足元を見る
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 よく「人と話す時は目を見て話すのが良い」といわれていますが、私はあえてそれを避けています。何も、目を合わせてやりとりをするのが嫌いなわけではありません。ある目的があってやっているのです。

 何のためかというと、あるちょっとしたゲームのためです。

 顔、つまり表情を見ずに相手を観察し、その人がどんな人物であるかを推定するというものです。靴先だけを見て、何を考えているかを想像したり、足の動きを見て、何を思っているかを考えたりします。ある程度推定ができたら、今度は顔を見て今までの情報を再解釈します。

 私も立場上相手のことを見ていないと不自然に思われることがありますから、瞳孔を大きく開けてホワイトアウトさせてみたり、眼球の微細な動きを止めて自身の視界をわざと無くしてみたり、相手のさらに向こう側を眺めてピントを合わせないようにすることで、顔を向けて目を合わしつつ表情を見ないようにすることがあります。

 まあ、そんなことをやっているから「理事“鵺”の目線が怖い」などと噂されているのかもしれません。もちろん、相手の表情を視覚的に確認する必要があるときはこのゲームとは関係なく見ることもありますが、実はあまり必要がありません。

 実際、表情は雄弁だから多くの情報を得ることができます。しかしながら、雄弁であるが故に、表情は多くの虚構を含みます。誰であれ自身の行動を振り返ってみればすぐにわかることでしょうが、表情というのはほとんどの場合、意識的であるか無意識的であるかに関わらず、その状況に適したものに作り替えられます。状況に適した表情というものは、必ずしも自身の本心とは関わりがないのです。

 対して、足や腰などの下半身はどうでしょうか。あくまで傾向の話ですが、ほとんどの人間は、足や腰を「作る」ことをしません。動作はかなり自然な状態のままで顕れます。実は、足元というのは寡黙に見えて本心の発露という面においては饒舌なのです。

 つまり、表情という情報を一旦取り除き、足元の挙動を観察することでその本質を推定し、それに加えて表情を確認することで相手の本音と建前のバランスを測ることができます。

 この振る舞いについて色々と観察していると、多くの情報を得ることができます。例えば、人間の手足と顔が揃った財団の職員には、大きく分けて三つのタイプの職員がいます。

 一つ目は、表情を作っているものの足で本音が漏れている、サイト管理者や事務に多いタイプです。彼らは表情を作りでもしないとやっていられない仕事についているのですから当然ですが、建前でなく事実であって欲しいところで本音は別のところにあるような振る舞いをするという不安になる場合もごくたまにあります。

 いつだったでしょうか、ある程度の地位にある職員が自身の関与するアノマリーの収容能力向上を求め、予算の増強を要求したことがありました。これ自体はよくあることです。私に対する説明の間、足元が不穏な動きをしていたため詳しく調べてもらうようにお願いしたら、着服が発覚したこともあります。監査は徹底して行われるので、私が気付くか気付かないかに関わらず、発覚は時間の問題でしたが、発見は出来るだけ早い方がいいでしょう。普通はこのような人間は責任ある立場の職員にはなりませんが、どこかで適性フィルターから漏れたといえます。

 もちろん、このタイプの研究員もいます。このタイプの研究員は、都合の悪いことを隠している場合もあるのですが、大抵自身の苦労を建前で隠しています。アノマリーの確保方針や、収容プロトコル、保護の手法を決定する際に、それが財団にとって非常に重要なものである場合は日本支部理事会や監督評議会の判断を仰ぐことがあります。財団の能力や彼らが費やすことのできる時間は有限ですから、このようなアノマリーに対しては、彼らの提案は大抵の場合は根本的な解決となりません。彼らはその有効性を客観的に示しつつも、本心では解決できないことを悟り、悲痛な思いを足元に顕しています。

 二つ目は、本音をあまり隠さないタイプです。事務やサイト管理者にはほとんどいませんが、研究員の中にはこのタイプの人が多くいます。彼らは思ったことを良かれと思ってか自分の中で留めずにわかりやすく表現します。

 研究者としての彼らはかなり優秀であり、その上、管理者側も本音が聞けますから、耳が痛い時もありますが、基本的にはありがたい存在です。彼らは私生活においてはその性格により不利益を被ることもあるでしょうし、サイト内の人間関係でも問題となることがあります。しかしながら、有能であるならば、それらを適切に活かせるように人事は検討されています。

 三つ目は訓練されたフィールドエージェントに多いものです。彼らは全身全てを偽ります。経験の浅いものは意識下でそれを行なっているようですが、ベテランは無意識下で足元を演じて見せます。

 理論的にはあと一つタイプあります。顔を偽らずに足元を偽るタイプです。このタイプに当てはまる人はほとんどいませんが、該当者は私がこのゲームをやっていることを勘づいて遊んでいるのかもしれません。


 さて、理事という立場にいると多くの人と話すかと言われるとそうでもありません。機密保護の観点から、必要十分なコミュニケーションしか行わないことが多いです。遠隔で会話をすることも多いので、対面で人と会うことは案外少ないと言えます。ですから、二言三言のちょっとした会話であっても印象深いものとなることがあります。

 定期的に、サイト-8100に新人のエージェントが研修のために訪れるという機会があります。大抵彼らはエリートとなることを期待されている優秀な人々です。将来は理事直属のエージェントとなる可能性もあります。

 それぞれの理事の下で働く際の注意点を共有するため、私と私の直属の部下、そして彼らの上長とエージェントで説明のための短いミーティングが行われます。その際、一言二言ほど声をかける機会がありました。実際このときぐらいしか直接声をかけることはありませんが。他の部門から配属や、訓練組織上がり、一般からの引き抜きが混ざっているため彼らの年齢はまちまちですが、他の理事よりは私と近い歳でした。

 彼らもやはり足元では私の年齢や外見への意外感や不信感を顕しています。私のような者が理事であるのを物珍しく思っているのでしょう。多分顔は上手く取り繕っているのでしょう。会話では自分の考えていることを顕にしないのに対して、足元は雄弁に語っています。

 ただし、彼らの能力についてはそこまで心配はしていません。彼らはこのような諜報のみが仕事ではないので、別の面で飛び抜けて優秀な者もいるのでしょう。彼らは経験を積むにつれ足元を偽る技術を向上させていきます。

 その中に、私に対する意外感などを一切足元に顕さないエージェントがいました。彼は重心をゆっくり移動させ、私に向き合い、凡そ虚構ででしょうが適切な挨拶を述べ、彼なりに落ち着いていました。足元に隙があるようには見えませんでした。子供がいてもおかしくない年齢の大人が私に真正面から向かいあっています。

 彼は何かその類の経験でもしているのでしょうか。もしくは天性でしょうか。私は彼の上長に対し、彼の能力や訓練の成績を聞いてみることにしました。

 上長曰く、彼は訓練において、私が指摘した点以外でも優秀な成績を修めている期待できる存在だそうです。彼は一般の出身であったようで、このように優秀な一般出身の人間を発見できたことは財団にとって良いことです。

「新任ですね。是非頑張ってください」

「ありがとうございます」

 彼は力強く応えました。世にいう期待の持てるような挨拶とはこのようなものを云うのでしょうか。

 彼の仕事は滞りなく行われていると上長は報告しました。その上長は足元でも顔でも期待を隠していません。彼らのようなベテランにとって新しい世代は刺激を与えるものなのでしょう。

 サイト-8100に来る新人は凡そ半年で別のサイトに異動になりますが、彼もまた例外ではありません。彼ら新人はエリートコースを進むであろうエージェントとなります。あの優秀な彼も花形に行くことになるかもしれません。仕事は忙しいものとなるかもしれませんが、そのような部署の福利厚生は充実しています。彼もまた人間です。優秀な職員へ十分な報酬は大切です。

 そういえばまだ彼の表情を見ていません。彼はどのように顔を操り、私に向き合っていたのでしょう。再度会う機会が有れば確認しても良いですね。彼らしく丁寧な虚構を顔に貼り付けているのでしょうか。

 一度会った日本支部の職員とはたまに再び会う機会があることもあります。これは理事会の存在を過度に公にしないよう、限られた職員しか会わないようになっているためです。スタッフなど毎日会うような人間ももちろんいます。同僚の理事たちが全員が集まることは少ないものの、三人程度で集まることはかなりの頻度であります。

 情報をやり取りする頻度が非常に高いのは本部の監督評議会ですが、冗談で「おじいちゃん」と呼んでいるO5-11以外に私が直接会ったことのある人はいません。彼とでさえほとんど会ったことはないわけでして、大抵遠隔で会議や報告を行なっています。

 要するに、私たちから見える範囲に彼らの「足元」はなく、彼らは、足元を見ることのできない存在であると言えるでしょう。テキストメッセージと処理された音声で交わされる議論から直接彼らの考えていることを推測するのは困難なことです。

 私も彼が本当にO5-11なのかは全く判断できませんが、正月にダメ元でお年玉としてSSRA機構をねだってみたら配備されたことがありましたから何があるかわかったものではありません。

 一般の日本支部職員からしたら、私たちも彼らのような存在なのかもしれません。自分が話している相手が正確には誰かわからないという状況に置かれるというのは、自分の足元を見られているかもしれないという不安の下に置かれるということでもあるかもしれません。


 もはや新人というべきかわかりませんが、九月になって再び彼らがサイト-8100にやってきました。彼らは以前より確実に成長していました。任務の面でも報告によれば各々の能力を遺憾なく発揮しているそうです。

 彼は今どうしているのでしょうか。

 入り口の近くに立つ彼の重心は、ゆらゆらと海月が海を漂うように動いていました。直立する際も変に力が入っているように見えます。パッと見ただけではそう変わらないにしても彼の足元がなんらかの心情を顕すのは何かしらの理由があるのでしょう。

 やはり、感情は、意識的であるか無意識的であるかに関わらず、思考や推論、行動と密接に関連しています。

 彼の上長は微笑みながら事情を語りました。彼に娘が生まれたというのでここ最近落ち着きがないようです。上長は、自分に報告する際も珍しく笑っていた、と言いました。

「何か喜ばしいことでもありましたか?」

「私事ですが娘が生まれまして」

 やはり彼は父親としての歓びを伝えたいようです。その幸福が手足に滲み、周りに溶け出しているかのように思えます。財団職員が家族を持つのは非常に大変で、彼もこれ以上重要な仕事をするようになると、新しい子供を育てる暇も無くなるでしょう。

「ああ、そうですか。それはおめでとうございます。じきに財団からもお祝いが届くでしょう。再任ご苦労様です」

「ありがとうございます」

 これは無意識ではありません。歓びを躰で表現しようとしているのでしょう。重心の影は床の上を踊るように移動し、先ほどより豊かに感情を伝えています。私にこの歓びを伝えていいと思っているのでしょうか。

 人間とは、本来心情を共有したいという欲求を持つ生き物だと言えます。私や彼らを含め、特殊な仕事を行う人間は、この欲求を満たすことができない状況に置かれることが数多くあります。普段満たすことのできない欲求が満たされる時の爆発的な感情の発露というものは、私にとっては眩しすぎます。私にはその顔を眺めることができません。

 様々な要素から対話相手の感情を深く慮り、それに対して自身も感情を行動で顕すこと。これが共感のメカニズムです。これを行える人間が「人間らしい」であるとか「温かい血の通った」などと評価されます。人類にはそう考える者が多くいます。多くの人は、これを無意識に行っていると聞いています。私はその共感を自動的に行うことができないので、推測によって少しずつしか知ることができないのです。

 他人が思っていることなど、わかるはずがありません。

 彼はスタッフや他の職員とひとしきり話した後、満足したように深い呼吸をして、姿勢を正しました。満足したように見えるだけですから、彼が満足したかどうかはわかりません。彼は、足元を固めその部屋を退出しました。

 ああ、以前の彼の姿だ、と思いつつ、安定した姿勢で去る彼の姿を見届け、私も通常業務に戻りました。

 そこから二ヶ月も経っていなかったでしょう。私が彼の殉職の事実を知ったのは執務室で予算裁可の残務処理を行っていた時でした。詳しい経緯は把握していませんが、彼自身による避けがたい選択の結果であったようです。彼の家族には適切な補償が与えられることでしょう。これが無常です。人間はいつまでも生きていられる訳ではありません。

 財団には、殉職する人間が多くいます。多くの者の上に立つ人は、財団の体制が多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。しかし、それ以上に犠牲に怯んではいけないのです。

 あの時の彼の顔はどれほど美しい笑みで満たされていたのでしょうか。もはや見ることは叶いません。

 今は亡くなった人ですから、このようなことであっても忘れ難いものです。

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