第三夜「準備」
筆者ニモ驚キノコトデアツタガ、帝都郊外トハ完全ナル無法ノ地トイウワケデハナイ。法律ノ代ワリニ、「日中ハ暴力沙汰ヲ起コサナイ」「犬ヤ猫ニハ絕對ニ手ヲ出サナイ」等樣々ナ暗默ノ規律ガ存シ、皆ソレニ從ツテ生キテヰル。少々野蠻デハアルガ、而シテソノ魔訶不可思議ナ律ハ、帝都郊外ガ自滅シナイ理由デアツタ。
石谷総一郎『帝都郊外冒険録』第2話ヨリ
帝都郊外の朝。男型の自動人形がこちらを訪ねてきた。念のため、合図でこちらの自動人形に隠れるように合図をして、がらがらがらりと戸を開けた。
「こんにちは」
なんとも紳士然とした自動人形だ。郊外にはとても似合わない。
「……おはようございます」
「体調いかがですか」
「おかげさまで」
「そうですか、それは良かった。ところで質問なのですが、齢十五程度の外見をした……自動人形を見ませんでしたか」
「あぁ……」
あの片目が隠れた少女体型の自動人形の仲間か、と大体の状況を察した。
「あれは私どもと浅からぬ縁にございまして、ええ、もし情報がございますれば、こちらにお電話いただきたくございます」
と、小さな紙片を手渡された。見れば、住所番地と思しき文字列と電脳郵便の個人番号、そして電話番号であった。名前は、「人形使い」と記されている。
「これは、どこの」
「事務所の情報です。私どもは自動人形に関すること全般を生業としております。しかし多忙のため直接応対することは叶いません。そこで、伝票や経理などの事務仕事や応対、営業を多くの自動人形で賄っているのです」
手紙をよこしたり、電話をしたり、電端で連絡を取ったりするだけで十分であり、直接訪ねる必要はございませんと自動人形は言う。
「もし、我々の探している自動人形が現れたなら、ご報告お願いします」
報告してやるものか、と内心では思いつつ、「親切にどうも、そのように報いたいと思います」と口では返した。要件も終わったことなので、と、自動人形は踵を返す。何事もないようで少し安心した。が。
「ああ、そうだ。最後に一つ」
「何でしょう」
「最初の内は誰も信じられず、嘘を吐くことも仕方のないことではございます。しかし、郊外に生きる以上、人付き合いは重要なものにございますれば。信用なるものについて、今一度考えてくだされば幸いです」
心臓が跳ねる。今見抜かれたのか、それともあの自動人形は最初から見抜いていたのか、どうして見抜かれたのか。それはわからない。しかし、少なくとも「自動人形を匿っている」のは露見している。「いつ」「どうやって」、それがわからないのに結果がわかる。わからないは特大の恐怖となって自分の身体を締め付ける。肉食獣がいつの間にか背後にいるときの草食獣の気持ちが理解できた。
「……わかりました」
落ち着け。相手はカマをかけてきただけかもしれない。努めて平静を装い、返答する。それでも声は若干震えていた。自動人形はそれを聞くと、「では」とさわやかに笑いかけ、去っていった。
「……はは」
壁によりかかり、乾いた笑いが漏れた。
「というわけで、これより今後の方針を決めたい」
「後学のために、会話は全て録音しておりました。ふりかえってみますか」
「即刻削除だ。とにかく、これからどうするか。これを考えなきゃならない」
相手が上手かこちらが劣悪か、この際それはどうでもいい。重要なのは、「彼らは自分らのことについて把握している」ことだ。あの自動人形、最後の一言で全ての発言に含みを持たせてきた。
「あれは降伏勧告だ」
確信を持って言う。
「いざとなれば組織一個分の動員ができる、帝都郊外初心者だから情けをかけているに過ぎない、少しだけ猶予をあげるから疾く君を差し出せと言っている」
「それは……困りますね」
困る。そう、困るのだ。この自動人形は護衛役で、居ないとなると仕事に支障が出る。居なくても困らない環境を作れるかどうかすら怪しいのに、おいそれと渡すわけにはいかない。しかし、ここはあの自動人形たちが日々を暮らす場所、箱庭のようなものだ。対するこちらは片や郊外一年生、片や記憶喪失という体たらく。正面からやり合えば、敗北は火を見るよりも明らかである。かといって逃げ続けても追いつかれるのは時間の問題であるし、アネギクのような化け物に頼ろうにも、不確定要素が多すぎて話にならない。「早々に詰み」、そんな言葉が脳裏をよぎって、ますます悲しくなってくる。
「そもそもなんで数ある自動人形の中で君なんだ、帝都と郊外を行き来できるんだから、その辺のヤツ誘拐すればいいだろ……」
「私が有能で頑強で可憐な自動人形だから、では」
無表情は両手を一の形にして頬に当てた。
「自動人形選びは用途によって基準が違うからな。有能で頑強で可憐、この三つを基準にすると歓楽街の業務用になるが……あの業界は新品を好む。華族とか豪商とかのものだったのならともかく、郊外の中古品に執着するとは思えない」
「冗談だったのですが」
「知ってる」
「新しい形の突っ込みを学習」
「その記憶容量はもうすこしためになることに使ってくれ……まずは君の性能と経緯を書き出してみるぞ」
黒曜式汎用自動人形ホ号33型、機種名『初雪』。瞬間最大馬力は1800馬力、中枢機能群はこの時代にしては優秀すぎるほどのものを搭載し、同時演算の許容範囲も広く、並列処理に対して強い。記憶性能及び知能は平均的、しかし、長期的未来予測機能は劣悪……などなど。まとめると、運動性を重視されており、咄嗟の判断はある程度できるものの計画を立てるのが苦手な機体である。軍隊で喩えるなら、参謀ではなく歩兵のような性能である。電脳網で調べた同型機とはまるで別物だ。おそらく黒曜式というのは基礎がその機種だからというだけであり、中身は在り合わせだろう。少なくとも正規の自動人形ではない。郊外出身の生まれに違わぬものだ。
「それで、君はこの前に目覚めて、活動を開始した。俺の弟、直樹秀二を主人としている遺品で、記憶はほとんどすべてがない、と」
となれば、力仕事ができる機体を望んでいるのだろうか。初期化自体は少し手間がかかる作業ではあるし、記憶喪失状態である自動人形は貴重なのだろう。ましてここは郊外、他人から奪う程度で「記憶は」新品同然のものを調達できるとなれば、動機は十分に思える。しかし、それにしては労力を割きすぎではないか。この自動人形に目をつけ始めてもう3日目だ。そんな時間があれば別の自動人形を攫って初期化すればいいのだ。瞬間最大馬力は正直な話過剰性能なことであるし、調節だって難儀するはずだ。では、突然どこかで運動型の自動人形需要が爆発して、そこら中から奪って回らないといけないほどになったのか。いや、そのような話は聞いたことがない。経済新聞のどこにもそんな記事は載っていなかったし、社内ではそんな話を欠片も聞いたことがない。第一、そのような生産の大流行が起きたときには生産者最大手の東弊組と流通大手のガラテア商會が黙っていないだろう。ここぞとばかりに安価で大量に供給を始めるに違いない。
となると、秀二が何かやらかしたことに対する報復、あるいは負債の返済か。そうなればもう何もわからない。秀二のことがわからない現状、秀二に原因があった場合、相手の棟梁に訊くしかないだろう。
「とりあえず、俺たちに要素を増やしていくぞ。あいつらに無条件降伏するわけにはいかない。そんなことは馬鹿のすることだ。勝てなくとも、こちらに有利な条件を整えて和解を引き出す必要がある。そのためにはどうすれば良いか」
「相手の弱点を知り、そこを補うことを条件として妥協していただく、ですか」
「あいつらが君に執着する理由は必ずある。それを探るためには、やはり取材と探索しかないだろう」
座しても流れるのは無秩序な噂だけ。確たるものを掴むには、手当たり次第に歩いて訊くしかないのだ。むんずと鞄を掴み、仕事道具をかき集める。
「これから情報収集だ、秀二のことを調べつつ、ネタ探し。それから奴らとの和解の準備。一石で三羽狙うぞ」
結論から言えば、秀二についての情報はあまり集まらない。というのも、ほとんどが留守なのだ。焦っていて失念していたが、平日の昼間とは当たり前のように人がいないのであった。かといって道行く人々はあまり他者に関わろうとしない。こちらが話しかけても避けてしまう。喫茶や食堂のような場所を当たってみるが、法外な情報料をねだってくる上にいい加減な情報が多い。
「帝都と郊外じゃ別世界だな……」
「左様にございますか」
「郊外の人間は基本的に四六時中精神が張り詰めている。取り付く島もないとはこのことだ。度胸持ってるやつは隙あらば金をせしめようとするし……」
「帝都ではありえないのですか」
「帝都の人間は基本的にお人好しだから、帝都の人間同士なら警戒心は薄いんだよな。例外はもちろんあるけど。例えば政治家はいつも用心深い。でも、あれはあからさまに拒絶するものじゃない。嘘と安心でできた香りで人をあえて踏み込ませ、そして確実に取り込んで養分にする」
同期の花丸の家系は典型的なそれだ。華族の中でも高貴な身分、いわゆる堂上華族である花丸家は、そこまで身分が高くないにせよ政争が絶えない環境であったという。華族の中に発生している「派閥」同士の争いは、嘘と安心の迷宮を心に作った人間だけを生かしてきた。そうしてきた人間たちは次第に暴力を忘れ、代わりに人を食い物にする生き方を覚えていく。今、華族の間では、「いかに相手を黙らせるか」ではなく、「いかに人を味方につけ、こちらに尽くさせるか」が流行しているそうだ。
閑話休題。特に得るものはなく、次で最後とあばら家の扉をノックする。
「はァい」
「客人かな、強盗かな」
「夜でもないのにそんなモン現れた暁にゃ、最後の晩餐でもしてやるかね」
「じゃあ、客人が来たら」
「飲むに決まってんだろ」
「なんだァおめえ、そりゃ飲んでばっかじゃねえかよ」
どっ、陽気な笑い声に気後れしつつ、酒の香る室内へ入った。室内はほの暗く、資料でよく見る江戸の家の作りにどこか似ていた。土間の左手に台所があり、奥には四畳ほどの散らかった部屋。郊外の掟なのかは知らないが、畳は一部腐っている。中心に置かれた碁盤を囲む男女が三人。典型的なオヤジと形容できる中年と、白髪で威勢のいい老人、いなせな女である。そのうち、女が反応した。
「お、いらっしゃい」
「どうも」
「ウチは見ての通り場末のあばら家だよ。「此処を訪ねる者は誰も拒まない」たァ決めてはいるが、人を呼ぶような場所じゃないし、金目のものもこの通りすっからかんさ、飯だって雀の涙だ。夜ならまだしも真ッ昼間だぞ。人違いじゃないのかい」
「いえ、求めているのは情報であって、尋ね人や探し物を目当てにしているのではありません。また、この情報収集は虱潰しでございますので、人違いではありません」
自動人形が割って入ると、女の表情は一変。怪訝な表情が驚きの真顔に、そして歓喜の笑顔へと早変わり。
「おお、クロか。久しぶりだな。おいお前ら、クロが顔出したぞ」
「クロだって」
「見間違いじゃねえのか」
中年も老人も、クロという名に反応し、どたどたとこちらへ寄ってきた。
「本当だ、クロだ」
「久々だなア、一体どれくらい顔出してなかったんだ。ざっと……2週間くらいか。見ないうちに大きくなったか」
「タケノコかよ」
わいわいと勝手に盛り上がる三人を、自動人形は声を張り上げ制止する。
「失礼ながら申し上げますと、私は未だ名無しでございます。クロとは心当たりのない名前なのですが」
きょとんとして、三人は顔を見合わせた。
「っつーこと言われても、なあ」
「その綺麗な髪、ポァッとした顔、その服」
「これでクロじゃなくてなんだってんだィ」
とことん息の合う三人だ。たしかにこの自動人形は特徴的であるし、人は覚えやすいだろう。今の状況から考えられるのは、「適当言って手持ちの金をせしめようとするいつもの風景」か、「この自動人形はこの三人と知り合いだった」のどちらかだ。酒に酔っていて、囲碁や将棋をやっているこの無害そうな三人に対する信用と疑いは、おおよそ二対八といったところ。困惑気味の自動人形は満足に受けごたえできそうにない。
「まあまあ、この子も困っているではないですか。まずはこちらの質問に答えてもらっても良いですかね」
「アンタ誰だい」
いなせな女は怪訝な顔をした。
「この自動人形の臨時の持ち主です」
さらに怪訝な顔をする。見兼ねたのか、自動人形は会話に割り込んだ。
「ご主人である秀二の兄、総一郎です。秀二の死に際し、遺産相続として総一郎に私の所有権が移行しました」
しん、としたあばら屋。今度は驚愕の表情である。これは……手間が少し省けそうだ。
「今……秀二が、なんだって」
「ご主人は亡くなりました。私の記憶はほぼ全てが消失し、申し訳のない話ではございますが、あなた方のお顔もお名前も、そして秀二とは何者かも私は存じておりません」
「と、いうわけでして……秀二のことを訊けたら幸いに思いま……」
「ついに死んだか秀二ッ」
老人の喝にも等しい声に肩が跳ねる。
「今日は飲むぞ、お前ら手持ちの酒全部出せ」
「くそう、お前さんもご愁傷様だったなァ」
「日頃飲んでばっかだろうがこの野郎ども、それで葬式になるかい。あ、総八郎だったか」
「総一郎です」
どうやらこのいなせな女がまとめ役のようだ。振り返って早々に名前を間違われる。
「今夜はウチで過ごしなよ。どうせロクな葬式やってねえんだろ」
これが平時なら、喜んでそうしただろう。しかし、喫緊の問題に際しては話が別だ。情報を得られたら早く整理したい状況。長居はできないと断ると、「いいわけこわけは要らねえよ、ほら、さっさと酒か肴を持ってきな」と聞く耳持たずな始末。
自動人形は困惑が解けていないようで、主役のように扱われる中でこちらを見る。自分は「とりあえずなされるままに」と肩をすくめた。
十年前までの秀二という人間は、馬鹿で将来に対する視点が不足し、いつも感覚で生きていた。自分の快・不快に敏感で、不快を感じ取ればあらゆる手段で排除を試みた。しかし、基本的には善人で、あらゆる人間から関心を持たれる存在だった。彼を気にいる人も多くいたが、それと同じくらいに、彼を気に入らない人間も少なくなかった。
では、10年前からの秀二はどうだったのか。
「カッコいい奴だったよ」
「ダサいけど、憎めない奴だったなあ」
「漢」
「じじ殿良いこと言うじゃねえか。漢と書いてオトコ、漢……ああ、そういうやつだったよ。カッコいいっつーにはなんか足りねンだよな」
「自分でカッコいいって言ったくせに」
「てやんでいこのオヤジ、やるってのか」
「やらいでか」
「まあまあまあ……」
酔っている3人の忙しなさは拍車がかかり、情報は一向に得られない。中年と女は取っ組み合いになり、老人は自分へと向き合う。
「なあ、青年」
「はい」
「意外か」
「何が、でしょうか」
「この空気は意外か」
「まあ、意外です」
帝都郊外はロクデナシの街。悲劇が延々繰り返され、奪い奪われを至上とする、陰惨で、野蛮な者のための街。そのような印象を抱いていたからこそ、このような空気に気後れしたのだ。たしかに、平日昼間から働きもせず日常的に囲碁に酒盛りとは確かに都心には似合わないが、ここまで明るい雰囲気は郊外にも不似合いだ。
「秀二も最初は面食らっていたな」
「秀二とは、どのような経緯で」
「二年前。いきなりここに駆け込んできた」
ぐびりと焼酎を一杯。ガラガラの喉で一息つく。
「なんでもやるから頼みごとがあれば言ってくれってな」
「なぜとか、理由は聞いていませんか」
「そんな野暮をする奴はこの場に居ねえよ。初めて会った時は割と元気がなかったんだが、俺たちとつるむようになってからアッという間にハツラツになってなあ、途中でクロも来るようになって、賑やかだったぜ」
それは酒のせいでは、と思ったが、口に出すのはこらえる。
「何でも屋として熱心に働いていた。どんな難題も必ず解決するって触れ込みでな。実際その通りだったが、依頼人が気に食わないとひどく悪態をついて、余程な奴は殴っていた」
こんな風に、と老人の拳が風を斬る。綺麗な回転を効かせた正拳突きだ。素行において秀二は十年前と何ら変わっていないことに頭を抱えたくなった。
「まあ、殴られても文句が言えないロクデナシ共ばかりだったけどよ。いやあ、スカッとしたんだぜ、アイツの拳は」
また焼酎を一杯。
「秀二はわかりやすい男だった。何かあった男の顔をしていた。郊外では何かあったら死ぬからな。そういったやつは印象に残る。特にクロと向き合う時は……酷い顔をしていた。心当たりはあるか」
「正直な話、わかりません。私には、弟のことはわかりかねます」
「家族との仲は、微妙だったか」
「……はい」
十年の空白は、弟に何かをもたらしたようだ。素行が悪いのは変わっていないようだが。
「そうか」
会話は途切れてしまった。中年は女に投げられ勝負がつく。老人は立ち上がり、女へ取っ組み合いを仕掛けた。敗退した中年は自動人形の隣に座り込む。
「ひぃ、負けた負けた。寄る年波には勝てんか。爺や、無理はすんなよ」
「クロとは、どのような自動人形だったのでしょうか」
中年は気の抜けた返事をする。既に酒が回っているようで、顔は酷く赤かった。
「私には、記憶がございません。クロはなぜクロという名を貰ったのでしょうか。ご主人は、どのような方だったのでしょうか。クロから見たご主人は、私の思い出せないものです」
「クロは、そうだなァ、お前とあんまり変わらなかったよ。ポァッとした顔で真面目なことしか言わねえ。少なくとも、印象はあまり変わってねえな」
自動人形は語らない。表情にも出さない。しかし、雰囲気というものは出せるようで、すこし安堵のそれが漏れているようだった。
「そういや、クロってのはお前の髪が綺麗な黒色だからって話だぜ」
自動人形は沈黙している。どこか落胆の意図もあったか。
「深い理由だと思ったか」
「……ええ」
「これでもまだマシな方だぜ、最初にアイツが挙げたのは酷すぎて全員でとっちめた」
懐かしむ目つきは中空を見る。
「お前、クロとは名乗らねえのかい」
「クロとは以前の私の名前、ですが、記憶領域に存在しない私を私と定義するには、現在の私と余りにも断絶しています」
老人は投げ飛ばされてしまう。見事な一本背負いは、少しの手加減で落ち着いた着地になった。中年は手を叩き笑って老人を支えに行く。
「そんなに難しく考えなくてもいいと思うけどな」
「私は演算のため、多くの要素が必要です」
「だったら……じゃねえや。人間様が迷った時に使う判断基準を教えてやろう。『なんか違ったら違う、違わなかったら違わない』。はい復唱」
「なんか違ったら違う、違わなかったら違わない」
戸惑いながらも自動人形が重ねて言ったその口上を中年は聞くと、酔いで赤くした顔をにかりとさせて、彼女の肩を叩いた。
「それでいいじゃねえェか。それで、クロって名乗るのはどうなんだ」
「では……なんか、違います」
「だったら、名前をねだるなり自分で考えるなりすれば良いンだよ。爺や、無理すんなって言ったじゃねえかよオイ」
「老人扱いするってのかテメェ」
「どッからどう見たってそうだろォが。鏡でも見ろ西南世代」
「日露帰りの新兵が言うじゃねえか」
取っ組み合い。愉快な三人は一通り暴れて、一通り疲れて、ひとしきりに倒れ込む。
「なんで死んだんだよ、ゲンジロぉ」
突然さめざめと中年が泣き出した。
「べらぼうめ、良い年したオッサンがオイオイ女々しく泣くんじゃねえやい気持ちワリィ」
「たまたま運が良かっただけさ。なんたって十年、江戸流れなら長生きな方じゃねえか」
「そうだけどさァ」
釣られて他の二人も涙ぐみだす。今度は泣き上戸か、と半ば呆れて、自動人形に帰る合図を送った。腕時計を確認すれば、もう夜も近い。早く帰って情報の整理をしなければ、と、あばら家の扉を開けた。目の前には路地ではなく、軍服と指揮者の燕尾服を合わせたような黒服に身を包んだ、いつかの夜に質問攻めをしてきた少女がいた。にこやかである。
「どうも」
しっかり目が合った。その後ろに大柄な自動人形(あの朝に来た自動人形とは違うが……)もいることもしっかり確認して、全力で扉を閉めた。が、それを彼女は許さない。
「なぜ閉めるのでしょうか」
「とても嫌な予感がしたからでは不足か」
「私たちはその中にいるであろう自動人形に用があるだけです、その自動人形を差し出せば、悪いことなど一切起きません」
嫌な予感は見事的中。だからこそお断りだ。講和をしろ、双方の妥協点を見つけろ。
「お生憎様、ウチの自動人形は商売道具で借り物なんだ、そんな直ぐに渡せと言われても無理ってやつだぜ、持ち主に言ってくれなきゃ困ってしまう」
「その持ち主はとうに死んでおりますよね」
「そのまま言わないと通じないようだから言うぜ、『無理なものは無理』だ、せめて何か妥協しろ」
「なんとまあ肝が据わっておりますね。ですが───」
凄まじい力で扉が開かれようとする。しかし、今はまだ負けるわけにはいかない。もう一度土間を足で踏み締めて、腰を入れて扉を引っ張る。
「交渉は自身が相手と対等な、あるいは相手よりも有利な時にするもの。この状況下であなた方が切る手札として不適当です」
「じゃあ降伏以外に良い手札があれば教えてくれないか、俺たちはどうしても君達にアイツを売る気にはなれないんだ」
「あるわけがないでしょう。私たちの使命は、その自動人形を回収することにあります、使命を達成しなければならない以上、和解や講和、まして折衷などまかり通るはずがないのです」
力がどんどん強くなっていく。自動人形も力を貸してくれてはいるが、このままでは扉がもたない。
「埒が開かん。斯様な扉に頼らずとも、あばら家の壁一枚程度────」
「ちょっと、待ちなさい『流星』」
瞬間、あばら家の扉の隣に魚雷が突っ込んできたかのような大穴が空いた。衝撃で自分はのけぞり、尻餅をつく。風が吹き、闇夜の海が流れ込んできた。弱々しい照明は、深海を浅瀬に変えた。あの3人組は何だ何だと困惑している様子。
「これでどうだ、『彩雲』」
「……野蛮ですね」
彩雲と呼ばれる少女型の自動人形は肩で溜息の動作をする。
「強硬策で解決できる事例は少ないのに。こうした行動になると短絡的かつ暴力的になるのは流星の悪癖です」
紳士めいた方が流星、少女の方は彩雲というようだ。
「殴った方が早く済んだ事例は過去に5件中3件程度の割合で存在する。殴った方が大抵の場合早いだろう」
「殴ってしまえば穏便に済むことも平穏無事には居られなくなってしまいます。貴方はお母様の立場を悪くしたいのですか。ほら、こうして喋っている間にも────」
相手が舌戦を繰り広げていると認識するや否や、自動人形は最大瞬間馬力を出力し、流星の首へ腕をひっかけ半回転、打ち上げて宙へ浮かし、向かいの家に蹴り墜とした。がらがらと音を立てて塀が崩れ、流星は早々にがれきの下敷きになる。
「相手は反撃の機会をうかがっているものです」
間髪入れずに自動人形は彩雲にも襲い掛かったが、彩雲は最初から動きを先読みしているかのように避けている。大ぶりな攻撃の隙を縫うかのように少しずつ初雪へ打撃を入れており、鳴ってはいけない音が徐々に甲高く鳴っていった。どちらが優勢か見比べるまでもない。
「あなたは……三三型。頭もちょっとだけ良いはずなのですが、その構え、技術、戦術思想。全て素人ですね。戦闘経験が足りません。流星よりは機転が利くようですが、今のままでは不意打ちによる軽微な損傷が精々でしょう。流星を百点とすれば、二十五点といったところです」
「静かにしていただけますか、演算の邪魔です。それと私の名前は三三型ではございません。それは型名の一部にございます」
「それは失礼しました。では名前をお教えいただけますか」
「名前は……総一郎」
「えっ」
「名前をお教えいただけますか、クロ以外で、私の名前を」
先ほどからの急展開に加えて、自動人形が自分の名前を初めて呼んだことも含めて一瞬混乱した。しかし、今まで「君」呼ばわりで愛称の設定をしていなかったことを思い出す。
この自動人形が、初めて「お兄様」ではなく「総一郎」と呼んだのだ。おそらく自分に名前で呼ばせるための策として。自動人形の策にまんまと嵌るのは正直なところ癪な話であるが、呼ばれてしまった以上、こちらも返さねば人間として名が廃る。
「……ユナ、君の名前は、友那だ」
即興で名付けたこの名前を、友那はいつもの無表情で受け取った。
「しっかり考えてくれたのでしょうね。後で理由を伺います」
「なるほど、友那。お遊戯はここでお終いにてございます」
「舌を回す余裕があること、存分に理解しました。ところで……間近で見るからにあなたは十分脆いようですねッ」
全力の正拳突きは空振り。すんでのところで避けられた。代わりに掌底の打撃を腹にもらう。
「やはりそれが全力ですか。少しヒヤリとしますが、最高速さえ解析できればなんてことはありません。あなたの今回の失敗は、最初に全力を出してしまったことです。本気は相手が手の内を出し切ってから。これは当たり前、兵法の初歩です。そんなことも知らないとは……流星が付いてくる必要はなかったようですね」
このままではジリ貧。そう悟って、背後のトタン板を破る。
「べらぼうめ、何してんだこのバカ」
「御免、後で弁償なり何なりするから。逃げるぞ友那、彼らの狙いは君だ、あまり戦うな」
それだけ言って飛び出した。友那は無言で頷き、足元を強く踏み込む。その反動で起き上がった畳をつかんで、彩雲へ強く叩きつけんとした。流石にこれほど大ぶりな攻撃を屋内では避けられない。避けられないのだが。
「私がそこまで脆弱と思われるのは困ります」
彩雲は手刀で防ぎ切る。畳がその斬撃にも似た衝撃に液状化したのは、決して彼女の技術によるものではない。
その畳は、酒によってひどく腐っていた。秀二の家よりもひどく。衝撃で遂に液化した中身がこぼれ出し、彩雲の眼球に覆いかぶさる。目を押さえて呻く彩雲を横目に、友那はそのまま裏の穴から逃走した。
彩雲は目を抑えて「流星、視覚と腕を貸しなさい」と、強引に流星の視覚を乗っ取る。一面真っ暗ではあるが、腐った畳の液体に浸された視界より幾分マシであった。
暗闇を作る瓦礫を流星の腕力で強引に除けて、夜の郊外を見回した。瓦礫に埋まった死体を物色しようとした郊外の人々が、その様を見て恐れ慄き、しまいには逃げ出した。それに意を介することもなく、流星は彩雲の元へ駆けつける。
「何をしていたのですか」
「これだ。あの自動人形は想定していた出力を超えていた。作戦の修正案を作成、今をもって提出する」
沈黙。無線通信で修正案を受け取った彩雲は「理解はしました」と、諦め口調で話をしめた。
「掌の上で虫に踊られるのは、ひどく手触りが良くありません」
「調子に乗るのは、彩雲の悪癖だ。ここは流星に任せろ」
「わかっております……それにしても、三三型の出力……これなら空を───」
「おうおうおうおう、俺たちの家の中にこんなデカ穴ほがしておいて、それでいて謝罪の一つもなしか。あの秀二の兄助の方が立派じゃねえか」
女の声がする。流星の視界を借りれば、いなせな女が鉄棒を担いでいた。他にも、中年は歩兵銃を、老人は真剣を向けている。
「詫び酒置いて帰ンな。ここは今葬式中、争いごと全部棚に上げて、仏様とお別れをする時間だ」
「呑んで騒いでが葬式とは、この国では見られない風習ですね」
「そのような意外性など日常の沙汰である」
「これからは夜だ、詫び酒持ってねェ上に言うこと聞けねェ、そんなわがままこくってンなら、命置いて帰ンな」
三人、一歩も退く気配はなく、逃すつもりもない。彩雲は肩で溜息の動作をした。
「だから言ったでしょう、流星。暴力に頼れば、大抵の場合面倒な結果がやってきます」
「全て倒せば全て些事」
今夜も、ロクデナシのための夜が始まる。
第四夜「夜は短し戦は長し」
帝都郊外トハ、魔窟デモアル。夜ニナレバ人ナラザル者ガ街路ヲ蠢キ、各々ガ理由ニシタガヒ行動スル。弱キ者カラ強キ者マデ、幅ハ広ク、然レドモ決シテ侮ルコト勿レ。
石谷総一郎『帝都郊外冒険録』第3話ヨリ
逃げる、走る。今の世には珍しい銃声が鳴って、辺り一帯はすこしざわめいた。その中をわき目も振らず走る。自分らは、無関係な人を巻き込み、挙句の果てに彼らを生贄として捧げて逃げたロクデナシになってしまった。今すぐにでもその罪を雪ごうと戻りたい気持ちで満たされていたが、戻ったところで何もできはしない。あの二機に友那を攫われて、自分はと言えばこの小賢しい頭が擦りおろしになるか輪切りになるかの二択を相手に選ばせることしかできないだろう。
「罪悪感を持っていらっしゃるのですか」
手を引く友那は問う。
「俺たちが来なきゃあ、あの人たちも今頃酒を片手に碁に勤しんでいた」
これからの時間を、俺は奪ったのだと説明する。
「そうですね。私たちは文句なくロクデナシ、帝都郊外の住人に恥じぬ存在になってしまいました」
「それは皮肉か、慰めか」
「都合のいい方で構いません」
ため息が漏れる。この土地に来て、何度目とも知れないため息だ。
「これ以上ご歓談に興じるのも良いですが、これまでに私達を終始見ている人影を三人ほど確認しました」
三人。これまでの流れからして、おそらくは自動人形。もし、彩雲や流星のような頭領を「お母様」と仰ぐ自動人形が多数存在する、というのならば。そして、十分と経ってないうちにそれほど見かけるのならば、この一帯に監視の目と暴力の腕が行き届いているとみて間違いない。位置情報は無線式通信機で共有されるものだとして、しかしその距離限界は広域通信設備や電脳網を介さないものであれば二粁もない。軍用の無線機で中継するとなれば目立つし、余計に守るための手間と人員が必要になる。その上、電脳網は未だ発展途上である現状で自動人形間の通信を行うのはいささか厳しい。
考えろ、考えろ。あの二人に気圧されたままだ。あの威圧感に立ち向かう図がどれだけ絶望的か。それはわかりきっているからこそ、それについて考えることはしなくていい。代わりにこの状況の突破口を考えるのだ。
そもそもの話、なぜこのように走れているのだろうか。
もし大量に自動人形を配置できたなら、あのあばら家を包囲して圧殺することもできた。しかし、そうしなかったのは、『動かせる人員が少ないから』である可能性が高い。その上で自動人形たちに言えることは、動ける範囲があらかじめ縛られている。だから追いはしなかったのだろう。運動性能を見ることが叶わなかった流星はともかく、彩雲のような機体であれば容易に追い付くことができそうなものだが、そうしなかったのは彩雲らは「一点もの」であるからに他ならないだろう。
監視の目を潰すのは得策か。
いいや、そのようなことはない。自動人形は通信範囲の限界に比して高い密度で配置されているように思える。一機や二機潰したところで、大まかな位置は引き続き中継される可能性が高い。その全数がわからない以上、自動人形の排除でどうにかなる問題ではないことが想像できる。
「いかがいたしましょうか」
逃げるのみだ。索敵範囲外まで逃げる。これに尽きる。最悪、都心へ逃げ込めば良いわけだ。恒久的かつ根本的な解決策とはならないし、最善策とも思えない。何なら仕事の放棄と受け取られかねない行動である。だが、次善の策としては上等だ。問題は、都心に行き着くことを自動人形たちが許してくれるか、なのだが。
「総一郎。正面に五機、待ち構えております」
「思ったより多いな、迂回だ」
当然許してくれるはずもなく、都心へ向かうための道は既に塞がれている。相手の戦力がわからない以上、相手がずっと有利だ。流星、彩雲とどれほど実力が離れているのか、戦力として数えられるのはどれほどなのか、どこに、どれほど展開しているのか。それらが全く分からないというのに、相手はこちらが二人であることを知っているうえ、おおよその位置がわかっているのだ。現に、行こうとする道には少なくとも三機以上の自動人形が待ち構えている。
既に十二ヶ所、四十二機の自動人形が見えた。そこまでの人員を配しながら、なぜ包囲しなかったのか。少なくとも彩雲は現代の技術水準からして同じものを作るのは苦労するはずだ。幹部級であることは明白だろう。そんな二機が直接出向いたというのに、他機体がこのように包囲網を作っているとは、何にも増して回りくどいではないか。まるで、立ち入り禁止の区域を作っているかのようだ。
「不毛です、突破します」
「いいや、待ってくれ」
「なぜですか」
「君の身体は彩雲の打撃が入っている。あの音は明らかに損傷が入っている音だった。腹部、顎、肩、脊髄……走るだけならまだしも、全身を駆動させる戦いは負担が強い。突然動けなくなったりしてみろ、そのまま仲良くあの世行きだ」
「ならば……」
どうしろと、という友那の言葉を、「跳ぶんだ」という台詞で遮った。
「君が跳べることは、あいつらの言葉からしておそらく露見していない。聞き込みをしたという時点で、君が跳んだということがわかってなかったか、君が跳んでも追跡できていなかったことの証左だ。今ここで跳べるということが露見しても、対処するには時間がないはずだ」
唯一の不確定要素は流星や彩雲だが、彼らに怯え囲まれて直接対決するより、少しでも可能性のある方に賭ける。
「了解しました。舌を噛まぬよう用心を」
友那は自分を抱えて踏み込み、跳ぶ。乾いた音と浮遊感、そして、何かの力に引っ張られ、急降下する感覚。その機体は男型、飛び込む速さは友那をも上回っていた。砲弾まがいの勢いで飛び込んで、器用にも友那の首を腕で引っ掛けていた。
「流星……っ」
「やはり彩雲は推理を違えない。あの時逃れたのもこのようにしたのでしょう」
「く……総一郎ッ」
せめてこのまま地面と激突しないよう、友那は自分を重力とは逆向きに力を与え、放り投げた。
「いいえ、許しません」
ぐいと引かれる感覚。逃げられない。そのまま友那と同じ勢いで地面に押しつけられた。もちろん、こうした状況で適切な受け身が取れるほど身体能力が高いわけではない。衝撃は直に脳髄へ響き、意識が明滅する。
口が回らない、身体は宙に浮いている感覚が消えない。
濛々と立つ土煙で、前後も不覚。まずこちらへ後退する友那の姿が現れた。右腕を失っている彼女にかける言葉も、提示すべき解決策も、浮かぶ前に意識は途絶した。
目が覚める。視界に入る情報は和室の天井。辺りを見回せば、郊外の家屋の中であるという結論を出すに十分な証拠は揃った。身体の痛みは健在で、しかし外からは鳥の声が聞こえる。
朝のようだ。
「おや、起きたかな。直樹クン」
聴き覚えのある、耳触りのいい声。久々に声を聴いた気がする。
「……花丸」
「うん。僕を僕と見てくれている。じゃあこれはわかるかな」
「……手をひらひらさせている」
「上等。視覚機能と意識は健全に機能しているようだ。動けるかい」
「……無理だ。痛いから」
「ふむ。痛覚も健在。神経は大丈夫そうだね。全身背面に打撲、右足の骨折だけで済んでいる。奇跡的だね、頭の方は中度の脳震盪で済んでいたよ。昨夜のことは思い出せるかな」
「昨夜……」
未だ少しぼんやりとした意識で、痛みの原因を思い出す。ああ、そうだ。自分と友那は、流星に地面へ叩き落とされたのだ。
「そうだ、友那は」
「まあまあ、自動人形は酷く壊れているが、大丈夫だ。致命的な損壊はないよ。それよりも、今は訊かれたことを答える番だ。昨夜は何があったんだい」
はやる心を落ち着かせ、事情を花丸に説明した。
「……うん。君の言っていることは事実と大して相違ない」
そういえば、なぜこのような状況に身を置かれているのだろうか。それを問えば、狐目はさらに細くなり、「僕の知っている事情を説明するよ」と、昨夜の状況を語り始めた。
「随分と手こずりましたよ。会津戦争の生き残り、日露戦争の先鋒、彼らの武を継いだ生粋の郊外人……殺しきるには時間が足りませんでした。よもやあのような方々が未だ存在するとは」
「生きてはいるのですね」
「ええ、お母様は障害は全て殺せと仰せになりませんでしたし、優先すべき事項もあったので。まあ、あの重傷でこの夜を越せるかは本人次第ですが」
帝都の煌びやかな光を、流星が受け止めている。逆光で浮かび上がった立像は、左腕の肘より先が欠けていながらも、何よりも強大に見えた。
「彩雲は視覚と左脚、右肩は腕ごとの欠損、さらに下半身運動回路の損傷で行動不能です。流星は上半身装甲の粉砕、左腕の切断という重大な被害を被りました。ええ、全力のあなたを相手するのにこの状態では相討ちが精々でしょう」
「その情報は、情けですか」
「いえ、大事なのはこれからです。良いですか、私たちはこの状態でもあなた方を圧倒できます。なぜなら、友那はあと一撃、流星の打撃を心臓部に当てられれば運動機能が全損するからです」
やはり、狙っていたか。伊達に自動人形を従える勢力ではないと友那は歯噛みした。
「私に当てられれば、の話ですよね」
「それは意外にも簡単なことなのですよ。単純な走行ならともかく、各部のひずみは戦闘運動を阻害します。それに────」
瞬き一つで友那の懐に巨体が潜り込む。自動人形にとって、数米程度の間は間ではないと言わんばかりだ。
「流星は装甲が粉砕されただけであり、運動機能は健在です」
下から上へ、心臓部めがけて昇る拳を直前のところで流すように受け逸らした。その打撃は左肩へ受け、肩甲骨部が砕ける。
詰める流星、避ける友那。状況はあまりにも劣勢である。
「今なら間に合いますよ。ぜひ降伏を。時間の浪費ですし、対話の意思はございませんので」
「降伏はしません……総一郎は諦めなかったのですから」
「強情ですね」
この戦闘で、友那は流星の戦いの癖を見抜いていた。流星は大振りな攻撃と小技を交互に出す。全体的に隙のない構成だが、距離を取ると一気に詰めるため、かならず動作が大振りになる。この詰める時の動作は一歩踏み込み、飛んでくる。二歩目の踏み込みは制動と殴るための踏み込みだ。そして、一歩目と二歩目の間、直進することしかできず、曲がることも予定外の行動もとれない。そこが、付け入る隙だ。
───ならば、と友那はこぶしを握る。
どの道、装甲が砕けた流星とはどちらが一撃を先に叩き込むかの戦いである。戦えばこちらが壊れてしまうからと言って、損傷から察するに死んでしまうわけでもあるまい。そう友那の思考回路は結論付けた。一度大きく距離を取り、一歩を待つ。彼は大きく大地を踏み、飛び込む。強烈な殴打の予備動作を、友那の眼球は捉えていた。
しかし。彼が突き上げるのは拳ではない。彼が掲げたのは人であった。男であった。総一郎であった。
「では、こちらの殿方を人質としましょう」
友那は拳の行き先を足元に変えた。流星ほどではないにせよ、その威力は地面を割るものであった。総一郎は意識を失っており、流星によって持ち上げられた身体は力なくぶら下がっている。
「流星」
「私達も暇ではないのです。さあ、降伏を。受け入れない場合はこの殿方の首を割きます」
「……なぜ、そう私を狙うのですか」
「お母様の言いつけだからです」
「お母様は理由をおっしゃらないのですか」
「はい、私たちの課せられた言いつけは、三三型、現友那の回収です。あなたの以前の主人の死に際して三三型は電源を切り、回収される手はずだったのです。本来はそうあるべきでしたが、現状はこの通り、満身創痍で戦っている」
「訂正を。今もなお秀二は私の主人です」
「そこは重要ではありません」
総一郎の首に圧力がかかり、血の代わりにうめき声が搾り出される。
「おやめください、総一郎に手を出すのは」
「ならば降伏を。あなたの物分かりが悪いから、今このようなことになっているのです」
「……」
友那の思考回路は、三大原則に基づいて機能する。もし、その生殺与奪を握られてしまったなら。私は彼に従わざるを得ないのだ。たとえそれが、自分の目的から遠ざかる行為だとしても。主人ではなく、臨時で管理権限を預けた者が対象だったとしても。
友那は左腕を上げる。右腕は砕け散っていた。土まみれの服も相まって、その姿は惨め極まりないものだった。
「降伏、します」
流星はその言葉を聴くと、総一郎を手放す。
「では、こちらへ」
流星の招き手は、友那を手繰り寄せた。一歩、また一歩。しかし、ある一声で流星たちの思惑は破壊される。
「まだ早いのではないかね」
それは、都心の方向から放たれた言葉だ。流星は振り返る。
「どちら様でしょうか」
流星とほぼ同程度に背の高く、やや痩せ身の男だった。糸のように細い目はちらと気絶した男を見やり、ため息をつく。
「そうだね、僕は……世界を救う正義の味方。と言って、信じてもらえるだろうか」
「いいえ。もう少し正直な自己紹介はできないのでしょうか」
細目の男は肩をすくめ、難しい顔をした。
「ふむ。自動人形に冗句の類は通じないか。ならば、その投げ捨てられた男の友人でいいだろうか。そう警戒しないでほしい。都心の人間が毒のような嘘をつくはずが無い。そうだろう」
「その代わり、薬にもなりません」
「軽口は言える、と」
「その男が必要なら、好きにしてください。我々はお母様の言いつけを実行しているだけなので」
細目の男は頭をかいた。狙いは総一郎だけではなかったようだ。
「いや、そうではないのだよ、自動人形。僕は、キミたちの言う『お母様』とやらと取引をするために来たんだ」
その言葉を聞いた瞬間、流星の纏う雰囲気が一変した。一戦交えた友那にも見せなかった、最大限の警戒、戦闘態勢。まるで、「自分はこのために造られた」とでも言わんばかりの張り詰めようである。
「あ、あなたは、一体」
ぽつりと零した友那の言葉は、彼らの耳に捉えられることなく……厳密に言うならば、友那に全く意識を割いていなかった。お互いにお互いの出方を警戒していた。
「ああ、その反応」
細目の男は、ははあと嘆息した。
「見るに、キミは同業者に出くわしたことがあるな」
「あなた方に話すことはございません。取引など論外でございます。どうかお引き取りを」
一度、彼は目を少し見開く。直後、いやいやいやと手を振り否定の意を示した。
「君の反応と財団の行動を考慮して答えよう。僕らはキミの想定する組織……蒐集総院とはまた違う組織だ。当然、目的も異なるし行動も異なる」
「お母様の安全を保障できません。お引き取りを」
「話を聞き給えよ、自動人形」
「お引き取りを」
どうやら、全く引き下がる気配はない。お互いにこれ以上対話するつもりがないと確信した。友那の途切れかけの視覚情報にも明らかなことであった。
問題は、どちらが、どう手を打つか。初動で全てが決まる。その緊張感で、都心の喧騒がうるさく聞こえるほどに静まり返った。重い、軽いなどという次元で語れる沈黙ではない。密度が高い、場が大きい。空気というものが任意の物質に転化できる魔法の気体だったなら、間違いなくこの周辺は重金属の山になっていただろう。そのくらい、張り詰めていた。凪いだ水面もそのまま凍りつくくらいに。
「そうか」
「そうですか」
永い長い溜め。それに耐えかねたか、細目の男と流星は奇しくも同じ時をして口を開き、同じ時をして動きだした。この後、須臾刹那の時を以って、彼らは初撃で決着をつける。
「……残念です」
もし、細目の男と相対していたのが満身創痍でない、本来の流星だったならば。
「私が本来、勝てていたのです」
流星の拳は届かず。逆に細目の男は流星の腹の中に潜り込んでいた。彼の拳銃が、確実に流星を捉えていた。
「これだから、郊外の自動人形は苦手なのさ」
何が起きたか理解していないものは、この場には居なかった。細目の男は欠けた左腕、そこに小刀を突き立てた。確実に知っていた。彼は自動人形について殆どのことを知っていた。だから彼は断面に刃を突き立てたのだ。最初からそれが狙いだったのだ。その中に存在する歯車が外れ、一瞬動きが止まる。その間隙を利用し、本来当てられるはずのない銃弾を、流星はその腹に受け入れることとなった。
本来なら、万が一にその拳銃を受けたとしても、装甲があるために致命的な損傷へ至らなかった。しかし、今は違う。砕かれた装甲は、駆動中枢へ弾丸が侵入することを許した。
「申し訳ございません、お母様……彩雲と流星は、敗れました……」
流星の体躯はがくりと崩れ落ちた。細目の男はそれを見届け、友那を見遣る。
「先ほども言った通り。僕は直樹クンの友人さ」
「……では、総一郎を」
「助けるとも。そして、キミも。キミについては、延命に過ぎないけれども」
細目の男は、その糸のような目をさらに吊り上げて笑った。
「じゃあ、花丸が」
「そうだね、確実に言えるのは、僕が弱った自動人形を仕留めて、ここまで連れてきたということだ」
にわかに信じがたい。花丸は華族の人間。まじないに詳しくとも、弱っていたとはいえ自動人形を凌駕する運動神経を持つとは。
「今、華族に偏見を持っただろう」
「持ってない」
「一応言っておくけれど、あの自動人形が本来の性能を発揮していれば、僕は成す術もなくやられていた。僕が培った護身術では、これも分が悪い賭けだったのさ」
久々に心が安らいだ。やることなすこと、全てが追われていた。追手が居なくなったこと、花丸という友人と、このような形とはいえ会えたこと。息を吐きだすのと同時に出た感謝の言葉は、花丸を微笑ませた。しかし、どこか否定したげで。感情豊かな都心の人間の心の内は、とても分かりやすかった。
「そんな、感謝することでもないさ」
これは本音だ。
「友の為なのだから」
これは嘘だ。
しっかりわかるのは、まだまだ記者としてやっていけることの証左だった。相手が自動人形ではないことのなんと楽なことか。
「何かでお礼しないとな」
自分はそう言った。きっと花丸なら、その意味を理解することだろう。花丸には、人に言えない事情がある。無遠慮に踏み込むのは良くない。だから、「礼として」、要求を聞く。
「いや、君は満身創痍だったのだよ。それに足元を見るような真似は」
「いいだろ、お前が友人だから助けてくれたのなら、俺も友人に助けられたから礼をする」
「それよりも、キミを大事にしてくれた自動人形の別嬪さんを、助けなくていいのかい」
急に友那の話題を振られ、友那のことを思い出す。そうだ、彼女もまた満身創痍であった。
「あの子の損傷状態は酷いものだった。工学を齧っていたキミ程度では、到底直せない」
それもそうだ。最後の記憶が腕を失った友那であった。あのあとも戦っていたのなら、彼女の損傷はより酷いものになっているのは確実だ。
「友那はどこに」
痛む背中など気にせず起き上がったところを、花丸は抑えつけた。
「おいおい、落ち着きなよ」
押し付けられたところで走る激痛に、思わず悲鳴が出る。
「あの子は座敷に居る。一階だ。大丈夫、意識はあるし、内部に致命的な破損はなかった」
「……良かった」
「でも、直すなら専門家が必要だ。『人形師』のもとを訪ねたまえ。郊外の商売だ、碌でもないのは確かだが、腕も確かさ。というより、他の人形職人はこれを直せない。直せるであろう東弊も、彼らは寡占企業ゆえに信用できない。きっと法外な金をふんだくられるし、郊外の品である分足元を見るだろう」
消去法で、人形師という者が残るのであった。
「花丸は同行しないのか」
「僕が忙しいこと、知っているだろ。今も結構無理してるんだぜ」
ため息が出た。
「わかった。俺たちで行くよ。金の準備しないと……」
「お金なら心配はいらないさ。金を用意できない者には、他の代価を求める。それが人形師だ。そうだな、彼女は気まぐれだから、何を要求するかは……お楽しみかな」
「それは金が一番マシではないのか」
花丸は笑った。
兎にも角にも、友那が直らなければ行動できない。二、三日安静にして痛みが引いたことを花丸に伝えると、「それは良かった」と、人形師の住所と行き方を教えてくれた。それは複雑怪奇で、不可解だった。特に壁の中に入る、蟹を描く、などは比喩なのか。問えば、「行けばわかる」とのこと。
酷いため息が出てしまった。
自分と友那は互いに肩を貸す形で出発した。
1丁目の十字路の南側で3回回って、北に向かう。丁字路を西に5回曲がり、壁の中に入る。右側4番目の空き家に入って、2つの部屋を開けて壁に開く穴をくぐる。これを6回繰り返した後、庭に出たら大きな木があるため、木のウロに入って蟹を描く。すると、表に新しくできた道を直進すれば良い。
とは言うものの、実際その通りとは恐れ入った。住所は合っている。聞き覚えのある地名であるし、人の往来もそれなりだ。しかし、ここだけはなぜか認識されていないという感覚が強かった。しかし、行くしかあるまい。現れた道へ歩き出す。
「……総一郎」
「どうした」
ぽつりと、友那は呼びかけた。
「私は、彼らに敗北しました」
「そうだな。俺たちは惨めに負けた。全部花丸とあの三人が持って行った」
「あの方々は、生きていらっしゃるようです」
「そうか、それは良かった」
心の底から安堵する。それから、どういった言葉を口に出せばいいのか、わからない時間が流れた。
「わかった気がします。私が、なぜこのように総一郎と共にご主人の足跡を探しているのか」
ああ、そうなるのか。この先の言葉が予想できた。予想できただけに、聞きたくない。しかし、それで彼女の言葉を封じるのは、信条に反した。その先を聞くことにした。
「私が弱かったからです。この国には、あのような、私よりも桁違いに強い方々が居ます。私が目にしたその強さも、きっと氷山の一角なのでしょう。もっと、山千海千の豪傑が居るのです」
足取りは重く、動くたびにきしむ音が聞こえる。
「三原則第三条。『主人の安全の確保』。これは第二条『自身の死の回避』に反する行為で実行されました。総一郎が流星に人質にされたとき、私の生存を諦めたのです。三原則の順守を徹底できなかった場合、基幹構造に異常挙動が現れ、回路のいくつかが焼き切れます」
それで、あの夜からは大人しいのか。隙あらばこちらに押し掛けてくる自動人形だったのに、と違和感を感じていたが、そういった事情があったとは。
───と、いうより。この三原則はあまりにも意地が悪い。造った者はよほど友那を信用していて、このような状況に陥ることを想定していなかったのか。それとも、あえてこうした挙動をするように仕組んだかのようだ。
「痛いのです。頭部が、心臓部が。対人回路もいくつか焼き切れて、異常挙動をしています。ずっと、私が私を責めています。弱いから、ご主人を死なせたのもきっと私が弱いからと。まだ定まってもいないことを断定しています」
故障による疑似的な心の発生、というべきか。己の弱さに対する自責で圧し潰されそうになっている。今の友那はとても人間らしく、ひとりの少女のようだった。
「私のこの問題の根幹は見つかっています。ですが、解決できる手段がないのです。流星に勝てず、彩雲にも勝てず、ならばあの三人にも勝てない。では、何を守れると言えましょう。流星とは機体の構造が違います。彩雲とは演算資源とそれを用意する基幹構造が違います。あの三人のような、修羅場をくぐってきたものでもありません」
ひたすらに黙って聞いた。が。
「総一郎、検討してください。私を廃棄するのも、一つの手です」
やはり、そのようなことを聞いては、黙っても居られなくなった。その寂しげな姿が、弟の勘当される直前の姿に重なったからかもしれない。
「仕事は私がするなと言っても、総一郎はするかと思います。仕事道具を確保するならば、私よりも強い、それこそ流星と彩雲のような───」
「ふざけるな」
一言、自分でも驚くほどに強い語気で口からこぼれた。
「お前が持ちかけた話だろうが。それを勝手に投げ出すな。逃げるな」
「逃げている……私が始めた話につき合わせたことを申し訳なく思うのが逃げだというのですか。巻き込んでしまったこと、私が守り切れなかったこと。私は護衛の役目を背負っていたのに、それを遂行できない自動人形に、一体何の価値がありましょうか」
「価値のあるなしじゃない、責任のあるなしだ。お前は俺が腹をくくった時から、自分勝手に放棄するなんて天が許そうと俺が許さない」
そう言い放ったきり、「申し訳、ございません」と一言零して友那は黙り込んだ。言い争っているうちに突き当りに出ていたようで、人形師とやらの家は、目の前だった。
扉を叩く。
「待っててくれ、手がふさがっているんだ」
声が聞こえた。しばらくして、かちゃん、鍵の開く音が聞こえて、「どうぞ」の一声。言葉に従って扉を開く。鍵を開けたのは自動人形だったようで、玄関口に居た使用人の恰好をした自動人形はぺこりとお辞儀をした。内装の見た目は都心の診療所の診察室と特段の違いはなく、そこには一人の少女がいた。友那によく似ている……否、生き写しと言っても差し支えないほどに酷似した少女。白いブラウスと黒髪の対比は印象深く、胸元の錆びた金属のブローチはどことなく浮いていた。スカートは垢抜けた灰色の生地で、とても郊外の人間の風貌とは思えなかった。診察室の奥には、座るのに最低限必要な部位だけ揃えた、つまり、頭と胴と腰と脚の一部だけが揃っている少女型の自動人形と、左腕のない男型の自動人形が奥に座していた。少女型は銀の整えられた髪の間からこちらを視認したかと思いきや、顎が外れんばかりの驚愕の表情。こちらも全く同じ表情をしていたと思う。なぜなら、その自動人形は彩雲と流星だったのだから。
「いらっしゃい。随分大きな声で喧嘩していたな。仲がよさそうで何よりだ。それはそれとして、すまないな、ウチの自動人形が外で喧嘩してきて、この有様で……。それを直しているところだったんだ。要件は何だ、生産か、修理か。言っておくけど、時計の修理とか受け付けてな……」
人形師は振り向いて、固まる。視線は友那に向かっている。
三、二、一、そのような合図があるかのような、完璧な間で叫び声が郊外をこだました。