寒い夜だったし、もう6時ごろには外が暗くなってくる季節だった。兄さんはもう家の中に入っていた — 街路灯が動かされてからというもの、僕らはお互いに投げたボールをほとんど見る事が出来ない。
北フロリダというのは、大抵の人たちが考えるよりも寒い。父さんの空軍の仕事の都合でクレストビューに引っ越した時、僕はヤシの木を、学校終わりにビーチに出るのを、僕の速球がフロリダの大きな学校の一つから注目を引くのを思い描いていた。けれど、代わりに待っていたのは寒い夜だ。僕のパーカーは辛うじて寒気を寄せ付けなかった。僕はガレージの床に座り、ドアの開閉ボタンを見つめていた。
そのボタンは何かおかしかった。僕が見つめている時間が長いほど、それが存在しているとは思えなくなってくる。今夜は、これを見るのに費やした連続3回目の夜。母さんは僕がイカれたと思うに違いない、もし家に居たとすればだけれど。長時間労働だ。僕が野球の奨学金を得る事が出来れば、母さんも、今回ばかりは心配する必要はないはずだ。
でも、それは有りそうもない事だった。僕の防御率は…悪いのだ。スライダーを高く維持することが出来なかった。始めて以来、一人のスカウトも来た事が無い。CHS1は強豪ではないけれど、結構いい歴史がある。僕は自分の役割をしっかり果たすことはできなかったし、他に何をすべきかを全く知らなかった。僕の成績は抜きん出たものではない。たぶん、ただ短大に行くか、あるいは何でもいいから見つけられる仕事に就くことになるんだろう。
たぶん。それまでは、この開閉ボタンを見つめ続けることができる。どういう風にしてか、これは光を吸い寄せているように見えた。本来そうあるべき姿ではなかった。
サイコーだ、千マイルだって走り通せるような気分だった、それほどにラリっていた。完璧な完封試合だ。クレムゾン大学のスカウトマンも、あそこに居たはずだ。
チームメイトにもみくちゃにされながらも、僕はスタンドにウェイが居るか確認していた。何故かは分からない。最高の瞬間だっていうのに、僕はまだ自分が持っていないものを探している。今夜は、勝利のことを考えながら眠ることはないだろう。彼女のことを考えることになるはずだ。
これが、試合後にジョーダンの家に行った理由だ。彼の父さんは仕事で外に出ていたから、僕らにはペットボトル入りの安酒やら、誰かのiPodドックから流れてくるくだらない音楽やら、気晴らしがたくさんあった。
たぶん4杯か5杯ぐらい飲んだだろう。州大会に出られるんだ、そうとも、僕の投球が完全試合を決めてそれを成し遂げた。僕を責めることが出来るか?
ベロベロに酔って運転中の18歳少年が木に車を衝突させた時点で、責めるの責めないのは大した問題ではなくなった。病院で意識朦朧とした合間に見えるぼやけた瞬間では、そんなことは重要じゃない。何人もの人が僕にチューブを繋ぎ、針を突き刺した。集中し続けるのもやっとだったが、ベッドに手錠で繋がれているのに気付かないほどひどく失血してはいなかった。
グローブ箱にマリファナを隠しておくには悪い夜だった。今日起こった全てにとって悪い夜だった。ウェイが一緒に病院にいてくれればと願った。彼女はきっと、何もかも大丈夫だと言ってくれるだろうから。
次に意識を取り戻した時、僕はガレージの前に立っていた。ホーム・ユニフォームを着ている。グローブも嵌めている。全世界が、ドアの開閉ボタンと同じぐらい間違ったものに見えた。
ガレージドアが上がり始め、機構がキリキリと軋んだ。反対側に立っていた、くたびれた雰囲気の男が、靴から順に姿を現した。
「大丈夫とは言えないようだな。こうなるはずでは無かった。」男はぼんやりと、事も無げに言った。
何も言わないのがベストだと思った。
男は続けた。「君に知らせる事が出来たのだよ。君の夢は一度として低められたことが無かった。あるいは、少なくともそうなるべきではなかったのだ。だが、我々には…投資家という者がいる。」
何も言わない事は助けにはならなかった。「一体何の事を話してるんです?」
くたびれた男は足元のボールを踏んで仰け反り、溜息を吐いた。「よかろう。君は、ビジネスの株式を購入するための証券取引所を知っているかね。事業が上手くいけば、投資家は支払いを受け取るというわけだが?」
彼は答えを待っているように見えた。僕はそっけなく頷いた。どうして僕は病院に居ないんだ?
「さて、君は人に対しても投資できる。物事にも。アイデアにもだ。とりわけ生涯の夢ともなれば比類のないアイデアでもある。私のクライアントは君のヴィジョンを見たのだよ、ターナー・フィールドのマウンド上に立ち、打者を見据える君をね。彼は君を頼りにしていた。」
「僕、何だかよく—」
「君に多額の金を賭けたという事さ。そしてこういう時に、私のような実際に行動を起こすアクショナーが雇われる。取引をしようじゃないか。君は病院のベッドへ戻り、この夢から覚めて、手錠を掛けられて終わる道を選ぶこともできる。あるいは、私と取引をすることもできる。」
彼は事故のことを知っていた。どうやって? そもそもこの出来事全てがどうやって起こってるんだ? 僕は、聞かせてくれと言った。
「私には、君を遥々メジャーリーグまで連れて行くことが出来る。想像してみるがいい。」
「貴方は何を得るんです?」
「まぁ、私たちは、私たちが必要とするものを得ることになる。いいかね、君たち人間は目覚めの世界に生き、夢の中に見るものを達成しようと望んでいる。失ったものを惜しみ、それを夢の中に見る。私たちは夢から来たのだ。私たちには、君が起きている時間が必要なのだよ。君が投球していない時、私たちは本物の地上を、固い大地を、君の立場で歩くことが出来るのだ。」
僕は、彼が言った事を考えた。失ったものの夢。僕は母さんに全力を尽くさせる負担だった。ウェイももう僕に話しかけてはくれないだろう。そして今、野球が、僕に残された最後のものが、終わった。ただし、ある事をしなければ。
「取引するよ。」
次の瞬間に憶えているのは、ブルペンの外に歩み出ていたことだ。群衆の中で、数百人分の歓声が上がった。マイナーリーグ・パークだ。くたびれた男の声が拡声器から響く。
「ブルーワフーズ初出場の選手の登場です、右投手、エリス・カナストータ!」
どうやって此処に来たのか思い悩む事は無かった。僕はただ、打者を見据えて投げ放った。