クレジット
タイトル: 無料のランチなんてありゃしない
翻訳責任者: C-Dives
翻訳年: 2025
著作権者: WhoIsCthulhu
原題: No Such Thing as a Free Lunch
作成年: 2025
初訳時参照リビジョン: 8
元記事リンク: ソース
「これで全部かい、エディ?」
完全にボーっとしていたので、エディは気付かなかった。
「トンプソン!」
「へっ?」 束の間のパニック。「あぁ」 トレイを掴む。「そう、これで全部だ」
「了解。それじゃ、良い一日を」
「うん、どうもありがとう」
エディはいつもの場所、壊れた椅子が2脚添えてある角のテーブルへと向かった。そこで友人のドミニク・ベル博士とテリー・イングラム博士に合流し、他愛のない雑談に興じた。
「これ以上はどこまで耐えられるか分かりませんよ」とイングラム博士が零した。「また何かあったら辞表を書かなきゃいけないと思います」
「だったらさっさと書きなよ」 ベル博士が言い返した。「辞めてやる、辞めてやるって散々言ってるじゃない。無料ランチを取り上げられるのがやり過ぎでないなら、あんたにとって何がどうなれば一線を越えたことになるの?」
イングラム博士は唇を震わせた。「まあ… 私に分かるのは、このままじゃいけないってことだけです」
「でも、1年近く前からこんな感じじゃない。だけどあんたは相変わらず財団にいる」
「だって、他にどこが雇ってくれます?」
今度はエディが口を挟んだ。「マジで言ってる? 君みたいな鑑定士には物凄い需要があると思うけどね。Are We Cool Yetとか、MC&Dとか - いや、その気さえあれば、ディア大学の非常勤講師だって夢じゃないさ」
「本当にそう思ってます?」
「もちろん。それに、どこに行こうとここよりマシな給料が貰えるはずだよ」
「間違いないね」とベル博士。「この状況が続けば、財団より高い給料なんてそう難しい話じゃなくなる」
「財団が権威ある組織だなんて考えは捨てた方が良い」 エディはそう続けた。「正直言って、あと10年も存続できればラッキーだ。履歴書を推敲するなら今しかない」
「あなたの言う通りかもしれません」 イングラム博士も認めた。「ただ、私は勤務初日のことを今でも覚えてるんです。まるで子供みたいな驚きが心に満ち溢れたあの時を」
「それに恐怖も、でしょ」 ベル博士が付け加えた。
「もちろんです。1日目、とある絵画についての書類を手渡される。どんな筆で描かれたかを調べる必要がある。“見てもいいですか?”と訊く。返事は“ダメだ、見ると溺死する”。だから赤外線ゴーグルを付けて真っ暗闇で作業しなきゃならない。笑顔なんかあっという間に消えましたよ - 今にして思えば、それが一番賢明でしたけどね」
エディはまたもやぼんやりし始めた。チキンテンダーの衣を注視する目つきがだんだん虚ろになっていく。
「あんたはどうなの、エディ?」 ベル博士が期待を込めて彼を見やった。「いずれ船が沈んだら、どこ行くつもり?」
「うーん、どうしようか」 エディは口をつぐんで、少しの間、その質問について考えてみた。「この界隈では演劇関係者のニッチはそう広くないと思う。たまにバックドア・ソーホーで講演の機会がある程度じゃないかな。アンブローズのディナーシアターにでも出演するか。何もしないよりはマシじゃない?」
ベル博士は目を細めた。「決めつけるのは早いんじゃない。人はありとあらゆる種類の専門家を求めるからね」
これを聞いて、エディは苦笑した。「もし“レント”の公演でマークの代役が急遽必要になったら、確かに僕が適任かもね」
「真面目な話よ。もしかしたら、誰かが呪いの戯曲とか、何かしらミームと関わりがある興行のアーカイブ記録とかを見つけるかもしれない。つまり、専門知識はある日突然極めて重要になるまではそれほど重要視されないってことよ」
「うん」 エディは溜め息を吐いた。「そうかもしれないね。とにかく希望を捨てないでおくよ」 彼はパッサパサに乾いたロールパンを一口頬張った。「あと、もちろんだけど」と噛みながら言い添える。「ボイストレーニングを再開するよ」
「あなたはどうなんです、ドム?」 イングラム博士は待ちかねたようにベル博士を見つめた。「あなたのプランは?」
「そりゃあ、誰だって技術サポートは必要でしょ? 一番理に適ってるのは例の教会だろうけど、プログラマーを求めてない企業なんて世の中にそうやたらとはないだろうし。まず探してみないことにはね」
エディは頷き、乾ききった昼食に意識を戻した。財団の食堂で出る料理は元より格別美味いものではなかったが、少なくともかつてはタダだった。それが今や、彼が雇い主に金を払ってクソマズいゴミを食べなければならないのである。彼には、そう遠からず、日々の昼食代を補えるだけの給料も出なくなるだろうと察しが付いていた。
しかし、少なくとも - 本当に最低限の期待ではあるのだが - タコス・チューズデーがまだ残されていた。もし、ここの業務を恋しく思う理由を一つだけ挙げるとすれば、それはサイト-32厨房スタッフが毎週火曜日の午後に作ってくれる、サルサヴェルデ、コティハチーズ、新鮮なコーントルティーヤを添えたマリネチキンだった。財団が彼から奪えるものは数多あれど、タコス・チューズデーは常に彼を待っていた。
「ソーセージです」
「それは分かる」 ドムは嘆息した。「あたしが訊いてるのは、何で出来てるのかってことなんだけど?」
「あのね、俺がこいつを製造したわけじゃないんですよ。俺は渡されたもんを受け取って加熱するだけです、いいですね?」
ドムはまた苛立ちの溜め息をつき、しぶしぶトレイを持って角のテーブルに向かった。トンプソン博士とイングラム博士は既に白熱した議論を繰り広げていた。
「どうでもいいじゃないですか」 イングラム博士がトンプソン博士を睨んだ。「私たちみんな、あっちこっちの店からガラクタをどっさり買い込みますけど、その出所なんていちいち気にしないでしょう?」
「せめて自分が食べてるものの正体ぐらいは知りたいじゃないか」 トンプソンはそう返した。「しかも、誰もその問いに答えられないようだし」
「今に始まったことじゃないわ」 ドムは友人たちと並んで席に着いた。「ここでは何もかもが要領良く進まないみたい。昔からそうだったけど、悪化の一途を辿ってる」
「ああ」 トンプソンはフォークでハンバーガーをつついた。「この… 謎肉を体内に入れていいのかどうか悩みどころだ」
と、隣のテーブルの技術士が身を乗り出してきた。「こんな話を知ってるか?」
トンプソン博士は興味深そうに顔を上げた。「どんな話だい?」
「上はな、できればもう食料品を買わずに済ませようと決めたそうだ。だから今じゃ全部自家製なんだ」
イングラム博士が鼻で笑った。「具体的には、どうやって?」
「もう何でもありさ。あの土の塊とか、触ったものを複製する木とか - いいか、このサイトにあるミネラルウォーターのボトルは、ほとんどが例の水筒から出た水を詰めてあるんだぜ」
ドムは眉をひそめた。「上層部は私たちに異常な食べ物を振る舞ってるってこと?」
「そうなんだ。ま、食べ物自体は異常じゃないよ - 多分。でも、どうせそういう便利なブツを蓄えてるなら、使わないのは損だろ? 配られたカードで勝負するしかない、そういうことだよ」
トンプソン博士はすぐさまトレイを掴み、一番近いゴミ箱に歩み寄って、昼食を全部捨てた。「冗談じゃないよ」
「だけどさ!」 技術士は一層身を乗り出した。「少なくとも、俺たちにはまだタコス・チューズデーがある。だろ?」
「全くその通り」 ドムは嘆息し、躊躇いがちにソーセージを一口かじった。途端に、乾燥したスポンジを噛んだかのような感覚が襲ってきて、全ての水分が彼女の口からソーセージに吸い込まれていく気がした。無理やり飲み込むと、ソーセージはまるで石のようにドスンと胃に着地した。彼女は深呼吸して、両手で頭を抱えた。
少なくともまだタコス・チューズデーがある。
「ふざけてます?」
「すみません。俺が決めたわけではないです」
テレサは失望の溜め息を吐き、トレイを持って真っ直ぐ角のテーブルへ向かった。トンプソン博士は既に反旗を翻していた。
「いいか、何がまだ残されている?」 トンプソンはテーブルをひっくり返しそうな剣幕だった。「職員は解雇され、給料は減らされ、施設は閉鎖されてる - そして今度はこんなふざけた真似をしやがる」
ベルは目を細めた。「あたしたちにはもっと重要な仕事があるってことでしょ」
「まさにそれが問題なんだよ、ベル。もし奴らがもう些細な楽しみさえ許さないなら、僕らに失うものが無くなるのは時間の問題だ」
「それはそうかもね」
「なあ、こうなってくると」 今や立ち上がっているトンプソンが叫んだ。「上層部は僕らを辞職に追い込もうとしてるんじゃないかって気がしてならない。考えてもみろ! 解雇する職員には退職金を払う必要がある。でも僕らが自ら辞めてしまうのなら、奴らには1セントだって支払う義務がないんだぞ」
ここでテレサが口を挟んだ。「上層部がそこまで切羽詰まってると本気で思ってますか?」
「テリー、周りを見てごらん。ここが切羽詰まってない組織みたいに見えるかい? 第3試験室の割れた窓はもう4ヶ月も放置されてる。東棟の男性用トイレは6個も故障してる。シロアリは2回も湧いた。これを他にどう表現しろって言うんだ?」
「タコス・チューズデーはそこまで重要じゃないと思いますよ!」
食堂を静寂が覆った。技術士たち、研究員たち、更には用務員たちさえもが、衝撃と嫌悪の目でテレサを見ていた。
ここで彼女は致命的なミスを犯した。「たかがタコスじゃないですか!」
今や全てのテーブルが暴動を起こす寸前のように見えた。力強い怒号と憤慨の身振りが狭苦しいコンクリートの部屋に満ち溢れた。数人の職員が決然とした表情でテレサに詰め寄り始めた。
その時、ベル博士が閃いた。「ねえ、みんな聞いて!」 しかし、彼女の声は怒れる財団職員の波にかき消された。これに気付いて、トンプソンはテーブルに飛び乗り、大きく息を吸って -
「おおぉぉーーーい!」
群衆は振り返り、前屈みになって喘いでいるトンプソン博士に顔を向けた。
「ドムが何か言いたいらしい」 彼はテーブルから降りて、身振りでベル博士を指した。「さ、どうぞ」
「ふと思ったんだけど、みんなそこまで怒ってるのに、どうしてイングラム博士に八つ当たりするのよ? なんで実質的な行動を起こそうとしないわけ?」
職員たちは困惑して互いに顔を見合わせた。
「私が言いたいのはね、タコス・チューズデーの廃止にムカついてるのなら、実際にそれを決定した人たちに怒りをぶつけた方が良いんじゃないの、ってこと」
集まった職員たちの間に静かなざわめきが走り、やがて全員が、ベルの言い分は大いに筋が通っていると結論付けたようだった。早速、彼らは食堂を出てサイト-32の管理官、トロイ・サンダーソンのオフィスへと向かった。
しかし、オフィスの入口に近付いた途端、彼らの足が止まった。非常に馴染み深い匂いが鼻をくすぐった - このサイトで週が巡るたびに嗅ぎ、愛してきた匂いだ。だが今回、それが安堵や満足感を呼び起こすことはなかった。サイト職員たちの胸に渦巻いているのは、裏切られたという深い憤りだけだった。
更にオフィスに接近すると、室内からは笑い声や会話が聞こえた。サンダーソンとサイト-32の他の重役たちは、食事の合間に仲良く団欒しているようだった。
まさにその瞬間、トンプソン博士が勢い良くドアを開け放った。集合した職員たちは、タコスを手に持ち、テーブルに各種トッピングを並べたサイト管理官を目の当たりにした。目を大きく見開き、テーブルにタコスを落としたその姿は、クッキーの瓶から盗み食いしているのを見つかった直後の子供にも似ていた。
隣ではサイトの保安主任、技術主任、会計主任が硬直し、どこかに逃げ道を求めてか、部屋中に目を走らせていた。
しかし、逃げる暇などなかった。ほぼ全てのサイト-32職員がサンダーソンのオフィスに雪崩れ込んだかと思うと、テーブルからトルティーヤとチキンをひったくり、サルサヴェルデを分厚く塗りつけ、飢えた猟犬の群れのように貪り始めた。
サンダーソンはデスクの裏に避難した。「止めろ、お前ら! これは命令だ!」
「へえ?」 サンダーソンの半狂乱の視線に、トンプソンは刺すような目つきで応じた。「どうするつもりだ、トロイ? 僕らをクビにするのか?」
「そうとも! 俺にはその権限があるんだ!」
その時、会計主任が立ち上がった。「お言葉を返すようですが、サイト管理官、財団には現在退職金を支払う余裕がありません。ですから当面、誰も解雇しないようにご配慮いただかなければなりません」
「何だと?」 サンダーソンは飛来したサワークリームの小さな固まりを躱した。「じゃあ俺の仕事は全くのお飾りだってのか?」
「それは分かりかねます。私の給与等級では知り得ないことです」 会計主任はまた腰を下ろし、改めてタコスを食べ始めた。
トンプソンはサンダーソンに笑いかけた。「タコス・チューズデーを楽しんでるようだな?」
「できれば廃止したくはなかったさ。しかし、コストがかかり過ぎる」
トンプソンはテーブルを荒々しい身振りで指し、サンダーソンに目線を戻した。
「…ただの偶然だ」
「成程。じゃあ、取引をしよう。僕らはみんな、恐らく今すぐにでもここを辞めて、どこかもっと高給の仕事に就くことができる。そうだろう?」
また会計主任が割り込んだ。「そうです」
「ありがとう。それで、トロイ、君は僕らに対してどういう影響力を持ってるんだ? 本当にそんなものがあるのか?」
「それは -」 しかし、サンダーソンは答えを思い付かなかった。椅子に崩れ落ちるように座った彼の表情は怒り一色だった。
「だからさ」 トンプソンはそう言いながらデスクにもたれかかった。「従業員を一斉に失ったりしない方が、サイト管理官としての君にとって最善の利益だと思う」
「要するに何が言いたい、トンプソン?」
「タコス・チューズデーを僕らに返してくれ。頼むから」
トロイは食堂の向こうにいるトンプソン、ベル、イングラムを見ていた。トンプソンは生き生きと何事かを語り、イングラムは眉間にしわを寄せながら耳を傾け、ベルはただ黙々と昼食を摂っていた。トンプソンがトロイの視線に気づき、首を傾げた。トロイはテーブルに視線を戻した。
もちろん、トロイにタコス・チューズデーを廃止するつもりは毛頭無かった。それがサイト職員を激怒させるのは分かっていた。絶対にそんな真似はさせないだろうと分かっていた。そして何より重要なことに、そうなったら他のろくでもない話は全て忘れてくれると分かっていた。
大切な一日を奪還できれば、それでもう勝利を掴んだように感じるものだ。サイト管理官を打ち負かしてやったぞ。プラスチックの肉や段ボールのリンゴを食べなきゃいけないとしても、それがどうした? 少なくともまだタコス・チューズデーがある。
折に触れて職員の怒りの避雷針を努めなければならないとしても、仕方ないじゃないか。他の皆と同様、自分にも支払わなければいけない請求書がある。もしサイト-32の憎悪の的となることで、6桁ドルの年収が約束されるのなら - そうとも、一生その役回りで構わない。
いざとなったら、弟の教育費や、叔母の化学療法費や、義兄の葬式代を代わりに払ってくれる奴はいない。特に弟は困った立場に置かれるだろう - ロジャーは素直だが、感情をろくに隠さないタイプで、それでは出世はおぼつかない。
サイト管理官は財団で最もストレスの多い役職のひとつだと、誰もが口を揃えて言う。トロイはそれが腹立たしかった。彼は在職中ずっと、ほんの小さなミスでもキャリアに終止符を打つかもしれないという強い不安に苛まれているように感じていた。若手の職員たちが何の不安も見せず、楽々と職務をこなしているのを見ると - 彼には理解できなかった。特に、財団の組織構造が靴紐とチューインガムと夢物語でどうにか形を保っている今、パニックを起こす理由は幾らでもある。それなのに、奴らはのんびり楽しむ余裕を見つけている。
トロイは咳払いし、タコスを見下ろした - 物思いに耽っていたせいで冷めてしまったが、食欲があるわけでもない。近頃は胃がキリキリ痛んでいない時間があるだけで幸運だ。
その時、予想だにしないことが起きた。トンプソンが席を立ち、トロイに歩み寄ると、反対側の椅子に腰掛けたのだ。
「何の用かな?」
「落ち着いてくれ、トロイ。何だかちょっと… 取り乱してるように見えたから、気掛かりでね」
「そうか?」
「ごまかしてるつもりかい? ほら、こうして話してる間も、手が震えてるじゃないか」
トロイは自分の両手を見下ろした。確かに震えている。彼は膝に手を置き、見えないようにした。「どうしてお前がそれを気にする?」
「そりゃあ、僕だってサイトの一員だろう?」
「当然だ」
「だから… 君が大丈夫かどうかを確認したかった」
トロイは冷笑した。「お前らが総出でオフィスを荒らしたばかりだってのに、俺が大丈夫かどうか確かめたいだって?」
「まあ、うん。君を動揺させるのが目的じゃなかった。僕らはただタコスを取り返したかったんだよ」
「ああ、そうだろうとも」
トンプソンはトロイを見つめたが、トロイはもう目を合わせようともしなかった。1分半ほどその状態が続いた後、トンプソンは遂にテーブルを小突いた。「それじゃ」と言い、立ち上がる。「話せて良かったよ」
トンプソンはいつものテーブルに戻り、トロイは眉をひそめた。いったい何なんだ? どうしてあいつはそこまで興味を持った?
しばらくして、トロイは携帯を取り出し、ロジャーにテキストメッセージを送った。
“やあ、お前とエイドリアンが元気でやってると良いな、と思って連絡した。たまには電話してきてくれ。”
送信し、2分ほど経ってから見返すと、既読になっていた。
そして彼は待った。
そして待った。
待った。

