◆
◇
◇
座ってください。警戒の必要はありませんよ。予定していた日程よりも装備の合わせが早まったのも、今日に限って扉の向こうに警備の部隊がいないのも、どちらも別にあなたを取って食べるためではありません。その理由はただ、あなたの事を認めるという意思を示す為だけです。
これよりあなたは我々にとって共に戦う仲間となります。上司と部下、親分と手下の関係ではなく、もっと漠然とした対等な仲間です。そんな相手に強烈な上下関係を刷り込めば後の憂いを招くでしょう。ですからその椅子に座ったからといって座面が電撃を発して拘束される事はありませんし、お手元の書類は追跡マーカーを仕込むための特殊紙ではありません。
ええ、確かに以前はそうしました。その時のあなたには信用が無かった。しかし今は違います。あなたが望めば私はすぐさま死ぬのかもしれませんが、あなたはそんな事を望まないはずです。違いますか?
そうでしょうとも。だからこそこの場を用意しました。では改めて。座ってください。オリエンテーションを始めましょう。
以前お話しした時、私はこのように言いましたね。『この世界ではあなたのような既知の法則に縛られない存在が人々を今も害している。それを止めるためにどうか力を貸してほしい』と。あなたは頷いてくれた訳ですが、しかしやはり、全てを信用できるわけではないはずです。なぜ最初からそうしなかったのか。どうしてここまで囚人のように扱われたのか。それが分からない限りは信用は得られないと考えています。
ですからまずは、経緯をお話ししておきましょう。
財団が生まれてすぐの頃、あなたのような異常性、一般常識とかけ離れた性質を持つ生き物は研究が終われば適切な処置が施され、サンプルとして保存されていました。危険な存在を抱え込むのは危険だという事もありますが、コストカットの面もあったでしょう。生物を生きたままに保つのには多大なコストがかかります。初期の財団は規模も小さく、余裕もさほどありませんでしたから。
ところがある時、それに異を唱える者が現れたのです。彼の提言はしっかりと記録に残っています。読み上げましょう。
『いつか我々の手に負えない事態が起きた時に、それに対抗するための力が必要だ』
投機の考え方と同じですね。コストカットの泥沼で如何にして人間を守るかを考えた結果だったのだと思います。コミュニケーションを通じて、あるいは利害の一致によって、あなたのような異常存在が頼れる味方となってくれる未来に彼は希望を見たのでしょう。そして『パンドラの箱』と呼ばれる機動部隊が作られました。記録によればその部隊は異常存在を中核に据え、メンバーの選定や訓練のセッティングすらも異常存在が行ったといいます。
詳細は省きますがこの試みは最終的に失敗し、以て異常存在の利用は重大な禁忌となりました。けれど彼の提言から構築された手法、生物を生かしたまま収容する体制は今なお受け継がれています。標本でない生物の収容に伴って設立された、黎明期の小さな倫理委員会が守り抜いた数少ないものの一つです。
そして今、我々は正常な社会を保ち続けるための不断の努力によって武力を磨き、知識を掘り出し、資金力を手に入れました。それこそ生物を生かしたまま収容するのが当たり前の事となる程度には。様々な場所に目を配り、手を広げる事ができるようになり……そしてどうなったと思いますか?
足りないのです。手を広げれば広げるほど、視野を広げれば広げるほど、如何に我々の力が不足しているかが浮き彫りになっていきました。その度に我々は力を求めた。より恐ろしい現実に立ち向かうためにより強い力を。より深い知識を。それらを形にするためにより多くの資金を。研究によって一般社会よりも遥かに進んだ科学力を手にし、隠されるべき歴史を知り、拠点を増やし、人員を集め、それらを用いて部隊を組織し……そしてその度に、何もかもが足りないという現実に否応なく直面したのです。
強大な力を持った異常存在が現れる度に死者が出ました。我々の中からも、巻き込まれた一般人からも。全てが明るみに出かけた事も一度や二度ではありません。その事実を我々は幾度となく隠蔽してきたのですよ。どうです。身勝手な話でしょう。誰にも求められていないのに出しゃばってきて、失態だけは必死に隠そうとするのですから。
皆その矛盾に気付いていました。けれど見て見ぬふりをしていたのです。我々の力が足りないからだ。もっと力をつければそんな事は起きなくなるのだと。そうして先延ばしを繰り返し、気付いた時にはあまりにも多くのものを抱えていました。全てを明るみに出せば人間社会は崩壊すると断言できてしまうほどに。やり直す事もできず、さりとて進む先もこのままいけば行き詰まる。
だから我々は禁忌に手を伸ばしたのです。
最初に認めたのがどこだったのか。今となってはそれは重要な事ではありません。異常存在をメンバーとする多くの部隊が設立されるようになりました。しかしながらその殆どがその後解体されています。命令拒否ややりすぎによる不祥事も多々ありますが、それ以外の原因は訓練や実践の繰り返しに起因する異常性の変化、成長によるものです。あまりにも重用しすぎた結果、彼ら自身が手に負えない存在になってしまったのですね。元の木阿弥、ぬか喜び、ミイラ取りがミイラになるというやつです。
……ですがね、裏を返せばその1度か2度は完璧に機能していた。重要なのはそこなのです。
さて、それでは本題に入りましょう。
これからあなたが所属する部隊、機動部隊ゐ-0は、あなたのような、人間を守る意志がある異常存在によって応急的に構成されるチームです。構成員は一定でなく、求められる役割すらも発生する事態や地理関係によって変化します。より詳しく説明しますと、常に抱える多数の候補者から時と場合によって適した人員が招集され、そうして即席で組まれた部隊が機動部隊ゐ-0の名で事態の対処に当たるのです。
我々はこのシステムによって先に述べた問題をクリアしました。出動の機会をできるだけ減らし、いつまでも制御可能であってもらう事によって継続的にあなた方を運用するというコンセプトです。そしてここには、常に最適な部隊を用意する事によって被害を最小限に抑えるという狙いもあります。
この部隊の設立に際して付いた絶対条件は大きく分けて3つです。
現場での規律を保つ以外の目的で訓練を行わない事、必要があれば各人員に適切な記憶処理を行う事、そして出動した上で事態が解決せず、その責がゐ-0にあると認められた場合、隊員と出動を要請した責任者の両方に罰則を課す事。
分かりますか。あなたが出動したならば、事態は必ず解決されなければなりません。
あなたはこの部隊で、人々に悲劇をもたらす災厄と戦う事になるでしょう。苦しい戦いを強いられる事もあるはずです。それでも戦っていただかなくてはなりません。あなたに求められる役割は私たちでは代替不可能。他の選択肢など私たちは持たないのですから。
ええ、不安に思うのは分かります。けれど明らかに無理のある要請は我々と、そしてあなたの収容責任者が弾きます。世界を救えるワイルドカードを無為に消費するのは私たちにとっても決して好ましい事ではないのです。
……まあ、そう言われても不安でしょうからもう一つ伝えておきましょう。先ほど、異常存在の利用を提言した職員の考え方を私は投機に例えましたね。投機がそうであるように、当然あなたを収容するのにもそれなりの額がかかっています。食費、電気、水道、ガス、清掃、その他異常性へのフェイルセーフ等の多岐に渡るあなた専用の設備投資。言わば家賃とも呼べるそれは滞納され続けているのです。滞納されているものは返済されなければなりません。そして、お分かりですね。それを払うのはあなたです。
あなたたちは機動部隊ゐ-0、またの名を"家賃滞納者"。溜まったツケはきっちり返していただきます。その代わり、返済が行われる限り我々があなたたちを守りましょう。我々はキャッシュ、クレジット、電子マネーの他、労働払いも認めていますのでその点についてはご心配なく。
では、お時間となりましたのでオリエンテーションを終了します。迎えを呼びますのでお待ちください。数分もしないうちに機動部隊が来るはずですから。
……第3実験室です。お疲れ様です。終わりましたのでオブジェクトを移送願います。輸送機の用意は?了解しました。はい。すぐに。ええ、はい、失礼します。
さて、これであなたも晴れて機動部隊ゐ-0の一員です。何かご質問は?……そうですね。基本的に任務で招集される場合はあなたが候補に上がった時点で通知されます。そして決定した際に再度通知があり、概ねそこから2時間以内に出動するような流れです。
ああ、なるほど。気づいていただけて助かります。その通り、初任務は今、これからです。だから合わせを済ませた後でそのまま装備を持ってきていただいた訳です。準備は万端のはずですよ。そのように手配していますから。
作戦資料についてはお手元のものになります。上から4枚目までは飾りですので破り捨てても構いません。騙したようですみませんが、これも部隊に課せられた条件でして。機密漏洩のリスクを槍玉に挙げる者がいますからね。まあ今回に関しては事前通達も無かった事ですし、もしも不安が大きければ今からでも出動を見送らせるように働きかける事もできますが……
助かります。では何か分からない事があれば帰りのメディカルチェック時にでも申告してください。それではまた。今度も檻の外で会える事を願っています。新たな滞納者に祝福あれ。
ああ、それと。なるべく過払いをお願いしますよ。期待しています。
◇
◆
◇
よう、突然の事で困惑したろ。ちょっくら説明が欲しくなってるところじゃないか?分かるさ。普通はそういうもんだ。オリエンテーションが終わったと思ったらコンテナに乗せられて空飛んでるんだぜ。大層なお題目ばっか並べられても今の状況は分かんねえわな。まあそこら辺は後で上長にでも聞いてくれ。俺から説明するものはたったの三つ……味方に殺されないためのレクチャーパート1と、味方に殺されないためのレクチャーパート2、そして味方を殺さないためのレクチャー……そうだな、『俺たちが繋いでいくべきもの』とでも言っておくかね。
あ、おい。そっぽ向く事ないだろ。悪かったよ。真面目にやるって。こういう役って毎回ある訳じゃないからカッコつけたくなるんだよ。だがまあ、まるっきり嘘って訳でもないんだ。知っての通り、俺たちが所属する部隊の名前、『機動部隊ゐ-0』そして『家賃滞納者』ってのはあくまで箱の呼び名でしかない。駆り出される現場や相手によって招集がかけられる奴も変わってくるから、誰がその箱に入るかはその日が来るまで分からない。今日一緒に戦ったからって次も一緒とは限らない訳だ。
だからこういう世話を焼くのさ。俺が教えてあんたが教えて、そうして生き残った誰かが俺を助けてくれるかもしれない……ってな具合でな。誰が始めたかは知らないがそうやってずっと続いてるお節介だ。要はあんたが受けた職員さん方のオリエンテーションと同じだよ。あんたも次は別の奴にこのお節介を繋いでいってくれたら嬉しい。
とっくに知ってるかもしれないがこれまでも何度かこういう事があった。職員さん方の手に負えない事態が起きた時、俺たちみたいなのが独房から出されて事態の収拾に当たったって事例がな。俺らの中じゃ誰の手にも負えない事件が起きたある時、とある俺らの先輩が駄々こねて暴れて勝手に解決しちまったのが始まりだって言われてる。実際どうかは知らんけど。おい。呆れなくたっていいじゃないか。こういう話って得てして尾鰭が付くもんだろ?
ともかく、この部隊には人間を守るために働くつもりのある奴が集められてる。それも職員さん方の言うところの異常存在、普通の人間には無い何かを持った奴らばかりが。俺たちは普段は檻の中にいて、たまに外に出されてヤバい状況を解決するために戦う。そして全てが終わったら元の檻へと逆戻りだ。
だから、そう、今思い至ったみたいだが、あんたの懸念は正しい。このコンテナは最前線に向かってるんだ。訓練所とか拠点とかじゃなくヤバい状況になってるまさにその場所に向かってる。乗り込む前に貰った資料には目を通したか?まだか。作戦目標と状況のデータの他に一緒に戦う仲間のパーソナルデータが入ってる。見られるうちに必ず見ておけ。今回はいないみたいだが、時には何か特別なルールを破った相手を無条件に攻撃するような奴がいる事もある。本人の意思に関係無く周囲を攻撃しちまう奴───例えばどういう事をしたらダメかを尋ねる事自体がアウトな奴だって存在する。プライバシーがどうとか言ってると味方に殺されるぞ。
それでも納得できないようならそういう生き物なんだと思うといい。嫌がる毒クラゲの触手を自分からニギニギしておいて、死んだからって文句を言うような奴があるか?要はそういう話だよな。感謝しとけよ。偉大な先人たちのおかげであんたはそういう間抜けにならずに済むんだからな。
ここまでが味方に殺されないためのレクチャーパート1だ。パート2はもっと感覚的な、言ってしまえば心構えの話になる。いいか、絶対に英雄になろうとするな。俺やあんたが今朝まで独房の中にいたように、俺たちは人間として扱われちゃいない。
あいつらは俺たちを閉じ込めるべきバケモノだと思ってるし、実際俺もこうやって仕事した後で確保した対象ごとまとめて輸送されそうになった事がある。噂を聞いた限りでは背中を撃たれた奴もいる。作戦エリアの外に降ろされて脱走の疑いをかけられちまった奴もいるそうだ。
オリエンテーションではなんて言われた?確かに職員さん方は不可能な任務から俺たちを守ってくれるだろうさ。金や体面を気にするようなお偉いさんなら殊更に。だが、俺たちにそういう理屈が通じない現場レベルの悪意から身を守る手段なんざ無いし、悪意をもって俺たちを害する手段は星の数ほど存在するんだ。
あ?何でそんな事をするのかって言えば、まあ、そりゃあ俺たちが人間じゃないからだろうな。宇宙人だって言いたいんじゃない。職員さん方にとって俺たちはまだ『オブジェクト』だからだ。機動部隊ゐ-0ってのはそういうバケモノを都合良く使うための箱なんだよ。敵になりそうなら捨てられる。俺たちはハナから全然信用されてないって事。
組織がどうあれ人間はただの人間でしかない。目で見た物と聞いた話が全てって訳だ。俺たちの目覚ましい活躍はあいつらにとっての恐怖に転じる。ここら辺の話は知ってる奴に聞ければ良かったんだが、生憎誰も彼も殉職済みって話だそうだ。それ以上の事は分からない。殉職したって話すら本当なのかどうなのか。まあ確かめようも無いんだけどな。
愚痴になるが……どうにかできなきゃ大勢が死ぬようなヤバい時だけ近くの場所から掻き集められ、用が済んだら独房の中に逆戻り。戦場に立つにしたってろくすっぽ訓練も受けられず、メンバーはほとんど毎回初対面の寄せ集め。はっきり言って俺たちが置かれる状況はいつだって最悪で劣悪だ。そして決まって退路は無い。俺たちの出番は失敗すれば死ぬような状況の方が多いんだ。お前は透明になれるんだからバレずに潜入して来い、ただし道中には殺人レーザーが満載だ、とか、お前は馬鹿力が出るんだから落ちてくるクジラの一頭や二頭ぶん投げてみせろ、ただし1週間連続で、とか。やるにはやるが無茶振りだよな。普通の人間は持ってない力があるからって出来合いの特効薬扱いされてる訳だ。それにだ。考えてもみろよ。なんたって俺たちは『家賃滞納者』なんだぜ。こんな名前じゃどんなに働いてみたところでタダ飯食らいだと思われ続けるってもんじゃないか?……嫌になったって結局戦わなきゃいけないのが使われる側の辛いところさ。
だから英雄になろうとするな。俺たちが戦うのはそんなラベルを貼られるためじゃないし、そんなもんが貼られる時は来ないだろう。そりゃあ褒められるのが嬉しくないって訳でもないが、俺たちが戦う理由はそこじゃあない。人間を守る。愛すべき人々の暮らしを守る。明日彼らが安心して眠れるように邪魔する奴を今日の内に片付ける。俺たちはそのためにここに来たんだ。あんただってそうなんだろ?だから腐るな。罵られたってニヒルに笑え。『ツケといてくれ、いずれ払う』ってな。
……いい返事だ。じゃあ最後の一つ、味方を殺さないために必要な事を教えておく。もしも、もしもだ。今回知り合った奴が次会った時にあんたを忘れてたとしても、決して突っ込んだ話はしようとするな。そういう奴は大抵知ってたら死ぬような物を知っちまったか、何か調子に乗ってやりすぎた奴だ。そういう時は記憶処理───記憶を弄って消し去る技術で元の状態に戻すんだ。万が一思い出させたらあんたも同じ目に遭うかもな。でもまあ、ちょっとくらいなら大丈夫だろ。話してたら相手がうっかり死んじまったなんて洒落にもならない。
質問は?……いや、目標地点に着いたらしい。悪いな、続きは後にしてもらおうか。必死こいて手すりに掴まれ。このコンテナはポイントに直接投下される。そのために頑丈な奴と再生する奴しか乗ってねえんだ。言ったろ?資料を見ておけってさ……いやすまん。見てる暇も無かったよな。今言ったから許してくれ。
まあ、それはともかくとして。行こうぜ、先輩。あんたとまた会えて嬉しいよ。
◇
◇
◆