それは一目ぼれだった。
朝食の時間より早く起きてしまった僕は学校の中をウロウロしていた。誰もが起きる前の学校は静かで、見慣れた廊下や教室が普段とはまるで違う表情を見せる。
校内を彷徨い歩いていた時に彼女を見つけた。最初は礼拝堂に誰かいることに気が付いた──扉が開いていたからだ。僕以外にも誰か早起きしているのかと思った僕は、自分と同じ早起きの誰かさんの顔を見たくなり、好奇心から礼拝堂に歩を向けた。
礼拝堂の扉は開いていたといっても、ほんの少し開いていただけで中を見たり入るには自分でさらに開ける必要があった。人が来たと分かったら中にいる誰かが逃げてしまうかと思った僕は出来る限り音をたてない様に扉を開けていたが、中を覗き込んだとき、思わずそんなことも忘れてしまった。
そこにいたのは聖女だった。座り込み、ステンドグラス越しの朝日に照らされながら神像に向かって頭を垂れている長い金髪の女の子。僕には彼女が聖女にしか見えなかった。
彼女に注意を取られたせいか、慎重に開けていたはずの扉は大きく軋んだ音をたて、僕の心臓は飛び上がった。
誰?
振りむいた彼女は鈴を転がすような声で疑問を口にした。僕はそのとき、まさに、運命の相手というものに出会ったのだと思う。
陶器のように真っ白な肌、どんな宝石すらくすんでしまいそうな澄んだ碧い瞳。シルクのように滑らかそうな黄金の髪。
あ、あの、僕はコリン、コリン・ガブリエル。君は?
サラ、私はサラ・アルミサエルよ。あなたもお祈りに来たの?
僕は困った。真実を述べるとすれば、ただ早起きして散歩していただけだからだ。しかし、彼女にそんなことを言えばかっこ悪いと思われてしまうかもしれない。だから嘘をつくことにした。
う、うん。そうだよ、僕も早起きして、みんなが来る前からお祈りしようと思ってたんだ
じゃあ一緒にお祈りしましょう!
何か言おうとする前に腕を掴まれて講壇の前まで引っ張られてしまう。彼女は跪いて手を合わせ、ゆっくりとその瞳を閉じた。僕もぎこちない動作でお祈りを始めたが、どうしても彼女のことが気になってしまい、目をほんの少しだけ開けて横を見た。彼女が祈りを捧げる表情から、僕は目を離すことが出来なくなってしまった。
夕暮れの光に照らされながら最上級の好意表現をされた時はどうしようか困ってしまったが、自分が彼女と話している時が心地いいこと、今までの関係と大きく何かが変わるわけでもなく、ただそれに"恋人"という名前が付くだけだということ、自分が彼女を好いていることに気が付いたので受け入れることにした。
「良かったー断られたらどうしようかと思ってたの」
屈託のない笑顔を向ける彼女はいつもと何ら変わりなく見えた。
「どうするつもりだったの……?」
「んー?ふふふ、教えてあげない」
結局はぐらかされてしまう、さっきまでは顔を真っ赤にしてストレートに想いを伝えてきたというのに、あっという間に普段の悪戯っぽい彼女に戻ってしまった。それにしても、今日は体が重い気がする。
窓の外に降る雪を見つめながら、2人は暖房の前で語らっている。彼らの座るソファの前には低めの幅広い木製テーブルがあり、そこには湯気の立つボルシチが置かれている。
ねえねえ、もし私たちの間にさ、子供が出来たらその時はどんな名前を付ける?
えー?まだそういうのには早くないかい?
もしもよ、もしも!
うーん、そうだなあ……スカイとかどう?
えー、なんか諜報員みたいで嫌ぁ、センスがちょっと子供っぽいし
そんな……じゃあねー、トム!
普通過ぎ、却下
マジか……じゃあサラには何か案はあるの?
えー?私?私は……。
2人の他愛無い会話は振りしきる雪の中に埋もれて消えた。明日の彼らは今日の会話など忘れ、白銀の園に足跡を付けるのだろう。
壁も床も衣服も、病院はありとあらゆるものが白だ。ほんの小さな汚れでも目立つ代わりに、綺麗ならばそれだけで清潔さの証拠にもなる。
出産を終えた次の日に、サラは新生児室から運ばれてきた我が子を看護師から受け取ると愛おしそうに抱いた。その視線には夫に向けるものとは異なる種類の愛情が籠っている。
「この子が私たちの……子供」
「そうだよ。僕たちの子だ。本当に、本当に頑張ったね。お疲れ様」
1ヵ月の妊娠期間を経て産み落とされた3人の子供を、彼らは愛おしそうに見つめている。この子たちが世界を悪魔から救い、平和をもたらしてくれると信じて。