気紛れ猫に依る
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 どうしても眠れない夜は、全く無意味なことをする。幼少期から決めていることだった。

 そうすれば眠れるから、ではない。きっかけは確かにそう考えたからだが、今は違う。無意味な行為は睡眠に結びつかないと、経験から学んでいる。それでも僕が一夜を無意味に溶かすのは、その行為が好きだからに他ならない。

 既に解き終えた迷路を何度もなぞる。空になったペットボトルに口をつける。砂嵐を映すテレビを見続ける。生産性の無さを咎める人も、真夜中には眠っている。いや、流石にこの歳になると、夜中起きていても誰も咎めないけれど。それでもなんとなく、夜の方がやりやすい。

 ぼんやりと、なんの番組もやっていないテレビを見る。ともすれば僕は昼のテレビより、夜のテレビの方がよく見ているかもしれない。

 父は厳しい人だった。意味のないことが嫌いで、口癖は「もっと先を見据えろ」。将来役に立つ知識が手に入らないからと、ドラマやバラエティの類は見せてもらえなかった。教養としての文学や勉学に励んでいるうちは機嫌が良かったが、僕がそれをしない時間を酷く嫌った。

 別に、父のことは嫌いではなかった。学校の勉強は好きになれたし、特に大衆娯楽に興味がなかったのも大きい。けれど、そんな僕が、父を恨んだことが一度だけある。

 道端の猫を拾わなかった時。拾うことを、許さなかった時だ。

 家族三人で出かけた時の話だった。無駄と無意味が嫌いな父が、たまに行う家族での外出。それは毎回母の提案によるものだったし、外出先では母が主導権を握っていた。父は母には弱かったのだ、と思う。

 そんな父が、母に対して強く否定した。

「可哀想だし拾ってあげてもいいんじゃない?」

「ダメだ」

 猫の顔すら見ないで、父は言ったのだ。

「もっと先を見据えろ。飼ったところで、俺たちに何の得がある?」

 それだけ言って、父は先に進んだ。母は、動物愛護団体に連絡を入れて妥協した。幼い僕は、飼いたかったのにな、と猫の目を見た。

 猫は綺麗な、綺麗すぎる目をしていた。衰弱した体でも、この猫は自分が死ぬとは考えていないのだ。猫は今しか見ていない。それに気がついた時、僕は恐ろしかった。この目を見逃せる父親の残酷さを軽蔑すらした。

 そして、その晩がはじまりだった。僕が、無意味に一夜を明かしたのは。僕と、アイツの出会いは。


 砂嵐しか移さないテレビを見て、何も考えずぼんやりしていた。そうしていれば寝れる気がしたからだが、ちっとも眠気は訪れない。お昼に見たあの猫の目が、脳裏にこびりついていたから、だと思う。そうしてただ過ぎていく時間。冴えない頭と冴える目。しかしそのふたつは、眼前の動きを見逃さなかった。

 突然、猫が目の前に現れた。もっと正確に伝えるならば、不鮮明な砂嵐から、不鮮明な猫が飛び出してきた。ソファーで腰を抜かした俺の膝にそいつは飛び乗った。驚き、恐怖、困惑。僕は何も言えなかった。猫はそんな僕の膝を離れ、そしてまたテレビの方に向かった。

「待って」

 思わず声が出てしまう。猫は待ってくれた。振り返ってくれた。目が合う。ノイズが混じった、綺麗さとは程遠い目は。けれど何故か、捨て猫の目と似ていた。

 僕は、僕は。何故呼び止めたのかもよくわからないまま、咄嗟に出た言葉があった。

「暇な時に、また、来てくれる?」

 猫は首を傾げて、それから画面に消えた。


 彼(もしくは彼女)とはそれっきり、会っていない。そしてこの夜から、僕は眠れない時は砂嵐を見つめるようになった。いや、砂嵐を見つめるだけじゃなく。ただ、意味のないことをして過ごすようになった。

 今が何時かも、目の前の砂嵐がいつ止むのかも、眠らないで過ごして明日どうなるのかもわからない。けど、そんなの当たり前。人間は少し、先を見据え過ぎている。未来はどこまで行っても不確定だって、そんなことも見失うほどに。

 ただ  こうして昔を思い返してしまうあたり、僕も人間で。今だけを見ることはきっと、できないのだろうと思う。繋がらないと知っていながら、アナログ放送の砂嵐を見つめてしまうくらいには。

 でも、いい。そうしていたいと思うのは、今も変わらないから。

 スノーノイズ。深夜3時に吹き荒れる砂嵐だけを見て、僕は出来る限り優しい笑みを浮かべた。

「久しぶり」




 砂嵐をかき分けて来た猫は、昔と何も違わず、今の僕だけを見ていた。

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