死と生の狭間で
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 気が付くと研究室のソファでうたた寝をしていた。さっきまでは社員食堂で食事を取っていたが、些細な事で職員と口論になり、喉首を掻き切られて出血多量で死亡したらしい。
 私――大和・フォン・ビスマルクは、因果なことに「何かというと他人の不興を買ってすぐ殺されるが、死体を残して即座に復活する」というアノマリー属性を持っている。霊安室は私の死体で一杯であり、霊安室の主であるオダマキ納棺師は「私の死体を納棺するのは骨が折れる」とこぼしているらしい。
 このように、私は事実上不死であることから、危険な実験に狩り出されることも多い。その過程で、死に晒されることもまた多い。だが私はそのことごとくを復活によって切り抜けてきた。今では財団でも有数のベテラン職員として、嫌悪以上に重宝されている。
 ふと、私は自身のアノマリー属性について考えこむ。死には慣れた。人が朝食に食ったパンの数を数えないように、私も自身の死を数えたりしない。最初の頃は恐れ、怯え、狼狽したものだが、今では死は私の日常の不可分なものとなっている。
 だが――それは煉獄だ。普通の人間のように、一回きりの人生を精一杯生きるのではなく、死と生を無限に繰り返し、解放されることがないというのは。三界みな火宅のごとし、と、東洋では言うそうだが、私は永遠の火宅の住人というわけだ。
 正直に言えば、解放されたいと思ったことがないわけではない。死に慣れた今でも、その思いは心の隅にこびりつき、けして離れることはない。だがどうやって死ねばいいのか、私にはとんと見当がつかない。ありとあらゆる手段で殺されてなお、私はこうして復活してしまうのだから。
 そこまで考えたところで、研究室のインターホンが鳴った。ソファから重い体を起こして立ち上がり、通信をつなぐ。
『ビスマルク、そろそろSCP-████-JPの第9次無力化試験の時間ですよ』
 インターホンのスピーカーから、助手のガーデルマンの声が聞こえる。確かに、午後にはその予定が入っていた。昼食をとっている途中に殺されるというアクシデントで失念していた。腕時計を確認し、急いで向かわねばならないと判断した私は、足早に研究室を出、SCP-████-JPの実験室へと向かった。

 SCP-████-JPの実験室にたどり着いた時には、私は大汗をかいていた。お世辞にも標準体型とはいえない、いやむしろいわゆるデブと言われる体型の私は、この程度の運動でもきついものを感じる。実験開始には間に合ったが、先に到着していた研究員や助手たちが、一斉に私の方を見て嫌な顔をする。私自身が嫌われており、額から汗を流す肥満体の男という絵面がそれを助長しているのだろう。中には舌打ちするものすらいたが、ここで私なりのウィットに富んだ皮肉を飛ばせば実験前に殺されかねない。悪意の視線をどこ吹く風と流して、私は主任研究員として実験の開始を宣言する。
「グーテンターク、研究員諸君。それではSCP-████-JPの第9次無力化試験を始めよう。今度こそ、完全な収容方法の確立を達成しようではないか」
 職員たちは渋々ながらという表情を浮かべながらも、事務的かつ効率的にキビキビと実験の用意を開始した。

 SCP-████-JPはSCP-682に類似した、凶暴な爬虫類だ。全長10mのアリゲーターのような姿をしており、限定的な現実改変能力を保有している。その現実改変能力とは「過去に遡及し、自身の生命の危機を回避する」「周囲の捕食対象と抵抗物に干渉し、抵抗力を無力化する」というものだ。前記特性から無力化は困難であり、後記特性から数々の収容違反を犯している。
 特に前記特性は、「現在における自身の『死』をも消去する」というほどの遡及力を持ち、それが故にSCP-682並のしぶとさを獲得している。財団はSCP-████-JPの収容に多大な犠牲を払いながらも成功したが、完全な無力化には至らず、現在はスクラントン現実錨(SRA)による高ヒューム状態を維持した収容房に収容することで非活性化している。
 今回の実験は、このふたつの特性を封印するため、SCP-████-JPに「自身の現実改変能力を使わせない」ミームを投与するものだ。すでにSCP-████-JPは麻酔をかけられて昏睡状態にあり、ミーム投与のための電極が頭蓋へと複数突き刺さっている。
「ミームの投与を開始し給え」
 私がそう命じると、研究員のひとりがコンソールを操作し、SCP-████-JPの大脳辺縁部へとミームを投与し始める。パケットに断片化されたミームが、SCP-████-JPの脳内にインストールされていくさまが、棒グラフでモニタに表示される。パケット化されたミームは、100%インストールされた段階で結合し、SCP-████-JPを支配/無力化するはずだ。
「ミーム投与率50……60……70……」
 事は順調に運んでいるように見えた。しかし別のコンソールに向かっていた助手が、焦った口調で私に報告する。
「SRA1番から3番、機能停止。4番から6番までも機能低下」
「予備のSRAを起動し給え」
 予想外のアクシデントに、私はあくまで冷静に対処する一方、この事象について考察を巡らす。財団は無能の集団ではない。このような重篤なアクシデントが起こらないよう、二重三重にフェイルセーフが取られている。にも関わらず、このタイミングで実験に支障が出る理由はなんだ?
 その考察を遮るように、突如実験室の照明が赤く染まり、アラートが鳴り響く。
「電源喪失、非常電源に切り替え!」
「SRA全機、機能喪失!」
「SCP-████-JP活性化! 対象のヒューム値が急激に増大しています!」
 研究員たちが悲鳴めいた報告を上げ、そして収容房のSCP-████-JPがまぶたを開くとともに、分厚い防弾ガラス越しに私たちを睨みつけた。大きな口を開け、威嚇するような咆哮を上げる。
「ただちにSRA装備の機動部隊の展開要請を行い給え」
 私はさすがに動揺し、額に脂汗をかきながら、あくまでも冷静を装って指示を出す。
 だが、答えは絶望的なものだった。
「通信回線途絶! 機動部隊との連絡が取れません!」
「やむを得ん。総員退避を優先し給え。君達はかけがえのない財団の資産なのだからね」
 研究員たちが足早に避難を開始する。私はそれを主任研究員として見届けつつ、研究者として状況を理解するため、冷静さを取り戻そうと心がけつつ思考を巡らせた。
 偶然を信じるな。これはSCP-████-JPの未知の性質によるものだ。おそらく対象は、過去に遡及するのみならず、未来にも干渉する能力を持っている。自身の危機が迫った時、それを回避するため未来を改変する能力を。収容までは決定的な危機でなかったため、それが表面化することがなかったと考えうる。
 しかし、常時高ヒューム状態に置かれていながら現実改変を行えるとするならば、我々はSCP-████-JPの能力を過小評価していたことになる。だが、その過小評価そのものが、対象による現実改変の影響を受けていたとしたら? あるいは、SCP-████-JPはSCP-682同様に環境に適応し能力を進化させたのでは?
 そこまで思いが至った時、SCP-████-JPは再度の咆哮を上げた。防弾ガラスが粉々に砕け、研究室のコンソールが次々に火を噴く。これは完全な収容違反だった。
「私以外は全員退避できたようだが、少し悠長に過ぎたな」
 どうせ殺されても蘇るのだという驕りと諦観が、私の行動を遅らせ、そしてSCP-████-JPの餌食へと化そうとしていた。爬虫類の無機質な視線が私を睨みつける。私は金縛りにあったようになり、身体を動かせない。そんな私に、SCP-████-JPがノシノシと近寄ってくる。
 ――全く、私のような脂肪の塊を食っても体に悪いだろうに、難儀なことだな。
 そんな皮肉を口に出すこともできず、私は目前の死に悠然と向き合った。これも、数ある死の一つに過ぎないと、諦観を持って。死に至るまでの時間を、埒もない考えを巡らせられるほどの余裕を持って。
 そこで、私は実験前に考えていたことをふと思い出した。自身の死という状況に直面したから、連想してしまったのかもしれない。あるいは、目前の脅威の保つ特性からの洞察か。私は目前の怪物と私自身を比較し、ある考えに至る。
 SCP-████-JPは「自身の死」を過去に遡及して消去する。まさに真なる不死性と言えよう。一方で、私は死体を残して復活する。私の不死性は、私という自我の連続性、正確には記憶の連続性としてしか証明できない。実に対照的だ。
 ならば――SCP-████-JPが自身の死を抹消しているのと対照的に、実は私は肉体的な死を迎えるごとに「自身」という存在を消失しているのではないか、今の私も死を迎えれば「自身」は消滅し、「私」の記憶を持った新しいコピー人間ができているだけなのではないかと思い至った。
 ――だとすれば、それは救いだ。
 永劫に死と再生を繰り返す「自身」が存在するのであれば、それはまさに煉獄だ。だが、この死が「この私」「自身」のものであるなら、「この私」はそこから抜け出し得るのだから。
 私はその可能性に希望を覚える。「これは『私』の死だ。これは『私』の終焉だ。だれでもない、『この私』のためだけのものだ」と。SCP-████-JPの干渉によって薄れ行く意識の中で、その祝福めいた考えを楽しむ。
 やがて意識が暗転し――私は自分が研究室のソファの上でうたた寝していたことに気づいた。
「ガーデルマン、SCP-████-JPの収容違反はどうなったかね?」
「あの後、機動部隊により鎮圧、再収容されました。現在は新収容房で、SRAによる不活性状態です」
 まずは最悪の事態は逃れたようだった。私はふくよかな頬肉をかすかに歪めて問う。
「私の死に様はどんなものだったかね?」
「丸かじりです。肉の一欠片も残っていませんよ」
「それは良かった。オダマキ納棺師に迷惑をかけずに済む」
「まったく、ビスマルクは相変わらずですな」
 ガーデルマンが苦笑する。私も釣られて頬肉をさらに歪めた。
「やれやれ、またもや死に損ないか。これからも私は生と死を繰り返していくのだろうな。天国も地獄も、私には門を開いてくれないようだ」
 だが――死の直前に思い描いたことが現実なら。
『あの』私の魂は救われたのだろうし、『この』私もまた救われるのだろうと思え、満足気な笑みが顔に浮かぶのを抑えることが出来なかった。

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