落とし噺:死なない今、死ぬなら今
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本日もわたくしの一席にお付き合いいただくためにお集まりいただきありがとうございます……え?お前の噺を聞きに来たんじゃなくて薄蓬師匠の噺を聞きに来た?まぁ、もののついでです、私にも一席お付き合い頂ければと……。

私も落語家の端くれでございますが、落語家ってのは中々大変なもんでございましてね、まず入門するためには師匠の弟子になんなきゃなりませんが、これが中々に骨が折れる。紹介してもらえるなんてのは珍しいもんで、大抵は寄席なんかに通って、あぁこの人が師匠ならいいなぁってんで、何とかして弟子にしてもらうんです、出入り口で待ち伏せて、これこれこういうところに魅せられた、だから弟子にしてほしいって言って頭を下げるんですが、まぁ大体一回ではダメ。何回も繰り返して、しょうがねぇなぁ、そんなにしつこく来られちゃ鬱陶しいからなんて言われてやっと弟子入りです。

そこから前座見習いになって師匠の奴隷……あーっとお世話係をこなして、ようやく前座、落語家デビュー。でもねぇ、前座になったら楽になるのかって、そうはいかないんです。前座見習いの仕事に加えて、楽屋の仕事も増えますし、自分の出番が終わってもずーっと何かしら動かなきゃいけない。空き時間なんてのは練習時間ですから。
朝にゃあしみったれた爺さんの世話をして、昼は寄席、夜は稽古、それで一日、はいお終い。それを毎日毎日やって、休みは大晦日だけですから。ね、中々に大変でしょう。私もこんなのらりくらりとくだらない話をしてるだけじゃないんですよ。

でねぇ、何より大変なのが、年功序列。うちの一門は落語界じゃあ珍しく実力主義なんですが、大抵の一門は年功序列で階級が決まっていくんですな。上がいなくならないと、中々出世が出来ない。何ですがね、残念なことに落語家は嫌って言うほど丈夫な年寄りが多いんです。くたばり損ないばっかり。うちの師匠もピンピンしてますからね。

この前師匠の誕生日がありまして、弟子も皆集まって祝ったんですがね、皆がおめでとうございます師匠、これからもお元気でいてくださいなんて心にも無いおべんちゃらでごまをすってたんですが。それに師匠が、もうこの年になったらめでたいもんでもねぇ、さっさとくたばりたいもんだなんて返して、あぁ中々カッコいいことも言うんだなぁと感心していたんですが、次の日にそそくさと健康診断に向かってました。口先だけかい!なんて突っ込みましたが、まぁ師匠には元気でいてもらいたいもんですね。

今日のお客さんにはあんまり年寄りがいないですね。いつもより雰囲気がいい。いや、別にじいさんばあさんも大歓迎ですがね、たまには若い空気を吸わないとこちらまで枯れてしまいそうな気がしますんで。それに、噺の内容にもかかわるんですよ。あんまり死にそうなじいさんばあさんばかりだとね、あの世に行く噺とかはしにくい。なんせもうすぐそこに見えてますからね、笑ってるんだが苦しんでるんだか分かんないんですよ。

その点若い人ならそうした話をしても気やすく笑ってくれる。まだ先の話だと考えてるからでしょう。でもねぇ、人はいつ死ぬか分かんないですよ。私もまだ若い方ですが、病気、事故、ひいては事件に巻き込まれて……なんていくらでもきっかけは身近にありますから。怖いですよねぇ、そんなんで死にたくない。寿命まで生き延びて、何とかポックリ逝きたい。

例えば、どうでしょう。死ぬことそのものを商品として扱える世の中があったなら、皆さんはどうします?




私達がいる世界とはちょっと違う世界の噺をしましょうか。その世界はね、滅多に人が死なないんです。タナトマってもんがありまして……あー、これは和語でいやぁ死因、になるんですかね。これを体の中から取り出しちまえば、そのタナトマに応じた死に方をすることは無くなる。刺殺を取りだしゃあ包丁で刺されても死なない。轢死を取りだしゃあ車にひかれても、焼死を取りだしゃあ燃やされようが死なない。でまぁ、そうなりゃ人間ってのは俗なもんで、後先考えず死にたくないからってみーんな抜いちまうんです。

「先生、金に糸目はつけねぇ。抜けるだけのタナトマ全部抜いてくれ!」

「分かりました。大体のタナトマは抽出できますが、お客様であれば一つだけ抜かなくても良さそうなものがありますが」

「それは何だ?」

「腹上死です。」

「余計なお世話だ!」

なんてやり取りはともかく、こうして世の中の人は中々死ななくなりまして、世の中にゃあ人が溢れ返っている。問題も起こりそうなもんですが、なんせ誰も死ぬことが無いんだから問題も起こらない。中にはタナトマを抜かない人もいますがそんなのは極少数、大体は生にしがみついてる。タナトマを抜いたからって完全に不死じゃあないんです。逆にタナトマを体に入れると、その死因で死ねる。ま、あんまり死のうとするもの好きはいないけれども。

中々人が死なない、そうすると何処が困るかって、あの世ですよあの世。仕事が無かったら楽でいいじゃねぇかなんてお思いかもしれませんが、全く暇なわけじゃありませんからね。たまーにふらっと珍しく死んだ奴がやってくる。たまに客が来る仕事ってのが一番面倒ですよね。気を張り続けて無駄に終わる時もあれば、だらっとしてる時に限って客が来たりして。もういっそ店じまいしてやった方がましなんじゃねぇかって思うくらいなわけですが、まぁあの世もそこは変わんねぇわけで。

そんな時、ある男が死にましてね、男はタナトマを抜いてなかったもんで若くして病気でコロリと逝っちまった。
で、目覚めたんです。死んだ後に。

「ん……んぁ。俺は確か死んだはずなんだが。どこだ此処は。何だか陰気なところだなぁ。それにこれは白装束か?」

目の前には川と橋、着てるのは白装束。とくりゃあ、馬鹿でも今いるのは何処か分かりますわな。

「ははぁ、どうやらここはあの世か。じゃあ俺は無事に死ねたんだな。ジッとしててもしょうがないから閻魔様の所に行こう。」

そう言って歩き始めて、三途の川を渡ると婆がいる。こりゃあ奪衣婆だなと近づいても何故か一切こっちに来ない。聞いた話じゃあ奪衣婆は罪の重さを量るはずですからね、仕事をしてもらわなきゃ進めない。仕方ないんでこっちから歩いてって「アンタ奪衣婆でしょう、よろしく頼みます」なんて声を掛けたんですが如何せん婆だから耳が遠いんですわな。聞こえてない。なんで大きな声で「奪衣婆さん!死人が来ましたよ!」と声を掛けるとやっとこっちに気づいた。顔を見るなり、「なんだ珍しい、今時死ぬ馬鹿がいるのかい」なんて嫌味。

「あのねぇ、俺は人間らしく天寿を全うしただけなのに馬鹿呼ばわりとはなんだよ。」

「今時死ぬ方が珍しいだろうよ。死なない方が人間らしいさ。ともかく、裁判への道はこっちだからさっさと行きな。」

「着物のあれはいいのか?ほら、罪の重さを量るやつ。」

「いいんだよ、面倒くさい。どうせこれから閻魔の所で同じことするんだ、アタシがやらなくてもいいの、ほら、行った行った!」

なんて追い立てられて結局何にもなく奪衣婆の所を越えちまった。着物を奪わねぇならいよいよただの婆さんじゃねぇのか何て考えながら歩いてるうちに、目の前にドーンと『宋帝王庁』と書かれた看板を掲げた立派な建物が見えた。

えー、死んでから閻魔大王に裁かれるってのは有名な話なんですが、実はその前と後にも裁判ってのはあるんですね。十王なんて言って、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王ときて、此処でも決まらなかったら平等王、都市王、五道転輪王とあってここで終わり。それぞれに違う役割がある。裁判にゃあ時間が掛かるってのはあの世もこの世も同じなんですなぁ。

男はこの仕組みを知らなかったんですが、何となく役所みたいなとこだってのは見て分かりましたので中に入ろうとしたんですが、どうやら扉が閉まってる。何故だろうと近づくと、張り紙が一枚、

『暫く休業』

休業されちゃあこちらとしては困ったなんてもんじゃ済みませんが、どうしようもありませんで進むしかありません。宋帝王庁を過ぎて道をずんずんと進んでいくとまた建物が見える。五官王庁、ここも休み。このまま全部休みなんてことになったらどうすればいいのか不安になりながらも歩くことしか出来ない。頼む、次こそ開いててくれ、このままじゃずっとここに居なきゃならないぞと考えながら、ついにたどり着いたのは閻魔庁。あの世の総大将でございます。

「頼むよ、閻魔様まで休んじゃああの世はどうにもならんだろう……」

恐る恐る近づくと、扉は開いている。中に入ると絵画や彫刻で見た通りの閻魔様がドーンと鎮座して、こちらをにらんでいる。普通なら恐れおののく、ははぁと頭を下げるなんてところでしょうが、もう男には神様に見える。いやまぁ実際神仏の類ではあるんですがね、閻魔様を見て「良かった、アンタに会いたかったんだ!」なんて泣き出す人はそうそういないでしょう。

「おいおい、泣くではない。これからお前の裁判が行われるんだからな。」

「すみません、余りにも誰もいないから不安になったもんで……他のお方はどうしたんですか。どこも閉まってたんですが。」

「今は滅多に亡者が来ないから、持ち回り制になっているんだ。今年は私の担当、来年は変成王の担当だ。さて、そろそろ裁判を始めよう。まずお前の罪を数える。」

そう言って閻魔様がパッと浄玻璃の鏡に笏をかざすとまるでビデオテープみたいに男の人生がきゅるキュルキュルっと再生されていく。あんなことからこんなことまで、ちょっとムフフなシーンまで……なんてのは言い過ぎですが、ともかく人生が流される。そして、その映像を見て判決を言い渡すわけです。

「ふむ、お前は大罪人ではないが善人でもない。本来なら地獄に送ることになっていただろう。」

「本来なら、ですか?」

「あぁ、本来ならな。だが喜べ、お前は極楽行きだ。向こうの階段を上ってて天国に行くがよい。」

「あの~……」

「なんだ、不服でもあるのか?」

「いえ、不服な点は無いのですが……」

「なんだ、歯切れの悪い奴だ。はっきり言いたいことを言え。」

「何故本来なら地獄行きの私が極楽に行けるのか、気になりまして……」

「そんなことか。実はな、ここ最近滅多に亡者が来ないものだから地獄の連中が仕事を辞めてしまったのだ。今獄卒は一人もいない、だから極楽に送るほかない。」

「はぁ、それはありがたい。ですが、あの世としてはそれでよいのですか?」

「よいよい、どうせ今時死ぬような馬鹿など滅多に居らぬ。」

そういったわけで男は極楽に行けたんですな。極楽には色んな娯楽があります。スポーツ、映画、もちろん寄席だってある。天国の寄席にゃあ名人ばっかりで、立川談志やら、三遊亭圓生、古今亭志ん生……あれ、全員地獄行きじゃなかったけな。こんな師匠方でも天国にいるんですから、そりゃあ皆天国へ行けるわけですな。

さて、もう一度状況を整理しますと。地獄の獄卒は一人もおらず、死後の裁判はあってないようなもの、誰だろうが構わず極楽へ行ける。そんなわけで、あっちの世界じゃあ死ぬなら今。

なんですが、ちょいと問題がありまして。タナトマを抜いた人間が死ぬためにゃあタナトマを打たなきゃいけないと最初に申し上げましたが、これにも条件がありまして。それなりに質のいいもんじゃないと、死ねないんですよ。それにね、勝手に死なれて困るのは国です。金も人手もありゃあるだけいい。減らないようにしたい。だからタナトマの値段を上げたうえで、国民に税金をかけまくったんですね。

するとどうなるか。死ぬためには金が要る、金のためには働いて、稼いだ金は税金に。
死ぬなら今、なんですが。死なない今、いや死ねない今になっちまって。一体あの世とこの世、どっちが地獄なんでしょう。

さて、少し怖い話でしたがご安心を。タナトマなんてものは存在しませんし、私達はいつでも死ぬことが出来ます。でも、額に汗水たらして稼いだお金はお国に持っていかれますねぇ。年々税は上がっていってますし、その使い道はどこへやら。社会のための納税が、狸親父の懐に、なんて冗談で済めば良かったんですが。



社会は暗い、老後も暗い、一年先も分からない。
ただまぁ幸いなことに、行こうと思えば我々はいつでもあの世に行けますから。



何なら現実こっちの方が、



死ぬなら今、かもしれません。



『死なない今、死ぬなら今』
演者:尾花亭柳太郎
平成二十九年三月三日 浅草演芸ホールにて

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