落とし噺:木彫りの熊
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えー、先日久々に日光に行ってきたんですがね、やはりあの彫刻はいい。特に眠り猫は有名ですが、やはり名人左甚五郎が掘った彫刻ですから、どれもこれも動き出すような迫力を感じます。
左甚五郎と言いましては、飛騨の甚五郎が訛って左になった、余りに腕が良かったもんで、地元の大工に右腕を切り落とされたから左と名乗った、右に出る者がいないから左の号を与えられた、なんていろんな話がありますが、腕が確かなのは間違いない。落語にも時たま出て来ては、やはり彫った彫刻が高値で売れたり、動き出したりしますから、よほどの名工だったのでしょう。皆さんも見に行ってはいかがですか、まぁ、ここにも名人がいます。彫物は出来ませんが、噺で魅せて行ければと。

……今日は生憎の雨でございまして、どうもお客さんの入りがあまりよろしくありませんな。まあ、バケツをひっくり返したような雨と言っても物足りないようなものすごい雨ですから、しかたねぇ。
それでも、こうして舞台から見渡すとお客さんの顔が良く見えて……あぁ、見えないほうが良かったかもしんないな。

ついつい失礼なことを申しました。しかしながら美男美女ってのは昔っから得なもんで、どうしても差が生まれちまうんですねぇ。どこかで聞いた話だと、人間の本能がそうなっているから仕方がないと。だから、妥協して結婚した夫婦はお互いに愚痴を吐くようになっちまう。私も日頃から言われてますからね。家に居るより、早く演芸場に行け、お前の顔を見るよりドラマを見たいから、なんて今日も言われました。え?お前は女房の愚痴を言わないのかって?そんなことしませんよ、私だってまだ死にたかないんです。うちの女房は、いいとこが多いですから。例えばね、えーっと……あれ、出てこねぇなぁ。冗談です、私には勿体ないくらいの気立てのいい女房ですよ。

ところで、男と女の話ってのは落語にゃあ欠かせないものです。ダメな夫としっかり者の嫁、花魁と客、不逞の関係、なんてのは昔からよくある噺、けれど変わらないものだから今でも愛されているんでしょう。ただね、今日はお客さんが少ない。普段と同じ噺をしても面白くありませんで、今日はちょっと特別な話をさせていただこうかと。雨も滴るイイ女、なんて言葉があるくらいです、ちょっと艶っぽい話を一席。




今の時代は女性の社会進出だー、なんてよく聞きますが、ある種江戸の世は女性が社会進出していたと言えるかもしれません。ご奉公がありますからね。ただね、これは自由に選べるわけではありませんで、どんなにいいとこのお嬢さんでも、そろそろ年頃かなとなるとご奉公にあがらなきゃいけない。娘が嫌がろうと、親が嫌がろうと、大名が「これこれの娘を奉公にあげよ」と言ったのを断るわけにはいきません。

娘を連れて行かれる親も悲しいんですが、そこは江戸っ子、見栄がありますもんで、「名誉なことだ、しっかりやれ」と涙を見せずに送り出す。まぁ父親ってのは特に娘に弱いもんですから、毎晩酒を飲んではあの子は大丈夫だろうか、元気にやっているだろうかと涙を流すわけです。
一方の娘はおとっつぁん、おっかさんと泣いているのもその内に、仕事を覚えて大人になっていく。武家奉公ってのはやはり同じく連れてこられた娘ばかりですんで、あたしもそうだった、頑張れば帰れるなんて励ましあいながら頑張るわけです。

ただねぇ、大人になるってことは異性への興味も増していくってことです。今の子なら学校がの出会いがありますが、奉公はそうはいきません。女ばかりで、武家の奥は男子禁制ですから出会う機会もありません。
それでもどんどん年頃にはなっていきますから、どんどん不満は溜まっていく。こりゃあ中々に難儀なことです。

そこに目を付けたのが四目屋。いつの世も聡いヤツはいるもんで、そうした需要にいち早く気づいて、そうした用途の薬やら道具やらを売り出したんですね。これがまた中々に繁盛しまして。ま、人間には欠かせない欲ですから当然ですわな。
で、奉公に出てる女の人が特に買ってくのが、型張と言いまして、えー、なんと申しましょうか……まぁ、男性の倅を模した木彫で、今も売ってるものと用途は同じです。
で、こういうものを買うということはとても難しいんでございましてね。えー、いきなりピッタリの型が見つかるわけもありませんので、小さい型から出して、ご覧にいれるんですな。

「あの、もぅ少し大きなのを。」
「もう少し……」
「あと少し……」

「お嬢さん、もうこれ以上大きなものは無いよ。」

「そのように言われても、これでは貧相にございます……」

なんてくだりがあったのかは分かりませんが、こんな感じでこれなら、と思うようなのを自分で買っていく。
まぁ、煙草を吸う人が我慢して、禁煙パイポで我慢するというようなわけで、型張を使って我慢する。
これはしようがないことですよねえ。誰が苦情を言えるものじゃない。そこへ直れっ、っていうようなわけにはいかない。あくまで自分で、一人で収めてることなんですから。
こればっかりは人間である以上普通の行動で、どんないいとこのお嬢さんでも変わりはないわけです。

でまぁ、ある時にいいとこのお嬢さんが許しが出て、奉公を終えて家に帰った後、体調が優れなくなりまして。どうも吐き気が酷くてずっと横になっている。
勿論両親は心配して、急いで医者に娘を診せますと、なんと医者が言うにはお子が出来ている。つまりは妊娠しているというわけです。これには両親も、特におっかさんなんかもう気を失うほどでして、もう家じゅうてんやわんやの大騒ぎ。

「お前は、なぁに。ね、お屋敷に何しに行ったの。」

「行儀を習うために、ご奉公にあがったのでございます。」

「なーんです。赤ちゃんなんぞ、出来て。一体相手は誰っ。」

相手は誰だと聞かれたときに、下向いて、顔を真っ赤に赤くして、畳にのの字を書きながら、

「そんなことは、あたしは、しない。相手なんぞは、ありません。」

「相手がなくって、お前、赤ん坊が出来るわけがないじゃないか。」

「あたしは、熊しか使いません。男なんぞはいません。」

「熊ってなんだい?まさか、角のオンボロ長屋に住んでる熊公のことか?あの野郎、人の娘に手ぇ出しやがって……」

「ですから、あたしに相手なんぞおりません。」

そう言って娘がおずおずと差し出してきた木箱を調べると、出てきたのは木彫りの熊。それも、股間の所に立派な張型が付いたもの。

「お前、いくら何でもこれは大きすぎはしないかい。それに、何でわざわざ立派な熊の木彫りについてんだ。」

「御つくりになってくれた先生が、せっかくなら大きなモノを持っていそうな動物を付けておいたと仰っておりました。女性には張型は見えない様にしておいたから、飾っておいてもおかしくは無い、と。」

「はぁ、そりゃあ随分と変わった野郎だ。しかしなんで張型で赤ちゃんができるかね。」

と言って裏を返したら、書いてあるのは『左甚五郎作』。これを見て父親は一言、

「あぁ、甚五郎ならしようがねぇ。」


『木彫りの熊』
演者:尾花亭薄蓬
平成十一年九月十八日 新宿末廣亭にて

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