Nx-74航空写真(1975年撮影)
対ネクサスプロトコル
Nx-74は日本国の地方自治体であるため、日本国政府との一般協定1および日本超常組織平和友好条約2に基づき、全面的な機動部隊の展開、Nx-74全域の閉鎖、記録削除は制限されています。一般市民の高い居住密度から、Nx-74で発生する呪詛事象・超常的事案には穏当な解決手段が求められます。通常は、Nx-74内の呪術研究・収容サイト-81ETから派遣された少人数の調査エージェントによる初期評価の後、解呪・収容を行います。
名辞による異常領域の拡大を防ぐため、Nx-74と周辺自治体との合併運動は財団の政治資産によって妨害されます。また、Nx-74に財団フロント企業を複数進出させることで地域経済を安定させ、財政的な合併事由を排除します。
説明
神音町
| 国 | 日本国 |
|---|---|
| 地方 | 近畿地方 |
| 都道府県 | 兵庫県 |
| 面積 | 41.2 km2 |
| 人口 | 46,873人 (2022年4月) |
| 人口密度 | 1,138人/km2 |
| 町長 | 戌頭 ハリストフォル |
| (19-21代、2012年〜) | |
Nx-74は日本国兵庫県の南東部に位置する神 音 町がみねちょうです。西宮市、伊丹市、猪名川町、西谷村などと隣接し、川辺郡に属しています。後述する呪詛事象の頻発を除けば非異常の都市であり、ヴェール3の保護下にある多くの一般市民が居住しています。
呪詛とは、負の情動を儀式によって具象化・現実化する行為、あるいはそれによって引き起される現象を指します。呪詛による影響・状態を表す呪縛、呪詛を内包し周囲に危害を及ぼす呪物、特定の領域内で機械的に動作する呪詛災害、実体化して目的完遂のために行動する呪詛実体4など、呪詛に関連する現象を総称して呪詛事象といいます。
呪詛事象は奇跡術5や現実改変6などとは異なり、一般に適用できる法則や体系が判明していません。ただし、「すべての呪詛事象は固有の原則を持ち、原則には解が必ず存在する」という公理が知られています。そのため、呪詛事象のごく一部を技術化した呪術以外の手段で呪詛事象が発生することは非常に稀です。
Nx-74内で発生する呪詛事象の年間件数は平均50件超です。これは近隣のFP-06("中国地方の穴蔵")7やNx-60("アウターオーサカ")8などと比較しても、その頻度において突出しています。この原因は未だ不明であり、サイト-81ETの主要な研究テーマとなっています。しかし緒蔵おぐら地区と泉 境せんきょう地区の呪詛事象がNx-74との合併後に急増した記録から、“神音”という地名を対象にした大規模名辞-土地対象呪縛であるとする見解が主流です。
以下の情報はレベル3/Nx-74クリアランスが要求されます。
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財団記録・情報保安管理局より通達
以下の文書では、特に断りのない限り「Nx-74」は現在のNx-74=兵庫県神音町に対応する地理的領域を指しています。また、必要に応じて現代語訳・和訳が加えられており、一部原文と異なる可能性があります。
— RAISA管理官、マリア・ジョーンズ
古代: ダエーワの残滓
黄山きやま荘園そうえん古墳 墳丘 (2010年撮影)
古代、Nx-74の地は人々の定住を拒みました。Nx-74を囲む武庫川むこがわや猪名川いながわが氾濫を繰り返し、可住性を著しく下げていたためです。しかし人々は懸命にこの地に分け入り、弥生時代頃にはムラを営み始めます。かれらの生活は、銅鐸や円鏡といった当時の発掘物から窺い知ることができます。
3-7世紀頃の兵庫県で多数造成された古墳は、Nx-74でも至るところで目にすることができ、歴史的名所として愛されています。今でこそ観光資源となっている古墳ですが、古墳時代終末期9のそれらは時代の要請を受けた特殊な用途を有し10、プリミティブ・ソーシャルギアス、すなわち各共同体の首長が下層階級の労働力を搾取するために構築した軛くびきにして、ヤマト王権が律令制を強固にすべく敷かせた布石となっていました。
下層階級に押し込められた人々は日々の苦役に鬱屈し、そのフラストレーションは7世紀頃に爆発します。発狂のうちに脆弱なギアスを破った民衆は、吸い寄せられるように長尾山の麓に集い、当地の有力者を標的とする呪詛儀式を執行しました。黄山荘園古墳11は忌むべき地方有力者たちを変死させる呪詛災害と化し、また儀式に使われたモチーフの特殊性は副次的に単方向・狭型ポータル12を生じさせ、当時の正常性維持ポリシーにとって重大な課題となりました。
本インシデント中に民衆は集団幻覚および異言を発症し、起源および意味不明の“ウタ”を合唱したとされています。この結果、ポータルの安定性が向上し、事態の早期収拾が困難になりました。本件は当時の政権の対アノマリーポリシーが音響・舞踊学的アノマリー研究を強化するインセンティブとなり、同時期の楽官(のちの雅 楽 寮うたまいのつかさ)13成立に繋がりました。一方民間ではこの“ウタ”が口承され、今日こんにちの神音民謡に発展しました。8世紀に入っても呪詛災害とポータルは残存していましたが、高僧の徳道14が黄山寺おうざんじ15で執り行った儀式を経てようやく消失することになります。しかしポータル消失まで1世紀近くを要したことで、少なくないNBR16が周辺地域に流入していました。
NBRはNx-74における商取引の対象となり、珍品取引の噂がNx-74外にも流れ、周辺地域からも行商人が集い始めました。当初蒐集院はこの事態に懸念を示しました。しかし行商人から得られるアノマリーや各地の情報は院にとってもメリットが大きかったため、黄山寺に拠点を置き、市場を管理するという方策を選びました。数世紀を経て、院の蒐集活動が全国的に進む中でアノマリーの流通量も減少し、NBR市場は非異常の蚤の市・骨董市に変化していきました。呪詛と“呪術”
財団が1910年代後半に呪術学を体系化17するまで、呪詛事象は奇跡術の一種と捉えられていました。そのため20世紀以前の文献で“呪詛”、“呪術”などと記録された事象には、今日であれば奇跡術に分類されるものも多分に混在していると考えられています。こうした呪詛事象と奇跡術の混同は、蒐集院や陰陽寮などの国内超常機関にも見られました。そのためNx-74は8世紀頃から「超常的事案がやや多い地域」と認識されてこそいたものの、その呪詛事象の頻度が注目されることはありませんでした。
一方、呪詛事象という概念がなかった古代から、Nx-74が呪詛のエキスパートを多数輩出していた可能性が指摘されています。近年の超常史学者ならびにアーキビストの努力により、呪詛事象との関連が推定される古代の文献にNx-74出身者の名前がたびたび見られることが分かっています。特にこれらにおいて、戌 頭いがしら家、利河りがわ家など現代呪術学でも著名な一族の名があることは特筆に値します。中世: 蒐集院の衰退
“太閤の遺産”封印場所につながる坑道(2010年撮影)
10世紀末〜11世紀初頭、近畿一帯でのSCP-1420-JP(花山法皇)18の活動がNx-74にも多大な影響を残しました。特筆すべきは変異以前のSCP-1420-JPによる黄山寺への訪問です。SCP-1420-JPは8世紀以来安置されていた徳道の儀式具を暴いて“協力者”に渡し、代わりに武力資産(SCP-1420-JP-1)による支援を約束されました。後者は11世紀半ばの平安京襲撃(甲申の禍)にて多大な被害を生むことになります。
戦国期から江戸初期の記録は後の蕨騒擾事件19によって散逸しているものの、黄山寺を中心に蒐集院が影響力を保持し続けていたと推測されています。この体制が変化し、Nx-74の管理が江戸幕府に移ったのは、按察使20の金地院崇伝21によって、“太閤の遺産”と呼ばれる口碑実体群の存在が暴露されたことがきっかけでした。
慶長二十年22五月 按察使 金地院崇伝が記す。
大坂の大戦23の直後、豊臣方の落人に不穏な動きあり。西方に魑魅魍魎を秘匿し、御公儀に反抗する兆し有、と。
私が一番最初に目を付けたのは播磨多田銀山24である。豊臣家の主要な財源でもあり、また大坂の戦時に捕らえた敵将も隠し金の存在を仄めかしていた。[中略]
内院の研儀により多田銀山は妖怪共の巣窟となっていることが明らかとなった。また、入口の一つに五七の桐の紋が刻まれており、豊臣家が妖怪を従え反抗する計画の証拠となった。
直ちに院は坑道を厳重に封印し、麓や近辺の農民の間で噂となっていた埋蔵金は存在しないと虚偽を流布することで蒐集完了とした。崇伝が1633年に死去すると、かねてより幕府の宗教的・超常的権威を高めようとしていた3代将軍徳川家光によって、崇伝が1人で担っていた職掌は解体され、寺社奉行などの新たな機関が成立しました。このうち、超常的事案は寺社奉行の下位部門・鬼 神 改 役きしんあらためやくが担うことになりました。また、先般の報告により多田銀山に安全保障上の課題を認識した家光は、多田銀山とその周辺地域(Nx-74を含む)の管理権を院から剥奪し、鬼神改役に委ねました。
近代: IJAMEAの台頭
戌頭 猝卦わそか(撮影年不詳)
明治維新により幕府系超常機関が解体され、Nx-74周辺地域の管理は蒐集院に戻りましたが、その約30年後に再び院の手から離れることになります。
189█年の臥竜事件25によって、大日本帝国異常事例調査局(IJAMEA)が大日本帝国の超常施政のイニシアティブを握りました。IJAMEAは国内の超常組織に対して異常存在の譲渡をたびたび要求し、院は保有している異常存在の秘匿・再封印を陰で実行しました。度重なる圧力によりNx-74を含む多田銀山の管理権は1895年にIJAMEAに渡りますが、院が新たに施した封印により、“太閤の遺産”が戦後まで解放されることはありませんでした。
20世紀、Nx-74は移民の流入により国際色の強い地域に変貌します。その先駆けとなったのは白系ロシア人と呼ばれるエスニック集団でした。白系ロシア人とは主に、ロシア革命で旧ロシア帝国が崩壊する前後、この革命に反対する立場を取り国外亡命した者のことをいいます。
哈爾浜ハルビンを経由して次々と押し寄せる白系ロシア人に日本政府は当初難色を示していました。しかし、難民の中にツァーリの賢人団、ロシア帝国非常官房、秘匿庁などの旧ロシア帝国超常機関の構成員や妖術師が含まれていることが確認され、かれらが持ち出したアノマリーや超常的知見にパラアーキビズム26的重要性が見出されたことで、積極的な受容政策に転じました。
この白系ロシア人の受け入れ先に、- 大陸との貿易が盛んだった兵庫県瀬戸内海臨海部に程近く、人口がまばらな地域である。
- IJAMEAの拠点がある神音町(現Nx-74神音地区)に隣接している。
という理由から、泉境村(現Nx-74泉境地区)が選定されました。また、この決定には貴族院議員であり、IJAMEAに協力的だった戌頭家の当主・戌頭猝卦男爵が関わっていたと考えられています。
これをきっかけに移民地区としての発展を始めた泉境地区は、やがて白系ロシア人のみならず関西圏の在日朝鮮人や華僑も移住するようになります。戦前: 神音研究所
IJAMEAはNx-74を取得したものの、蒐集院による“太閤の遺産”の封印を破れなかったため、軍事利用計画が頓挫し同地に対する興味を失っていました。それ以降しばらくの間、IJAMEAはNx-74に対し異常物品管理用の小規模施設を置く以上の干渉は行いませんでした。しかし、1920年にIJAMEAが同盟オカルト連合(AOC)に加入し、統一奇跡論、そして統一奇跡論に合致しない呪詛事象の存在を知ると、俄かにNx-74への関心を取り戻しました。
IJAMEAはNx-74に呪術学研究機関・神音研究所を設置し、戌頭家の協力でNx-74の呪物、呪詛実体、呪縛者を収容し、種々の呪詛事象の制御を研究しました。
とりわけ呪詛災害は、「攻撃性の高い反因果律空間を生成する」という兵器に転用しやすい呪詛事象であったため、最重要研究テーマとされました。呪詛災害に特化した研究棟として、緒蔵地区の緒蔵温泉街廃墟群内に神音研究所別棟が設置されました。
洗脳で怨念対象を固定する人工的な大規模呪詛、白色人種のみの殲滅を目的に駆動する呪詛実体群、結界術の応用により広い屋外領域で呪詛災害を展開する技術など、様々な呪術兵器が神音研究所で考案されました。また、呪術に特化した"孤影"部隊・波組の"製造"を担当し、呪物化した兵士や呪詛実体と融合した兵士が製造されました。
しかしながら、一連の取り組みはほとんどが実を結ばず、数々の野心的研究のために払われた犠牲は、呪術学の基本たる三大アポファティコス:- 呪詛の制御困難性
- 呪詛の分類困難性
- 呪詛の客観的説明困難性
を再確認するにはあまりに大きすぎるものでした。
戦後: 財団の統治
サイト-81ET (2010年撮影)
終戦後、財団はIJAMEAと共に研究所を運営していた戌頭家に対し、極東国際超常軍事裁判27の不起訴を条件に、研究所接収の協力および超常社会における職位放棄を要求しました。一方の戌頭一族は、終戦直後に一族の大量不審死を経験しており、失意と疲弊の中でこの要求を拒む気力は残っていませんでした。
戌頭家の指揮下になかった"孤影"部隊・波組構成員は接収前に逃亡に成功しており、まもなくIJAMEA残党とともに多田銀山で“太閤の遺産”を解放し、蕨騒擾事件を起こしました。蕨騒擾事件は財団・GOC連合部隊によって鎮圧されたものの、IJAMEA残党に回収されなかった口碑実体が多田銀山内の坑道を徘徊していたため、財団は多田銀山一帯をNx-74に臨時指定して、機動部隊ファイ-49("ベンケイ")による収容作業を行いました。
神音研究所はその研究内容から財団に非常に注目されました。IJAMEAは呪詛事象の制御困難性こそ克服できませんでしたが、かれらが研究の過程で残した多様なデータは、呪術学の発展につながる貴重な示唆に富んでいました。研究所は複数回にわたる慎重な検査を経た上で、臨時サイト-57に転用されました。1953年に旧神音町は旧泉境村と合併し、今日こんにちの神音町が成立しました。
サイト-57で呪詛事象の統計解析を行っていたアルバート・ヘンネフェルト(Albert Hennefelt)は、泉境地区内での呪詛事象発生件数が合併後に急増したことを発見し、明治期の記録から1910年に合併した緒蔵地区も合併後に急増していたこと、神音町の行政区画内で有意に呪詛事象が多いことを証明しました。この研究から、呪詛事象の頻発と神音という地名の間に関連が疑われました。
これを受けてサイト-57の黒田くろだ 寿江ひさえ管理官は正式なネクサス指定申請を行い、81管区理事会はこれを承認しました。また、同時期に多田銀山の口碑実体の収容任務が完了していたため、多田銀山のネクサス指定は解除され、ネクサスナンバー“Nx-74”は神音町に再割り当てされました。また、臨時サイトであったサイト-57も収容機能を強化した上で呪術研究・収容サイト-81ETに改組されました28。現代: 変わりゆくNx-74
SCP-1420-JP収容違反に
関連する財団施設1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災とそれに伴うSCP-1420-JP収容違反は、Nx-74にも大きな被害をもたらしました。
サイト-81██から収容違反したSCP-1420-JP-1群は一斉に北上し、尼崎市街を蹂躙しました。近畿地域の収容施設を統括するサイト-81KKの鹿島かしま 昭三しょうぞう管理官(当時)は、伊丹空港での迎撃を決断し、サイト-81KK・サイト-81ET所属機動部隊、航空自衛隊から成る特設攻撃部隊を組織しました。
尼崎市街に散らばっていたSCP-1420-JP-1群は、JR福知山線を走行する、SCP-████-JPを解放した電車29によって伊丹空港まで誘引され、待機していた特設攻撃部隊と交戦しました。伊丹空港での交戦や、誘引しきれなかったSCP-1420-JP-1との市街地戦での死者は最終的に164名にのぼり、これらは震災による死者として処理されました。
阪神・淡路大震災に起因して発生した阪神圏の連続収容違反30は、財団にサイト間の連携体制について再考を促しました。2000年代後半になると、20世紀以来燻っていた対移民感情が国際情勢の変化に刺激され、Nx-74内外からのヘイトスピーチを引き起こしています。かかる負の情動およびNx-74特有の呪術学的環境を踏まえ、移民やその子孫を対象とする大規模な呪詛事象発生が懸念されています。サイト-81ETではそれを未然に防ぐべく、儀式的行為の阻止や呪物化リスクの高い骨董品・アノマリーの回収が進められています。
以下の情報はレベル1/Nx-74クリアランスが要求されます。
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神音町地図
赤: 緒蔵おぐら地区
紫: 神音地区
青: 泉 境せんきょう地区Nx-74("神音町")は北東部の緒蔵地区、南西部の泉境地区、そしてこの2地区に挟まれた神音地区から成ります。
神音地区は旧緒蔵村・旧泉境村と合併する以前の旧神音町に相当します。神音町役場や神音音楽堂、神音町立中央図書館(サイト-81ET)など市の象徴となる建物が存在する地区であり、神音町の政治と芸術の中心地としての役割を果たしています。著名な高級住宅街でもあり、洗練された景観の存在も含めて華やかで文化的な別荘地として高い人気を誇っています。
この地区は呪術に熟達した名門家系を複数輩出しており、時の中央政府や権力者との繋がりが形成された時代もありました。このため神音地区は、歴史的観点から現在でも多角的な文献・実地調査の対象となっています。泉境地区は人口の約3割(約8000人)が旧ソ連、朝鮮半島、中国および台湾からの移民およびその子孫で構成されます。特に20世紀前半に移住した白系ロシア人は、ピアノ31等の楽器講師として活躍し、神音地区の伝統的民謡と共に「音楽のまち 神音」発展の基礎となりました。また今日こんにちのNx-74の名物行事である蚤の市・骨董市の成り立ちも、20世紀移民の互助活動や、移民に対する草の根的支援が関わっています。近年では、ロシア人街や中華街など移民が築いたエスニックな街並みが人気を集め、観光客が増えています。
一方、兵庫県を介した犯罪組織間の接触が確認されて以来、こうした移民由来コミュニティは薬物の密輸や超常的外科手術の斡旋など、ヴェール内外に関わる国際犯罪の温床として疑われています。警視庁公安部特事課、GOC極東支部、香港警察新茶嶺警署、大韓民国国家超常防災院などアジア極東地域の超常安保機関は、Nx-74に出入りした人物への警戒を強めています。緒蔵地区は1世紀以上継続して廃墟である緒蔵温泉街廃墟群を抱える地域です。3地区の中で人口は極端に少なく、開発が中止された1913年以降地区全体の保守管理もほとんど行われていません。
緒蔵温泉街廃墟群は広域呪詛災害指定廃墟群に指定されており、解呪はおろか建造物の解体にも成功していません。そのため、廃墟群につながる道を監視し、心霊スポット探索に来た一般市民の侵入を防止していますが、対策が追い付いていないのが現状です。
以下の情報はレベル3/Nx-74クリアランスが要求されます。
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敵性指数: 2 (中庸) -1 (未定義)
概要: “ゆうらしあ”は旧ロシア帝国系超常機関出身者やその子孫が構成する団体"ロシア帝国神秘復興協会"の日本支部です。帝国起源の異常物品や、異常性保持者として収容もしくは終了された白系ロシア人の身柄・遺体を旧帝国領に取り戻すべく活動しています。1920年代終わりのパリにてツァーリの賢人団残党にロシア帝国非常官房、秘匿庁などの元構成員が合流することで成立し、その後、他の国・地域にも支部が形成されました。
日本支部は1931年頃、兵庫県泉境村(現Nx-74泉境地区)にて結成されました33。かれらの多くは陸軍(IJAMEA)の主導で移住してきましたが、内務省警保局特別高等課34の指揮下にあった特事取扱方35からは要監視対象と見なされ、たびたび衝突を起こしました。戦時中、かれらが持つアノマリーは多数がIJAMEAに押収されましたが、押収を免れ現在もアノマリーを所持している構成員が存在します。
現在、復興協会と財団は友好的な関係を保っており、かれらの要求のもと、旧ロシア帝国を起源とするオブジェクトの財団ロシア支部への移管が進められています36。しかしながら、構成員にはタイプ・ブルー(奇跡術者)、異常物品や超常史上重要な文書の所有者、日本古来のものとは別系統の呪術を受け継ぐ人物などが多く含まれているとされ、財団の任務遂行の上でも、またサイト-81ETにおける呪術学研究の上でも、かれらの動向は注目に値します。
敵性指数: 2 (中庸)
概要: 警察庁警備局特事調査部は日本国内の超常犯罪に対応する法執行機関です。日本国政府およびJAGPATOのもと、一般市民をアノマリーや要注意団体が関与する犯罪や異常事象より保護する役割を担っています。
20世紀初頭から、神音警察署内には特事警察の前身である特事取扱方の人員が配置されていました。当初こそ白系ロシア人移民の監視を目的としていましたが、現在は超常犯罪の摘発や呪殺事件の捜査に重点を置いています。
特事課と財団は、サイト-81ETによる長年の外交努力の結果、緩やかな協力体制を築き上げています。また、Nx-74で活発化する国内外の超常犯罪組織37を背景に、サイト-81KK 対抗犯罪セクション38との協力も拡大しています。しかしながら特事課と財団の活動方針の差や情報セキュリティポリシー上のすれ違いから、全面的な提携には至っていません。
敵性指数: 0’/0 (残党活動中/不活性)
概要: 蒐集院は日本の伝統的な正常性維持機関です。古来より国内のアノマリーを収集および隔離しており、時の政権と関係を持ちながら広域的な活動を行っていました。
8世紀に神音地区の黄山寺に拠点を置き、市場における異常物品の流通を監視・蒐集するなどの活動を行っていました。しかし複数のインシデントを経て神音への影響力を失っていき、江戸初期に蒐集院は当地の管理権を喪失しました。倒幕と日本の近代化の中で、再び蒐集院が神音管理権を得たものの、臥竜事件によって組織力が大きく低下しました。程なくして当地は再び院の手を離れ、IJAMEAが管理することになります。また終戦後には蒐集院という組織そのものが財団に吸収、あるいは傀儡化されました。一部に財団からの独立性を保った後継組織こそ存在しますが、いずれも強力な団体とはいえません。このような現状を鑑み、蒐集院は事実上の消滅に至ったものと認定されました。
蒐集院の元構成員は財団に雇用されたか、独自に蒐集院後継組織を組織して財団と事実上の協力関係を結んだ者が大半です。かれらは儀式や宗教に熟達しており、サイト-81ETにおいては儀礼学派の源流を作りました。一方で今なお財団に敵対的な残党もごく僅かに存在し、蒐集院の復権を試みていますが、超常社会におけるプレゼンスは皆無に等しく、脅威とはみなされていません。
敵性指数: 0’/3 (残党活動中/有害)
概要: 大日本帝国異常事例調査局(IJAMEA)は旧日本軍系超常機関です。1888年に発足した当組織は、それまで日本国内で分散的かつ迷信的に認知されていたアノマリーを科学的に統合し、軍国主義に基づいた日本の近代化を促進することを目的としていました。
IJAMEAの勢力は年月と共に強大化し、他の超常機関や日本が植民地支配していた地域のアノマリーを半ば強引に収集し、軍事転用を試みるようになります。Nx-74にも神音研究所が設立され、様々な呪術兵器が考案されました。大日本帝国の連合国への降伏によって組織は解散しましたが、IJAMEAによって体系化された一部の技術やアジア広域から略奪されたアノマリーは財団等の他の超常組織に引き継がれました。
解散後も、“隠将軍”、“ジライ”の名称で知られる残党の一部が活動しており、この個人や集団は程度の差はあれど日本帝国の再興を目指す右派ナショナリストとして認知されています。IJAMEAの活動は年々減少しつつありますが、2000年代後半から神音町で深刻化しているヘイトスピーチの背景に、隠将軍の子孫の存在が疑われています。神音町議会が憎悪表現の対策を進める一方で、サイト-81ETはIJAMEA残党の関与の有無を追求しています。
敵性指数: 0 (死亡確認済)
概要: 平沼 進平は第二次世界大戦前はIJAMEAに、以降はD級戦犯として財団に雇用された人物です。
1910年代、平沼は研究者としての秀でた才能を活かして第三次白澤計画に従事し、朝鮮における人型異常生物の調査で大きな成果を上げました39。その後、1920年代前半には細菌学を学ぶべく英国へ留学していますが、渡英直前に泉境地区に訪れていた形跡が見つかっています。
近年の異常兵器開発部門およびR&D部門のリバースエンジニアリングによれば、1920年代後半に平沼が研究・開発した病理学的兵器には由来不明の感染症アノマリーが組み込まれていたとされ、このアノマリーの入手元と平沼の泉境地区訪問との関係が調査されています。
敵性指数: 2 (中庸)
概要: 戌頭一族は日本において古くから存続する血縁集団です。9世紀頃の文書には既に戌頭氏に繋がる人物の名が確認されています。当一族は狭義の呪詛や解呪に代々卓越した才能を示したことでも知られます。現在は標準呪物隔離プロトコルの基礎となる技術を提供するなど、財団と表面上友好な関係にあるものの、歴史的経緯や他団体との関係を考慮し、敵性指数-2相当の警戒プロトコルが敷かれています。
現神音地区の旧家としても知られ、古代あるいは中世から、同地区の行商に積極的に関与し財を成しました。また日宋貿易が行われた11世紀頃から、海運事業にも興味を示すようになります。18世紀末には蝦夷地-兵庫間の海上事業を経済的に支援し、新たな航路の開拓と新規事業の立ち上げを目論みました。20世紀から大戦期にかけて、戌頭一族はIJAMEAと急速な接近を試みます。そのことは一族および一族関係者から優秀な人材が次々とIJAMEAに入隊し、一族に連なる諸団体がIJAMEAに積極的な支援を行った点に表れています。この動きは当時落ち目にあった蒐集院に代えて、新たに日本の超常社会に台頭した同組織を権力の後ろ盾にしようという狙いがありました。かねてからNx-74に興味を示していたIJAMEAはこれに好意的に応じ、時の戌頭家の当主にして貴族院議員である戌頭 猝卦わそか男爵は、IJAMEAとの蜜月関係を背景に単なる旧家に留とどまらない発言権を確立しました。戌頭男爵は1917年のロシア革命に際して白系ロシア人の受け入れを強く主張し、泉境地区が一大移民地区として発展を始めるきっかけを作りました。
戌頭男爵に率いられた一族は、神音研究所の設立、呪詛兵器の研究など、二度の世界大戦をIJAMEAとともに躍進し、一族の呪術学的才能を遺憾無く発揮しましたが、その勢いは戦後の一族連続突然死によって絶たれることになります。1945年12月〜1946年1月にかけて宗家・分家の多くが非異常の理由で次々と内因死し40、戌頭男爵もまたこの際に死亡しました。戌頭一族は超常社会・正常社会の両面で権力を維持できなくなり、なし崩し的に神音研究所や諸職位を放棄させられました。戌頭男爵なき後、戌頭一族はわずかに残った分家から、比較的宗家に近い家の男子を次世代の当主として選抜しました。
1958年、その当主は白系ロシア人移民2世の女性と結婚しました。彼女はロシア帝国神秘復興協会に所属しており、その父親はツァーリの賢人団の有力者█・█・ヤヌシェフスキー(█・█・Yanushevskiy)41でした。この婚姻は一般に、日本の旧家に取り入りたい復興協会と、旧家としての格を保ちたい戌頭家との間で急遽決まった“政略結婚”と見られています。一方で両者が終戦前から知己であったことを示す証言もあり、詳細な経緯は不明です。1959年、両者の間に子が生まれました。戌頭 ハリストフォル(Khristofor)と名付けられた彼は先々代以来の政界進出を果たしました。2012年に町長に就任して以降、財団と友好的な関係を保ちつつ、呪詛と移民が交差する場所・神音町の町政を率いています。









