虚数時間とただ一人だけの芸術家たち
rating: +54+x
blank.png

 夏は夜。月の頃はさらなり……一千年前に清少納言が起こした言葉は、続けて蛍を賛美したものだったが、しかし今や蛍の瞬きも月の輝きも塗りつぶされてしまった。

 永遠に続く八月の夜闇をヘッドライトでかき分けつつ。危険性を持たないと判断された異常物品の集積所、京都郊外の財団施設……通称「N/A倉庫」まで歩を進めたのは、世界を救い終わった翌日だった。


 主観で七年と半年前、世界中の時間が止まった後。眠り心停止から覚めた蘇生したような感覚と共に、SCP-001-JPの効果が正しく発揮されたと認識した次の瞬間。かつて確かに経験し、それでいて消されたのであろう記憶たちもまた蘇っている、ということが自然に理解された。

「まずはN/A 2, 15-2-4s」

 それは、世界を救う任務に就くまでの無期限待機中。いつの間にか握りこんでいた右手を開いた中にあった、小さな紙に書かれていた言葉は、明らかに自分が書いた覚えのないもので。当時、安全なはずのサイト-8101の中で異常性に突然曝露することになったのだと気づいた自分は随分と取り乱し、直後に報告し。そうして記憶処理を受けたことが思い出される。

 紙を発見してからその記憶を失うまでの短時間ではたどり着く術も無かった小事件の真相はしかし、今なら手に取るようにわかるようになってしまった  

 どこの財団施設にも「時が止まった場合用の出入り口」というものが設けられて幾年かが経った  というのは、サイト-8101に配属されたあとに受けた特別研修の受け売りだ。プロトコル・ヴェルダンディ発動直前、活動支援のために解放された抜け道を通って、N/A倉庫に侵入する。


 停止した時間から送られたメッセージ、単身人類を救った英雄からの手紙  世界のために犠牲となった財団職員からの、いつか新たな犠牲になる予定である財団職員への伝言。それがあの紙だ。

 別に自分個人へと当てたものではないだろう。他にも同じ境遇の、いつか暗闇の中で死ぬために待機している人間はいる。偶々今回は自分がその任務へと割り当てられ、その中で記憶を取り戻しただけではあるものの。

 それでも「課された役割を終えたから」とすぐに自殺をする前に。久しぶりの使命感に急かされない行動はむしろ、一度止まった心臓の拍動を少しだけ速めているような気がした。

 二階、テレビカメラの目が映す博物館のバックヤードのように閑静な空間の中で。三人の財団職員がマネキンと化しているのを視界の隅に捉えながら、Anomalousアイテム群の保護に使われていた標準的な低危険度物品の収容ロッカーの列をかき分け「15-2-4s」が示している一角を探す。


 NK-クラス、通称「グレイ・グー」シナリオは、自己複製を繰り返すオブジェクト群によって世界が埋め尽くされてしまう、という形での世界滅亡だ。凍った世界の中での対処法としては、自己を複製し  もちろん同じ穴のムジナにならない範囲で  地球のそこかしこに蔓延るオブジェクトたちを全て処理することが挙げられる。

 自分の場合は、大量発生したお地蔵様の群れを運んでは破壊する毎日。それ自体は随分と単調であったが、たまに刺激的なものに遭遇することもあった。

 時に民家の中で、時に山奥の捨てられた祠で、時に人通りが少ないながらもある交差点の真ん中で。恐らくは反ミーム性か何かを持っていたために、時間が流れているときには発見されなかったのであろうオブジェクトを、夜闇の中照らし出すことがある。

 大概はミスマッチ、明らかにおかしいものがおかしい場所にあるのでそうと分かるものだ。背中のバッグにしまわれた造花の花束はその一つで、砂浜の上の薄いオーキッド色は随分と異質だったことが記憶に残っている。

 絶対に開こうとしないメモ帳  正確には、何が書いてあるのかを観測しようとすると勝手に閉じてしまうメモ帳。簡易的な説明文を読んだ後「15-2-4s」から実物を取り出す。

 自分の心臓と同期していた時計、SCP-001-JPは「流れ続ける時間」と「全ての異常性」に対してノーを叩きつける。当然、この小さなノートが例外なわけもなく。無抵抗に開いたメモ帳の中身が照らされた。


「なぜ失った記憶が再び呼び起こされたのか?」という問いに正答できるという自信は残念ながらない。「蓋し虚数時間においてあらゆる行為は無意味である。ミルグラム従順性試験もAクラス記憶処理も効果をなさない」などと言われてしまえばそれまでではあるが。

 ただ、一つだけ。一応納得できる仮説を立てることはできた。

 記憶処理に使われる薬品が異常性由来で。SCP-001-JPに無力化された、というのはどうだろうか?

 基本的にSCP-001-JPが掛けられた部屋の中の物体は、この世界においてなお動くことのできる「例外」となるが。その判定が異常性持ちの物品にまで及ぶかどうかは定かではない。さらに言えば。例えば、その異常性が何か、外界と相互作用することによって成り立っているようなものであれば。思うに「例外」とはみなされないだろう。

 もちろん、全くもって憶測にすぎないが。しかし実際に何が原因だったとしても、結果としては記憶を取り戻したことだけがある。

 明らかに、幾つかの筆跡が混じった文字列。消しゴムを掛けた跡や二重線を引いた跡、修正液を垂らした跡もあるような継ぎ接ぎの手紙に目を通す。

 世界を救い終わった後任者へ。

 もし君が対処した終末が、グレイ・グーシナリオや支配シフトシナリオだったら、恐らく救世の過程で目の当たりにしたことだろう。反ミームやら何やらを持っているがために、こちら側の世界でしか認識できないものが意外と多く存在する、ということを。

 そこで、これを読んでくれた君にお願いがある。死に場所を探す前に  もちろん並行してやってくれても構わないが  もう幾つか見てほしいものがあるんだ。

 君の今いる世界が激しい雪とモンスーンを保存していないなら、ガンカー・プンスムに登ってくれ。

 君の今いる世界が夏の夜から月と蛍の生む影を拭い去ったなら、サハ共和国の真の寒極に行ってくれ。

 君の今いる世界が名月を除け者としつつ晩秋のススキ野を切り取ったなら、称名廊下に向ってくれ。

 そこには「他に誰も存在できない凍り付いた世界で、それでもなお他者に観られることによってのみ完成する芸術」が存在している、らしい。更に前の殉教者たちが、後々のために残してくれた幾つかの資料によると。

 残念ながら僕の場合は真冬で、この内のどれも目にすることはできなかったのだけれど。まあ、色々と巡ってみるのも悪くはなかった。

 終わりに。死ぬのは本当にいつでもできる簡単なことだ。どこで最期の時を過ごすのかぐらい、ゆっくりと考えて決めたほうがいい。

 もう幾つかの付記を読み終わり、幾らか書き足し、そしてN/A倉庫に背を向ける。

 次はどこに向かおうか。久しぶりに季節という概念に思いを馳せ、二つ目の例にあったロシア北東部まで行くにあたっての計画を考え、いざ施設から離れようとして。

 ふと、建物に向き直ると。その屋上から更にある程度上方で、何かが自分の持つ灯りをを反射したような気がした。


 長方形のサイトの屋上、その丁度真ん中あたりに寝転がり天を見上げる。

 SCP-001-JPによって閉ざされた世界の空は暗い。月も、太陽も、星も、あらゆる光は黒一色に覆われてしまい、空はその漢字が示す通り虚ろで洞々とした闇だけの存在であったのだが。

 視線とヘッドライトを向けた先で、どうやって固定したのであろうかはるか上空に浮かんでいるかのように見えるいくつもの物体に光が反射し、その煌めきが光点の形をとって目に飛び込んでくる。

 自分はあまり目が良いとは言えなかったはずなのに、八つの点からなるひしゃく型が、それを背骨とする大熊が。オリオンの両腕と腰に刺された剣までもが。双子の全身が、御者の五角形が。真冬の星座たちが、そこに輝いていた。

 なるほど確かにこの星々は、暗闇の中で使命を全うした者たちに贈られた芸術だ、と手紙の文言を思い出す。正常な世界では見えることは無く、見る必要もなく。そしてこの世界の中で、こちらから光を投げ抱えることによってのみ彩られる夜空。どれほど眺めていても動くことのない星空はしかし、幾度となくぼやける視界には丁度良かった。


 立ち上がり、バッグを背負いなおす。北の大地へ向かう旅のためにはかなりの装備が必要となる。特殊スーツの類はいくらも使ってきた、替えは十分あるだろうし問題も無い。食料も元から十分存在する。

 ただ、実際に出発する前に、もう一つだけ。

 もう見ることはないと思っていた瞬きを現出した先輩に、全ての芸術家たちに。虚数時間の果てまで綺麗であり続ける花を捧げることにした。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。