お花見会
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桜が舞っている。
脳の中に、無数の花弁が舞っている。
白い泡のように、紅い雨のように。
これが過去の風景だと解らないぐらい、今。
桜が舞っていた。


「お花見、ですか」

財団の新人としての一年間の研修が終わってすぐ。桜木が二人っきりのエリアオフィスに配属したての春先だった。フィールドエージェントとしてのOJT実地研修もそこそこに、先輩エージェントである千代巳から、非番の休日に職員が集まるお花見の誘いを受けたのだ。

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財団エージェントは、危険を冒して世界の平和を守る特殊な仕事のはずだ。それなのに、お花見?その頃の桜木が想像していたものとは少し違う職場雰囲気に、どうにも違和感が拭えない。

「お花見だよ。新人歓迎会も兼ねた、この時期のサイト-81KA周辺エリア1の恒例行事なんだ。大抵休日にやるから、特別手当と無料の飯と、振替休暇が出るよ。」

危なく無い仕事ならそれに越したことは無い。それでも、桜木は世界のため、そして好奇心のために最前線で異常を調査するフィールドエージェントという過酷な職業を選んだのだ。肩透かしを食らったような気がした桜木は、はぁ、と気の無い返事をした。

「不満か?ウチは顔に出るやつは好きだ」

「すみません、ちょっとびっくりして。そういう普通の行事みたいなのも、財団ではあるんですか。俺はてっきり…」

「あー、まぁ特にエージェント志望は、新人研修じゃ相当脅されただろうからな。実際の現場を見て気が抜けるのも無理は無い。飲み会もあるし、誕生日会だってあるし、クリスマスパーティだってあるよ。」

けど、と千代巳はいたずらっぽく笑って言葉を切る。

「今回のお花見は、普通の行事じゃ、無いよ」

ざぁぁ、と風が通って、どこからかやってきた桜の花弁が数枚、エリアオフィスの窓ガラスに吹き付けられた。酒も出ないしね、と千代巳は残念そうにこぼした。


「あの、チョミさん、俺の服このまんまで良いですかね」

花見の会に行くから、次の土曜の12時にエリアオフィス斜め向かいの喫茶店で待ってろ。そう言われたので桜木はその通りにしたのだが、いつもはパンツスーツ姿の千代巳がキャップに革ジャンで喫茶店に入ってきたのを見て、スーツでやって来た自分が場違いなんじゃないかと不安になった。

「あ、言い忘れてた。スーツでも大丈夫だけど、ウチらみたいに非番の人は私服が多いかも。まぁそう緊張すんなよ、ただの新人歓迎みたいなもんなんだから」

千代巳はそう言いながら、喫茶店の抹茶カステラを2箱買って領収書を切る。ついでに桜木が頼んでいたカフェオレも経費から出た。少し古めのドアチャイムに見送られながら、二人はエリアオフィス前の通りをまっすぐ進んでいく。

そう言えばこの道の先に大きな公園の花見スポットがあったな、と桜木は思い出した。連日のフィールドワークでこの街の形が何となく頭に入ってきたようだ。だが、もうすぐ公園が見え始めるあたりで、千代巳は道を左に曲がった。

おかしい。その先には公園も何もない。駅前から続くビル街のはずだ。

「チョミさん、さっきのとこ曲がって良かったんですか?公園はまっすぐだと思ったんですけど」

「大丈夫。まぁ勿論あの公園も良い所だけど、ウチらにはもっといい場所があるんだ。そうだな、桜木は『反ミーム』は解るか?」

不審そうな顔を続ける桜木に、千代巳は唐突に問いを投げかける。

「座学で習った程度ですが、情報伝達に支障を生じさせるような、拡散しづらい情報の事だと思っています。財団で扱う異常な反ミームは、そもそも拡散を許さないか条件があるようなものが多いと……」

「良いね。そんだけ解ってりゃ十分だ。じゃぁ、反ミームに対抗するためにウチらは何をする?」

「異常な反ミームであれば、その条件を潜り抜けて情報を伝達する手段を探す、でしょうか」

2人は完全にビル街を歩いていた。公園のひとつも無い区画だ。平日はサラリーマンで賑わっているが、休日は閑散としている。桜木が見回しても、花見会場になるような場所は見当たらなかった。

「そうだな。だけど反ミーム性を持つ異常には、例えば記憶に残らないという性質を持つものも居るんだ。それらはまず、記憶に残さないと話にならない」

「何とかして覚えるって事ですか?」

「もっと単純な話だ。記憶強化薬を使う」

そう言いながら、千代巳は鞄から見慣れないシールのようなものを取り出した。記憶処理用のパッチに良く似ている。

「記憶強化薬には幾つかのクラスがある。一番強いものはほとんどの反ミームを知覚し、覚えている事が出来る。でもその代償に、脳が崩壊して数時間で死んでしまう。」

「ちょ、ちょっと、そんな危ないモノ持ってきてるんですか」

「幾つかのクラスがあるって言っただろ。これは副作用が極めて少ないWクラス、最も軽い記憶強化薬だ。反ミームの知覚を可能にし、通常の記憶を強化する、代わりに」

代わりに。桜木は思わず唾を飲み込んだ。

「ちょっと酔うんだ」

「酔うって、あの酔うですか」

「そうだ。だからWクラス記憶強化薬は酒類との併用は推奨されていないんだ」

千代巳は事も無げに言って、ビルの間の工事現場の前でぱたりと足を止めた。

「どうしたんです?」

「着いたんだ。お花見の会場はここだよ。ほら、ちょっと静かにして、音を聞いてみろ」

桜木は言われた通りにした。目を閉じて、耳に集中する。すると微かに、笑い声が聞こえる。誰か、いや大勢が遠くで話しているような、ざわざわとした音。そしてその音は、すぐ近くの工事現場の中から聞こえていた。

「工事現場から、声が聞こえます」

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「惜しいな。良く会社名を見てみろ。笹川建設は財団のフロント企業の一つだ。で、この企業のロゴは2種類あるんだけど、これが符牒になってるんだよ。ロゴの下の線が黒色の場合はフロント企業の一般の仕事。この線が別の色の場合は、財団からの要請を受けた特殊な仕事を意味してるんだ」

言われてみれば、会社名もロゴも、桜木が座学で見たことのあるものばかりだった。だが、あまりに普通の工事現場として周囲に馴染み切っている。

「工事の目隠しフェンスの中に、更に防音用のシートを貼ってるから中の音が聞こえないんだ。つまり、ここは財団の屋外収容施設なんだよ」

さぁ、入ろう。どこからともなく千代巳は猫のキーホルダーのついた鍵を取り出した。フェンスの一部を開け、桜木は言われるがままに工事現場の中に入る。

フェンスの裏側には草原の絵が描かれていた。工事現場らしく見せるために重機の類が外から見える様に置かれているが、どこにも建物の基礎らしきものは見えていない。あるのは緑の芝生と、その中央に集まっている数十人の人間だけだった。桜など、どこにも無い。

「チョミさん、これって、お花見ですよね」

「そうだよ」

「まさか、お花見ってのも何かの符牒なんですか?」

「いや。お花見はお花見さ。桜を見ながら、飲んだり食べたり。でも今日は酒は飲めないよ。代わりにこれを使うんだ」

桜木の手に、小さなパッチが手渡された。Wクラス記憶強化薬。反ミームを知覚し、記憶を強化するための薬品で、副作用は――

「副作用は、酔う事」

桜木はパッチを見ながら、確かめる様に呟く。

「桜が、反ミームなんですね」

千代巳は満足げに頷いて、告げた。

「さぁ、覚悟を決めようか。見えない桜を見にいこう!」


「お、来たか、チョミちゃん!」

何もない工事現場にたむろする集団から、一人が立ち上がって大きく手を振った。

「油山2さん、もう来てたんですか。仕事は?」

「今日はオフだ、営業の方も。そっちの子はどうしたんだ、新人か?」

皆の赤らんだ顔が一斉にこっちを向いたので、桜木は深呼吸してから会釈して話し出す。

「今年配属になりました、フィールドエージェントの桜木です。千代巳さんのエリアオフィスでの勤務になります、よろしくお願いします!」

皆の大きな拍手と共に、皆が口々に話しかけてくる。皆一様に顔が赤い、出来上がってるようだ。

「ってことは、チョミちゃん初めての後輩か!」

「後輩欲しがってたもんなぁ」

「よろしく、桜木!」

「チョミさん、あの子、お花見は?」

「これからこれから。パッチは渡してあるよ」

Wクラス記憶強化薬。そう言って渡された小さな正方形のシールのようなそれは、財団の開発した貼るタイプの薬物だ。記憶処理に注射を使っていた時代もあったようだが、現在は軽い記憶処理であればこのパッチで事足りるようになった、らしい。だが、どれだけ座学で聞いてはいても、自らに一般の現代科学で説明されていない薬物パッチを貼り付けるのにはそれなりの勇気が要った。

「桜木、記憶強化薬は袖をまくった場所に貼ると良い。痕が少し目立つからな」

「了解です」

覚悟を決めて、パッチを手首の裏に貼る。その瞬間、水面から顔を出したときのように、音や光、感覚のレベルが「上がった」。まるで秋の夜のように、様々な知らない虫の声がする。見たことの無い色に溢れている。

そして、目の前に、皆がたむろしているその真ん中に、大きな桜が立っていた。

限りなく黒に近い、土が焼け焦げたような幹。限りなく白に近い人肌のように、柔らかく艶やかな花びら。風もないのに、ざぁぁと花吹雪があたりを舞っていた。圧倒され、呆然と立ち尽くす桜木に、千代巳は笑って告げる。

「ようこそ、世界の裏側へ」

「これ、この桜が全部反ミームなんですか」

「そうだよ。人間が知覚できない、覚えていられないものの大半がこれで解る様になる。この桜もその一つだ」

桜木は、花を褒める語彙を持っていなかった。ただただ、美しいと思った。こうやって記憶を強化しなければ、見る事すらできない桜を美しいと思った。

「綺麗だろ」

「はい。あんまりお花見ってした事無かったんですけど、これは」

少しでも色彩が無くなれば、花弁と樹は白黒にさえ見える。あまりにも強いコントラストに隠された仄かな色を見たことで、世界の全てが鮮やかに見えるかのようだった。

「綺麗です」

やっとのことで呟くのが精いっぱいだった。

「改めてようこそ、桜木くん。これから、サイトでよろしく」

ぼうっと見惚れる桜木に、わらわらと花見中の職員が近寄ってきた。研究職、エージェント、その横は機動部隊の隊員だろうか。職員達は口々に自己紹介したり雇われた経緯を聞いたりと、記憶強化薬の副作用で少し雑な歓迎会が始まったのだった。

一段落した頃。

桜木はビニールシートに座って、少し赤くなった顔に水の入ったペットボトルを当てていた。副作用か、歓迎会の余熱か、体が少し火照っていた。その隣に千代巳が座って、おつまみを差し出す。

「お疲れ様。大分酔ったか」

「副作用なんですかね。熱いですけど、まぁ問題は無いです」

「酒と違って記憶強化薬の副作用は弱くはならないからな、慣れるしかない」

はい、と返答をため息とともに吐き出す。気付けばずっと桜を見ている。綺麗だ、と思うたびに、大きく息を吐く。そういえば、千代巳に聞きたいことがあるのだった。

「そういえば、この桜は反ミームなんですよね。放っておけば誰にも知覚されずに収容できるんじゃないですか?」

「いや、放っておくとな、逆に強烈なミーム性を帯びるんだ。本来桜が無い場所に桜が見えたり、夢に桜が出てきたり。末期的には、夢遊病のようにここに集まる。かつて桜があった、この場所にね」

かつて。千代巳はそこを強調した。となると、今見えているのは。

「昔、ここにあった桜が見えているんですか」

「うーん、どうなんだろうな。ここにかつて立派な桜が咲いていた、という事実はあるけれど、それがこんなに美しい桜だったのかどうかはもう解らないんだ。大分昔に焼けてしまったようで、残っているのはモノクロの写真が数枚。だからね、この桜は、誰かの記憶の集合体なんじゃないかと私は解釈してる」

花吹雪が舞う。視界を覆うように、無いはずの桜がざわめく。ようやく、桜木はこの歓迎会の本当の意味が解った気がした。

「チョミさん、この歓迎会は……収容プロトコル、ですか」

千代巳は目を少し見開いて、ニヤっと笑った。

「どうしてそう思う」

「放っておくと駄目だ、と言っていたので。定期的に、桜に目を向けなきゃいけないんじゃないですか?」

千代巳は頷きながら続きを促す。

「論理的では無いですけど。こんなに綺麗な桜がもう存在しないなんて、ってふと思って、それで気が付いたんです。じゃぁ、幻でも良いから見えるようになれば、って。だから、放っておくと夢にまで出てくるようになる。実体のない桜が、自分を見て貰おうとして。だから、こうやって定期的に見ることで、桜が出てこなくても良いようにしてるんじゃないかって」

「あとで言って驚かせようと思ったのに。でも大体同意見だよ。この歓迎会はプロトコルの一環だ。他にも色々やってるけど、基本は桜を見る事。それでこの異常は広がらない」

見られる桜と、見る人間。一方通行のような奇妙な関係性は、実は桜の方が欲していたのか。それとも、そう想像してしまう、人によって桜の亡霊が作られているのか。

「私はね、これは人が作ったんだ、と思う」

抱いた疑問を見透かしたように、千代巳は呟く。

「年々、桜がモノクロに近づいていく気がするんだ。数枚残った、写真の色に。誰かの記憶の中の桜が、ゆっくり色あせていくように」

ざぁぁ。

頷くように桜は揺れる。実体のない花弁が落ちて、ほどけるように消えていく。

「これから不思議なものをたくさん見るよ。怖いものも、危ないものも。でも、こういう不思議もあるってことを知ってて欲しかったんだ」

千代巳の真っ白な横顔に、副作用か、ほんのり赤みが差している。普段気付かないような色にまで、全部気付いていく。

「これからよろしく、桜木」

改まって、千代巳は右手を差し出してきた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

白く細い千代巳の手と、少し日に焼けた桜木の手が、しっかりと握手した。

きっと、この奇妙なお花見のことは、生涯忘れないだろう
それは、記憶強化薬のせいではないのだろう。

きっと。

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