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夢の中は、一見秩序だっていないようでちゃんとした秩序が存在している。例えば、夢の中には何かしらの形で「自己」が存在しており、更に夢には幾つもの「生物」や「物体」が、様々な形に変化しつつ存在している。いわば、自己という観客に生物や物体という役者が劇を見せているような状態だ。この観客を「オネイロイ」、この役者を「夢界実体」と呼ぶ。

しかし、その劇は必ずしも正常には進行しない。時には劇場の中に招かれざる客が紛れ込み、劇を大きく乱すこともある。そして、その影響は時に観客、つまりオネイロイ自身にさえ及ぶこともある。

*

そのオネイロイはウォーム・ワームWarm Wormという名前で、大きく太ったミミズのような形をしていた。しかし、その身体からは十数本の細い触手が生えており、2m近くの体長もあって、見た目は完全にエイリアンやモンスターのそれだった。彼は夢において、触手を器用に使いながら書類をめくっていた。

彼の夢の中の夢界実体たちは、羽ばたくトルティーヤの姿をとりながらワームのいる草原を飛んでいた。しかし、彼の近くには1匹もトルティーヤが寄ることはなく、その全てが彼を恐れているようだった。彼はそれについて特に気にすることもなく、ただひたすらに書類を読み続けていた。この状況は、彼の夢の中で最も良く見られる光景だった。

彼の触手が再び紙を掴んだところで、トルティーヤたちは何かがやってくるのを察知し、それがいる場所から距離を取るように飛び去った。彼はそれに気がついていないのか、そのまま次のページへ紙をめくった。やがて、草原に振動が走り始め、徐々にその大きさは増していった。草原に巨大な影が差し、その影は彼さえも飲み込んだ。振動が収まった頃、彼の背後には巨大な黒いラムダ形のシルエットが──トングが立っていた。

「縺翫>」

それは、それでも尚書類を読み進める手を止めないウォーム・ワームに対し、こもった声で呼び掛ける。しかし、彼は一向に書類ばかりを気にかけていて、トングに対して全く反応することがない。しばらくの間沈黙が続いたが、それを破るように羽音が響いた。そして、彼の近くに巨大なカマキリが飛んできて、更に草原からこれまた巨大なハエトリグサが地面を突き破るように生えてきた。

「縺ゥ縺?@縺滂シ溘◎縺?▽縺ァ蜷医▲縺ヲ繧九s縺?繧医↑?溘ち繝シ繧イ繝?ヨ縺ッ」

「縺?d縲√%縺?▽菫コ縺溘■繧定ヲ九※繧ょ渚蠢懊☆繧峨@縺ェ縺?s縺?縲ゅ∪縺輔°豌励▼縺?※縺ェ縺?▲縺ヲ縺薙→縺ッ縺ェ縺?□繧搾シ」

巨大トングの問いに対し、巨大ハエトリグサが答える。3体もの巨大な怪物がこんなに近くにいるというのに、そのワーム──現実では人間である彼は、怯えるどころか驚く様子すら見せない。あまつさえ、彼はそれたちが来る前と変わらず書類に夢中だ。

「縺ゅl縺?縺代?謖ッ蜍輔→髻ウ縺後≠縺」縺溘o縺代□縺九i縺ェ縲ょケセ繧牙、「縺ョ荳ュ縺?縺九i縺ィ縺?▲縺ヲ縲√%縺薙∪縺ァ關ス縺。逹?縺?※縺?i繧後k螂エ縺後>繧九o縺代′縺ェ縺」

カマキリが手を──もとい、鎌を組んで首をかしげる。ハエトリグサは、トングに対し進言する。

「縺セ縺ゅ?∝挨縺ォ濶ッ縺?□繧阪?ゅ←縺?○縲√%繧後°繧峨%縺?▽繧帝」溘▲縺。縺セ縺?s縺?縺九i」

「窶ヲ窶ヲ縺セ縺ゅ?√◎繧後b縺昴≧縺?縺ェ」

そう言って、トングがその腕を開く。それたちの、というより、トングの目的は彼を食らうことだった。そうして、それは腕でワームを掴もうと、両腕を勢い良く閉じ──

──その両腕を、彼の触手に掴まれる。

「……何……!?」

彼が聞くトングの声が、途端に鮮明になる。慌てて、それは彼から腕を離そうとする。しかし、彼がそれの腕を掴む力はあまりにも強く、全く動く気配がない。

「縺翫>縲∝、ァ荳亥、ォ縺具シ?シ」

それを見たカマキリとハエトリグサが、すかさずワームに攻撃を仕掛けようとする。しかし、

「や、やめろ!失敗だ!」

攻撃が彼に届く寸前で、カマキリの鎌とハエトリグサの葉が止まる。トングはその間も必死に触手から逃れようともがく。すかさず、ハエトリグサは土から根ごと浮遊し、2体が空へ飛んでいく。しかし、空の果てに届く寸前で突然夢の中の光景が草原からオフィスに変化し、2体は突然現れた天井に思い切り顔面をぶつける。それたちの顔面は大きく歪み、2体はそのまま情けなく落下する。

諦めずにもがきながら、トングはそれたちの失態に落胆する。彼の触手は異常に強い力でトングの腕を掴んでおり、2本とも全く動く様子がない。その光景に全く見向きもせず、彼は相変わらず書類に目を向け続けている。思い切り踏ん張って引っ張ってみたりしてみるものの、それは徒労に終わる。そして、トングの動きが鈍くなってきた頃、

「そろそろ気は済んだか?」

トングの先端の方──ウォーム・ワームの方から声がした。

トングが大きく婉曲して根元部分で彼を叩くが、彼は全く動じる様子がない。それどころか、別の触手を伸ばしてきて、更にそれをがっちりと掴んできた。

「さて、どうしてここに来たのか話してもらおうか」

「い、いいから離せよ、畜生!」

口汚く彼を罵りながら、息を切らせているかのような声をあげてトングが再び暴れだす。当然ながら、触手が増える前から全く動かなかった腕が動くことはない。すると、彼の方からくぐもった笑い声がし始めた。

「……何だ、思ったよりも馬鹿じゃないか」

そう言って、ゆっくりと彼が頭、というか先端部分をトングの方に向ける。そして、それは彼の先端にぽっかりと空いた、粘液の糸がひく巨大な口腔を見た。それは、これまでに無いほどの恐怖──動物が本能的に感じるような、「死」への恐怖を覚えた。

「さっき感じた感触は、まるで私を食べようと、つまり私を取り込もうとしているかのようだった。ということは──お前は、私というオネイロイを、ひいては私の肉体を乗っ取ろうとしていた訳だ。違うか?」

少し身体を融かしながら、トングはのけ反る。それを見て、ワームは満足げに大きく頷く。

「なるほど。……それにしても、まさか私の夢界にお前のような存在が侵入してくるとは思わなかった。昔はたまにあったが、ここまで昇進してもまだこういうことはあるものなんだな」

彼の言葉を聞いて、改めてトングは後悔する。このオネイロイを選んだのは失敗だった。たまたま一番無防備そうなオネイロイを見つけたと思ったら、まさかそれがここまで強大な存在だったとは。

「……で、だ。問題となるのは、一体どこからお前たちがやってきたのか、ということだ。それに答えさえすれば、お前を助けてやってもいいだろう」

淡々と彼が続ける。その言葉を聞いても、それはもがくのをやめようとしない。直感的にその言葉は信じられないとわかったし、何よりまだ希望はある。そう──

「──『他の仲間が助けに来る』。そうだな?」

突然己の思考を読まれ、トングは呆気に取られる。彼は再び大きく笑う。

「残念だが、それはあり得ないだろう。今、私の夢界に別のオネイロイが近づいてくるのを感じた。この感覚は、恐らく機動部隊だろう。お前の仲間たちは間もなく捕獲される。……わからないか?お前はもう逃げられないんだよ」

そう言うと、彼の口腔がよりネバネバとし始める。彼はゆっくり3回口を開いたり閉じたりした後、再びゆっくり口を開いてそれに語りかける。粘液が先ほどより多くの糸をひく。トングはそれを見て、絶叫しながらまたもや暴れだす。それは、彼が何をするつもりなのかに気がついた。

「ま、まさか、お前……!」

「そうだ。私がこれをするのは2度目だよ」

そう言って、彼はゆっくりと触手を口の方へ引き、トングの腕を飲み込もうとする。トングはかつて無いほどに暴れるが全く意味を成さず、やがてそれの片腕が彼の口腔にすっぽりと飲み込まれる。彼の使われていない触手が変形し、小さな口を形成する。

「さあ、記憶を私に見せてくれ。……この味は、そうか、オネイロイじゃないのか……」

瞬間、勢い良くトングがウォーム・ワームに吸い込まれていく。目にも止まらぬ速さで、それは完全に彼の拡張された口腔の中に収まった。彼の粘液で包まれながらも、それは暫くの間もがいたが、やがて動かなくなった。彼にその身体と、自我を溶かされてしまったからである。そうして、ワームはそのトングの消化に入った。記憶という栄養が、彼の中に流れ込んでいく。彼の夢において実存しているのは、彼のみであった。

*

「お疲れ様です、ベニ……ウォーム・ワーム博士」

バイクの形をしたオネイロイが、ウォーム・ワームの夢の中で彼に語りかけてくる。彼は、草原に座って書類をめくりながら答える。

「博士は要らない。私は夢の中ではただのミミズだからね」

「はあ、すいません」

書類を読みながら、彼は彼女──機動部隊ファイ-16隊員、ロード・ランナーRoad Runnerのことを考えていた。彼女は最近ファイ-16に所属した新人だが、元ファイ-16の隊員である彼に対しよくコンタクトを取ってきていた。曰く、偉大な先輩だから、だそうだ。

「それで、あの2体の実体群について心当たりは?」

「そうだな……。私の夢界は今、外部から孤立している。唯一接続されているのはファウンデーション・コレクティブだから……夢界実体群はそこから来た可能性がある。我々は夢界実体を利用する実験もしているから、恐らくその試験体か何かでも脱走したのだろう。オネイロイの『乗っ取り』についてもそこで知ったのかもしれない」

彼女がタイヤにくっつけたシャープペンシルを器用に使って、彼の話をメモに取る。こっちでもメモ魔とは、夢も現実もそう変わらないものだな。そう、内心彼は思う。

「被害は何かありましたか?」

「何も。ただ、私の姿を見た奴らが、びっくりして自滅して気絶しただけだよ」

「……なるほど!わかりました、ありがとうございます」

タイヤからこれまた器用にシャープペンシルを剥がして、彼女は彼の方に向き直る──彼女にとっての「正面」は、ランプが向いている進行方向だ。

「私からはそれくらいだろう。……さて、後のことは君たちに任せていいかな?昼頃からずっと眠っているから、そろそろ眠る……いや、『起きる』必要がある」

「了解しました。もしかしたら後で証言等のご協力をお願いするかもしれないので、その時はまた宜しくお願いしますね」

「わかった。じゃあ、おやすみ」

おやすみなさーい、と前輪を振って、彼女が彼の夢から出ていく。既に他のファイ-16の隊員はカマキリやハエトリグサを連れて撤収した後だったので、彼の夢には再び平穏が戻った。

ふう、とため息をついて、ウォーム・ワームは草原に寝転ぶ。少しずつその身体は薄れていき、やがて夢から消失した。後に残ったのは、彼を恐れることなく好き勝手に飛ぶトルティーヤたちと、彼が読んでいた書類──サイト-990のDクラス職員リストだけだった。

*

ミカイ・ベニントン博士が目を覚ますと、そこは自宅の寝室だった。窓の外は暗く、デジタル時計には「02:51」と表示されていた。彼はゆっくりと起き上がり、ゆっくりとベッドから立ち上がって、窓の外を確認した。そこには誰もいないし、誰かがいた形跡もなかった。ここは人気の無い山の奥地の、普通人がやってこれないような場所だった──財団上級職員の多くがそうしているように、彼もまた人里離れた場所に自宅を構えていたのだ。

自宅に誰も接近していないことを確認する為、彼は眠気まなこを擦りながら寝室の扉のドアノブに手をかけ、そこでふと姿見に映った自分の姿を見る。それは年老いて真っ白の髪の毛になった醜い老人で、見慣れた自分の姿だったが、そう思う自分がおかしくなって笑い出す。もう、この身体に乗り換えてから50年は経っただろうか。オネイロイの「乗っ取り」実験に参加した当初は、自分の肉体の違和感に慣れなかったものだが──もう、今となってはむしろ前の肉体の方がおかしいと感じるだろう。

オネイロイの「乗っ取り」は、対象人物のオネイロイを主体となるオネイロイが取り込むことで行われる。この実験において、かつて彼は用意されたDクラス職員の夢界に侵入し、そのオネイロイを食らったのだ──ちょうど、あの夢界実体群がそう試みたように。あのトングから得られた記憶には大したものがなかった。ただ、その「味」、つまり夢界実体固有の波長を読み取ってみると、ファウンデーション・コレクティブ所属者特有の波長が感じられた。つまり、素直に考えるとあれはファウンデーション・コレクティブの誰かの夢界からやってきたことになる。少し不審な気配を感じないでもないが、以降の調査はファイ-16の仕事だ。彼の仕事ではない。

彼は寝室から玄関へ行き、懐中電灯を持って玄関ドアを開いて、自宅周辺を見回った。結果、やはり誰かが接近した痕跡は無かった。現実の距離が近い人間の夢界を渡り歩く奴らの性質上、私の夢界に来る前に誰か別の人間の夢界に入る必要がある。誰も近くに来ていない以上、やはりあの夢界実体たちはファウンデーション・コレクティブから来たのだ。そう確信し、彼は自宅に戻る。戸締まりをしっかりと確認して、彼は寝室へと戻った。そして、パソコンを開き、新着メールボックスを確認する。ボックスに1件もメールが入っていないことを確認すると、彼は再びベッドに寝転んだ。

休暇の無駄遣いだったかもな。そう思いながら、彼は眠れない夜をただベッドの上で寝転んで過ごした。

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