会食にて
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「パパ、パパ!」タナカ・カツオがドアを開けると少女の歓声が出迎えた。疲れの見える笑みを浮かべ、刑事は膝を曲げて娘を抱きかかえた。

「なんかいいことあったんか」と彼は言い、娘の体を持ち上げた。「パパに会えて嬉しいか?」娘は笑い歓声を上げ、「パパ!ほら!空飛んでる!」と言った。カツオはたまらず笑い、娘の鼻にキスをした。「うん、飛んでる飛んでる」

娘を優しく下ろすと、刑事は妻と温かい抱擁を交わしキスをした。「大変な日だったの」彼の姿を心配な目で見渡しながら妻が言った。

「新しい事件だよ、ジュン。心配はいらない」カツオはぼんやりと自分の顔を撫で、妻はテレビの電源を入れた。地元のニュースキャスターの途中からの話が流れた。

「……数名の警察官と学生がアパートで発生した銃撃事件で亡くなりました……」画面に映像の流れる中、ニュースキャスターが伝えた。「福岡都警は徹底的な捜査を行うことを宣言し、刑事課によるさらなる証拠の捜索が始まっています」

ジュンは大きく目を開いた。「これがその事件なの?」

カツオは目を背けながら言った。「言っただろ。心配はいらない」

ジュンが非難の声を上げる前に呼び鈴が鳴った。彼女は夫に向けて悲鳴よりも強く呼び掛けてくるような眼差しを送った。そして立ち上がり、戸口に向かった。
 
カツオは目を閉じため息をついた。戸口からは楽しげな会話の声が大きく響いて聞こえてきた。椅子から立ち上がり、彼も戸口へ向かった。戸口では、妻が訪問者と立ち話をしていた。カツオは破顔し、大親友の浮かべている満面の笑みとそっくりそのまま同じの表情を見せた。

「よく来てくれたな、ヒサシ」そう言い、カツオは客人と握手をした。「ちょうど夕食が終わったところかな」カツオは妻に目をやり、妻は思慮を込めたうなづきを返した。

靴をサンダルに履き替え、ゴトー・ヒサシは笑った。「旧友で同僚の君と飯を食う機会を逃しちゃったか?ツイてない!」カツオの娘がドアの奥から覗くと、ハンサムな男は膝をついた。「お?あれはミチコちゃんか?もう全然小さくなくなったね」

ミチコは笑ってヒサシに駆け寄った。「ヒーおじさん!」ゴトーは彼女の頭に手を乗せた。「どんどんでっかくなってるんじゃない、ん?」ミチコはしきりにうなづいた。

「ミチコ、お行儀が悪いでしょ」ジュンが叱った。「年上の人にはどうやって挨拶をするの?」ミチコはますますしきりにうなづき、行儀よくおじぎをした。「こんにちは、おじさん」

ヒサシは笑った。「とってもまじめで上品!なんて賢い娘さんだろう」たまらず笑みを浮かべた母親を見上げるミチコに向けて、ヒサシは深いおじぎを返した。

夕食の後、カツオとヒサシは書斎で飲みながら話を交わした。

「……そこで僕が逃げようとしたヤツにタックルをかましたんだ。他の警察も来る所が見えないし、彼はそこにずっといたんだ」ヒサシは笑い、もう一本飲んだ。

カツオもまた静かに笑った。そして机に瓶を置き、ヒサシに顔を向けた。陽気な男は雰囲気が変わったことを察し、瓶を置いた。「それで、ここからは僕を呼んだ本当の理由と関係のあること、かな?」

カツオはうなづいた。「事件について聞きたいことがあってな。おれ達は今回の事件に堂仁会が関与してるんじゃないかと考えているんだ。それで一番にお前に聞くことにしたんだが」刑事はヒサシにファイルを渡した。顔を渋くし、男はファイルを受け取って読み始めた。しばらくして、彼はファイルを閉じたが、渋い顔はそのままだった。

「訳がわからないよ」ヒサシは少し間を開けて言った。「堂仁会はこんなクスリからじゃ一文も得られないね。彼らのやり方とも全然違う。ヤクザとして見ても、派手すぎる」

「じゃあ、奴らの仕業じゃないっていうのか?」

「あるいは彼ら自身の組織内に何か不安定な状況があるのかもしれないね。僕はこういう奴らを扱ってきたけど、ここまで劇的なのは聞いたことがない」

カツオは窓の外を見、思案にふけった。


刃が虚空にひらめき、必殺の弧を描いた。

コガ・ナオキは刃を交わし、自分の刃で対抗した。疾風迅雷の斬撃を繰り出し、ナオキは相手を一歩ずつ後ろへ押しやった。その怒りの猛攻は相手に受け身を強いていた。

コガは熟練した腕前をもって、相手に正確な攻撃を浴びせ続けた。相手の疲弊を感じ取ると、コガは下段斬りのフェイントを繰り出した。相手が餌にかかると、ナオキは素早く向きを変え、右から斬りつけた。剣は相手の頭部を打ち付け、その力で相手をひっくり返した。

「一本!」旗を挙げて勝利点を宣言する審判達を、コガは一瞥した。重い剣道の面を外して顔の汗を拭き、相手に向けて健闘を称える一礼をした。懐から呼び出し音が聞こえると、コガは電話を取り出した。メッセージが届いていた。

「会合準備完了」

ナオキは電話を仕舞い、後ろ髪を伸ばした。そして着替えに向かった。

「良いお日柄でございます、マツモト様」コガは深々と礼をした。「貴方と食事を共に出来ることを光栄に思います」

ほとんど平服しながら、コガは堂仁会の首魁に敬意を示した。マツモト様は少し頭を傾けた。もしマツモト様が身体の縮んだ古代の老人でなければ、それは洗練された身振りだっただろう。

50年もの間、マツモト・ハヤトはヤクザの間でさえも見られないような独特で厳格な規律、そして揺るぎない忠義をもって堂仁会を支配していた。堂仁会の為に働く者は血の絆で結ばれ、死も厭わなかった。マツモトは部下に期待を抱いていた。

そしてそれら全ては、ナオキの仕事をより難しくした。

「元気が良さそうだね、コガ君。会えて嬉しいよ」マツモトは所々欠けたり抜けたりした歯の列を剥き出しながら笑った。

ナオキは平伏した位置から動かなかった。「ありがとうございます。こうして認めて頂き光栄の至りでございます」マツモトが許すまでコガはそのままでいた。コガは顔を上げたが、膝はついたままだった。

コガは室内の周囲を伺い、潜在する危険の有無を調べるために周囲の者の感情を推し量ることを試みた。

ナオキの左に座っている汗かきの男、ヨシダ・サトルはハンカチで顔を拭い、目をぴくぴくと動かし部屋のあちこちに向けていた。右に座っている男とは親しくなかった。ナオキはひと目見て、その男は緊張してバネのようにとぐろを巻いており、まるでいつでも相手を打ち倒すか逃げるかする備えをしているように見えた。

テーブルを挟んだ向こう側にはマツモトが座っており、その右隣にはボディーガードが立ち、左隣にはまるで鉄仮面を被っているかのような厳つい顔の男が口を固く結んで立っていた。その男は白髪交じりの髪を短く刈り込んでいた。年は四十半ばに見えたが、まだ若さを保っており、半分くらいの年齢の者とも張り合える力を持っているように見えた。ナオキはその男の立ち姿を注意深く心に留めた。コガの右に座る男と違い、この男はバレエ演者のような優雅さをもって立ち、慎重に佇み、全ての事に目を光らせていた。

コガの右の男は慎重に一礼し、頭を地面へ持っていった。そして落ち着いた調子でゆっくりと話した。「マツモト様。貴方と食事を共に出来ることを光栄に思います」

ハヤトが鼻を鳴らした。「相変わらずオリジナリティの無い奴だ。いつも誰かからパクらなきゃならねえとは、なあハラ君?」

ハラは目に見えて怯み、歯ぎしりをした。「とんでもないことです、マツモト様」ハラは頭を下げたままでいた。

不安な沈黙が這い寄り、少しの間続いた。そして、ハヤトはにこやかな顔で笑った。「よしよし、頭を床にぶつけるなよ。昼飯にしようじゃないか、うん?」

給仕が入り、厨房の者たちによって繊細に用意された絶品の料理が運び込まれた。彼らは勤勉で丁寧に働いている、とナオキは考えを巡らせた。なるほど、彼らも全員、結局は堂仁会の手の者なのだ。

普段は高級レストランである、このサード・アベニュー・ソウルは実際の所は堂仁会が所有してあり、フロントとして営業していた。何も知らない裕福なパトロンが途方も無い金を料理に支払い、その裏では、堂仁会が福岡県の裏社会で違法な取引を進めるための地域本部が設営されていた。コガ達は、防音設備とボディーガードの監視が付いたバックルームの一つで食事を行っていた。

大皿に盛られた料理、和洋が取り揃えられエキゾチックな美味も加わってテーブルを満たすそれを、ナオキはじっくりと食べ、無口を保った。対してサトルは、口に物を詰め込み大きな声で話した。マツモトも同じように笑い大声で話した。一方、ハラは以前よりもあまり食べていないことにコガは気づいた。彼は何を食べるときも一息見守り、あたかも他の者がどれを食べるか確かめているようであった。

マツモトはグッと一気に飲み、カップを置いた。彼はコガを見、心地の悪くなるような壊れた笑みを浮かべた。「それで、コガ君、商売はうまく行ってるか?」

「好調です。我々の力はめきめきと広がり、金融街の者共も誰に敬意を示すべきか分かったようです」コガは笑顔を返した。

「素晴らしい、素晴らしいね。そしたら、ハラ君? 君の調子はどうだ?」

「大丈夫です。うまくやっています」

「え? 人様の上前をハネてる君が?」

室温が40度ほど一気に下がったようだった。サトルは凍りつき、口に食べ物を留めた。コガは緊張し、揉め事に備えた。ハラは完全に凍り、テーブルに手をついた。マツモトは何事も起きなかったかのように、食事を続けた。

「あ、あの?」ハラは覚束ない口調で言った。

「聞こえなかったのか。君が上前をハネながらもみんな良くやってる。面白いじゃないか」マツモトはもう一杯飲む前にそう言った。

「何を仰っているのか良くわかりません。私は決してそのようなことをいたしませんよ?」

「誤摩化すな、ハラ。話を分かりやすくしてやる。ここ数ヶ月、お前がスピリットダストの売上の一部を掠め取ってきたことは知っているんだ。私が知りたいのはお前がその事を認めるつもりがあるのかどうかだけだ。認めて、関わったヤツ全員と手を切るなら、ちょっとは斟酌してやろう。決して、わざわざ難しくなる――」

マツモトの言葉を遮るように、ハラはテーブルに置かれた食材用のナイフの一つを握ってテーブルを飛び越えヤクザの親分に突進した。ナオキは彼を捕まえようとしたが、あまりにも速かった。

しかし、鉄仮面の男にとってはそうではなかった。とぐろを巻いた蛇のように、彼は左手でナイフでの突進を遮り、自分のナイフをハラの下腹部に刺し込んだ。ハラは崩れ落ち、机の上で悶え、シャツに赤いシミを広げていった。

マツモトは唸り、手を叩いた。数人の見張りが部屋に入って来た。マツモトは手振りを示した後「医者に診せろ。その後、奥の部屋の奴らに差し出せ。何か残ったら、他のと同じように捨てろ」と言った。

明らかにこの手順をよく知っているように、見張りはうなづいた。そして呻き声を上げるハラの体を部屋からそっと引きずりだした。鉄仮面はバレエ演者の身のこなしに戻り、また動かなくなった。

「ありがとう、タダシ君。相変わらず素早いんだね」とマツモトは言った。

タダシは深く礼をし、元の位置に戻った。そしてハヤトはナオキの方を向いた。

「で、君は自分で売るためのスピリットダストを仕入れたがってるってヨシダ君が言ってたんだけど」

「はい、マツモト様」

「こいつはいい奴ですよ、マツモト様。マジでいい奴です、お伝えした通りです」サトルは力説した。「こいつの働きぶりはすべてご存知でしょう」

「知ってる」マツモトは手を振りながら見下げるようにそう言った。そしてナオキを見た。

「うん。君はいい商売人になるだろう。フレアに行くんだ。五番通りにあるナイトクラブだよ。ショージさんに話を聞いて。詳しく教えてくれる」マツモトが手を叩くと、人が小さな群れをなして部屋に入り、テーブルを掃除した。コガはもう一度ヨシダに礼をし、二人は出ていくために立ち上がった。

外へ出ると、ヨシダは半ば走るようにしてナオキの大股早足を追いかけていった。「な、うまく行ったろ、な? お前のために口を利いてやるって言っただろ」

ナオキはうなづいた。「ありがとう、サトル」しかし彼の心は別の所を向いていた。マツモトはナオキとの昼食を行うずっと前から決めていた。ナオキはとっくの昔に認められていたのだ。そしてハラの尋問を行うことにしたのは偶然ではなかった。むしろ、ハラをあの日、あの時、ナオキの居る前で暴くことにしたのだ。警告の意図を込めて。


マツモト・ハヤトはタダシ以外の見張りを全員払った。そして咳払いをして静かに言った。「もう出てきていいよ」

声に従い、チラチラと輝く欠片が部屋の奥から現れた。そして虚空に手が現れ、空気を裂く動きをして幻影を破ると、背の高い上品な姿の女性がそこに現れた。カジュアルなストリートファッションに身を包んだ姿をしており、腕を組んで壁にもたれかかった。

「片方は特に見所がありません。おそらく売っているスピリットダストから何かを得たのでしょう。もう一方は……彼はきっと何か大物になります」女性は手に持った小さな電子機器を見た。電子機器はブザー音や回転音を出し、数列や図表を小さな画面に映していた。

「では、コガはあんた達にとってふさわしい人物だと?」マツモトは尋ねた。

「おそらく。彼の知識が正しければ、素質があります。著しいポテンシャルを持っています。彼を見ておきます。気に入ったら、彼に接触してみましょう」女性は微笑んだ。その目はインクのように真っ黒な表面をしており、これは彼らが変装を解くと見られる姿だった。「確かに、貴方はインサージェンシーが興味を抱くような方を……お見せくださいました、マツモト様」

ハヤトは笑みを浮かべた。「そうだろうね」

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