不在七景
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「すみません、ウチじゃあお取り扱いできないんですよ。」
日が昇ってから160回目に訪れた窓口での対応は、謝罪の意を述べてから本題に立ち入るという随分人道的なものであった。

「そうですか。では、冊子だけでもいただけないでしょうか。前の所で、この階ならまだ切らしていないかもしれないと伺ったのですが」

繰り返しは非常に無駄が多いが何も得られないというわけでは無い。繊維は同一箇所へ繰り返される摩擦によって強度を失い、天然ゴムの靴底は繰り返される歩行によって緩やかな傾斜を成し、繰り返し尋ねる来訪者には
「申し訳ありません。その冊子も此処にはありませんので。」

同じ事実を繰り返すのみの受付から、他の窓口への誘導が与えられる。


 
 

「何も変わってないじゃ無いですか。」
擦り切れた袖口でガラスをこすって見ても、中に入っているファンシーグッズのような生き物に変化は見られない。

「本当にこれで来月のプレゼン生き残れるんすか?」

一体このセリフを何回口にしただろう。初プロジェクトで気負わなくてもいいと言えども、やるからには上の覚えが良くなるような成果を求めるのは当然だ。それだというのに向かいに座っているこれまたくたびれたYシャツを着たあの野郎はこちらに顔すら向けていない。

「何回も言うが、目に見える所ではもう変える部分がないのだよ。そもそもこの形は機能性を高めるものであって、衆目を楽しませるものでは無いのだ。」

プレゼンってのは、見た目のインパクトであると言いきった5分後にそれを言うのか。

「大切なのは、分かりやすく繰り返される良質アピールだ。だが我々の仕事はそれだけで良質なアピールポイントの塊であるからにして、足りない部分は繰り返しのみ。アピールポイントの量産こそ着手すべき問題だったのだよ」

「で、具体的に何を?」

「この試作品の繁殖能力の強化だ。プラスティックの変換効率を10倍に高めたものを使い、効果的な繁殖を行う。上の方々にもキュートな彼らを手にとって貰えれば、魅力は充分伝わるはずだ!」

この話が終わったら、他のラボを訪ねてみよう。ここより技術的に上のグループは少ないが、贅沢は言っていられない。
「で、その繁殖したキュートな彼らはどこにいるんですか?」

今ばっかりは質より量だ。


 
 

「まぁ、ウチは量より質で通してっからな!」
豪快な笑い声が宴会場を満たす。最も部屋の半分は荷ほどきの終わっていないダンボールで埋め尽くされ、さながら倉庫のようであったが。
「しかし参ったねぇ。引き際に大見得切ったって先方が納得しないんじゃ、おまんまの食い上げみたいなもんよ」
引っ越しに駆り出された経理課マダムたちのお喋りは現実的だ。
若い女の子達は得意先に菓子折りを持って回っている最中でここにはいない。製品の納期が遅れていることを謝りに行った社長の尻拭いである。

「みなさんを楽しませるレジャーを扱う企業だとお聞きしましたが、おたくにこの状況を楽しもうという気概はないのですか」

外回りのたびにこのセリフを先々で聞かされる身としては、まったく楽しくない。謝りに行った女の子もとんだ災難だ。
「あれ、ちゃんと完成するのかね」

オバちゃんの1人が、ちらりと目をやった先の金庫に「使用中」のランプが灯っている。さっきから静かになったと思ったがどうも場所を移しただけらしい。あまりの手間に生産が追いつかず、挙句試作機のダミーモデルしか持ち出せなかったというのに、壊したらどうするつもりなんだか。

「まあまあ、真剣にやってきたからたまにはガス抜きも必要さね。人間遊ぶ余裕がなくなりゃ終いよ。」
そうやって笑うお局たちの周りに積まれたダンボールの山は、まだ全然減っていない。


 
 

やぁみんな。楽しかったね。

これで終わりなのかって?
とんでもない!

みんなもいっぱい遊んだら疲れるだろう?少しお休みしないとね。さぁ深呼吸だ。おーけー?

いや、もう少しまってくれないかな?みんなを楽しませるのもラクじゃない。よろこぶお友達がいないとなればなおさらさ。やつらをおこらせるのが生きがいのやつもいるけど私はそうは思わないね。

なにかが足りないんだよなぁ。

まだもう少しまってくれないかい?
わかるよ。楽しいことはいっぱい楽しむべきだ。でもね、真剣に考えることも大切だとおもわないかい?考えてからやり始めれば、もっといい結果になるはずなんだ。途中で放り出したりしなければ、もっといい結果になったんじゃないかな?何よりあっちはそうやってるんだよ。そこの所は真似しないのかい?

……さぁ!お待たせ!今からまたいっぱい楽しもう!

いいのかって?

そうだね、また、後でみんなで考えてみようか


 
 

「全員で考える必要はない。全身の細胞に思考する能力がないことが証明だ」

風邪を引いているはずの友人は、やけにはっきりとした口調でこう言った。窓の外では寒風が吹き荒んでいるというのに、微塵も日あたりを感じられない部屋の中には暖房器具含め家具の類は全くなくなっていて以前の面影は微塵もない。

「そりゃ人と細胞を同列に論じるのは無茶でしょ。維持のための規模が違いすぎる」
口がうまく動かない。それほどこの部屋が寒いのだ。厚手のフェルトコートを着ているに寒さが染み込んでくるのが感じられる。

「なんでヒーターまで売ったんだよ。夜逃げでもするのか?」

「我々が得たものは完全には程遠い。頭数を揃えるには相応の空間が必要だ」

高熱で出して死んでいたら事だからと、教授に頼まれたはいいが、ここまで悪化しているとなると運ぶにしてもどうすればいいのだろう。いや、ふらつかずに立っているから電車には乗れるだろうが、妄言を撒き散らす人間は公共の場では歓迎されない。

「わかったから。風邪人がベラベラ喋るんじゃねぇ」

「不快か」

「なに笑ってんだよ。お前の話聞いてたら頭が痛くなってきた。」
こいつをつれて一刻も早くこの部屋から出よう。電車に乗って、そこから頭数を揃えて、それから、

それから?

「落ち着こう。冷静に考えようじゃないか」
コートを脱いで、姿勢を整える。冷気のおかげで不快感は軽減された。
日が当たらないというのも、案外悪くはないのかもしれない。少なくとも今は。


 
 

「いつまで日陰者を気取るおつもりなんですか」
ずいぶんとぬるくなった茶をすすってから、本題を切り出す。色付きのぬるま湯を日本茶と呼べるのであればの話だが。

「なんや、まだなんか言われてんのかお前。ほら、あそこの。催眠科」「記憶処理部門です。もう何十年もたってるんですからいい加減覚えてください」
「すまんのう。年や。年」
こちらの髪の毛にも白髪が混じりだしたというのに、目の間の干し柿みたいな顔の爺さんは相も変わらず元気である。いくら高齢化社会だからと言って、ここまで年季が入った顔はご町内の噂になりそうなものだが、本人のペテン(自らそう呼べと言っている)のためか、はたまたそんなもんに構っている暇すらないのか、今のところ敬老会の取材が来たことを除き、稀代の呪術集団の残党は静かに暮らしている。
「こんなおじん働かせといて、なんやけったいな口を利くのぉ。」

「勝手にそっちが気取っているだけです。こちらは一切認めていませんし、やってることに呪術的な動きを伴うのなら、いくら弁解したところで2人まとめて処理されますので」

「あっちももうずいぶん耄碌してもうてるからなぁ。」
「ですから、いいかげんこちらの方への合流も検討していただけないですかね」
「なぁ、お前かてわかるやろ。もうこの年から新しいこと始めるのしんどいねん」
こんなやり取りの繰り返しは若いころは苦痛でしかなかったが、今となっては干し柿の言うことが身に染みる。こうやって自らが赴く仕事というのもめっきり減ってしまった。表の車で待たせている若いのは、明日から転属だといっていた。フロント企業の所属まで変わっちゃって大変なんですよと、運転しながら笑っていた。

「もう日ぃ暮れとるなぁ。なーんもせんまま今日も終わり」
本当はやるべきことなど、我々には残されていないのかもしれない。ただ、暇つぶしのために、毎日を繰り返す。
「こっちで足用意するさかい、表の子は早よ帰したりな。どうせお前もやることなんてないんやろ」
干し柿が台所に引っこんでいった。きっと何かを仕込んでいたのだろう。
何をしにここまでやって来たんだか。懐から端末を取り出し、蓋を開いて

いや、最近の端末は蓋なんてついていないんだったな。


 
 

「はーい、戻りましたー」
ウェストバックから取り出したタバコを投げると、バンの後部座席に滑り込む。普段なら予備のカメラとバッテリーが積みあがっている4列目も、今日は人を乗せてもあまりある余裕を生み出していた。

「台本ないの?」「企画書だけっすわ。ロケメインじゃなくて、あくまで本業の方を優先で」
「だからカメラ予備つんでないんかぁ」「あるにはあるんですけどちゃっちいですよ」

スライドドアを閉める。乗った人は驚くのだが、あくまでカモフラージュのための中古設備なのだ。しっかりと動くレベルに整備はされている。ただ開閉時に気を付けなければ少々大きな音が鳴るので住宅街においては配慮が必要だ。

「んー?エージ君、今日は6人か?」
ジュラルミンケースの向こうから顔がのぞく。普段なら車の狭さに対して律儀に文句を言っているキノシタさんも足を延ばして座れる状況に若干の違和感を覚えているらしい。
「いや、5人です。」
「お前が運転すんの?」「あーいないんです。彼。誰かやって下さいます?」
新調した安物のメガネを鼻の上へ押し上げる。いつもと変わらぬ大量生産品だが、新しくなればやはり悪い気はしない。

「何?今回撮りにいくわけじゃないの?」「撮るんならもっとバッテリー積みますからね。説明なかったですっけ」
右にかけているショルダーからキーを取り出し、エンジンをかける。
「エージ君。ブリーフィングとかもせんの?」
出庫が難しいとよく彼はぼやいていたが、普段は爆睡しているか、用意の関係でまったく出るところを見ていない。
「社長は魚住に聞けっていうてたけどな」「そうなんですか。じゃあ紙配っといてもらえます?」
助手席のヤマウチさんにカバンをわたす。と、目の前の停車線で慌ててブレーキを踏む。

「お前カバンの中汚いわ。整頓せぇ」「使いやすいように入れてるんです。崩さんでください。泣きますよ」

高速道路の乗り口にむけ車線を変更。横入が多くてタイミングがつかめない。
「エージ、酔う」後ろの方から眠そうな声が飛んでくる。エノグチさんだろう。「しゃあないでしょ。慣れてないんです」

高速載せちゃえば、あとは簡単なんですけどねぇ。

彼はよくそう言っていた。車の運転ばかりやらされていたアイツ。ADとしてはまだまだ使えないと称されていたが、車の運転はうまかった。もっとも車の中ではほとんど寝ていたので人づてに聞いているわけだけども。

料金所のバーが上がる。
深夜の高速道路の車影はまばらで、煌々とオレンジ色のライトがともっている。
なるほど、ここまでくればあとは楽勝だ。

後部座席の方に顔をやると、ほぼ全員が起きだしていた。
「魚住。あいつ、まだ帰って来てへんのか」
ヤマウチさんが手元に目を落としながらこちらに問いかける。助手席のライトをつけなかったのは、慣れていない自分への配慮だったんだろうか。 普段なら真っ先に企画書を読んでるので、そうなんだろう。

「そうっすね。簡単にまとめますと」
目的地まではおおよそ40分。ポケットからガムを取り出す。

「”取材先”のヨド君から連絡がありました。正確にはヨド君の携帯のB・Bですけど」
あまり眠くはなかったが、ガムを一つ取り出して口に入れる。心ここにあらずでハンドルは握れない。
「ヨド君の回収が今回主な仕事っすね、あとは、いつも通りカメラ回して、音響とかも撮れるだけとります。シーバーはヨシノさん持ちで、ヤマウチさんとで連絡係おねがいします」

「なぁ、魚住。迎えに行くのに、今回は”5人”なんか?ヨド入れたら6人やん」
「そうっすね。ヨシノさん。言い方変えますわ」

「ヨド君が持ってた”箱”の回収が主なお仕事です」
反対車線からやって来たライトに意識を引きもどされる。いつも通りの道のはずだが。しっくりこない。

「ヨド君自身の回収は二の次で、というのが社長からの通達です。」
じきに慣れて来るだろう。しばらく運転は自分の仕事になる。前の時だってそうだ。
結局のところ埋まらない空きには無理にでも何かを突っ込む。そうやってここの仕事は回って行く。

時間は深夜2時。
日の昇る気配は、まだ ない。

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