クレジット
本記事は、CC BY-SA 4.0ライセンスの下で提供されます。これに加えて、本記事の作成者、著者、翻訳者、または編集者が著作権を有するコンテンツは、別段の定めがない限りCC BY-SA 3.0ライセンスが付与されており、同ライセンスの下で利用することができます。
「コンテンツ」とは、文章、画像、音声、音楽、動画、ソフトウェア、コードその他の情報のことをいいます。
アイテム番号: SCP-5294
オブジェクトクラス: Neutralized
特別収容プロトコル: SCP-5294の性質や死亡時の状況に関する情報を含むことが判明した全ての残存文書は、機動部隊タウ-9 (“本の虫”) によって押収され、全ての目撃者にクラス-A記憶処理が施されます。SCP-5294の切断された頭部を発見する努力が進行中です。
説明: SCP-5294は19世紀初頭に存在した、高齢のヒト女性を連想させる体格をした起源不詳の異常実体でした。SCP-5294の最大の特徴は腰背部から生えた長い尾であり、目撃者からはRattus norvegicus (ドブネズミ) のそれに似ていたと語られています。この尾は全長約8mで、先端には直径およそ3cmの大きな眼球がありました。SCP-5292は直径約3mに及ぶ巨大な木製のスプーン(SCP-5294-1)を所持していました。SCP-5294がその柄に座っている間、SCP-5294-1は機動性を発揮し、最高時速50kmで飛行することが可能でした。
考古学的証拠は、SCP-5294がマサチューセッツ州ブラウンズボロー旧市街の7km遠方に位置する████████森の中で、人里離れた狭い小屋に住んでいたことを示唆します — 小屋からは炭化し、部分的に消費された形跡がある複数のヒト幼児の遺体が回収されました。1808年から1809年にかけて、年に2~4回ほど、SCP-5294はSCP-5294-1を使ってブラウンズボロー市に飛来し(概して24:00から03:00の間)、民家の屋根に着地しました。SCP-5294はその後、自らの尾を煙突に潜り込ませ、家屋内のヒト幼児を捜索しました。尾が生後18ヶ月未満の幼児を発見すると、SCP-5294は口と鼻の周りに尾を巻き付けて窒息死させました。SCP-5294は児童の遺体をSCP-5294-1の掬い部分に入れてから飛び去り、通常は一晩で3~5人の児童を回収しました。
当時の全米確保収容イニシアチブ(ASCI)の規模と予算がごく限られており、かつブラウンズボロー市が比較的孤立していたため、ASCIはその捕獲直後までSCP-5294を認知していませんでした。SCP-5294は1809年9月、一連の幼児誘拐事件と、SCP-5294の特徴と一致する容姿の存在(口語的に“鼠尾婆”Granny Rat Tailと呼称された)が民家の屋根に降りるのを見たと主張する複数の目撃者が出たことに続いて、ブラウンズボロー市警察の注目を集めました。
捕獲: 1810年11月、SCP-5294は地元の大工 ジェームズ・ウォーカーに捕獲されました。ウォーカーの幼い娘は前年に失踪し、SCP-5294による誘拐が疑われていました。ブラウンズボロー市の多くの家庭と同様に、恐らくはSCP-5294を混乱させるため、ウォーカー家は布地と藁で作った即席の人形を小さな揺り籠に入れて暖炉の傍に配置していました。
01:00過ぎ頃、目覚めたジェームズ・ウォーカーは、SCP-5294の尾が即席の人形に巻き付いているのを発見しました。ウォーカーはSCP-5294の尾を押さえ込み、短い格闘の後、木板張りの床に釘付けにすることに成功しました。ウォーカー氏の弟であるエイブラハムが警察に通報し、間もなく駆け付けたブラウンズボロー市警の警察官2名がウォーカー家の屋根からSCP-5294を回収しました。SCP-5294の尾の付け根には歯形が残っており、逃亡のために尾を嚙み切ろうとして失敗した可能性が指摘されました。SCP-5294は逮捕され、現地の拘置所に連行されましたが、SCP-5294-1は押収され、後日焼却処分されました。
捕獲の翌朝、医師たちはSCP-5294の尾の負傷が一夜にして治癒していることに気付きました。SCP-5294はナサニエル・ゴーハム裁判所で裁判にかけられ、妖術を使った廉で有罪となり、死刑判決を下されました。
無力化: SCP-5294の終了は複数回試みられました。SCP-5294はまずマサチューセッツ州法に従って絞首刑となりましたが、首が数ヶ所折れたのを立ち会った医師が確認したにも拘らず、依然として意識と歩行能力を保っていました。その後、SCP-5294は木製の杭に縛り付けられて火炙りにされ、結果として生じた炎は各種の不自然な色合いに輝いて、見物人に深刻な片頭痛と吐き気を引き起こしたと伝えられています。SCP-5294は第4度熱傷を負い、激しい苦痛の兆候を示したものの、死亡しませんでした。
SCP-5294は最終的に断頭され、その身体が異常な速度で腐敗してゆくのが観察されました。SCP-5294の頭部は、心臓と肺から分離したにも拘らず、意識・発声能力・移動性を維持しており、報告によれば処刑の担当者たちから飛び跳ねて逃げようと無益に試みました。SCP-5294の頭部は破壊不能と判明したため、木箱に封印され、未知の場所に埋められました。SCP-5294が現在まで意識を維持しているかは分かっておらず、切断された頭部を回収する試み(SCP-2733の運用を含む)は全て成功していません。
余波: 全米確保収容イニシアチブは数日後にブラウンズボロー事件を把握し、SCP-5294関連情報を含む全ての新聞、手記、裁判記録を押収しました。SCP-5294の知識が広範囲に拡散したことから、ブラウンズボロー事件は全米確保収容イニシアチブに前例のない規模拡張と連邦政府提供資金の増額をもたらしました。SCP-5294の知識を封じ込めるためにあらゆる努力が為されたにも拘らず、神話・民俗学部門は“鼠尾婆”とブラウンズボロー事件の伝説や典拠の疑わしい物語が今日まで伝わっているのを確認しています。
1811年から1812年にかけて、ブラウンズボロー市では異常なほど多数の流産と死産が発生し、70名以上の市民が出産時に死亡したとされています。数多くの新生児が1つ以上の異常な奇形を持って生まれ、中でも最も多く見られた特徴は、頭部の欠如と齧歯類のような長い尾の存在でした。季節外れの旱魃とそれによる凶作の後、町は1814年に放棄されました。