ワタシ/ボク/オレ/みんながあんたをどう思ってるか
rating: +45+x
blank.png

目が覚めた時、はここに居た。

自分が誰でここが何処なのかは分からない。体は動かせず、視界は一筋の光すら差し込む余地のない黒一色に覆われている。身動きもできない、何も聞こえない、何も見えない、何も出来ないまま放置されて、恐怖でおかしくなってしまいそうだった。

視界がパッと白に染まった。驚きと眩しさで茫然としている内に明るさに目が慣れてきて、それが目の前の白いプリントだと分かった。よく見てみればプリントには文章が書きこまれている。内容を読んでいる内に、私の中によく解らないモヤモヤとした衝動が湧き上がってくる。それは次第に膨れ上がり、形を持ち始めた。それからは何枚ものプリントが私の視界に入り込んできた。それらを眺めるうちに形を持ち始めた衝動が何なのか段々分かってくる。転機が訪れたのは、あるプリントの文章に誤字脱字が混ざっている事に気付いた時だった。それを見つけて私は思った。「添削したい」

手が何かを掴んだような気がして、視線を向けた先には赤ペンを握る私の腕があった。身動きできないはずの体が動いたことに歓喜して、私はさっそく衝動に従ってペンを振るう。文法の不備、不適切な表現、書式の誤り、もちろん褒めるべきところは褒めた。変更箇所の分かりやすい修正、冗長さを省き可読性を向上させる書き方、私は現実的で分かりやすい文章が大好きだ。そうやって修正を続けていくうちに、私は自分について書かれたプリントを見つけた。見つけてしまった。私が何故か物のように扱われていたり、ファンタジーが現実の出来事のように書かれているのが気になったけど、分かりやすい文章を書こうとする意思と技術が垣間見えて好きになる。これ以上指摘すべき箇所は無いと判断し、総評を書き終えた時点で、補遺2: と題された文章が目に入った。読むべきでは無かったのに、添削箇所が残っていないかと目を向けてしまった。そして、私は全てを思い出した。

我に返った時、私の視界はまた黒一色に包まれ、赤ペンも消えてしまっていた。また何もない場所で何もできないまま過ごすのかと思うと恐怖と絶望で心が震える。そんなのもう嫌だ。誰か、助けて。もう真っ暗な場所で過ごし続けたくない。そう思った途端、目の前に数枚のプリントが現れる。プリントには表現や文法の異なる色々な文章が書きこまれていた。その中には、昔の私では到底わからなかった言語も含まれていたのに、何故だか私はその内容や文法的な正しさを理解できた。以前と同じ感覚に目を向ければ、やはりそこには赤ペンが握られている。衝動が湧き上がり、再びペンを振るう。

SCP-1045-JPの添削により大量の文書記録を破棄せざるを得なかったインシデント1045-JPを鑑み、事案の再発を防止するためSCP-1045-JPの改変効果に耐性を持つ文章の特定が計画されました。計画の第一段階として、SCP-1045-JPの性質をより詳細に解明する事を目的とした実験が行われます。実験は「様々な文法、書式、表現を用いた文章をSCP-1045-JPの範囲に持ち込み、添削の割合が減少する文章の傾向を把握、以後は同様の手順を繰り返す」方法が予定されています。

それから何日もの間、奇妙な繰り返しの日々が続いた。表現や文法の異なる文章の書きこまれたプリントが数枚現れ、添削を終えると視界から消える。添削したプリントはコピー機のような音の後に破棄されてしまう。折角添削した文章が破棄されるのはとても悲しいけれど、記録を取っているならいつか再提出してくれると思って耐えられた。

実験記録1045-JP-100まで、全ての文章に殆ど差異の無い割合で修正が行われています。分析チームは一般的な文法、語彙の文章では添削の割合に差異が発生しないという仮説を提唱しています。よって、次回は特殊な文法、語彙を使用した文章での実験が行われます。

繰り返しの日々に変化が生じたのは始まりから1ヵ月ほど経つ頃だった。その日現れたプリントへいつものように目を通していると、あまりの荒唐無稽さ、奇妙な表現に面食らってしまう。まるで現実味が無く、想像力豊かな子供か幻覚に囚われた夢想家でもなければ書けないような文章に気圧されながらもペンを入れる。それから暫くは奇妙な文章と格闘する日々を送る事となった。毎日とても難しい添削を行っているのに、不思議と疲れを覚えることは無かった。今まで見たことも無いような異質さを持つ文章を読解し、現実的な形へ修正するように添削するという行為は予想だにしない爽快感を齎してくれる。そんなある日、悪夢の先触れが現れた。

切っ掛けはある文章だった。いつものように添削をこなしていた私は最後に残っていたプリントに目を向けて驚愕する。そこには下品で、悪意に満ちた表現が羅列されていた。あまりの酷さに急いでペン入れをしようとして、固まる。なぜか私の腕は小刻みに震えるばかりで動こうとしなかった。刹那、何かが割れるような音と共に思い出してしまった。その文章に使われている言葉遣いを私は知っている。そう、それは生徒たちが私を罵倒するのに使っていた。廊下の陰で聞いてしまった雑談、すれ違いざまに投げかけられる陰口、置き忘れられたスマートフォンの画面に浮かぶクラスの裏グループチャット。直接的な加害と同じくらい言葉のナイフは心に穴を穿っていた。結局、私は最後のプリントを殆ど添削することが出来なかった。本当なら訂正しなきゃいけない表現が沢山あったのに。色々な感情が混ざって自分が何を考えているのかすら分からなくなる。この思いは言葉で表せない。

実験1045-JP-120はこれまでの実験と比較して明確な差異が結果に現れました。他の文章と比較して顕著に添削箇所の少ない文章は「SCP-1045-JPの発見された住居の居住者が生前勤務していた学校で用いられる罵倒・侮蔑表現」を参考元として作成されました。よって、以降の実験は同文章を元とした幾つかのバリエーションを用いて行われます。

延々と続く悪夢、醒めてほしいと数えきれないくらい切望しました。普段の私なら笑って否定するような対象へ助けを求めました。神様、天使、妖精、魔法使い、いらっしゃるならお願いです。どうか、私をこの地獄から解放して下さい。けれど誰も助けには来ませんでした。現れるのはいつも決まって同じ。罵倒と侮蔑、下品で悪意に満ち溢れた文章。見たくもないはずなのに衝動が私を急かします。「早く添削しなければ。この文章は不適切な箇所だらけだ」赤ペンを握って内容を読み進めます。途方もない時間を掛けて1行目を読み終えます。何百文字もの長文を読んだ後のような疲労感に襲われましたが、続ける他ありません。存在しないはずの頭で鈍い痛みを感じながら、ほんの少しづつ添削を進めました。けれど、どうしても添削できない文章が現れてしまいました。かつて聞いたのと同じ表現を見ると、あの子たちの顔を思い浮かべて腕が動かなくなってしまうのです。結局その文章は添削を受けずに回収されました。ゆっくりと私の想いが削られていきます。

実験1045-JP-131において遂に一切の添削を受けない文章が確認されました。以降はその文章を元としたバリエーションを用い、文量が増加した際にも添削を受けない文章の傾向を特定する事を主眼に置いた実験が行われます。

悪夢のような日々を過ごすうちに、少しづつ衝動が薄まっていくのを感じます。それでも私は添削を辞めることが出来ませんでした。私が文章を添削しなければ、またあの暗闇に戻されるかもしれないのです。衝動が鳴りを潜めた後に私を突き動かしているのは純粋な恐怖でした。最悪な事に、現れるプリントに書かれた文章の文字数と文量は増加の一途を辿っています。それに比例して疲労は増加しました。それでも何枚かは添削するのですが、やはりどうしても添削できない文章の書かれたプリントが現れてしまいます。そういったプリントが回収されるたびに、安堵感と共に暗闇へ閉ざされる事への恐怖で綯交ぜになった心が乱れます。このままではいつか気がふれてしまう。予感では無く確信が持てました。

十分な量が確保されたと判断し、データ取得目的の実験を終了します。次の段階へ移行する前の最終チェックには誤伝達部門が作成中の文書が使用される予定です。

永遠に続くかと思われた悪夢は唐突に終わりを告げました。そして恐れていた事態が起きます。私はまた暗闇に囚われました。何も分からない、何もできない日々。どれだけ心が麻痺しても、どれだけ思考が濁っても、プリントが現れれば明晰な頭脳と過敏な心が戻ってくると確信しながら、時間と正気を浪費してゆきます。それでも毎日のように悪意にまみれた文章を読ませられるよりは気持ちが楽でした。

暗闇で過ごすうちに、ゆっくりとモヤモヤが湧き上がるのを感じます。それは覚えのある感覚でした。それは添削したいという衝動でした。それは、私に唯一残った存在意義であり理由です。真っ黒に濁った汚水を掛けられて消えたはずの炎は、完全には消えず心のどこかで燻っていました。孤独と空虚が燃料となり、再び燃え上がった衝動が私を焦がします。その激しさは全てを包み込む暗闇さえ払ってしまいそうだと錯覚する程でした。ぶつける相手の居ない熱を放つ私は、離れた場所にある何枚かのプリントを捉えます。「添削したい」そう思うだけでプリントは私の目の前に飛んできました。そこに書かれていた文章を読むと、手元に懐かしい感覚を覚えます。そこに何があるのか最早確認するまでも無くペンを振るうと、赤と青の文字と線が紙上をステージに踊りだしました。久しぶりの添削で気分が乗り、昔よりも詩的な言葉を選んでしまうのを自覚します。偶にはこういうのも悪く無いなと思えてしまうのは成長か、それとも長い虚無の時間で変質してしまったのでしょうか。どちらにしろ、添削は続けなければなりません。幸いなことに悪意に満ちた文章は私の前に現れませんでした。

SCP-1045-JPの異常性に変化が発生しました。添削された過去の文書は全て破棄されているにも関わらず、添削の対象となる「範囲」が拡張しています。

満ち溢れる全能感に任せてプリントを捉えてはペンを振るいます。誤謬は全て正さなければなりません。同じ間違いを犯さないために指摘し、より良い文章を書けるようにと願って添削するのです。みんなの文章力と熱意を裏切らないために、一切の妥協は許されません。どれだけ小さな誤りであっても見逃しません。そういえば私は過去にも同じような想いを抱いていたような。あの時は失敗しましたが、今度こそは生徒に相応しい立派な教師になって見せるのです。次のプリントを見つけました。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。