言葉亡き声(記録用: http://scp-wiki.wikidot.com/the-voice-without-words)
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カレフハイト、狩人達の街


カレフハイトは移住者達によって様々な名前がつけられたが、住人達が使う碑銘は一つだけであった。ガイヤの狩人達は、聖なる塔の与える居住地は外部の者に相応しくないと考え、都市の境界へと踏み込む者は追い出してしまった。この街はそこに住む住人のものであり、去る者は部外者の烙印を押されることとなる。それが、ガイヤの流儀なのだ。

それでも、自分の運命を熱心に追求しようとしていたヤキは、部外者の烙印を誇らしげに背負って、冷え切った廃墟を後にした。彼女は振り返る。一瞬だけ、娘のカエダの事が頭に浮かんだが、すぐにではなくとも、彼女も分かってくれるだろう。

やらなければいけない事なんだ。


疲れた様子の目がカエダの視線を受ける。彼女とペリタスは国境の向こう側の世界を見て、共に帰ってきた。ペリタスはため息をついて、肩を落とすと、彼の槍は彼の体を支える棒となった。「僕は掟を尊重しないといけない」と囁いた。

ペリタスはカエダと数年の夏を経たか否かの差しか無いが、彼はそれ以上に老けて見えた。彼の歩くたびにふわふわと揺れる髪は、日に日に白髪がふえ、額の皺も深くなっていった。その顔にはかつての戦いで出来た二つの傷跡があり、片方の耳は真っ二つに裂けていた。

今でも、カエダはこの男に憧れの念を抱いていたが、その前に言わなければならない事があった。

「ガイヤは忠誠心に報いるわ」彼女は彼の肩へ手を置き言うには「友よ、お前は私に忠誠を尽くすか?」

ペリタスは目をぱちくりさせ、口をへの字にした。彼は再び、国境の先を見つめていた。カレフハイトは安全だ。新人類が闊歩し、古きサイトゥの周辺で大量消費を行う世界よりも遥かに安全である。それに西方は無知であり、旧人類の信仰していたイデオロギーを維持しようとしていた。彼らは知識の渇望に目が眩み、恐れをなしていた。何故なら彼らは、殆どの人が一生のうちにお目にかかるなんて無いようなほどの権力や資源を際限なく持っていたからだ。

よそには、遊牧民である「ライダー」がいた。アビルトとトリックスターである神ヨークを信仰している。カエダは彼らを寓話の中でしか聞いたことはなかったが、ペリタスの国境の先を調査している様子には、彼らが寓話以上の存在であると思わせてくれる何かがあったのだ。

まぁそんなことはどうでもいい。

「ペリタス」彼女の声はかろうじて囁き声よりは聞こえるくらいだった。 

長いため息をつき、ペリタスは彼女に背をむけ、「僕は掟を尊重する。君のため、そして全ての狩人達の為にも、君にはそうして欲しい」

「じゃあ、あなたも掟を破ったりしないと言って」

ペリタスは肩越しにカエダをチラリと見て、首を振った。カエダはペリタスを罵り、石を投げつけたが、彼は歩く事を辞めなかった。

「さようなら、ペリタス!新たな道を築く者よ!」

ペリタスは足を止める。「僕は自分たちがガキの頃から君のことを知ってるし、君が掟を破る事の意味も、同じように」

「それは違うわ。彼女はわざと掟破りなんて事しない。彼女は戻って来れない!御書の護り手達は……」

「御書の護り手と彼らの戦争はヤキの決断と何の関係性もないよ」

「さようなら、新たな道を築く者、ペリタス」

「僕は決心したよ、カエダ。君はどうなの?」

神の塔へ何かが衝突した音が、彼らの注意を引いた。ペリタスはカエダを一瞥すると、槍を低く持った。彼女の心は沈みきっていたが、なにが起こったか調べる為に走ってくる彼を止めはしなかった。

カエダは彼を追いたい心を抑えた。自身を神の塔へと引き戻そうとする力に抵抗して見せたのだ。ペリタスを置き去りにした罪悪感を今度は相手にしながら、彼の無事を祈った。おそるおそるだが、カエダは歩みを進め、国境を超えて一歩進んだ。柔らかい砂がカエダの足元で蠢き、バランスを崩してしまう。彼女はカレフハイトをじっと見つめ、ナイフを握りしめると、東へと進んでいった。

カエダは空気を吸いこむと、鼻にしわを寄せる。乾燥した血に埃、腐ったような臭いもなく、綺麗すぎるほど綺麗だったのだ。周りを囲むような壁もなく、足元にだってゴミは殆ど無い。世界は開かれているのに、カエダは閉塞感を感じるだけであった。

大地の轟音にカエダはしゃがみ込み、空を見上げた。ペリタスに見られたらどう思われてしまうだろうと考えると、ペリタスが目の前にいないことに初めて感謝した。カエダはこの地響きの原因を探ろうとしたが、原因らしきものは見つけれなかった。

そして彼女は、地平線上にその姿を目にした。

埃で出来た雲が彼女の後ろにある廃棄物の上を進んでいる。
だが、その様子はどこかおかしいように感じられた。まるで大量の生き物が集まって、彼女の方へ押しかけてきているかのように鼓動していた。トリブルスでさえ、あの量の砂塵を蹴散らすなんて出来はしないだろう。カエダはナイフを強く握りしめ、歩幅を広げ、歩き続けた。

何度も感じた事だけれど、カエダはペリタスが一緒にいてくれたらと思った。

夜の訪れは、カエダの予想よりも早いものだった。彼女の体は、埃の中に潜む生き物達に捕まらないようにする為だけに駆り立てられていた。だが、彼女は既に疲れていたのだ。ひとりぼっちで480キロもの道を歩いたが、御書の護り手達は彼女の手の届かないところにいた。彼女の足は燃え、肺の中は砂で瞼は重くなっていた。雲など、遠くの点に過ぎなかった。

この場所では、旧世界の残骸が荒野の砂丘よりも彼女を取り囲んでいた。

旧世界製の金属板と布は、十分な積み木となった。必要なものを集めるのに数分、粗末な小屋とベッドカバーを作るのに数分を要しただけであった。木をナイフで切り、小さな火を起こしてその側で丸くなっていた。街ほどの安全さは無かったが、自身を取り巻く金属製の壁に、彼女はささやかな安心感を得ていた。荒野の生き物達でさえ、彼女を構いはしなかった。

大地を通る水のように思考は流れていったが、その全ては「肉の道」に言及していた。カエダは、ヤキの旧世界出身の師匠達がその点に到達するよりも前にこの世を去ったように、肉体と筋を操る術を知らなかった。

この手段はカエダとその母の間で守られていた。「肉の道」に関する知識は滅多に手に入れる事のできない神聖なる贈り物であったからだ。カエダは子孫にどうやってこの道を教えようかなどと考えていたが、その事を頭の隅へ追いやると、自身の目的に集中した。

砂塵が迫ってくる。

カエダは立ち上がると、火を踏み消した。彼女の体は落ち着こうよと叫んでいたが、彼女は痛々しい足取りと荒い息を気にも留めなかった。彼女は目をこすりながら肩越しに、迫り来る砂塵を目にした。あれだけの砂を撒き散らしたそれは彼女の予想よりも遥かに速かった。それに、勢いと振動が彼女へ襲いかかり、カエダは疾風のごとく走った。

翌日、太陽が昇ると、カエダの足はより熱さを帯びた。頬や腕には汗がたまり、服を汚していった。彼女の肺は機能を失う寸前までになっていた。

砂塵も今では小さくなり、地平線上の数粒の砂よりも辛うじて大きいといえる程度であった。

古びた塔はカエダの休めるような日陰となっていた。彼女は東の地のことばかり考えていたが、その目は地平線を見据えていた。カエダは一息つくと、一歩下がり、その塔の構造を調べ始めた。

その塔は旧世界のものであり、その石組みは、自由に塔を建てるアルカイトのような人々にとっても、カエダにとっても想像を遥かに超えたものであった。カエダはしばらくの間塔を歩き、端までたどり着いた。扉のある方には、彼女の読めない言葉が書かれていた。

カエダの後ろで笛の音が風に乗り運ばれ、それに続いて足音が聞こえてきた。

「あなたは?」声の主は尋ねる。

振り返ろうとしたカエダは、背後から殴られ、膝をついてしまった。

「もう一度聞くね、あなたは?」声がした。若い女性の声だった。カエダは、この声の持ち主は14、15年目の夏を過ごした事がないくらいだと考えた。耳の後ろから血が流れ、カエダはうずくまった。

「カレフハイトのアル-カエダね」彼女はそう囁いた。

「カレフハイトのアル-カエダ、ここには何の用で?」

カエダは再び大地の轟音を感じた。雲が迫り来て、百の馬の鳴く声が、歓声と共に風に乗り伝わりきたのだ。カエダは声の主をちらりと見やると、地平線の方へ振り返った。

「数日前に、私に似た女性がここを通るのを見てない?」

「私は知らないわ。でもね、彼らなら知っているかもしれない」 

声の主は、迫り来る砂塵の雲を指さす。その雲の中に、馬の背に乗り、背が高く、人間離れしたものが槍を手に持つ姿をカエダは目にした。彼らの乗る馬は歯を食いしばって、目の前の地面に唾を吐いているようだった。彼らが近づくにつれ、カエダはライダーの一人の笑みは、黄色い歯を尖らせ、邪悪で歪んだものであるのを見た。

寓話は事実であったのだ。

彼女は立ち上がると、声の主の肩を掴んだ。「今すぐ、我々は行かねばならない!」

カエダは再び少女を見ると、首筋が凍りつく。腕の皮膚には鳥肌が立ち、膝がガクガクと震えるのを感じた。カエダはまたしても、地面に座り込んだ。

「カレフハイトのアル-カエダ、それは出来ないの」少女はカエダの体を引きずり、塔にもたれかからせながら、そう説明する。「私たちは掟を守らないといけないのよ」

カエダは立ち上がろうとしたが、彼女の足の筋肉は衰えてしまっていた。声を出したくとも、声が出ない。百の馬と戦士達の接近に、大地の唸り声は地震であるかのように大きくなった。意識を保とうと彼女は心の中で戦ったが、時間が経つにつれてその戦いに勝つことはより難しいものとなっていった。彼女が意識を失うと、その間に自分の身が馬の背に乗せられるのを感じた。

ライダーの一人が号令をかけ、彼らは出発していった。


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