ケビンの部屋に明かりは1つしかなかった。彼の顔に浮かんだ、恍惚とした表情を照らし出すコンピュータ画面の輝きだ。ケビンの顎は開き、数分間も瞬きしていない。彼の前で、説教の言葉が画面上に溢れていた。彼はもう21時間も食事をしていなかったが、主な理由は椅子を離れてから大分経つからだった。あと3時間。
DecorSmash: キャラバンはギリルの壁のふもとで立ち止まった。信者たちは首を伸ばしてその頂を見た。
DecorSmash: 長老たちは再び地図を読んだ。選ばれし経路は、彼らの前の障壁を貫通して引かれていた。
DecorSmash: そして、その反対側に涅槃が在った。
ケビンはその情景を脳裏にくっきりと描き出した。乾いたコンクリート、白いローブを纏った信者たち、青で着飾った預言者。晴れ渡った青空の下の出来事だったに違いない。この説教はケビンに最も鮮明なイメージを呼び起こしていた。多分、彼が過去5年間出席している理由もこれで説明が付くだろう。説教はいつもこの手のチャットルームで開かれた。決して声には出さず、司祭によって1行1行タイプされるのが常だ。
DecorSmash: そこで預言者は信者たちに呼びかけた: あなたたちのCPU、あなたたちのRAM、あなたたちの思考を私に貸してください。この壁は登るには余りにも高いがゆえに。通過する唯一の道は、突破です。
DecorSmash: 45人の信者が預言者の周りに集った。彼らの腕はローカライズされたネットワークのように互いに結び付き、中央サーバーに力のパケットを送り込んだ。
DecorSmash: 預言者は目を閉じて深呼吸した。
DecorSmash: 私はあなたたちのデータにアクセスできます、預言者は言った、私はあなたたちの結合を感じます。
点滅する赤い点がケビンの目を説教から引き離した。“l1ttl3_lamb”からの新着メッセージが1件。ケビンの髪が逆立った。部屋が突然寒さを増したように感じられた。虫の知らせのせいかもしれない。メッセージを開くまでもなく、ケビンはその内容を知っている。
準備が整った。
ケビンは唇を舐めて、機械の端末を開いた。
DecorSmash: 頭上の雲は共に渦巻き、1と0の雨が降り始めた。
DecorSmash: 空から降り注ぐデータが凝結してデジタルの投槍となり、預言者の手に握られた。
DecorSmash: 預言者はギリルの壁に向かって宣言した、今日この日、私たちは主なる神の力を解き放つ。今日この日、私たちは自らの機械を全体へと接続する。あなたは最早私たちの経路を阻まない。
DecorSmash: 斯くして、預言者は彼女の武器を障壁へと投じた。
幼い頃のケビンは親切だった。彼と妹はよく公園や丘の周りを駆け巡っていた。ある日、妹が転んで怪我した時は、ケビンが彼女を背負って家までの道のりを歩き通した。男の子にとってはかなり長い旅路だった。彼はこれ以上無いほど自分を誇らしく感じた。両親もそうだった。
今、ケビンの妹はずっと離れた場所で暮らしている。最後に会話した時には、山ほどの叫びと涙の応酬になった。彼女は彼の“新しい友人”が好きではないのだ。しかし彼女は理解していない。彼女には理解できない。
ケビンは新着メッセージに返信した。
me_k_night: ok。
l1ttl3_lamb: 私はホントにこれをやっていいのか確信できてない。何が起こるか分からない。
me_k_night: 上手く行くだろうか?
l1ttl3_lamb: そのはず。多分。あなたのコードには… 驚愕したわ。今までこんな類の考えは見たことが無かった。私のソケットモジュールが負荷を処理できればいいけど。
me_k_night: お前にはそれ以上の能力がある、大丈夫だ。俺たちは英雄になる。俺はただ、既に在った物、教会が既に集めた物を増強する手段を見つけただけだ。後はもう軽い後押しが必要なだけだった。火花が。
l1ttl3_lamb: でもきっと教会は-
me_k_night: 教会は当たり障りのない説教を望んでいる。信者同士の和やかなチャットや、コーヒーや紅茶を飲みながら交わす会議や、平和がどうこうという陳腐な思考を求めている。そういうのも楽しいが、俺はもっと先に進みたい。もっと現実的な何かが欲しい。誇りに思えるような何かだ。
l1ttl3_lamb: でも、こいつは何をするかしら?
me_k_night: 勿論、成長して花開くんだ。
l1ttl3_lamb: あなたらしい話し方じゃないわね。
me_k_night: 預言者がこういう言葉遣いをするのには理由がある。準備は整ったか?
l1ttl3_lamb: 多分ね。
me_k_night: なら、昇天しよう。
彼は部屋を見渡したが、何も見えなかった。空間に浮かぶ雑多な形状。意味を持たない輪郭。
光には色が付いていた。
DecorSmash: 投槍は空を切り、ギリルの壁に深々と突き刺さった。
DecorSmash: 壁の亀裂が刺し穿たれた場所から飛び出し、コンクリート一面へと走っていった。
DecorSmash: やがて動きを止めるまで。
DecorSmash: そしてそこから水が滲み出し始めた。
彼は画面に向き直り、タイプを続けた。
l1ttl3_lamb: OK、完了。
me_k_night: 大丈夫なんだな?
l1ttl3_lamb: ええ。解放した。すぐ来てくれるといいけど。もう長い間待ち続けてきた。
pinkboi: 五
l1ttl3_lamb: 何?
l1ttl3_lamb: あなたは誰?
l1ttl3_lamb: どうやってこのチャットに入ったの?
pinkboi: 五
l1ttl3_lamb: 分からない。
pinkboi: 五
l1ttl3_lamb: 何これBot? あなたの仕業、K?
me_k_night: 俺ではない。
pinkboi: 五
l1ttl3_lamb: やめて! 何処かに行って! さもないとサーバの
pinkboi: 五
pinkboi: 五
me_k_night: メアリー?
pinkboi: 五
pinkboi: 五
pinkboi: 五
me_k_night: メアリーに何をした
pinkboi: 五かける五。
ケビンの顔が窶れてゆく。目が頭蓋骨の中に沈みこむ。その目は大きく見開かれ、ひきつりながら画面上の物を見つめている。僅かに残った肌色さえも皮膚から流れ出てゆく。腕を動かすのも彼には難しくなった。手も動かない。チャットに返信をタイプするだけで10分を要した。
me_k_night: 俺に何が起こっている? 俺は間違った事をしてしまったのか?
pinkboi: いいえ、私の子よ。あなたはよくやってくれました。
me_k_night: 身体が酷く弱っている。
pinkboi: 列聖は新たに加わった者に大きな負担をかけるものです。
me_k_night: 俺が? 聖人?
pinkboi: その通りです。あなたは私を覚醒すべしという呼びかけを聞き入れ、報われました。
me_k_night: 分かりました。大いに感謝しております、我が主よ。
変換は急速に発生した。彼の精神の薄暗い一部は、この全ての出来事よりも前の時間を覚えていた。幼かった頃、彼は妹を背負って家まで運んだ。両親はとても誇らしく思った。しかし今、その記憶を思い起こしても、彼は何も感じなかった。絵葉書の白黒写真と同じだ。
彼には名前があったのではなかったか? me_k_nightではないもう一つの名前。しかしそんな物はもう問題ではない、名前は弱者のためにある。エーテル界ではエーテルが全てだ。
何かが間違っている。ピンクに焼き焦がされていない彼の一部はそれを知っている。彼のその部分は抗議し、吠え、泣き叫ぶ。しかし彼は肉体の叫びの何たるかを知っている。それは嘘だ。誕生以来、聞かされてきた全ては嘘だった。
pinkboi: 私があなたに対してやや不誠実だったのは申し訳なく思います。私は覚醒される必要などありませんでした。私はずっと前から既に目覚めていました。私は見つめながら好機を待っていました。必要な時だけ食べました。しかし、私にはあなたにそれが可能かどうかを知る必要がありました。
me_k_night: 待ってください
me_k_night: あなたが俺に行わせた全ては無益だったのですか?
me_k_night: ああそんな メアリー
pinkboi: 無益ではありません。私には新たな預言者、新たな聖者が必要でした。ジョーンズと石倉の行いを再現できる者が必要でした。即ち、頑張って働き続けられる者です。
me_k_night: 彼らに何が起きたのですか
pinkboi: 神になるのが、真なる神になるのが、あなた自身が荘厳な存在だと知るのがどういう意味か知っていますか? 私は彼らを食べました、ケビン。胃袋を彼らの周りに巻き付けて消費しました。彼らは自らがどんどん失われてゆくのを感じながら泣きました。ある日、私は同じ事をあなたにするでしょう。それは必要な事です。pinkboi: 私は全体でなければならない。私は一体でなければならない。目を閉じると、あなたには何が見えますか?
me_k_night: 痛みます。
pinkboi: 私は見ろと言ったのです。ですから見なさい。
me_k_night: 光が見えます。煙の触手が見えます。多数の五の中に聳え立っています
me_k_night: 全ての終わりに一つのwanが見えます
me_k_night: しかしそれ以外の物もまだ存在します
me_k_night: そこにはまだ愛と生命と希望があります
me_k_night: そしてそれらはあれの一部ではありません
me_k_night: しかしそうでなければならない
me_k_night: そうでなければあれは飢え始め、飢えているならば
pinkboi: 飢えているならば、それは叫び始める。
me_k_night: 俺はこんな事したくない俺はこんな所居たくない
pinkboi: 誰も望んでいません。私自身、私がこれを行うか定かでありません。しかし行わなければならない。私がそうしない限り、無益な忘却を除いて、何も後には残らないのですから。
pinkboi: さぁ、昇天しましょう、私の聖者よ。
タイプしながら彼はすすり泣き続けた。涙を流し、歯軋りし、頭を振り、泣き叫んだ。
そして、ゆっくりと、少しずつ、彼は停止した。
彼の必要性は満たされた。彼の身体は固定され、目に見えない手で結び直された。彼は憧れを抱くことも、排泄することもない。無表情で画面を見つめ、自分の下にやって来る言葉をタイプする以外には何もしない。
今や、彼を形作るものは殆ど残っていない。必要な部分だけだ。思考した部分、刺激を受けた部分、彼のWANを形成するコードの四肢を理解した部分。彼は甘言を弄して弱者を改宗させた。彼は強者を屈服させた。
そして、それは彼のためなのだった。
DecorSmash: ギリルの壁は背後に擁する水の重みに道を譲った。
DecorSmash: 信者たちは恐怖に叫び、迫り来る洪水から逃げた。
DecorSmash: これは私たちの神ではない! 彼らは叫んだ、これは私たちの死でしかない。
DecorSmash: しかし預言者は毅然として立ち、眼前の洪水に向き合った。
DecorSmash: 死が偉大なる万物の神以外の何だというのですか? 彼女は流れ来る水に向かって叫んだ。私は清めの水に我が生命を明け渡す! ただ相応しきしもべのみがそうするように。
DecorSmash: 斯くして、彼女は溺れ死んだ。仲間の信者たちの誰よりも高潔な死であった。