった。
ハリーの体を必死で引っ張り上げようとしたが、掴まれていた個所はズボンや靴ごとボロボロに引き裂かれ、激しく出血していた。彼女は動揺しながらも何とか彼の足に止血帯を巻き、ハリーに呼びかけた。
彼女はハリーの肩を担ぎ上げて何とか後部座席に彼を押し込むと、町で唯一の病院に向けて車を走らせる。
無線での呼びかけには何の応答もない。同僚たち──クリスやサムはどうしているのだろう。
そしてまた、病院への電話にも誰も出ない。
ハリーは苦痛のうめき声を上げ、その度に彼女は同じ言葉を繰り返した。
"もう大丈夫よ、すぐに病院に連れて行くから"と。
彼は何かを握りしめていた。リボン?
「援護する!撤収するぞ!」
ザックは近づいてくる何かにライフルを2発撃ち込んだ。倒れた何かの姿を観察する余裕はない。クマ並みの体躯とコヨーテ並みの俊敏さを持ち合わせた四肢で疾走する何か──そして銃で倒せる。こいつらが何者かは後で考えればいい。目の前の脅威を実力を以て排除する。ただそれだけだ。大勢の人間が一斉に金切り声を挙げているような咆哮もすぐ傍に倒れ込んだそれの遺骸に衣服の残骸らしきものがへばりついている事も、今はどうでも良かった。
今の相棒であるレイチェルが発砲しながら後退し始めるのを見て、彼も駆け出す。ジャムか弾切れか、彼女がライフルを下げ、腰からP226を抜くのが見える。彼は予定よりも早く向き直り、再び未知の敵に相対する。
「下がれ!」
彼は再び彼女に指示する。了解の旨を告げる言葉を彼女が言い終える前に、彼は再び霧の中の影を狙い始める。
不意の衝撃、死角から飛びかかってきた"それ"に組み伏せられる。反射的に腰のマチェットを抜こうともがく。もう一方の手は何とかそれを押しのけようと、奴の体のどこかしらを掴もうと必死に動いていた。
一瞬の激痛、顔を濡らす温かい液体。しかし、彼に於いては痛みよりも驚きの方が勝っていた。
咄嗟に突き出した左の掌、その半分が歪に削れて無くなっている。薬指の骨が外気に晒され、痛みは瞬時に痺れへと変化する。
直後、彼を地面に押し付けていた"それ"は動かなくなっていた。
さっき嗅いだのと同じ異臭に顔を顰めながら、彼は遺骸の下から這い出た。全身の血液が一気に巡り、耳が遠くなる。荒い呼吸のまま仰向けに横たわる。
奴らの鳴き声が徐々に遠ざかっていく。だが、彼女は片膝をついたまま霧の一点に銃口を向け続けている。
「クソッ、あの野郎、俺の左手を食いやがった。奴らは?」
「多分、そいつが最後の一匹です。残りは分からないけど。立てますか?」
彼女は危険が去ったのを確認してから、ザックのメディキットから止血帯と包帯を取り出し、応急措置を施す。
「良い射撃だった」
呼吸が整うのに随分と掛かるようになった。もう若くない事を実感しながら唸り声と共に起き上がり、全身の感覚を確かめる。短時間での失血と不自然な運動、緊張が合わさり、気が遠くなる。
「大丈夫ですか?」
「信じられない。そしてクソ痛い」
「でしょうね。早く病院に。ところでそれは?」
彼女に言われて、彼は握りしめている何かに気付いた。ピンの付いたネクタイの切れ端。遺留品には違いない。彼はそれを腰のポーチに仕舞う。
不意に誰かの声が聞こえた。2人は顔を見合わせると、その方向に向かって歩き出す。
"誰かいるのか!?助けてくれ!"
その声は男女2人が同時に叫んでいるようだった。
「FBIだ、その場を動くな!不審な動きを見せたら撃つぞ!」
彼女が応じる。
"助けてくれ!分かったから!こっちには怪我人がいるんだ!"
「お前さんたちには聞きたい事が幾つかある。まず一つ目だ。怪我の具合は?」
泥だらけのウィルにタオルを手渡し、目の前にコーヒーカップを置きながらザックは尋ねた。彼は動揺から立ち直り切ってはいないようで、彼の質問を無視して堰を切ったように興奮して喋り出した。
「僕たちはジャックが森で川に落ちてからおかしくなったんだと思いました。現場に行けば何かわかると思ったんです。そこで、アンナのお母さん、つまりレスリーさんのところの奥さんを探しに行くという人たちがいる事を知って、それに加わったんです。僕たちは川の上流に向かって、そこから橋で森の方へ渡りました」
「廃坑の近くだな?」
ザックはこういう状態の人間と接する経験が初めてではなかった。そしてそれはレイチェルも同じらしく、黙って聞きに徹する。質問は最小限に、時間の許す限り勝手に喋らせる。少なくともその意志がある限り、発声者はいずれこっちの知りたい事を言いだすものだ。
「そうです、SCP社の施設が見えるあたりでした。そこで皆は川に入っていきました。そのすぐあと、ちょうど先頭の集団が橋の反対側に着いた時です。僕もアンナもその場を見ていませんでしたが、気が付くと数人の大人たちが川に飛び込んでいました。皆、口々に"誰かが川に落ちた!"と叫んでいて、手摺を見ると僕の人差し指くらいもある白い蛆虫が纏わりついていました。その後、奴らが川から現れてみんなを襲い始めました。最初は岸辺の人たちを、次に橋の上の僕たちを」
「お前さんたちはどうやって逃げ延びたんだ?」
「よく覚えていません。ですが」
「奴らはまるで知性があるみたいだった。オオカミが群れを襲う時みたいに。橋の後ろ側にいる人たちは次々に川に落ちていった。彼らが何をされたのかは分からない。私は父が"後ろは駄目だ!進め!"と叫ぶのを聞いて、何とか渡り切った」
レイチェルの手当を受けながらアンナが後を続ける。ジーンズを引き裂いて太ももにつけられた傷は、痕は残るだろうが筋肉まで達してはいない。薬液が染みるのに顔を顰めながら、彼女は話していた。
ウィルは彼女が黙るのを待って再び口を開いた。
「その後も奴らは追ってきました。一緒に岸にたどり着いた人たちも木の上から何か、ヒルの様なものが降り注いでパニックになり、それで散り散りになって、気が付いたら僕たちだけになっていました。僕たちは奴らの姿が見えなくなったのに気づき、身を隠してから何があったのか話し合いました。姿は見えなくても奴らの鳴き声はそこら中に響いていて、それは近づいたり遠ざかったりしていました。時折人の悲鳴も聞こえました。多分、一緒に橋を渡った人たちだろうと思いました。1時間以上はそのままだったと思います。そしてあなた達の銃声と叫び声が聞こえて、助かったと思いました」
嘘を吐いているようには見えない。だがそれは、彼自身がウィル達を襲った"何か"を目にしているからであって、普段の彼であれば一笑に付していただろう。"何か"がザック達に襲い掛かったせいで、彼らはそれを明確な脅威、即ち"敵"と看做す事が出来たのだ。それはウィルやアンナにとっては幸運なことだったかもしれない。
「そうか」
2人はその後、ジャックを襲った変異と町に流れる諸々の噂から組み立てた自分たちの推測をザックに語った。きっと川に何か人を変容させる物質かウイルスか何かが垂れ流され、ジャックはそれを体内に取り入れてしまったのだろう。そういえばハリーから聞いた彼の症状は狂犬病のそれに似ていなくもなかった。水質汚染が深刻なら、それをどこかに訴え出なくては。そう思ったのだ。
この町は小さい。SCP社からの寄付でようやく町の運営が成り立っている。町役場にそれを馬鹿正直に訴えた所で一蹴されるであろうことは分かり切っていた。
そこで、彼らとは最初、町の運営とは直接関係のないザックに相談する為に森に向おうとした。捜索隊に加わったのは飽くまでその場の流れだった。いずれにしろ向かう場所は一緒で、まさかこんな危険が潜んでいるとは思わなかった。
「では、まずあなたを病院に連れていきます。顔色が悪いですよ、ザック」
「大分出血したからな。銃を握れる指が残っているのは幸いだった」
「ファック!」
ニコラは今日何度目か覚えていないそれを叫んだ。
病院のエントランスは、あのレスリー夫人だった何かと同じような塊で塞がれているのを見た。その中には見覚えのある顔が幾つか。それはピッチの外れたバスドラムのような音を背景に、幾つかの淀んだ声を吐き出していた。
その得体の知れない不定形の塊の上で、件の少年が膝を着き、微笑みながら一点を見つめ続けているのが見えた。
はっきりとは説明できないが、今自分は危険に近づきつつある。そう判断して彼女が車に乗り込もうとした時、何かが視界の外から飛び込んできた。反射的に銃口を向ける。
こいつらは何だ?
皮膚を剥いだクマのような体躯、どこか歪んだ人間を連想させる頭部。そのうちの一体がSUVのボンネットに飛び乗ると、車体はまるでティッシュペーパーの箱の様に拉げた。
彼女は迷わず引き金を引いた。それと同時に"何か"共が一斉に飛びかかる。
クソッ、こんな理不尽な死に方をするのか。
彼女はそんな怒りを抱きながらも、それを上回る恐怖によって目を閉じた。
その怪物が彼女に伸し掛かった瞬間、自分の銃とは比べ物にならないほどに低く重い音が響いた。
頭部を失ったそれが力なく地面に横たわる。
「ハリー!」
体を引き摺りながら後部座席から這い出た彼は、膝を付きながらも片手でショットガンの先台を操作、それを脇に抱えながら唸り声をあげ、次いで息も絶え絶えになりながらニコラに叫んだ。
「逃げろ!」
「駄目よ!」
彼は動く事さえままならない。今の状況がどうであれ、ハリーを見捨てて逃げる訳には行かなかった。
彼女はまだ9㎜を撃ち続けている。ハリーはそれを見て舌打ちした。
"さっさと逃げないと俺の二の舞になるぞ"と告げる気力はもはや残っていない。
だが、少なくとも銃に装填されている弾を撃ち切るまでは生きているつもりだった。
傷ついた男の片腕が指向する銃口を、この忌々しい怪物はいとも容易く避ける。
構わなかった。どうせ俺を食うつもりだろう。
目の前に立った何か、その妙に人を思わせるような容貌が一瞬で変化し、彼を上半身ごと飲み込もうとするのを見ながら、彼は一生に一度は口にしたいと冗談交じりに語っていた台詞を吐く。子供の頃にクラマーやレスリーと遊んだテーブルゲームに登場する決め文句。
「これでも食らえTake that, you fiend」
ニコラは遊底が下がったままである事に気づかず、銃を構えたままそれをずっと見ていた。
自分の上司に襲い掛かった何かが胴体の中心から千切れ飛ぶのを。
そして間髪を入れず別の一体が汚らしい腕で彼の胸を叩き潰すのを。
彼女はようやく弾が尽きた事に気づき、次の弾倉を装填する。上手く入らない。震えているのは手だけではない、全身だった。幾ら堪えても抑えられない。
"逃げるのよ、ニコラ!"と心の中で叫んでも、体が動かない。
ハリーを殺した怪物がこちらに駆け出すのを、車が突然突っ込んできてそれを吹き飛ばすのを、そしてそこから見慣れた男が愛用のライフルを片手に降りてくるのを、ただ茫然と見ていた。
それは極度の緊張か、それともそれが解けた事によるものか。
彼女はハリーの元へゆっくりと歩み寄る。既に彼がこの世にいない事は分かっていても、それを見ようとせずには居られなかった。数少ない友人を失った老兵は、彼の手を握り、何かを呟いた。
彼を殺した何かの遺骸が僅かに動く。ザックが銃を向けようと体を捻った瞬間、それは223を撃ち込まれて今度こそ動かなくなった。
若いFBI捜査官は更に近づいて2発を撃ち、次いで胴体を蹴り上げると、"クソッたれのアバズレめ!Fuck you, bitch!"と叫んだ。
アンナは、そこに弟の姿がある事に気付き、ウィルが制止するのも聞かずに車を降りた。
「ジャック?」
それは彼女の声に呼応するかのように、少しだけ首を傾げた。その青白い顔に微笑みは無い。
やがて彼は破れかけの入院服を翻して肉の塊に潜り込んでいった。
訳が分からない。
ニコラが彼女の手を強引に引き、車内に押し込んだ。
「状況オメガです、少将」
それは合衆国内での致命的な超常脅威の出現を示す標語だった。
「場所は?」
「ホーキンスヴィル、ニューハンプシャー州です」
「状況は?」
「現地の法執行機関、財団施設のいずれとも通信不能。i3任務群が介入の兆候を傍受、トリプル0です。財団は子飼いを送り込んだ模様ですが、今のところ彼らは沈黙を保ったままです」
コンタクトが無い、それは即ち対処を委任した、そういう意味である事を彼らは以前の案件で知った。
いや、委任というほどの手順は無い。これはただの放棄だ。
個人携行火器で何とかなるレベルをとうに超えた時点で──そしてそれは現地にいる人間からすれば明らかな筈だった──、バトンは渡されるべきだ。
電子妨害、ネットワーク回線の無効化工作、飛行計画未提出のクーガー・ヘリコプター、フロント企業のロゴが入った車列、いずれも奴らは何も言ってこなかった。一体、我々は何と戦っているんだ?
少将と呼ばれた男は唾を吐きたくなるのを辛うじて堪える。これで2度目だぞ、クソったれ。
「現状は?」
「t任務群から中隊規模の戦力が招集可能、既に1個小隊を展開中、残りはバックアップに入っています。戦域特定機能構成部隊SCC-TEが戦力化を開始済み、6時間後には第194歩兵旅団から抽出された1個増強歩兵大隊が師団航空旅団の1個混成ヘリコプター中隊と共に展開可能です。第5080特殊作戦航空団は既にリーパー1を展開しています。連邦治安連隊と州軍が生物化学兵器防護部隊CDBCの分遣隊と共に周辺20㎞の封鎖及び隔離。レオンハートから第6161飛行隊のF-15が2機、空域封鎖の為に離陸しました。恐らく彼らが一番乗りです。追加の近接航空支援CASとオメガ・ポイントへのストライクは第521戦闘航空団が担当します」
「商人の墓場Trader's Graveyard作戦を発動、基幹旅団を中核として旅団戦闘団を送り込め。本土戦力指揮統制部局CBOC-CONUS隷下の全逸脱戦資産はTier2まで即応体制を維持、Tier3は待機を。大統領の指示を仰ぐ。交戦規定ROEは"関係者"以外の民間人の安全を最優先に、脅威は実力を以て排除」
「了解、ボス。作戦開始、アレクサンダー戦闘群を展開します」
ダウンタウンは今しがた起き、そして去っていった事を示す破壊と混乱の跡を残していた。
"何か"が人を襲う理由は分からないし、どうやって獲物を見つけているのかも分からない。
匂いか、音か、視覚か。
そして奴らはどこから来た?どれほどの数が居る?
詰まるところ、何も分からない。
そしてハリーから保安官職を引き継いだニコラにとっては、"ホーキンスヴィルの住人、4,000人以上の安否をどのようにして確認し、救助するか"という最も重要な課題があった。
ケーブルテレビも映らないし、無線機は妙な雑音を立て続けるだけだった。ラジオもネット回線も携帯電話も同様に使えない。それどころか電気もガスも水も出ない。一軒一軒周る?それこそ非現実的だった。
ザックの言う通り、私達自身が生き残れる目途をつける方が先決なのは理解できる。
それでもきっと幸運な誰かはまだ家で身を潜め、助けが来るのをじっと待っているに違いない。
時折遠くで銃声が聞こえ、それが止む度に彼女はそれが何を示すのかを連想しそうになって、今すぐにでも飛び出していきたい気持ちを抑えようと努めた。彼らに幸運あれ、と繰り返し祈りながら。
保安官事務所は当然ながら無人だった。この町の保安官は4人だけ。そしてニコラは自分以外の死を全て目撃している。故に彼女は現実を受け入れられる余地があった。納得している訳ではない。ただ、事実があるだけだ。せめて彼らが苦しまずに天に召された事を祈るしかない。
アンナは違う。ジャックは得体の知れない何かに変貌した。アンナの両親は共に──母親はハンナの手で、父親はあの怪物に襲われて──"何か"の犠牲になった。母親がお気に入りだったリボンと、彼女が父親の誕生日にプレゼントしたネクタイ、共に粘液塗れでボロボロになっていたそれは、それが現実である事を間接的に示しているに過ぎない。彼女は何度も考えた。父親の声を聞いて駆け出した後、彼があの醜い怪物に襲われる場面も、その悲鳴も聞いていない。
良く似たネクタイを使っている人なんて大勢いる筈ではないか。
そして母に至っては、その現場を見た人物は既に居らず、その伝言を聞いただけだ。
故に、まだ両親は生きているかもしれない。
だって、私は2人が死んだ現場さえ見ていないんだから。
激しい罵声と泣き声が混交した剥き出し感情の発露、ニコラはそれを受け止める術を知らなかった。
泣きじゃくる彼女を抱きしめるのは、それが唯一の理由であった。
オフィス内が静まり返った後、ザックがぽつりと誰とはなしに呟いた。
「これからどうするか」
アンナの思考は巡り、それが深い絶望の中から生まれた希望を模った妄想である事にふと気づく。
その中でも不自然に冷静な部分がある事に気づいていた。
自身が死の淵から辛うじて生還した実感がそうさせるのか、それとも理不尽極まりないこの世界に彼女の精神が順応しようとしているのか、それは分からなかった。
もう一人の自分が囁き続けるのだ。これは絶望ではない、と。
両親が死んだという確信を得て、それで何か納得できるのか?自分や家族を襲った理不尽に?
レイチェルが答える。
「生き延びる。そしてこのクソッタレを生み出した誰かに報いを受けさせる」
アンナは全てを受け入れた訳ではない。だが、それ以外に道は無い。
それを理解したとき、彼女の心は復讐心で満たされた。
そう、必ず報いを受けさせてやる。
「銃を」
アンナはただ一言そう言った。
「子供の玩具じゃない」
ザックの静かな返答。
「父のショットガンを撃った事がある」
「型は?」
「レミントンのレピーター、12ゲージ」
「上等だ。ロドリゲス捜査官、M870ならここにもある筈だ。使い方を教えてやってくれ。それと、明かりは最小限に。少なくとも暗闇の中で奴らが何に反応するか分かるまでは」
「了解。それと、レイチェルでいいわ、ザック」
ふと、ニコラはウィルを見やる。彼はきっと弟を探しに行くと言って聞かないだろう。アンナとは違い、彼にはまだ希望の根拠があった。少なくとも彼は弟が犠牲になった現場を見ても聞いてもいない。故に、彼の言葉をアンナに聞かせるのは余りに酷だった。彼女は2人が武器庫に姿を消したのを見計らってから口を開いた。
「弟を迎えに行きたい?」
「ああ、当然だ。あいつは今も一人で帰りを待ってる」
「銃を使ったことは?」
「ない」
「その手斧一本で生きて辿り着けると思う?」
例え辿り着いても、弟を連れて無事逃げ延びる事は出来ないだろう。
「後悔するよりマシだ」
ザックが割り込む。傷ついた仲間を助けようと担ぎ上げた直後に頭を撃ち抜かれた戦友の姿を思い浮かべながら。
「自己満足でも、誰も満足しないよりはいい、それは事実だ。だが、どんな結果になろうと本当に満足できるか、それが問題だ。例え頭を齧られ、腸を貪り食われながらも同じことが言えるか?」
「・・・ああ」
ザックは溜息を一つつき、レイチェルに"二人を頼む、俺は車を回してくる"と、そしてウィルには"準備が出来たら車の所に来い。道案内が要る"と言った。レイチェルがそれを制止し、自分が同行すると告げた。ハリーがいなくなった今、ニコラはホーキンスヴィルでたった一人の保安官で、ザックは臨時の保安官補でなくてはならない。
故に、FBI捜査官である自分がその役割を負うに相応しい、と。
ザックはこうなる事を予想していたかのように、先ほどとは異なる溜息をもう一度ついた。
「サクソン1、サクソン1。こちらダガー1、アシッド・オブシディアン、復唱を」
"ダガー1、確認"
ドリスコル少将は現地部隊と司令部のオペレーターとのごく短いやり取りを片耳で聞きながら、指揮所のディスプレイに映る統合特殊作戦状況図JSOP越しにそれが事実である事を見届けた。
その符号は彼らが作戦終了までにたった一度だけ許可された無線通信、即ち作戦開始の合図。
JSOPは共通戦術状況図と共通インテリジェンス状況図を統合化した最上位の意思決定支援システムで、彼の指揮下にある全ての部隊──但し"Tier3を除く"──の配置と行動、それらが得た情報が分単位で更新され、表示されている。通称t任務群と呼ばれるチームの一個、それは少将の知る限り世界で最も精強な逸脱戦DEVWAR部隊であった。彼らはたった1個小隊、しかし彼らは追随する旅団戦闘団の目であり、同時に少将自身の目でもあった。彼らは現地に展開しつつある全てのアセットからの情報を得る事が出来た。即ち空域封鎖に向かうF-15C、その援護下で間もなくホーキンスヴィル上空に到達しようとするレヴナント2、既にリーパーは上空に到達しつつあり、2機目も向かっている最中だった。加えて1個機械化歩兵中隊によって増強された歩兵旅団には大隊規模の砲兵があり、更に野戦猟兵大隊による先導と機動歩兵大隊による直接火力支援もあった。それらの全てが彼らの手中に存在している。
理不尽はより強力なルールで捻じ伏せるものだ。それは即ち精度と威力を兼ね備えた火力の指向によってのみ成し遂げられる。そして、それを持つのは──生憎ながら──自分達だった。
とはいえ、彼は"最も大きい棒を振るうのは誰か"を知っている。"Tier3"はこの瞬間も静かにその時を待っている。一つは巨大なトレーラーの上で、もう一つは真っ黒な全翼機の爆弾倉内で。
その時が来ない事を祈りつつ、彼は表に出る。地下に13時間も籠りっぱなしでは気が滅入る。今夜睡眠を取る事が出来ないのは確実だった。
彼は煙草を吸う為にわざわざ寒い外気に晒されなくてはならない事を少しだけ疎ましく思いながら、オフィスを出る。
表で数発の銃声が、次いであの忌々しくも恐ろしい叫び声が次々に響きだすのを聞いて、ウィルは弟の肩を抱きしめて震えるしかなかった。ついに運が尽きたのだ、と。
だが、ザックに言った通り、後悔はしていない。少なくとも自分は満足している。そう自分に言い聞かせながら。
扉が破られ、"奴ら”が部屋に入ってくるまであと数秒、その光景を幻視しながら。
そう、別に弟を助けたかったわけじゃない。ただケイレブが無事だったか一目見て自分の安寧を得ようとしただけなのだ。
アンナは違った。彼女は最後まで弟を案じていた。
なのに彼女は家族全員を失った。独り善がりな俺とは違う。気の毒だった。
本当にそうか?
このまま黙って殺されるのか?弟と共に?
お前は何をしにここに来た?
弟の目を手で塞ぎ、大丈夫だと言い聞かせる。そして手斧を握りしめ、飛び出す瞬間を伺う。
ケイレブはただただ極度の緊張による荒い呼吸音を発するのみ。そして外からは相変わらずの妙に人間染みた呻き声。それは些細な切っ掛けでどうとでも転ぶ微妙なバランスだった。
しかし、その瞬間は訪れなかった。
まるで観客を前にした司会者が"静粛に"と言った時の様に、異形共の叫び声、その発生源が急激に減ったのが分かった。
扉を蹴破って入ってきたレイチェルに斧を振り下ろしそうになるのを必死で抑えながら、そして続いて入ってきた武装した男たち──装備は兵士のように見えたが、TVやネットのニュースでよく見る迷彩服ではなく、私服のような服装──の様子を眺めながら、彼は顔面のありとあらゆる筋肉が強張るのを感じた。人生で一度も浮かべた事のない表情をしているのだろう、と思いながら。
ザックが"外を見張ってくる"と言って出て行った後、アンナは自分から進んで家族の話をし始めた。それはありふれた、しかし彼女にとっては唯一無二の記憶。端々に"まだ実感が湧かない"と散りばめ、自分が涙を流している事さえ気づかずに彼女は語り続けた。ニコラが何か口を開こうとすると、彼女は"黙って聞いていてくれればいい"とそれを押し留めた。
正直なところ、居心地は良くない。それでも、彼女は私を多少なりとも信用しているからこそ心を開いているのだろう。かといって同情するそぶりをして見せるほど下品な人間でもないつもりだった。何よりも、彼女が何かを話す度にアンナの心中についてあれこれ想像する方がよほど辛い。
ニコラは彼女の母親が得体の知れない何かに殺された痕跡を見てしまっている。それはアンナ自身がその事実をどのように乗り越えようと関係なく、ニコラの感情を揺さぶった。
「"穏やかな眠りに身を任せる勿れ"」
意図せず口から零れた言葉に一番驚いたのはニコラ自身だった。
アンナが続ける。
「"怒れ、怒れ、消えゆく光に。" ディラン・トーマスね」
「学校で教わった?」
「いいえ、映画で。父が教えてくれた」
そうだ、私達はただ暗闇に覆われて消え去るべきではない。
アドレナリンが退いた事で緊張が解け、強い疲労感に襲われる中で2人が立ち続けられる共通の感情。
それは逆に彼女を冷静にさせた。
ニコラは地図を開き、川の上流、その一点を指す。
不意に気づいたのだ。人々が"何か"に変貌する瞬間を"誰も見ていない"事に。
ニコラはアンナにそれを告げる。アンナの憎悪が再び喚起された。だが、それは先ほどとはどこか違う性質を持っている。
戻ってきたザックにそれを伝えると、彼は"そうか"と一言だけ呟いた。
「"そうか"?ですって?」
「その通りだ、アンナ。行ってどうする?怪物退治か?それとも復讐か?両親の無念を晴らすための?ただの仮説だ。それに、もし犯人が生きていたとして──到底そうは思えないが、説教でもくれてやるか?苦しみながら死ねと呪詛を投げかけてやるか?それで街が元通りになると、あの怪物どもが人間に戻るとでも?」
「そんな事はどうでもいい。少なくとも、私は満足する」
ぽつりと呟く。
「そう、自分の為よ」
ザックは溜息をつき、ニコラの方を見る。
「私は保安官よ。生き残っている住民が居るなら、助けに行かないと」
気の強い女たちばかりが生き残ったものだ。
ドアをノックする音。"アメリカ連邦国防軍だ!開けろ!"という声。
ザックは躊躇った。暴漢の類が嘘を吐いている可能性だってある。そして監視カメラは全てダウンしており、彼らの言う事を信じる根拠が無かった。
続いてレイチェルとウィルの"彼らは味方だ”と呼ぶ声。
もし2人が脅されて発した言葉だったらどうする?
一瞬のうちにドアが吹き飛ばされ、部屋に兵士が飛び込んでくるのは一瞬だった。ドアに銃口を向けていたにも関わらず、反応する暇もなかった。
彼らが次々に"銃を下ろせ!"と叫びながら、彼の肩を掴んで無理やり膝を着かせる。
「ちょっとくらい待ってくれても良かったんじゃないか?」
そう口にするのがやっとだった。
彼らの指揮官らしき男は、部下たちに銃を下ろし、2人を解放するように命じた。
それから2人にここまでよく頑張ったと賞賛し、そこでザックのジャケットに着けられたワッペンに目を止める。
「沿岸猟兵Muddy Otters?」
「第一大隊だ、若いの」
「状況を聞かせて頂いても?」
「あんた達は?」
「第5野戦猟兵旅団、臨時前哨偵察分遣隊です。任務は事態の収拾、あなたも元軍人ならわかるでしょう?そういう事にしておいてください。少なくともあなた達の安全は保障します」
彼はそれがカバーストーリーである事を隠そうとしなかった。アマチュアなら兎も角、ザックからすれば彼らの装備が一般部隊のそれとは大きく異なる事は一目で明らかだった。ジーンズにボックス型ボディシェイプのパーカー、その下には小型のボディアーマー、始祖鳥のロゴが入った背嚢、そして極端に銃身を切り詰められたカービンは、サプレッサーが付いているにも関わらず彼が良く知るM4よりも遥かに短い。
「このまま何もかも忘れろと?お断りだ」
「ではどうしたいので?」
「移動手段を提供する。時間が無いんだろう?レイチェル、2人を無事に送り届けてやってくれ」
"大尉"は溜息をついて肩を竦めた。自分が同じ立場なら、同じ事を言うだろう、という考えを頭から追いやる。
銃を突きつけて無理やり拘束するべきだろうか?
確かにそれは一番手っ取り早い。が、その後はどうする?戦闘群の直接行動小隊DAP3の到着を待つ時間はない。周辺に溜め込み屋Hooders共4が送り込んだクソ野郎共MTFs5が潜んでいる以上、今すぐ後送するには護衛を付けなくてはならない。当然ながら、そんな余裕はない。
かといって"あと少し自力で頑張ってくれ"と言って放り出すのか?それこそ馬鹿げている。
逡巡している所でザックから写真を見せられ、彼の言う"妙な奴ら"の説明を受けた大尉は、既に残された時間がごくわずかである事を知った。
前と同じような尻拭いじゃない。もっと面倒な奴らが先んじて介入してきた。
奴らの目的は明らかだった。そして、彼らはこの地に来るほんの数日前に作戦を知らされるまでただの民間人に過ぎず、差出人不明の荷物を開封したばかりに気が狂った分裂症のサディストに命令されるままに動く傀儡にされたに過ぎない。どういう仕組みかは知らないが、そういう方法で奴らは戦力を調達しているのだという事は知っていた。
そして恐らく財団はそれを察知して、──自分たちで何とか出来ると思ったのだろうか──、町の封鎖と施設の確保を目的に部隊を送り込んだ。"ヴェール"とやらに拘るのは結構だが、自分たちに出来る事と出来ない事の区別くらいはつけるべきだ。
事態はもっと複雑だ。
ザックは傷ついた左手から包帯を剥がす。不思議と痛みは無かったが、千切れて無くなった部分にもまだ感覚が残っているような気がする。小指と薬指があった個所は赤黒い砂利混じりの泥のようなもので覆われている。奴らの唾液の成分に含まれる何かがそうさせているのだろうか。少なくとも俺は生きている。つまり、死ぬまではまだ足掻く余地があるという事だ。
鏡を見ると、妙に自分の顔が青ざめて見えた。彼は全身の感覚を再度確かめた。あれだけ出血したにも関わらず、全身に力が漲っているように感じる。それがアドレナリンのせいなのかは分からない。
だが、痛みが無いのは銃を撃つにはむしろ好都合だった。彼はそう思いながら包帯を巻きつける。
彼らはここに来るまでに仲間を3人失ったと"大尉"は言った。ザックはそれを聞いて少しの間目を閉じ、誰にも聞こえない声で何かを呟いた。大尉は続けて、"もう間もなくすれば増援が到着する。そうすれば君たちを安全なところまで送り届けられる"と言った。
彼はアンナを押し留めてもう一言、"言い争っている余地はない。君たちは民間人だ"と告げた。
ザックは激高する彼女の声に振り替えると、大尉と対話する。
「君たちは救出部隊という訳ではないんだろう?これから何処へ行くんだ?」
「分かっているでしょう、機密事項です」
「勿論だ、だが行先は予想出来る」
「何が言いたい?爺さん」
「簡単なことだ、お若いの。私はトラックのキーを持っていて、廃坑に何かがある事も予想がついている。その気になれば、君たちに先んじて目的地に着く事も出来る、そういう事だ。銃を向けて縛り上げ、何もかも忘れろと脅すつもりか?この手を見ろ。あのクソ野郎に食いちぎられた。つまり、私の一部はいずれ奴のクソになる。彼女の両親のように、だ。我慢ならん。必ず報いを受けさせてやる」
「抵抗するなら拘束する。我々にはその権限が与えられている」
無駄だと理解していたが、大尉はそれでもそう告げざるを得なかった。
そう、これはただの手続きだ。
「君らはそれに屈しろと訓練されたのか?」
「民間人を巻き込むわけにはいかない。それに爺さん、その負傷は?」
「中指は残っているぜ」
空虚な問答。
彼らは自分たちの意志には全く無関係に、一方的に巻き込まれたのだ。こっちの都合で巻き込まれ、こっちの都合で記憶を消され、水面下で起きているこの戦争を忘れたまま日常へと返される。いつ足元が崩れ落ちるか分からない事に気付かないまま。
「とっくに手遅れなんだよ。もう巻き込まれてるんだ、俺たちは」
彼らにとって、このクソのような戦争は正に他人のクソだ。光の中で生きる者達が誰も知らないうちに勝手に決められた"ヴェール"の裏で、"正しい世界の守護者"だの"闇に生きる事で光に奉仕する"だのと自惚れた間抜け共が自分たちの都合でやらかしている戦争だ。そして俺たちも彼らと同じように、そんな都合などクソ食らえだった。
大尉は彼らに背を向け、司令部を呼び出す。
アンジェラ・ジョエル大尉にとって、それは5機目のキルスコアだったー少なくとも公式には。3機はシリア上空で、1機はアゼルバイジャンで。だが、本当は思い出したくもない5機目がある。スロバキア上空、永久凍土の上から24.000フィート。
肉と腫瘍に覆われ、構造材をシリコンで出来た腱と歯質に置き換えられた777を300人以上の乗客ごと撃ち落とした事実を、上層部は公表しない事に決めた。そして彼女は、確認されている限りではそれが航空史上、最多の死者を出した撃墜である事も知っていた。
不運なUSSヴィンセンスの時とは異なり、その結果を知りながらはっきりとした意志と目的によって為されたそれは、その何倍もの将兵と民間人を"肉の津波"から救ったのだと上官は言い聞かせた。
彼女は自分がした事が正しかったと今も信じている。だが、それと目の前に突きつけられた事実は相反するものではないとも思っていた。故に、妊娠に伴う長期休暇の後、再び空に上がる事になるとは思いもしなかった。
コクピットに身を収める度に、彼女は自分の駆る機体が60年近く昔の基本設計に基づくものだという事が信じられなかった。事実として、空中戦が行われる飛行領域での純粋な航空力学分野に於いて、その頃から大きな進歩は無い。より新しい世代の戦闘機は、制御系やアヴィオニクスの発展に伴ってその設計が決定される。その為、彼女を含めたF-15のパイロットは愛機に対して特別な感情を抱く。即ち、イーグルは最も純粋な戦闘機である、と。それはこの機体のコクピットで2,000時間以上を過ごした今も変わらない。尤も、この10年の間に機内の景色は大きく様変わりしていたが。この機体が開発された1970年代には一般的だったアナログ式の計器類は補助的な用途に追いやられ、3個の多機能表示装置MFDとコンソールを中心とした所謂グラスコクピットに、HUDは大型で広視野の物に置き換えられた。ヘルメット内蔵型の目標指示システムは遥かに軽量化され、邪魔だったケーブルは統合化されてより扱いやすくなると共に機能も強化された。そしてより新しいレーダー、データリンク、そして電子戦装置が状況認識能力を向上させ、それらを司る統合処理装置はかつての500倍の演算能力を誇る。
彼女の率いる2機の編隊エレメントは低く垂れこめた乱層雲の下、高度10,000ftほどを500ノットで巡航していた。AWACSはまだ遥か後方に居り、彼らに指示を下す事は出来ても隈なく空域を監視する事は出来ない。故に、彼らは死角となりやすい低空を監視する為に雲の下まで降りてきていた。
最新世代の多機能レーダーであっても決して万能ではない。それを補う為、胴体中心線下のハードポイントには通常搭載される600ガロンの増槽の代わりに"スナイパー"の愛称で知られるセンサーポッドが搭載されていた。それは元々、彼女の駆るイーグルのような制空戦闘機ではなく、その兄弟分にあたるF-15Eや、実質的には対地攻撃機として運用されているF-16のような精密爆撃を任務に含む軍用機の為に開発されたものであり、可視光から赤外線帯域に至る高い解像度の画像をパイロット、或いは同乗する兵装システム士官WSOに提供する事で目標を確実に識別し、同時にレーザーによる目標の追跡、指示及び測距によって目標への照準や搭載する兵装の誘導を行う。彼女のイーグルに搭載されているそれは、敵味方、或いは民間機が混在する空域で確実に目標を識別する為に統合化されたもので、これによってイーグルは500ポンド程の重量増と多少の空気抵抗を引き換えに、レーダーとパイロット自身の肉眼"Mk1アイボール・センサー"に加えてもう一つの眼を獲得していた。100マイル以上離れた目標を捕捉・追尾できるAN/APG-63(V)3レーダーであっても、条件次第で視程範囲内まで敵機に気付かない事もざらではない。
電子光学センサーが地表近くを飛ぶ何かを捉え、彼女に注意を促す。レーダーでの捕捉を試みる。捜索中測距RWSモードの捜査パターンは低空目標の捜索に最適化されていたが、レーダーMFDの表示を見る限り、その目標は検知されていない。それが何なのかを確かめるため、400㎞後方のAWACSに照会を行った。AWACS自身のレーダーはこれを捉えてはいなかったが、それでも指揮統制と情報のハブとしての機能は既に果たしている。
リーパーとは違い、その機体のプロペラは機体の前方にあった。カナード配置の無尾翼機。ミニバンよりも小さい。似たような規模のUAVは地上部隊が使っているのを知っているが、これは違う。所属を示す如何なるマーキングも機体番号も見えず、見た事の無い形状の無人機。
AWACSの回答は"対象はイリーガル"。
それは明示的に"敵性"ではないが、"排除すべき対象/作戦の障害"である事を示していた。
長機である彼女は僚機に交戦を宣言し、アフターバーナーを点火、降下しつつ旋回を開始。如何に搭載電子機器の性能が向上しているとはいえ、新世代の戦闘機の様に完全にセンサー融合が果たされている訳ではない。即ち、電子光学センサーが捉えた目標をレーダーでも捕捉してやらねば、F-15はそれと交戦する事は出来ない。その為、彼女はF-15の機首に据えられたレーダーで、既に見つけている目標を捉えなおす必要があった。
地上からの干渉波の中から"イリーガル"を見つけ出し、火器管制レーダーが単一目標捕捉STTに移行した時、既に彼女の機体はその不気味なドローンから10マイル程度にまで迫っていた。
2機のF-15は、このような複雑な状況での交戦を想定し、普段とは異なる兵装搭載形態で飛行していた。F-15の主要な空対空兵器であるサイドワインダー6とAMRAAM7は2発ずつに留め、胴体側面のハードポイントにはF-15よりも遥かに古い設計の歴史を持つスパロー8の最新型が搭載されていた。スパローは、ミサイル自身に備わっているレーダー追尾装置によって目標に向かうAMRAAMと異なり、それよりも遥かに強力な母機のレーダーによって誘導される。それは超低空を飛行する巡航ミサイルやドローンといった、ミサイル自身の簡素なシーカーでは捉えきれない可能性のある目標を確実に撃墜する為の選択肢であった。
「グレイ61、FOX-19、"イリーガル"、ブルズアイ10230、20マイル、0300」
胴体から切り離され、一瞬のうちに音速の3倍近くまで加速したミサイルのシーカーが目標の反射源の位置を捉え、1点を目指して飛翔を開始した。
彼女はキャノピー越しにそれが爆散するのを見届ける。僚機が撃墜を宣言。
顔も見た事のない誰かが地球のどこかで慌てている事を夢想しながら、彼女はホーキンスヴィルの市街地上空を飛び抜け、再び上昇する。
雲の下、150ft。
俺たちは碌な死に方をしないだろう。
彼は赤外線隠蔽対策が施された特性のギリースーツに覆われ、見渡す限り不揃いに生えた草以外には何の生き物の存在も伺わせないこの場所で、50口径の狙撃銃を構えて伏せながら木霊する銃声の残響を聞きながらそう思っていた。今の音と共に何人が殺されただろう。
街から出ようとする全てが彼らの標的だった。生存者であろうと"奴ら"であろうと。そして今のところ、撃った相手の殆どは前者だった。但しこの事件を引き起こした犯人、"混沌の反乱"と俺たちが呼んでいる奴らであれば話は別だ。尤も、そう易々と姿を現すとは思えない。いや、張本人はこの地に存在さえしていないのだろう。
ホーキンスヴィルからのルートは、彼と同じ任務を課せられた狙撃手達によって完全にカバーされていた。別動隊はヘリでサイトに向かったが、彼らとコンタクトを取る事は無い。軍の連中に察知されれば後々面倒な事になるのは目に見えている。世界を"異常"から救うのは財団であるべきであって、その為にこの寂れた町で何年も秘匿し続けてきたのだ。この戦争の切り札になる筈の何かを。
彼はそれ以上の事を知らなかったが、アメリカ全土が肉と腫瘍に覆いつくされるのと、この町の住民約1,000人を引き換えにするのは妥当な取引なように思えた。
個人的な感傷で彼らが背負う物を台無しにするような人間なんてこの世界にはどこにもいない。"ママ!ママ!"と泣き叫ぶ、まだ幼い少女に見えるヒト型超常実体を乗っている車両ごと吹き飛ばした事だってある。自分がタフだと思ったことは無い。ただ彼らは運が悪かっただけだ。
技術部の作った特製のドローン──とはいえ、動力も制御系統もセンサーも一般に販売されているそれの流用だが──は、滑空しながら地表を監視し、その映像を彼の手元にある端末に送信し、予め設定された高度を下回るとモーターを起動して上昇、それを繰り返す事で長時間の滞空を可能にしている。
持ってきた弾はもう残り少ない。一度後方に下がるべきだろうか。
彼は遠くで同僚たちが放ったであろう別の銃声に混じり、空気を引き裂く様なバリバリという音が聞こえ始めたのに気付いた。思わず携帯端末のディスプレイに目をやると、それは正に彼の目の前で"受信なし"の表示に切り替わった。
彼は端末を再起動しようと手を動かした。その後数秒の間に10を超す爆発音が響き、彼は唐突に終わりが訪れた事を悟った。
なるほど、確かに碌な死に方じゃない。
そして運が悪かったのは俺も同じらしい。
それが彼の最後の思考だった。
彼の伏せていた場所は、彼の同僚たちと同じようにクレーターと化し、彼らがそこにいた証拠を消し去った。
「アレクサンダー戦闘群のDAPが"子飼い"の直接介入を確認しました。恐らく初期収容の為に招集された部隊と推測されます。F-15がドローンを撃墜、攻撃ヘリが残敵を掃討中です」
少将は今日何度目かの喫煙休憩を中断されて苛立ちを覚えたが、事態が進展しつつある事は歓迎しなくてはならないと思い返し、自分のデスクに戻ってJSOPを表示した。
ほんの10分ほど前、DAPが彼らの一時的な拠点として使用していた小さな工場に突入し、絶対に見つからないと信じ込んでいる奴らの位置を捕捉した。戦闘群司令部は、それが"無関係の"民間人ではない限り、作戦の障害を排除する権限を与えられている。財団が沈黙を守り続けている以上、彼らは切り捨てられたのだ。
つまり今狩られている奴らは、制御を失って無秩序な虐殺を振り撒くただのテロリストに過ぎない。
ナイトアダーの名を冠するコブラ攻撃ヘリコプターの最新バージョン──厳密には海兵隊の"ズールー"ことヴァイパーの方が新しいし、同じ4枚ブレードでもあっちは双発だったが──が、最初にドローンのカタパルトを牽引していたトラックを含めた何台かの車両に向けてヘルファイア11を発射、次いで機首の20㎜機関砲でその周囲を薙ぎ払った後、複数名のグループを、そして最後は一人ずつ刈り取っていった。たったの数分前に起きた殺戮の現場を克明に写す記録。
「現状の犠牲者は?」
「推定ですが200名ほど」
逃げも隠れもしない標的をただひたすら狙撃し続けるのはどんな気持ちなのだろうと少将と呼ばれる男は考えた。
だが、引き金を引くのが自分ではないだけで、死神の目を通じて奴らがミンチにされるのを観察し続けている自分もさして変わらないのではないだろうか。
彼らは仕える主人を間違えたのだ。今までの敵と同じように。
「現時点で、だな」
「その通りです。先ほど分遣隊が生存者とのコンタクトに成功しました。現地の法執行機関の生き残りと、彼らが保護した民間人、それにFBIの捜査官が1名」
「チームは撤退中か?」
「いえ、作戦を続行しています。現地指揮官が言うには、生存者の一部が同行を要求していると」
「なんてことだ。プランBについては?」
「GBU12を搭載したF-16が4機向かっています。作戦区域AOでの待機可能時間は45分。戦闘団司令部はホーキンスヴィルの北15㎞に前線観測基地FOB"グラニト"を設定、地上部隊は突入準備を完了しています。ですが現地では天候が悪化しつつあり、リーパーとブラックジャック13は間もなく空域を離れます。ナイトアダーはヘリボーン14の随伴護衛に専念します。ガンシップは到着までまだ時間を要します。よって火力支援は砲兵に、オメガ・ポイントの最新情報は分遣隊に依存します」
「輻射制限EMCON解除、彼らと直接対話したい」
彼はこういう瞬間が訪れる度、オペレーションセンターでの喫煙が禁じられている事を疎ましく思う。
「私はドリスコル少将、この作戦の指揮官だ。ザカリー・グリフィス・フィッツジェラルド元一等軍曹。君が同行を求めていると?」
"あなた方の目的が何であれ、私たちはこのクソ地獄が始まったであろう場所を知っている。そして私の故郷は蹂躙され、助手は奴らに家族を皆殺しにされた。この意味が分かるか?"
「わかっているつもりだ、ザック。しかし、行った先で自分たちがどんな目に合うか分かるか?ただの死ではないぞ。有史以降人類が考えついたありとあらゆる悪意の集合体、その中に於いて正気を保つ覚悟はあるかね、元一等軍曹」
"ならば、なぜそうなるまで放っておいたんだ?引き返せないのは俺たちも同じだ"
「ダニエル・ハリソン大尉」
"はい、少将"
「君に任せる。必要な現地資産を調達し、オメガ・ポイントへ急行せよ」
大尉は配下の4チームを2つに再編した。2個チームはザックとアンナを連れて廃坑に向かう。残る2チームは保安官事務所を拠点として、もうじき到着するであろうアレクサンダー戦闘群の前哨偵察部隊を誘導する。残る1チームが今や唯一の現地法執行機関メンバーであるニコラと共に、生存者を捜索する。臨時編成の戦闘捜索救難CSARチームだ。航空攻撃・艦砲射撃・砲兵目標指示要員ASGARD15は前進チームに加わり、彼は"プランB"手段を行使する要となる。
アンナはニコラに手伝って貰いながら、多数のショットシェルを収めた戦術ベストとポーチの着いたベルトを着けながら、ザックと兵士の一人との会話を聞いている。ホルスターには古い357マグナムのリボルバー、それはハリーが以前使っていたものだという。ブローニングより扱いが簡単だという理由で、ニコラが見繕ったものだ。
引き金は重く、反動は強烈。撃った事は勿論ない。が、これを使う時はいずれにせよ助からないだろう。彼女はそれが本当の意味での"最後の手段"になる事も理解していた。
ただ餌になってやるつもりはない。
「こっちの方が軽いし扱いやすいですよ。あなたも元軍人ならM16の扱いには慣れているでしょう?」
彼女の背後では、ザックが兵士の一人と会話している。
血に塗れてはいるが、レシーバーには騎士の兜とサーベルを象ったエンブレムが誇らしげに刻まれていた。射撃愛好家の中では知らない者はいない、AR-15の最高峰、その狙撃仕様。最新のデジタル式光学照準機に減音器。恐らくは戦死したという3名の内の誰かが使っていたものだろう。
「知っているよ、お若いの。そいつは良い銃だ。プードル撃ち呼ばわりする気はない。だが俺はこっちでいい」
ザックは愛銃を撫でながら続ける。
「俺はこの銃を30年以上扱ってきた。扱い方だけじゃない、どう撃てば当たり、外れるのか。着弾点を予測できるくらいにこいつは俺の一部になってしまった。死地に赴くなら、そういう道具を使うべきだ。この銃を使っていた男も同じだったろう」
「ええ、彼は良い斥候でした。頼りにしてますよ、一等軍曹」
大尉がアンナに告げる。
「前言は撤回する。同行する以上、一切の安全は保障されない。君たちは私の指揮下でのみ行動するように」
答える前に今まで聞いたことも無いような音が外から響き、振動が伝わる。
それは"死神"が残した去り際の一撃だった。何の前触れもなく街路の先を吹き飛ばし、粉砕されたコンクリートと、さらに細かい破片によって灰色のエアロゾルが彼らの居る事務所のすぐ近くまで迫ってくる様子を見て、アンナは自分が突然戦争映画の中に放り込まれたような気分になった。
どこかの天才的な戦略家のお陰でこの街の通信インフラは全てダウン、それが君たちが外部に救援を求められなかった理由だと隊長らしき男は説明した。同時にそれが、彼らが異変の兆候を察知する切欠になった事も。
彼らの視線の先、その中で更に蠢く何かがいる。バチバチと弾けるような小さな爆発が何度も起き、土砂煙の中で明るい火花を散らした。
トカゲのような機首をした2機の攻撃ヘリコプターが甲高いタービン音と共に飛び去って行くのが見えた。
「あれは俺たちの支援じゃない、この後に到着するヘリ部隊の降下地点LZを確保する為に来ただけだ。道中の支援は一切ない。つまり俺たちと君たちの銃だけが道を切り開く。覚悟は?」
彼女はショットガンの先台を勢いよく引く事でそれに答えた。
「全員聞こえたな?ガスト、パンクは現地点を維持して後続部隊を誘導、保安官を同行させて市街地の巡回を開始。残りは表のトラックとSUVに分乗、1両目が俺、2両目はマディが指揮を執る。ザック、あんたは俺と一緒に、マディはアンナの面倒を見てやれ」
詰まるところ、それはポータルだ。
知性構造、即ち知識と意志の二つが揃わない限りそれは稼働せず、それは即ち誰かに教えられたという事実だった。それは哀れな誰かの血肉を引き換えに傀儡を生み出し、それは新たな材料を狩る為だけに存在する。より大きな何かしらの存在を顕現させる為の手順。
いつからそれがあったのかは分からないが、少なくとも表面上は誰にも気づかれる事無くそれを封印した。
肝心なのは、誰かがそれを破ろうとし、そして恐らくその試みは成功しつつあるのだろうという事だった。
それをやらかしたのが明確に意思統一された組織という確証はないが、少なくとも誰かが何らかの目的で動いているのは事実だった。そして、彼らはその疑問──"誰が"、そして"何のために"──が分かるまで黙っているつもりはないらしい。
ザックはハンドルを握りながら欧州への派兵との関係性について聞くと、助手席の大尉は"ノーコメントだ"とだけ答える。
「我々の任務は、直前まで収容を維持していた手段を確保する事だ。そして可能ならばそれに干渉した事象を捕捉し、回収する」
「何のために?ここと同じ地獄を別の場所で再現する為か?」
「ネガティブ、原因を追究し、対抗手段を確立する為だ」
「信用できない」
「では言い換えよう、戦争に勝つ為だ」
「映画じゃそうはいかないがな。今はあんたが嘘を言っていない事を祈るしかない」
「安心しろ、用が済んだら俺が直々に殺してやる」
「その時は俺も立ち会わせてくれ」
「考えておこう」
ザックの写真にあった奴らと同じ装備の遺体が3体、SWATチームのような真っ黒の戦闘用装備を着用し、AR-15によく似たドイツ製の小銃を抱えたままの見覚えのない兵士、それにSCP社のIDを首から下げた警備員と社員らしき服装の遺体。それと多数の弾痕と空の薬莢。
背中から撃たれたものも、何かに食いちぎられた様なものも見当たらない。
戦闘らしき何かが起きたのは事実だが、その場から誰も逃げ出そうとしなかったのだろうか。
このふざけた格好の兵士は何者か知っているか、とザックは大尉に質問したが、彼は答えない。
代わりに別の質問を投げかけてみた。
「俺が見た限り、"悪ガキ共"は12名いた。じゃあ残りは、大尉?」
「逃げたのでなければ、きっとまだ近くにいる筈だ」
「そいつらが犯人?」
アンナが割って入る。相手が居なければ復讐は成立しない。
「そう簡単な話じゃないんだろう。だが、あいつらが来なければ、少なくともこの異変が今起きる事は無かった」
廃坑の最深部は、無機質なその色を除けば筋肉繊維のそれによく似た筋と腱で覆われていた。H.R.ギーガーがデザインしたと聞かされても疑う事は無かっただろう。それらは時折奇妙に脈動し、不規則に隆起と陥没を繰り返している。
全身のタトゥーから黒い液体を流しながら、その不自然な姿勢の彫刻めいて壁に埋め込まれた"素体"は少年のように見えた。アンナより数歳ほど下だろうか。髪は無く、頭部からは金属光沢を持った管が何本も生えており、それらは壁の割れ目を塞ぐように埋め込まれていた。壁に染み出した天使の羽根のような模様は、同じように彼の背中に刻み込まれたものが染み出したようだった。巨大な蛆虫めいた何かが身体の所々を覆い、艶めかしく蠢いている。
ザックは周りに置かれた奇妙な電子機器の群れのコンソールに目を停めた。
"Fig-NFW No.4: Gen2ユニット"と表示されている。
ザックはその顔に見覚えがあるような感覚を覚えた。
「俺は、こいつを知らない」
ひとりでに口をついた言葉。それは些細な違和感でしかなかったが、大尉はそれに気づき、部下に彼の拘束を命じる。現状からは決して発せられない筈の文脈。即ち、認識災害の兆候。
兵士の一人が近づいた瞬間、それは目を見開いた。
同時に地面から鎖のようなものがのたくりながら浮かび上がり、鞭のように彼らを打とうとした。
"伏せろ!"の声と数発の銃声が同時に響く。
アンナは、鞭が彼らではない何かを絡め取っているのを見た。
ジャック。
続いて最早聞きなれた叫び声と共に、隙間から"奴ら"がやってくる。ガリガリ、シューシューという音を立てながら、奴らの開いた口から見知った顔が覗き、そいつらは口々に"傷つけないでくれ""助けてくれ"という声が聞こえる。
ザックは痛みを感じるほどに奥歯を噛み締めているのに気付いた。その声が聞こえているのはどうやら俺だけのようだった。
そうか。
左手の食いちぎられた部位は、文字通り奴らのクソになってしまったのだ。
彼の瞳は奇妙な色を帯び、銃床でジャックを持ち上げている鎖の束を力任せに殴りつけた。続いて右手でライフルを抱えたまま、欠損したもう片方の手で拳銃を抜き、ジャックを捉えた別の鎖に発射する。数発の9㎜が連続して同じ個所に命中し、それが崩れ落ちると、次にライフルの銃口を"素体"に向けた。
彼の意識が得体の知れないどこからか流れ込んだ憎悪で真っ赤に塗りつぶされ、それが弾丸として具現化され、指向される。
大尉が彼の拳銃の遊底を掴み、放たれた銃弾は彼の目尻を掠めた。
「耄碌したか、爺さん。一巻の終わりだぞ。ローディ、サイファー、彼を拘束しろ」
大尉は脳内で反響する発砲声に眩みそうになりながらも、現状を確認しようとする。視界が狭い。
地面に叩きつけられたジャックは何事もなかったかのように、手を着く事も無く静かに起き上がる。そして奴らが"素体"に飛び掛かろうとした。
刹那、新たな鎖の群れが生き物のようにそれを貫き、雁字搦めにし、異形の突進は再度阻止された。
彼の部下は暴れるザックから銃を奪い、後ろ手に拘束しようと試みるが、ザックは年齢からは到底想像もつかない程の力でそれを解き、暴れている。2人がかりでも抑え込めず、弾き飛ばされる。
アンナは弟の名と共に"止めて!"と繰り返し叫んでいる。
新たな怪物が岩の裂け目からバリバリという音と共に湧き出し、今度は彼らを包囲しようとしている。
状況を判断し、部下に指示を下さなければ、ここで全員が死ぬ羽目になる。
「ダガー11よりダガー64、ベーコンのフライ音だ。未知の変異体と遭遇、"素体"及び変異原の確保を放棄。チームは即時撤収、プランBに備えろ!」
大尉はライフルを構え、アンナがジャックと呼ぶ何かが召喚した獣共に発砲しながらその場にいる全員に後退を命じた。
ザックの事は放っておけ。もう奴の一部になってしまったのだから。
解放されたジャックが"素体"に顔を近づける。
アンナは、彼の姿を再び見た時、彼女はジャックを取り戻せるかもしれないと夢想した。
しかし、彼がザックに手を掛けるのを見て、それは叶わないと悟った。
故に、この悪夢を終わらせる事は出来ない。だが、幕を引く事は出来る。そしてその為の手段となり得る12ゲージ・バックショットと、それを指向する為の銃口、そしてその意志を宿す自分自身、全ては揃っている。
彼女はそれを全て悟った。顔を濡らす何かには気づかずに。
引き金を引く。
ジャックの首が不自然に曲がり、そのままの姿勢で立ち尽くすザックの方を向いた。
そして彼の方に歩み寄ると、彼の頭を掴みながら耳元で何かを呟いた。
ザックは白目を剝きながら奇妙な呻き声を上げる。そこに苦痛とも悲嘆とも、或いは恍惚とも受け取れる言語化不可能な、しかし確かな感情が込められているのを、それを聞いた全員が直感していた。
失った手にへばり付いている泥のようなものが乾き、乱杭歯を連想させる石灰の歪な塊へと変貌していく。
それはやがて腕から肩にまで広がり始め、左半身の殆どを覆うまで数秒。
徐々に彼の呻き声が、聞き覚えのあるあの声に変わり始める。
それを打ち消すような一発の銃声。
それが彼と愛銃にとって最後の、そして生涯で最高の射撃だった。
あの殴打で機関部や銃身に歪みが生じていなかったのは偶然なのか必然なのか、今覚えば疑問を抱くまでもなかったとアンナは思う。
ジャックの頭部に弾がめり込み、それが反対側から飛び出すときに火山の噴火の如く沢山の破片を吐き出すのがスローモーションのように映った。
それっきりザックは膝を折った。
訪れた静寂が、彼らに悪夢の終わりを告げた。ザックにとっては、それは二重の意味を持っていた。
大尉は彼の下に駆け寄る。
「終わったな、軍曹。良く頑張った」
「大尉、それは俺も同じらしい」
大尉はそれを無視し、アンナと共に彼の肩を担いで起こした。
「タフな爺さんだ、こうなると分かっていたら絶対に連れてこなかったのに」
「諦めないで、すぐに出られるから」
「そうだ、すぐに助かるぞ。だから目を閉じるなよ」
彼の意識を留め置くため、二人は常に声を掛け続ける。
ザックは最後の力を振り絞るように、しかし不思議なほど静かに告げた。
「大尉、俺はここでいい。皆を宜しく頼む。ここを跡形も無く吹き飛ばしてくれ。俺とあの"素体"ごと」
「馬鹿な事を言わないで」
「あんたは貴重な証言者だ。他人のクソに巻き込まれて生き残れたんだろう、気合を入れろ、軍曹!」
ザックはかぶりを振って、壁面と同じ質感へと変貌しつつある左腕を地面に突き立てた。
脈動する壁面が彼らを分断するかのように伸び、姿が見えなくなる。
"後は任せる"
そんな声が聞こえた気がして、大尉はかつての光景を不意に思い出した。いつまでこの悪夢は続くのだろうかと考えながらも、アンナを引き摺るようにして光の指す方を目指す。
俺は嘘をついた。
俺は彼を知っている。
ヘリから兵士たちと共にアンナが降りてくる。彼女の眼には涙の乾いた痕が見える。
ニコラが彼女を抱きしめると、その痕を再び暖かい何かが伝うのを感じた。
ザックがどうなったのかは、それで理解した。だから彼女は何も言わない。
事務所の周辺は既に多くの兵士たちが展開していた。
「目標!装填手、AMP16!砲手、1時方向、Reds!800!」
"装填Up!"
"目標捕捉PID!"
「撃て!」
"発射On the way!"
砲弾が、轟音と共に音速の3倍を超える速度で撃ち出され、65tの巨体が身を震わせる。
「目標、撃ち方止め。運転手、現在位置を維持」
彼女たちのすぐ近くに停車している戦車、そのハッチから身を乗り出した車長が部下に指示を出し、車内にいる3人が、まるで元々決められていた台詞を読み上げているようなテンポでそれに応じるのを聞いていた。
"経血Reds"、兵士たちはあの怪物共をそう呼んでいるらしい事を、ニコラは彼らと行動を共にする内に知った。
彼女自身、そしてあの所属も分からないチームが行ったのは"捜索救難"と呼べるようなものではなかった。
"何か"に変貌しつつある住民たちを"処理"しただけだった。
何が正しいのか、そんな事は最早どうでも良かった。
放たれた砲弾は、彼女の9㎜と同じだ。
決して忘れない。
"オメガ・ポイント"に向かう4機のF-16を示す表示、そのうち先行する2機にはBLU-118弾頭17を備えたレーザー誘導爆弾が搭載されている事をドリスコル少将は知っていた。それは分厚い岩盤を貫き、内部を焼き尽くす。残る2機に搭載されているのは標準的なMk84を弾体としたもので、先行する2機が開口した箇所を狙って投下され、剝き出しになったその場所を爆風と破片で覆い尽くす。
彼はその一部始終を眺めながら、ザカリー・グリフィス・フィッツジェラルドという名の元軍曹の行動と、廃坑に突入したチームが得た情報を統合し、結論を出す必要があると考えていた。
"素体"は何だったのか。それに埋め込まれた何かが彼の認識に作用した事は間違いない。では、なぜ彼だけがその影響を受けたのか。
"NFW素体"Fig-NFWだと?
部下に命じて情報を精査させた挙句の推測を見て、少将はダニエル・ハリソン大尉が何かに呪われているかのように感じた。
直接的な証拠はたった今、合計8,000ポンドの爆弾で吹き飛ばされたばかりだが、それはより明確な目的──即ち事態の収拾──の為に行われた。作戦上の優先順位に齟齬は無い。
後始末の時間だ。
"混沌の反乱"を気取った奴ら、クソったれめ。
財団の連中に落とし前をつけさせるのはその後でいい。