目的地
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これが、メールボックス最後の一通。あまりにも分かり易い使い回しの構文は、送り主の切羽詰まった状況を伝えている。大陸で起きたらしい事件の余波が、徐々に日本へと上陸していた。まあ、俺とは無関係な話だ。
 
 
 

 
 
 
日本が滅びかけている。特にすることも見つからなかったので、料金を取られなくなった関越自動車道の上りをドライブしてみた。新潟と群馬はもうアノマリーだらけで、埼玉がギリギリアウト。東京も練馬区の辺りは少しきな臭い。

道中では下っていく財団やGOCの車列ともすれ違ったが、こんな状況でもせっせと働いてるのは彼等くらいだろう。フロントガラスの眩しい反射光が目に入る度、鼻からため息が漏れ出した。

そんな彼等とは違い、俺には何の命令も下らない。これがフリーランスの良い所だ。3日前までは色んな団体からわんさか依頼が届いていたスマホも、ネット回線が死んだおかげで静かになった。財団時代の知り合いから連絡が来なくなったのはもっと前なので、恐らくあいつは死んでいる。そのことをうっかり考えそうになって、カーステレオの音量を上げた。

関越を下りてからも、俺は都心へとSUVUX を走らせる。歩道に人影はなく、皆どこかへ逃げた後のようだ。最初のうちは避難に関わる情報も入ったが、今となってはそんな情報を得る手段もない。俺は制限速度より少し低い速度でのんびり走り、誰もいなくなった街並みを眺めていた。

後部座席に積んでいる携行缶のガソリンはまだまだ保つが、陸路で行ける範囲じゃ東京が一番安全だ。もし船があったら東京湾に出るのも1つの手か。昔財団の講習で動かしたのはせいぜい釣り船の規模だったが、まあ余程大きな船でなければ動かせる。小笠原諸島はまだ無事だろうから、その辺りにまで逃げればまあいい。

早いうちに財団をやめて良かったと頭の中で呟いて、光を失った信号機の下を潜った。まだアノマリーが入ってきていない新宿でも、発電所が放棄されているためか電気は止まっている。陽炎が立つような炎夏の下、冷房無しで過ごすのはさぞ辛いだろう。

港区に入ると、路肩に放棄された車が増えてきた。それでも1台として車道は塞いでいないのだから立派なものだ。そんな車達の間に人影を見かけてブレーキを踏みそうになったが、止まったところで何を言おうという訳でもない。

「やはりまだ残っている人もいるんだな」と思うだけで、戻したアクセルを踏み直す。残っている人々はビル群のどこかで息を潜めているのだろうか。そんな考えと共に、少し気になる場所が頭に浮かんだ。適当に設定していたカーナビの目的地を入れ直し、ビルの低い方へと進路を変える。
 
 
 


 
 
 
暫く何も考えずに幹線道路を走っていたところ、カーナビが突然案内終了を告げた。こんな都心に車で来ることなんてなかったというのもあるが、この辺りの風景は目まぐるしく変わるのでその時まで全く気付かなかった。路肩に車を停めた横、周囲の絢爛な色合いの店々の中でひっそりと、薄暗い色調の喫茶店が佇んでいる。

"喫茶マラルメ"の看板は確かに探せば見つかるものだったが、まるで人々の視線を浴びさせたくないかのような半端に高い位置に置かれ、窓のカーテンは閉め切られている。しかも少し上にはキャバクラの巨大広告がイエローベースの彩色を輝かせており、営業上の悪影響を受けていることが誰にだって分かる様相だった。

実際の所、これら全ては意図的なものだ。この喫茶店、もっと言えばこのビル自体が財団の資産であり、一階の喫茶店はエージェント用のセーフハウスとなっている。このセーフハウスは一体今どうなっているのかと、そんなちょっとした興味で俺は重たいガラスの扉を押した。店内は暗く、キャンドルが立てられているカウンターだけが浮かんでいるかのように見える。南側に浮かぶ太陽はドア越しに俺の足元を照らすのみで、窓のカーテンは日光を完全にシャットアウトしている。

知った顔の人間がカウンターの裏から眠たげな顔で起き上がった時、俺は微かに満足を覚えた。しかしそれの理由は皆目分からない。知った顔を見れて嬉しいのとは少し異なる感覚だった。

「お……久しぶりだな裏切り者。何にする?」

店員役のエージェントは40代の女で、どこかの感覚が麻痺しているかのようにすんなりと、10年以上前に退職した人間を受け入れた。

「まだ言ってんすかそれ。エスプレッソで」

「辞めた奴の顔を覚えてやってただけ感謝しなよ。ちなみに電気が無いからエスプレッソは無理。ガスも止まってるからコーヒー自体無理だ。お冷やはいかが?」

「……じゃあ、それで」

店員は蛇口を捻り、流れ出した水流に手を当てた。思い出した、と言わんばかりの苦笑をたたえ、カップで水を受ける。

「悪い、ぬるま湯だった。この暑さじゃしょうがないけれど」

出されたぬるま湯を口に含むと、吐き気がこみ上げるような感覚に襲われた。「御馳走様」と呟いてカウンターに置き直す。店員も水道水には嫌気が差しているようで、丁寧にカップを引っ掴み、呆れたようなため息と共にシンクへと投げた。空っぽのシンクの底からは鈍い音がしただけなので、カップも割れてはいないだろう。

「電力無しってことは冷房も無しですか」

「まあ、そりゃね。幸い遮光性の高いカーテンもあるし、建物の中じゃ一番下だし、熱中症になるような暑さにはなってない」

車の冷房に当てられながらドライブしていた俺にとっては暑すぎる、いや、それを抜きにしても30℃は確実に下らないであろう室温だった。それでも、カウンターの向こうの人間の顔に汗は見当たらない。汗を探そうとするうちに、その顔色の悪さが目に付いた。

「水、飲んでないんですか」

「あまりって感じかな。飲む気が起きない。現代人は味の付いた飲み物に慣れすぎた……いや、正直に言うとここでただの水を飲むと不味く感じるんだ。コーヒーの匂いがする中で水を飲むのはどうにも気持ち悪い。せめて電気があればエスプレッソは作れるんだけどね」

「発電機とかは?」

「あったけど、前線用に全部持ってかれた。ここにあるのは最低限の非常食と、屋上タンクの備蓄水と、寝床くらい。連絡の中継地点になってるだけで、セーフハウスとして使う奴なんていないから当然だけど」

「……どうしてまだここに?」

分かりきった答えが返ってくることを期待して、しかしその期待の理由が分からないままに問う。

「仕事だから……っていうかそれはこっちの台詞だよ。フリーランスの君がどうしてまだこんなところにいるのかが皆目分からない」

「暫く北の方でぼーっとしてたんです。気付いたらアノマリーだらけになってたんで、東京湾から小笠原辺りに逃げられないものかと」

「小笠原どころか、今でも海外に避難するための船とか飛行機が出てるよ。オセアニアの辺りは無事だし、南北アメリカもしっかりアノマリーの上陸を防げてる」

「そりゃ凄い」

そうか、海外。小笠原なんて言わず、海外まで逃げてしまえばいい。逃げてしまえば……

「そうか、フリーランスにとっちゃ今は暇なのか」

「ええ。今は無職ですよ。報酬が出たところで、通貨価値が壊れちゃあ無意味ですから」

「財団がフリーランサーに頼っちゃいけない理由が今になって表出してる。どんなに金を積んでも人が集まらないって知り合いが悲鳴を上げてたよ」

そう、今や日本円は無意味だ。

貯金が5000万ある。馬車馬のように、安全度外視で働いて貯めた5000万。主義、信条を捨てて手に入れた金。気付いた時には手遅れで、他の通貨にも変えられなかった。いざって時に持って逃げられるよう銀行に入れていなかった金は、今も車の助手席で腐っている。

「俺みたいなフリーランサーが今どうしてるかって情報、入ってます?」

「ある程度ね。半分はもう国外に逃げてる。いや、半分しか逃げてないって言うべきか。戦闘に参加する訳でもなく、なぜか国内に留まってる連中が4割もいるらしい」

「暇なんじゃないですかね」

「だからさっさと逃げろって話でしょ」

そうじゃない。そういうことじゃあない。多分、今日本に残っている財団職員には分かってもらえない。けれど、もしも完全に日本という土地が終わったなら、地球という土地が終わったなら、きっと理解することになるだろう。

醜い、と自分でも思う。つまるところ、金の亡者が価値を失った金を必死に抱えているだけ。童話や寓話なら笑い者のポジション。

「暇なんですよ、やっぱり」

「そう」

彼女は興味も無さそうに言って、再び姿勢を下げてカウンターの裏に消えた。恐らく、その方が涼しいのだろう。くぐもった声が聞こえる。

「とりあえず避難したら? 日本もそのうち落ち着くとは思うけど、残っててもメリット無いんじゃない? 海外でフリーランサー始めた方が良いと思うよ」

「ええ……そうします」

生返事と呼ぶべき返事が、口から滑り落ちた。どうしたいのかは皆目分からない。いや、そもそも財団を辞めた時から、自分がどうしたいのかなんて分かったことがない。それでも、カウンターの裏の人間が提供してくれた生暖かい水と、情報と、少しの安らぎに対価を支払いたくなった。

「車にガソリンと発電機を積んでるんですけど……要ります?」

「あー、埼玉辺りに送るかな。ありがとう」

また、予想していた返事だった。俺は頷き、店を出る。やはり、財団職員という生き物はイカれている。

停めていたSUVの後部座席のドアを開き、積んでいた携行缶に手を触れた。熱い。金属製の容器は僅かな間に日光で熱せられており、触った瞬間に思わず手を引っ込めてしまった。後部座席の足元に積んだ発電機も同様で、俺は手袋を探したが見当たらない。車から出て何かをしようという気がなかったので、そういった物は持ってきていなかった。自分に舌打ちすると、一層その姿が醜く思えた。俺はドアをそのまま閉め、店の前に立ち尽くす。

汗が目に入り始めて、それでも拭きたくなかった。カラスが街灯の上からこちらを見下ろしていて、向こうが去るまで見つめ返した。店に戻ろうと歩き始めた時、扉の向こうに彼女が見えた。カウンターの裏、驚いたような顔でこちらを見つめている。俺は扉を開けてすぐに言った。

「埼玉のどこに届けましょうか?」

「あ? ああ、地図を渡すよ。どういう心境の変化? もしかして……」

彼女の期待に満ちた目は、やはり俺には理解のできない感情によるものだった。

「財団には戻りませんよ。やっぱりアンタらはイカれてる。一般社会で言うところの狂人です。俺みたいなフリーランサーには到底真似できない。ガソリンと発電機を届けたらまたここに顔を出して、その後は海外に逃げます。脱水で死んでるとかは勘弁してくださいよ」

「……そう。そうか。ありがとう」
 
彼女は少し落胆したような、しかし嬉しそうな顔で答えた。
 
 


 
 
 
俺は店を出て、大きく、大きく息を吸って、吐き出した。これからの行動にメリットは無い。一貫性すら無い。ただなんとなく、あのカウンターの裏にいる狂人に、今もどこかで戦っている熱く眩しい狂人達に、伽藍堂になって欲しくないと思った。
 
 
車はもう熱気で一杯で、ドアを開けた瞬間の心地はまさに蒸し風呂だった。エンジンをかけると、大音量のポップスが流れ始めたので慌てて音量をゼロにする。その様が我ながら滑稽で、鼻から勝手に息が漏れた。緩んだ表情の自分に懐かしさを覚えて、もう一度、ゆっくり深呼吸をする。助手席の金はどこで捨てようか。
 
 
 
カーナビが表示する「目的地」の語に心から頷いて、往復3時間の運転を開始した。
 
 

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