Operation Picked Lily
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10/9 15:45 狙撃1班

「こちら01、定時連絡。ターゲットの高校の課業時間が終了した。じき現れるぞ。準備状況どうだ。」
『狙撃2班。04、05ともに異常無し。準備良し。』
『03準備良し。』
無線を聞き届け、ため息と深呼吸の混ぜ物を排莢する。
「緊張してますか? 一瀬さん。」
監視用の単眼鏡から目を離さずに二宮が問う。
「射撃検定開始10秒前くらいには。」
テーブルの上に二脚で固定されたサウンドサプレッサー付きのSR-25のチャージングハンドルを引き、薬室を確認。
初弾給弾良し。
閉鎖。
トン、とボルトフォワードを掌で叩くおまじない。
何時でも撃てる。
先月まで山梨の山奥で財団特製の修羅道が如き強度の講習を受け、この銃は掌が腫れるまで撃った。
佐藤司令が死亡し僕たちの機動部隊も垢抜けた近代的打撃力を身に着け、装備も技術もようやく近代的戦闘行為に敵うものになったと言えるだろう。
「相手は無警戒の現実改変者、しかも自分の現実改変能に無自覚です。グリーン殺しとは言え、イージーモードですよ。」
「射撃自体はイージーモードでも、仕損じれば現実改変による反撃で即死するかもしれない。いや、即死した方がましだった、って事態もありうる。変に恐怖心を殺そうとしない方が良い。」
現実改変者からの攻撃。脳が焼かれて死ぬっていうならまだ幸福だ。意識だけ残したままクマのぬいぐるみやらハムスターに身体を改変されて余生を過ごすのは御免である。
部隊の改変――決まった司令官を定めず、任務ごとに指揮官を各オブジェクトないし事案の担当官に直接ぶら下げる形へと機動部隊の性質が変化したため、僕たちの部隊は低脅威度の現実改変者の終了も割り振られる事となった。
今回の任務は僕たちにとってタイプグリーン狩りの初陣である。

米本部のドクターが書いた有名なマニュアルがある。
「グリーンハント・チェリーに捧ぐ三か条」とタイトルが振られているふざけたPDFファイルを、財団の現実改変者終了に挑む隊員は誰もが読む事となる。
スピード・サプライズ・バイオレンスアクション。
この国、日本では三つ目が中々用意しがたい。
爆殺がベストと示されてはいるが秘匿性、第三者への被害を考えると第二案である「大口径による脳髄破壊」を選ばざるを得ない。
銀幕に映るハリウッドスターが演じる狙撃手の一般的イメージとして、屋上でボルトアクション・ライフルを伏せ撃ちの体勢で構えている、というものがある。
湾岸戦争、イラク戦争を紐解くまでもなく、都市部での狙撃形態としての模範解答とは程遠い。
射線の通りがたい都市部において超長距離狙撃は現実的ではなく、となるとボルトアクションライフル級の精度は不要。
リカバリの効くオートマチックの7.62mm口径ライフルこそが最適解。
また、今陣取っている場所も開けたビルの屋上ではなく、ターゲットの通学ルートを望むビジネスホテル3Fの一室だ。
「撃ち下ろし」という射撃の難しさというものがある。
今手元にある弾道計算射表は米軍の物であるが、照準器のゼロインの際も計算の煩雑さから「水平射撃時の計算」を引用している。それほど「撃ち下ろし」「撃ち上げ」の補正は煩雑なのだ。初弾での殺害を企図するなら射線は極力水平であるべきだ。
よって、射撃方向が分かっているのなら、見通しの自由が利かなくとも低層階の窓からの方が好ましい。

目標は16歳女性の二人組。
二人組というのは正確ではない。
女子高生二人組のうちどちらかが強力な現実改変者であり、相方と逢瀬しているときのみ激甚な現実性上昇が観測される状態であると報告されている。
どちらかが相手に強い好意を持っており、面会の度強力な現実改変能で精神状態を操作している、との仮説があるらしいが、如何せん強力すぎるヒューム値の変化により、どちらが現実改変者か判別できていない。
財団は双方を同時に殺害すべしと判断した。
どちらがクロであれ必ず片割れの一般人を殺害しなくてはならないという汚れ仕事だ。
グリーンハント・チェリーである僕たちの初仕事にはお誂え向きだろう。
僕と二宮が狙撃一班、四谷と五石が狙撃二班として、ターゲット二人を同時に殺す。
三枝は現地でターゲットと射撃開始時にすれ違うよう徒歩で移動し、効果確認と、いざという時の保険として機能する。

1-6倍の24mm口径スコープを覗き込む。クリアな像が結ばれている。
ここ一週間の監視の結果、曲がり角からターゲットが現れるまでは、彼らの学校の課業が終わってから平均して20分後と明らかになっている。
彼我の距離は500メートル。スナイピングと呼ぶには短く、突撃銃では心もとない微妙な距離だが、SR-25から射出される7.62mmのM61徹甲弾は確実にターゲットを現実改変能諸共に屠る事ができるだろう。
手を軽く握り、ゆっくり開く。
昨晩は久々に寝つきが悪く、神経が尖っているということを自覚はしていたが、それでも十分に睡眠は取れたし体調も悪くない。後はここ数日の監視と機材、作戦の調整の成果を発揮するだけだ。大丈夫。

不意に電話が鳴る。
室内に備えられたフロントと繋がる質素な電話機。
モーニングコールやルームサービスの類は利用していないし、清掃も断り続けている。
「一瀬さん。」
「二宮は監視を継続。『こちら01、状況:イエロー』。」
部隊へ「状況停止」の符丁を流し、受話器を耳に当てる。
フロントの従業員の女が外線が入っていると言い、電話が取り次がれた。
外線の通話相手も、また女の声だった。
『そちらは、”酒井・近森パートナーズファシリティー”、の一瀬様でよろしいでしょうか? 』
挨拶も無く僕の名前と当作戦で使用しているフロント企業名を言い当ててくる。
イニシアチブを握りたいらしい。
「ええ、SCPファシリティーの”市ヶ谷”と申します。」
普段使いの偽名を名乗る。
『市ヶ谷、はは、なるほど、いい名ですね。』
「そちらはどちら様でしょうか。」
『申し遅れました、私、連合のカノエと申します。』
電話線の対岸にいる女は、GOCを名乗った。
「……そうですか。して、用件は何でしょうか。生憎こちらは仕事中です。」
『そのお仕事についてなのですが、中断してはいただけませんか? 』
「何故です? グリーンの排除はそちらの組織の主目的でもあるでしょう? 利害が一致しているはずだ。」
『貴方たちはスタート地点から間違っている、とだけ言っておきます。これは助言でもあります。不要な徒労を背負うのは白痴のすることです。』
「相手に言うことを聞かせたけりゃもう少し言葉を濁さず説明することですな。こちらは現実的な企業でして、貴社の社員ほど吟遊の教養が無いものですから。」
『ドイツ製品は良いものです。猟銃も、腕時計もです。いい趣味をお持ちのようだ。』
受話器を持つ左手の腕時計――ドイツ製のG10ミリタリーウォッチ――がズシリと重くなったような錯覚を覚える。
見られている。
「SR-25はHK社じゃなくナイツアーマメント製です。ドイツの銃じゃない。」
『ええ、こちらもアメリカ製のモノを用意しております。』
カノエと名乗るGOCエージェントは、こちらの揚げ足取りを軽くいなし「同等の武装」を暗に示してきた。
「カウンターの用意があるということでしょうか? 」
カウンタースナイプ。
狙撃手殺しの準備が、向こうにはある。
『想像も、判断も貴方にお任せします。調査によると優秀な部隊長殿でいらっしゃるようなので心配はしておりません。最良の判断を。』
電話は一方的に切られた。

「……こちら01、”状況:ホワイト”。」
プランBへの移行を部隊へ知らせる。
二宮は既にライフルをケースに収め始めていた。


10/9 15:45 狙撃手「リオ」

「カノエさん? 向こうは撤収しているようです。」
「妙な部隊と聞いています。最後まで油断せぬよう。保護対象に加害する兆候があれば速やかに粛清を。」
「シュクセイね、ハイ、分かりましたよ。」
GOC極東支部の特殊立会人であるエージェント・庚の刺々しい声に、やせた中国人の男はうんざりした表情を浮かべた。
GOCの仕事を外注された無名の兇手である。
今や治安の改善、都市の風俗の洗浄により居場所を失った元チャイニーズマフィアの中年の男性。
使う偽名は山ほどあったが、いずれも自分の名ではなく、自身の本名が何なのか、本名らしきものが与えられたことがあったのか、すら定かではない。
最も多く使う機会が多かった偽名は「リオ」だった。
古い映画の引用だったが、誰かにそれを指摘されたことは無かった。

保護対象の若い女二人組はここを五分後には通るだろう。
平和な国で生まれ育った間の抜けた二人組。
しかし殺される謂れは無いように思えた。
彼奴等――庚女史は「ザイダン」と呼んでいた――が何者であれ、きっと碌な連中ではないのだろう。
こいつを殺せ、という仕事は山ほど受けたが、こいつを護れ、という仕事は初めて受けたと言って良い。最初こそ肌に合わぬ仕事だと歯が浮くような心持だったが、一か月ほど彼女たちの護衛じみた監視業を続けていればちょっとした愛着もわいてくるというものだった。
……死んだ妻との間に子供を授かっていればあのくらいの歳になるだろうか。

つまらぬ幻想に首を振り、ザイダンの狙撃手が居た部屋に銃口を向ける。
レミントンのM700
護衛対象が如何に遠くから狙われようとこの豪胆堅牢なボルトアクションと熟達の技術があれば彼女たちが凶弾に倒れることはあり得ない。
スコープ越しに空室が見える。数分前まで人員の慌てた様子が見て取れたが、どうやら本当に撤収してしまったようだ。
あとは彼奴等が居たホテルの前の裏路地を彼女たちが通るのを待つだけ――。
思いつつ老人がスコープを予定された進路に向ける。
保護対象が通る予定の道に、財団の狙撃手がガンケース片手に立っていた。


プランB。
要注意団体あるいは不明存在からの非異常性、あるいは低異常性の長距離攻撃を受けた際の作戦。
僕、一瀬がターゲットの通学路にて妨害者を狙撃する。
妨害者は高い確率でターゲットに我々、「ヴェールの向こうの人間」を隠したいはずである。
僕がここ、ターゲットたちが数分後に通る場所に陣取っている以上、「極力」殺傷したくないはずなのだ。
そして妨害者は、ターゲットを有視界で追うことも目標としているはずであり、裏を返せばここからなら妨害者を視界に捉えられる。
視界に捉えられるのなら、射撃することができる。

「全員聞こえるか、敵狙撃手を死ぬ気で探せ。僕が死ぬ前にな。」
ターゲットの通う高校が課業終了してから15分が経っていた。
『こちら03、ランデブーの時刻が迫っています。時間にリミットを設けましょう。』
一ブロックほど向こうにスーツ姿で立ちスマートフォンを弄るふりをしている三枝が具申する。
「了解、あと2分だ、諸君。」
『こちら02! 茶色い外壁のアパート7階中ほどの部屋! 一瀬さんから見て6000! 』
さっきまで居たホテルの非常階段で隠れながら索敵していた二宮が敵影の位置を報せる。
「了解。」
ガンケースの取っ手を持ったまま蓋を開け、そのままライフルを引っ掴む。
マグをポケットから取り出し装填し、念のためチャージングハンドルを引くと、未撃発の7.62×51弾が空を舞ったのがやけにゆっくりと見えた。
光学照準器の倍率を4倍に引き上げる。示された位置へスコープを向けると、こちらにライフルらしきものを向ける人影を捉えた。
照準器のミルドットスケールで距離を概算する。600m……あるいはそれ以上。
「600m、撃ち上げ、仰角30度。補正何ミルだ? ニノ? 」
手元に射表は無い。記憶と勘を頼りに暗算しつつ二宮に問う。
パキ、と枝がはじけるような音が左耳数十センチから聞こえた。
敵狙撃手の初弾が近傍を通過したソニックブーム音。
次弾は命中すると直感する。
『マイナス3、いや、保険で2くらいです。』
僕の推量と全く同じ値が帰ってきた。
「ああ、僕もそう思うよ。」
ダイヤルで補正する時間が惜しい。スコープに刻まれたスケールで偏差補正する。
初弾発射。
効果を見届けず二発、三発と窓に撃ち込む。
「02、効果どうだ。」
『射手沈黙。同室にいた人影が引っ込みました。』
「良し、射点に戻る時間が無い。僕は撤収する。プランBの通り狙撃2班と03で任務続行。」
全員分の返事を聞き流しつつライフルをガンケースに収め、身を起こしたところで眼前の曲がり角に女子高生二人組が現れた。間一髪。
ぞっとしながらも自然にすれ違わんと歩き出そうとして、足元に未撃発の実包を見つけ、拾い上げる。さも小銭か何か拾った風にポケットへとライフル弾を収めた。

『03準備良し。』
『04減秒する。5秒前、4、3、2、1、発射、発射。』

パキ、パキ、パキ。
ビスビス、ビス、ビス。

遠距離から飛来したライフル弾のソニックブーム音と三枝のマカロフ拳銃の作動音が同時に聞こえた。
振り返り、任務達成を確認する。

「どこに、行った? 」
最初に口を開いたのは誰だったか。
確かに脳を破壊され、終了したはずの女子高生二人組の死体は、どこにも見えなかった。
血痕も、彼女達の所持品も、何ら痕跡を残さず、ターゲットは消えてしまっていた。


10/16 15:45 機動部隊さ-9 隊長 一瀬一

先週の「作戦中断」から一週間が経っていた。
渉外部門を介してカノエと名乗るGOCエージェントがコンタクトを取ってきたのがつい昨日のことだ。
呼び出され、三枝と共に向かった現場近くの県立病院は決して新しいとは言えない建物で、夕闇に包まれた廊下は夜の山中のような底知れなさがあった。
指定された個室には三枝を一回り縮めたような、小柄な女が待っていた。
傍らのベッドには人工呼吸器に繋がれた少女が眠っている。
「お初にお目にかかります。連合の、カノエです。」
「ファシリティーの市ヶ谷です。」
「「盗聴ワイヤー」はされていません。隠語は不要です。」
「用件は何でしょう? 」
単刀直入に尋ねる僕に、カノエは視線をベッドへ移して返事とした。
「彼女が、一連の出来事を起こしていたタイプ・グリーンです。」
「射殺したどちらの少女とも合致しない人間に見えますが。」
ベッドの上の少女は酷く痩せていて、白百合の蕾のような血色をしている。
ターゲットはどちらも、快活なティーンエイジャーだった。
「そもそもこの子はグリーンではなかった。彼女は生まれてこの方意識を覚醒したことがありません。代わりに彼女は形而上の目を持っていた。」
千里眼クレアボヤンス」三枝が答える。
「御名答。」
カノエは続けた。
「彼女は恐らく十数年、この病院の周辺の様子をひたすらに視て回った。それが喜びに満ちた観測だったのか、絶望の中の探求だったのかは、彼女から聞くしかないですが、それは叶いません。」
無言を以て続きを促す。
「そしてある時彼女は近所の高校の少女たちを視た。快活で、情熱的で、どこか空虚な十代の少女たちを視てしまった。そして思ったのでしょう。『私もこういう人たちに成れたらいいのに』。」
僅かに空いた窓の外から、学生が喚く声が聞こえる。
「千里眼を持った人間が現実改変者になったという事例は僅かに有りますが、非存在の人物を複数創り上げる事例は今回が初めてでした。我々は当初から彼女たちが両方とも非存在実体であると推定し、彼女たちを創出した存在をトラッキングしていました。しかし、あなたたちが彼女たち――虚像を粛清、終了しようとしていることが分かりました。先週の時点で、追跡はあと一歩というところでした。そこで虚像への攻撃というイレギュラーな事象はあまりに望ましくなかった。我々も用意できる現行世代における最高戦力を投入しました。しかし、あなたたちはそれを打倒した。お強いのですね。おめでとうございます。」
皮肉めいたカノエの言葉に、隣の三枝から殺気じみた気配を感じる。意外と沸点が低いやつなのだ。
「幸い虚像への攻撃による不測事態は起こりませんでした。我々は順当に、当現象の本体に行きついた。彼女が元凶です。」
「して、我々が呼び出された理由は何でしょうか。」
「最低限の挨拶です。盲目の子羊が迷う様は、ほんの少し哀れですから。」
カノエが眠る少女の首元に手をかざすと、心電図がアラームを鳴らす。さっきまでテンポよく心拍を刻んでモニターしていた機材のパネルには、心肺停止を示す表示がなされていた。
「最も軽易な呪詛の一つです。痕跡は残らず、自然な心停止に見えることでしょう。」
カノエは自身の手の甲に貼っていた付箋を剥がし、丸めて口に入れ、飲み下した。
「すぐに医師が飛んでくることでしょう。貴方たちもおうちに帰ると良いです。」
「なぜあの時、それを報せなかった。分かっていれば殺し合いをする必要は無かったろう。」
廊下へ続くドアを開けるカノエに問う。GOCの雇ったと思われる身元不明の暗殺者が、僕の射撃で死亡したことはAARで知らされていた。
「ふふ、そんなの、できればあなたたちに死んで欲しかったからに決まっています。」
壮絶な微笑みを残して、GOCエージェントはドアを閉めた。

少女は夕日を浴びながら眠り続けているように見える。
医師が駆け付けて部屋を追い出されるまで数十秒間の猶予があった。
窓の外で子供たちが騒いでいるのが聞こえたから。
彼女と彼女達の生涯を想像しようと試み、ありもしない冥福などを祈ろうかとも考えたがどちらも無意味だと思い至り、溜飲と共につまらない感傷を噛みしめ、飲み下す。
枕元に飾られた百合が、自らの花弁の重さで折れているのが見えた。

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