石榴の樹皮を捨てに出かけた。果物のザクロの事ではない。石榴とは人肉の事である。
県道のうねりが、カーブの度に黒いバンを揺らしていた。後部座席の死体袋は慣性に引きずられ、シートとの擦れによる鈍い音を断続的に鳴らしている。気を紛らわせるための車内音楽は無い。男は焦っているのだ。本来果実の中の果実だけを収穫するつもりだったが、誤って「樹皮」まで収穫してしまい、それを捨てる必要があった。同じ人肉だから食べてしまえばいい、とはならない。男と彼の所属するグループは相当な美食家(グルメ)であるがゆえに、暴食(グルトニー)は下品な行為だからだ。以上が、男が車に"ついでに殺してしまって余った死体"を載せて、山奥に捨てようとしている経緯である。
男の所属する人肉食の愛好団体は、「石榴倶楽部」といった。19世紀から連綿と続く、石榴の味に魅入られた者たちの集まり。その構成員は性別も年齢もバラバラだが、全員がその所業を闇に葬れるだけの資産家であった。男も例に漏れず、名家の跡取りだった。
「石榴倶楽部」は互いに仮名で呼び合う。それが伝統であり、思わぬ情報漏洩を防ぐ策だった。橋詰、東条、舟越、浮田…のような仮名が構成員の入れ替わりと共に引き継がれているのも特徴だ。男は他の構成員からは「椎名」と呼ばれていた。
椎名は、いつもであれば死体は自宅の中で処分していた。今回処分するのは肉も内臓も残った死体だが、食べた後に残る骨や歯も同じである。死体処理にあたって死体を運ぶというのは大きなリスクである。持ち運びを見られて、運ぶ死体がもう1つ増えるだけならまだしも、逃げられたら相当に厄介である。人肉食を嗜むなら、死体処理のための薬品、施設は自前でそろえるのが最適解だ。
家で死体を処分できないのは、財団のガサ入れによってちょうど自宅を失ったばかりであるからだ。どこから情報が漏れたか知らないが、最近の財団は特に鼻が利く。新しい拠点の確保には困らないが、違法及び合法を装った諸々の手続きには、どうしても時間がかかる。椎名は隠すのに向かない借り家に長期間死体を放置することと、人里離れた山奥に捨てることを天秤にかけ、後者を選んだのだ。
県道から荒い舗装の林道に差し掛かり25分ほどバンを走らせた。
「この辺でいいだろう。」
ブナ林に覆われた山の中腹、林道の途中で椎名は車を停めた。山の頂上に近すぎては、登山客などに見つかりやすい。この程度の中腹が目立たずちょうどいいと考えた。
後部座席の袋からズルズルと死体を引き出した。袋をガードレールの脇に押し寄せ、道路の崖側に蹴り落した。隠蔽完了だ。
「しまった」
椎名はその時ミスに気付いた。ミスというには軽微だが、袋を出すことで頭が一杯になっており、近くに車が走っていないか確認することを忘れていたのだ。視界の悪い高木林の中であったことも原因だった。
下り道、対向車線から音漏れするミニバンが現れたのはその数秒後だった。
「あ!下田さんあの人!」
「なんだ、怪しいやつでもいるのか?」
スピッツが爆音で流れる車内で話していたのは異常発見部門の二人、下田源三郎博士と川田薫子研究員である。異常発見部門は文字通り異常の発見を目的とした財団の内部部門であり、山奥から街中まで、異常の存在しそうな噂を聞きつけてはしらみつぶしに調査する。
「あの人椎名桔平ですよ! 俳優の!」
「おいおいマジかよ! 」
川田はバイオレンス映画とスピッツの大ファンだ。1990年代末に青春を生きた川田は椎名桔平似の人間を見逃せない。
ミニバンは徐行を始める。下田は、突然現れた対向車に動揺する椎名(桔平ではない)を見た。
「椎名桔平だ……!」
川田に促され、運転手下田はすぐに椎名(桔平ではない)の黒バンの位置の対向後方にミニバンを停車した。狭い山道をさらに狭める迷惑駐車である。
「色紙、色紙……、下田さんなんか色紙とか持ってます?」
「有名人に遭遇する想定なんかしていない。持ってるわけないだろ。」
下田は肩をすくめた。
「椎名桔平がいると分かれば持ってきたのに~」
川田は自身のリュックの中を探ったが、見つからなかった。ほぼ諦めつつも、グローブボックスを開ける。CDラックと防寒具の間に、金縁の厚紙が数枚ちらりと見えた。
「あるじゃないですか~!」
川田はすかさず抜き出した。
Harvard University
Shimoda Genzaburo Professor
(薄墨で背景に源三郎)
「あっ、それは渡す用のやつだ。」
川田は膝で色紙をへし折り、野外活動用のスケッチブックを持って降車した。
川田は車線を横断し、椎名に声をかけた。
「すみませ~ん」
椎名は焦った。まさか死体遺棄の場面を目撃された?いや、あの車は上から降りてきた。後部座席から崖側に袋を降ろしたのだから、角度的に見えにくい位置のはず……。財団の尾行?いや、財団が俺に勘づいていたのなら既に強引な行動に出ていたはず。財団だったとしても警察だったとしても、目撃はしていない。目撃していたら「すみません」と来ないはずだ。では、なぜ?
川田は一計を案じた。椎名桔平が山奥の林道に1人、映画ドラマに引っ張りだこの俳優がこんなところに居るということは、休暇の可能性が高い。いかにもパパラッチですというような接近をしたら、煩わしいと桔平さんは思われるかもしれない。
「えっと、何かトラブルですか?」
川田が問いかけた。待避所ではない狭隘な道路で、山道の中腹に桔平さんは停車している。すなわち故障や体調不良など何かしら車を動かせない事情があるとも、十分考えられる。だから「心配している人」を装えば話しかけるのも不審ではない。それに本当にトラブルだったら助けるのが人情ですし!「ありがとう、助かった。」「いえいえ、こんなの朝飯前ですよ~」「これはお礼のサインだ。ツーショット? もちろんだ。」ぐふ、ふふふ……
そうか、確かにこの様子を見ればトラブルと思うのが自然だろう。椎名は納得した。だが、それらしい言い訳を作らなければ不審がられるのは変わらない。万が一この女が崖下をのぞき込むことがあれば死体遺棄がばれる。車内の痕跡からたどり着かれる可能性もある。クソっ、面倒だな。こいつも処理してしまうか……駄目だ、車からもう一人男が出てきたな。無警戒の一般人相手とはいえ、2対1は片方を取り逃す可能性が高い。しかも男の方はなかなかガタイがいい、空手でもやっていそうな体だ。自然な言い訳、言い訳……
「ちょっとバッテリーがいかれてしまって。」
「あら!それは災難ですね!」
「でも、大丈夫です。さっき直しましたから。お気遣いありがとうございます。」
最適解はこうだ。車酔いやただの休憩とすると「なぜこんな中途半端な坂に停めた?」となるし、車の故障とすると「じゃあ手伝います、車の中を見せてください」となる。綺麗な眺望を見る為、は論外。別に綺麗ではないし崖下を見られるリスクもある。「トラブルはあったが、もう直った」とすれば、相手もすぐに退くだろう。
「では失礼します。」椎名は運転席のドアレバーに手をかけた。
川田は困る。偶然椎名桔平に会えたというチャンスを活かせず、このままさようならというのはもったいない。仕方ないが、正面作戦をとるしかない。
「ちょっと待ってください!」
「何ですか?」
「えっと、その、椎名さんですよね。」
何故、知っている。石榴倶楽部内の通り名を知っているということはやはり財、しかし、それなら捕まえてから身元を確認すればいい。警察じゃあるまいし。じゃあ警察? まさか、日本の警察程度に気づかれるはずがない。どちらにしろ、強硬手段はとれない。ここは慎重に対応し、相手の所属を探るしかない。
「そうですが。」
「あっ、えっとその私、川田と申します。」
やはり本物の椎名はオーラが違う! 川田は感動した。これは下田にも知らせなければと、ミニバン近くに立っていた下田を手招きしながら、椎名に言った。
「昔からのファンなんです。」
「昔からのファン」? 椎名(桔平ではない)は困惑した。つまり、石榴倶楽部のパトロンか取引相手と考えるのが自然。それなら友好的に接近して来るのも頷ける。しかし、どの団体だろうか。
「どこかでお会いしましたか?」
「会ったことはないんですけど、(椎名さんが)組員(の役)とかやってた時から知ってて、ファンなんですよ。」
「なるほど、(有村)組の。」
有村組、関東圏を中心に全国に勢力を広げる超常社会の暴力団だ。有村組が関西圏に手を広げる際に京都の裏社会に根を張る石榴倶楽部が多少の手引きや仲介を支援したことがある。支援の引き換えにいくつか「道具」の融通をしてもらったこともあったはずだ。椎名は合点した。
「最近は組(との取引)とはご無沙汰ですから。覚えて頂いてるのは意外ですね。」
「まぁ、近頃暴力団とかの出番がそもそも減りましたからね。でもそれ以外でも色々やってるじゃないですか。刑事とか医者とか。」
なるほど、ここ十数年で暴力団の在り方も大きく変わったようだ。警察や医療機関内部に手を伸ばしているとは。椎名は感心した。
「いやあ、こんなところで椎名さんと会うとは、嬉しいです! 今は休暇中ですか?」
あまり話しすぎても迷惑に思われるかもしれない。川田は一旦話を落ち着かせようとした。
「そんな感じですね。先程一仕事終えたところでして。」
「そうなんですね!やっぱり、人目の多い場所は避けて、お忍びですか。」
「見つかったら大変ですから。」
「ですよねぇ、分かります。」
「そちらの男性の方は?」
「申し遅れました。下田です。川田の上司です。」
「下田さん達は、今日はどうしてこちらに?」
「ちょっと調査にね。詳しくは言えないんですけど。」
なるほど、組の兄弟分でシマの検分というわけか。椎名は安心した。一時は冷や冷やしたが、比較的友好な間柄の者で良かった。
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「すみませんね、ちょっと出合い頭にピリピリしちゃって。最近忙しくて神経質になってたんですよ。」
「いえいえ~椎名さんの人気からしたらしょうがないですよ。」
「そうなんですか! そこまで活発にやってるつもりはなかったんですが、界隈では(石榴倶楽部は)有名なんですかね?」
「そりゃもちろんそうですよ! ヤクザ、マフィア、殺し屋、裏社会内の悪~い役回りには椎名さんがぴったりですから」
椎名としては、超常社会に倶楽部の存在が広まっているのはありがた半分、迷惑半分といったところだ。石榴倶楽部は人肉調達の為には貴賤をあまり問わず様々な団体と取引するが、存在自体が大きく知られることを能動的には望んでいない。財団やGOCに露見する危うさと天秤にかければ後者が重くなりうる。というか、そんなにたくさん関係を持っていただろうか?
「結構隠してるつもりではあったんですがね……」
「え、そうだったんですか?」
「そりゃあ、そういった印象で一度露出してしまうと、後々不自由じゃないですか。」
「確かに、それもそうですね……」
近年桔平さんがディナーの後で謎を解かれたりドクターヘリに乗られたりする役で人気を博しているのも事実であるからして、川田は退いた。
「ええと、あんまり長話もなんですし、それでは。今後ともよしなに。」
「ああ、ちょっと待ってください!」
「なんですか?」
だが、これに関しては川田は退けない。
「最後に、サインお願いします!」
サイン、署名……? 何かの契約をここで持ちかけられているのか? 椎名は困惑を感じた。
「その、何に使うんですか?」
「何に……? いや、売ったりしませんよ! もちろん家宝にします!」
「え、家宝?」
「はい、もちろん!」
意味が分からないが、かといってこの熱量はウソをついているようにも見えない。裏があるというには真っ直ぐすぎる。食人趣味の人のサイン、そんなに欲しいのか……
「ちょっと川田、さすがに椎名さんが迷惑してるだろ。」
「下田さん黙ってて! 椎名さん! この通りです!」
川田はスケッチブックとサインペンを差し出し、平身低頭サインをお願いした。懇願されても意図が分からなければどうしようもないのだが、一方で川田の熱烈さに押されつつある椎名だった。
「はあ……印鑑持ち合わせてないので、手書きですが。」
「ありがとうございますっ! むしろそっちの方がありがたいです!」
とことん変な組員だ。
椎名はスケッチブックにサラサラと簡単に書いた。
石榴倶楽部 会員
椎 名
(名前の後ろに石榴倶楽部の紋)
まあ、通り名であればさして問題ないだろう。椎名は川田に、スケッチブックを戻す。
「大事に保管してくださいね。財団にバレたら、双方困りますからね。」
「ん?」
「え?」
「なんなんだよ! これが財団のやり口かよ!」
椎名は暴言を吐きながら、護送車に連行されていった。超常社会のさらに裏社会、財団も足取りを中々掴めぬ要注意団体の主要構成員の捕縛という大獲物だった。今後の椎名の処遇は言うまでもない。
「まさかこんなところで要注意団体一人しょっ引けるとはな。」
「引き回されるところもアウトレイジの時そっくり……」
「川田お前そろそろ本物の桔平に謝った方がいいぞ」
川田は「椎名」のサインが書かれたスケッチブックを膝でへし折り、崖下に捨てた。



